おふじさんについて語る前に、侯自身に関する情報を整理しておきます。明治19年に、元越前福井藩主松平慶永 ( 春嶽 ) の五男として生まれた侯は、明治41年に尾張徳川家の入婿となり、家督を相続し、松平性から徳川姓へと変わります。
父君の春嶽侯が3才の時に亡くなり、8才になるまで生母に育てられたと言いますので、おふじさんの思い出話はその頃のことです。30ページの食事の場面に戻ります。
「ご飯のおかわりは、上の者から順にする。」「長幼の順が決まっているから、弟の僕は最後である。」「先にすんでも、膝に両手を置いて、」「姉の済むのを、待つのである。」「この順序を間違えると、母は厳しく注意した。」
「言葉遣いも、目上、未知、同輩以下の三つの使い分けがあった。」「仮に " 承諾 " の場合、目上には、" かしこまりました " 」「未知や親しくない人には、" 承知しました " 」「同輩やそれ以下には、" 承知 " である。」
「母だけではない。」「女中でも家扶、家従のものも、いずれも相応の教養があって、」「僕らにも厳しかった。」
「若様は大きくなると、殿様になるのですから、」「誰に対しても謙虚で、丁寧でないといけません。」「目下の者にも、何かしてもらったら、」「必ず、ありがとうと礼を言わねばなりません。」
ある時侯が友人の家へ行き、「そんなことをすると、損だよ。」と言った時、若い女中が聞き咎めて諭したそうです。
「若様は、そんなことで損得を言うものではありません。」「損は、ご自分でお受けになるのです。」「損得で、ものごとを見てはなりません。」
厳しい躾にはおふじさんだけでなく、家の使用人たちまでが参加していました。人権無視の封建時代と学校で教えられましたが、それだけではなかった社会が見えてきます。侯もまた、これらを当然のこととして受け入れています。
「これらの礼儀作法、言葉使いは、僕が物心ついた六つ七つの頃、」「すでに身についていた。」「礼儀作法について、特に教わった記憶がないのは、」「生まれてからもの心つくまでの幼児期に、全て躾けられていたからである。」
「僕はこの厳しい母のおかげで、いかなる場所、いかなる人物の前に出ても、」「礼儀作法、言葉使いで、恥ずかしい思いをしたことがない。」「宗家に出向いても、また尾張徳川家の養子になったときも、」「一歩も臆しなかった。」「すべて、母と呼べない母の、深い愛情のお陰であった。」
侯の言葉を読むとき、母を思う心の厚さに目が潤んできました。この文章のどこに、側室の子として生まれた劣等感が感じられるのでしょう。ネットの情報をまとめた反日学者の説明の、間違っていることを教えられます。
侯の書を読んでいる間中、私の頭から去らないのは、300年間続いた徳川幕府と、2500年以上続いている皇室との比較考察でした。徳川幕府でさえ、男系相続者を絶やさないため、心を砕いています。それが側室であり、御三家の仕組みでした。昭和天皇以前には、皇室にも妃(側室)制度がありましたし、徳川の御三家に相当するのが、11宮家を含む宮家制度でした。
国をまとめ、国民をバラバラにしないため、直系男子相続という仕組みがどれほど大切なものかを、「有識者会議」のメンバーが理解しないというのなら、私たち国民が教えてやりたくなります。
小室母子問題について、 「秋篠宮様が・・」「眞子さまが・・」と、つまらない言い訳をリークする前に、侯の著作を読んではどうなのでしょう。ここでは女中や使用人ですら、若殿に苦言を呈しています。国民の上に立つ方への教育に、本気で向き合っています。時代が違う、環境が違うという前に、時代を超えて存続すべき皇室にとって、何が大切なのかを、宮内庁長官の西村氏と皇嗣職大夫の加地隆治氏は、検討したのでしょうか。
彼らに「皇室護持」の使命感があるのなら、障碍になっているものを、取り除く仕事から始めれば良いのです。皇室の中にある障碍、政府内にある障碍、国会内にある障碍と、整理区分し、変えていくのが仕事であるはずです。宮内庁には、他の組織に働きかけられるだけの役割と権限が与えられているのですから、行使しないというのは、やはり怠慢の誹りを免れません。
一夫一婦制が正しい在り方だと、昭和天皇は信念をもたれ、妃(側室)制度を廃止されました。ならばせめて、11宮家の皇籍復帰の重要性くらい、宮内庁の官僚は理解しなくてどうするのでしょう。GHQに協力し「皇室崩壊」に手を貸したいのなら、今のままでいけば良いのでしょうが、「日本を守る」気持ちがあるのなら、「有識者会議」などに任せて良いはずがありません。
宮内庁の人々は、「皇室護持」のための使命と権限を、今こそ活用すべきです。政府を動かし、マスコミを動かし、国民を味方につけ、秋篠宮様や眞子さまに向き合ってはどうなのでしょう。
困難を承知の上で言いますが、もしかすると、愛子天皇を望まれている美智子様や上皇陛下とも、向き合うことになるのかもしれません。2500年以上の伝統を持つ皇室のため、身を呈する覚悟ができないのなら、「おふじさん」に及びませんし、名も無い若い女中や家僕たちにも劣るのではないでしょうか。
「読み方によっては、歴史書になる」と言いましたが、次回からは、歴史を語る侯本来の話に戻ります。目次の後の、10ページです。