「精神移民」の日本人に、「在日コリアン」問題を解決する希望の光を見たと、私は言いました。その理由を、述べます。
1. 彼らは過去に囚われない、新しい日本人であること。
2. 彼らは外国で、日本人差別のつらい体験をしていること。
3. 彼らは語学力を、苦労して身につけていること。
4. 彼らがするのは、単なる会話でなく、「イエス・ノー」をきちんと伝えられる、脱日本人としての意思表示会話であること。
5. 帰化しない彼らは、「無意識」の中に、「日本」と「愛国心」を持っていること。
私が考えるのは、日本へ戻った彼らが、「差別だ」と騒ぎ、日本人や政府を攻撃する「在日コリアン」に、どういう姿勢で臨むかということです。
「騒ぐ前に、貴方たちは、日本で生きるため、どんな努力をしたのですか。」
氏の本に出てくる日本人移住者に、共通する特色は、彼らが常に責任を他に転嫁せず、自分の努力不足に原因を見ているところでした。あれが悪い、これが悪いと言い、批判する前に、自分を周囲に合わせる努力をしています。
言葉が通じなければ、働く時間を削り、語学の勉強時間を捻出しています。話せるようになっても、きちんと意思表示できなければ、個人主義の外国では暮らせないと気づき、話し方を変える積極性。つまりこれが、脱日本人です。
例を挙げればW子さんは、敵国日本人であったため、移住当初オーストラリア人から、激しい差別と攻撃を受けました。
といって彼女は、差別をするオーストラリア人に対し、憎しみや怒り向けていません。日本を恨んだり、政府を攻撃したりしていませんし、子供にも、オーストラリア人や日本を恨むことを教えていません。私はこれが、「在日コリアン」と、「日本人移住者」の決定的違いだと、発見しました。だから彼らは日本へ戻って来た時、「在日コリアン」の反日プロパガンダを聞けば、「いい加減にしなさい」と、たしなめるはずです。
「日本に強制連行された」と主張する、60万人の「在日コリアン」の99%が、戦後の混乱期に職を求め、密航してきた者たちとその子供や孫だと知れば、身勝手な主張に眉をひそめるでしょう。もしかすると彼らは、私が指摘する日韓の問題点にも、気がつくかも知れません。
1. 「在日コリアン」の主張を、積極的に煽動している韓国政府
2. これを放任している、無策の日本政府
3. 「在日コリアン」を支援し、一緒に騒いでいる反日・日本人
4. 「在日コリアン」を政争の具にしている、日本と韓国の議員たち
「精神移民」の彼らが、外国で差別を受けていた時、日本政府が何かをしたでしょうか。また、彼らはそれを期待していたでしょうか。個人生活について、政府は何もしないのが、先進国のやり方です。「在日コリアン」の日常生活にまで、過剰介入する韓国政府の異常さを、冷静に判断できるのも彼らでしょう。
広い意味で考えれば、「精神移民」は、オーストラリアだけに存在しているわけでありません。氏の言葉をもう一度、読んでみます。
「この人たちは、新しいタイプの移住者であるだけでなく、」「経済大国となった日本社会の、一つの産物であると言えるだろう。」
つまり「精神移民」は、変化する日本国民であり、オーストラリアだけでなく、世界各国にいるのです。彼らは、世界を眺めるだけでなく、世界の人々と会話し、見聞を広めています。井の中の蛙でなく、臆せず自己主張することの重要性を、体で覚えています。中には日本を批判し、蔑視する反日「精神移民」もいますが、多くの彼らは、異国から自分の国を温かい目で見ています。
何年も働きながら、自分発見の旅をしている多くの若者たちが、現在の「在日コリアン」の実態を知れば、黙っておれなくなる日がきます。
「豊臣秀吉は、朝鮮を侵略した。」「昔から、日本は朝鮮を苦しめていた。」と、今でもそんなことを言う韓国人がいます。
戦いに負けた、弱いご先祖を恨むべきなのに、見当違いの言いがかりをしています。日本の政治家や学者たちが、韓国政府の横車を黙認しているのは、「東京裁判」で「日本が侵略戦争を仕掛け、中国や韓国を蹂躙した。」と言われ、小さくなって反省している人間が多いからです。
