〈 二闋 三韓来 ( さんかんきたる) ・古代の大英雄、日本武尊 11行詩 〉
・神功皇后の「三韓征伐」
今回も日本武尊の続きですが、メインテーマは神功皇后と仲哀天皇です。私だけでなく、多くの人の知らない事実が語られていると思います。
「系図から言えば、神功皇后こと息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと) は、第九代開化天皇の五世の孫である。母系から言えば、天日桙(あまのひほこ) の6世の孫である。」
「そして天日桙は元来新羅の王子で、日本に帰化した人であった。つまり神功皇后の母系の先祖は、新羅人である。」
「幼くして聡く、叡智があり、容貌もいと整いとあるから、子供の頃から頭が良く利口で、しかも絶世の美人であったのである。」
活字でしか知らない神功皇后が氏の説明で、生きた人物となります。夫君の仲哀天皇に従軍して九州へ行った時、手強い熊襲と対面されました。橿日(かしい)の宮において軍議が開かれ、武内宿禰(たけうちのすくね) が天皇の琴に合わせて神託を求めたと言います。このとき神功皇后に憑依現象が起こり、その口を通して神が語ったそうです。
「天皇よ、どうして熊襲が降参しないのを心配するのか。それは不毛の国にすぎない。わざわざ兵をひきいて、攻めるほどのことはないのだ。」
「この海の向こうには、日本より優れた宝の国の新羅がある。まずこの国を討て。そうすれば熊襲も自然に降参するであろう。」
しかし天皇は、この神のお告げを疑られました。
「西の方を見ても海ばかりで、国などは見えない。皇后に憑依した神は、インチキであろうと思われたのである。その疑った罰が当たって琴をひいているうちに急死したとか、あるいは翌日に戦死したとか伝えられている。」
「このことを現代流に解釈すれば、元来が新羅系の皇后は、熊襲に朝鮮半島の勢力がついているので、熊襲だけを討とうとしても駄目なことを知っていた。それで神託をかりて、まず朝鮮半島に出兵するようにすすめたのである。そこの人は、戦う準備ができていないことを知っていたのではないか。」
氏は、左翼系学者の社会科学的な考察がよほど気にかかるらしく、たびたび現代流の解釈をして見せます。今ならマルクス主義が、左翼学者の言うような科学的思想でなく、絶対的思考でもなく、矛盾に満ちた思想の一つだと誰も知っています。氏の著作が出版された平成2年当時は、学界もマスコミ界も左翼思想が威を振るっていたので、そうせずにおれなかったのかもしれません。こう言う観点から見ますと、氏の著書もまた『記紀』のように、歴史を語る記念的書物の一つになっているのかと考えたりします。
「この詩の後半部については、次節で述べよう。」
今回は短いブログとなりますが、切りの良いところですから私もここで一息入れます。
〈 二闋 三韓来 ( さんかんきたる) ・古代の大英雄、日本武尊 11行詩 〉
・神功皇后の「三韓征伐」
次回は二闋(けつ) の、〈・神功皇后の「三韓征伐」〉に進みます。まだやっと39ページです。