「精神移民」を経験した日本人は、東京裁判の不都合さには縛られません。戦勝国が敗戦国を裁いた、不当な裁判だと、事実を知れば判断するはずです。・・・・と、ここまで「精神移民」の彼らに、私は希望の光を発見しました。だからといって、彼らにだけ期待しているのではありません。
私のように「日本を大切にする」国民が、今は多数派になりつつありますから、「精神移民」の彼らと協力すれば、もっと着実に「日本を取り戻せる」と、そのように考えています。菅総理がどこまで安倍内閣を継承するのか、今はまだ不明ですが、「憲法改正」と「皇室護持」は、日本が独立国であるための、最低条件です。
「和をもって、尊しとなす」と言う聖徳太子の教えが、子供の頃から身についている私たちは、ややもすると相手をおもんばかります。つい婉曲に意見を言い、問題の解決を遅らせている傾向が、ないとも言えません。「精神移民」の彼らが帰国し、日本人の物差しが変われば、「在日コリアン」問題への向き合い方も変わります。
「過去の話は、過去の話。」「自分の努力不足の隠れ蓑にするな。」「郷に行っては、郷に従え。」と、反日を続ける一部の「在日コリアン」に、きちんと意思表示しなければなりません。
他所の国はどうだこうだと、良いところばかり語り、それをしない日本を攻撃する彼らに対しても、「精神移民」の彼らなら、正しい反論ができます。
「どこの国にも、欠点と長所があります。」「受け止める個人が、千差万別の価値観を持っているのですから、良いこと尽くめの国は、世界のどこにもありません。」
と、彼らは自信をもって「在日コリアン」に、語りかけるはずです。オーストラリアにはオーストラリアの社会統治方法があり、日本には日本のそれがあります。韓国にも、北朝鮮にもそれがあり、国民である限り、その中で暮らしています。不満ならば、「出ていく」しかありません。
「在日コリアン」について、私が考えているのは、日本に同化し、日本の社会でつつがなく暮らしている90%の人々の幸福です。10%の不満分子のことより、多数の彼らの方が大事です。
「マイノリティーの人権を尊重せよ。」「多数派の横暴を許すな。」と、最近では反日・左翼の主張も、アメリカの左翼勢力に合わせ、変化しています。「在日コリアン」の少数派も含め、同性愛者、性同一障害者などについて、ためにする議論を煽動し始めました。これについては、次回といたします。
( 私のブログのアクセス数は、やはりこう言う問題になりますと、少なくなります。何故なのか、それが不思議でなりません。面白くないからだと、言われれば、なるほどとそうだろうと、納得いたします。)
自己矛盾の垂れ流し、痛々しい限りですね。
「「在日コリアン」について、私が考えているのは、日本に同化し、日本の社会でつつがなく暮らしている90%の人々の幸福です。10%の不満分子のことより、多数の彼らの方が大事です。」
なら、10%の不満分子を指して「在日コリアン」として攻撃するなよ。お前は差別を助長しているに過ぎない。
「戦勝国が敗戦国を裁いた、不当な裁判だと、事実を知れば判断するはずです。」
「戦いに負けた、弱いご先祖を恨むべきなのに、見当違いの言いがかりをしています。」
怒りに燃えて、支離滅裂な言いぐさよな。
冷静になれよ、老害。
冷静なコメントを、入れてくれましたね。
「ねこ庭」を訪問する方々に読んでもらうため、記念のた、削除せず残します。こういう感情的、闘争的な意見が、貴方たちの特徴ですね。
礼儀知らずで、相手を不快にするだけで、意見の中身は空っぽです。「精神移民」の、爪の垢での煎じて飲めば良いと思います。他人のブログで悪口雑言、情けない姿です。
だいたい私は、怒りに燃えていませんよ。どこからそんな受け止め方をしますか。「差別を助長している」など、相変わらず、人の意見をきちんと受け止めない・・なるほど、自ら反日左翼と名乗るだけあり、貧しい心です。
しかしご意見の一つとして、受け止めました。