ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本史の真髄』 - 12 ( 民意 )

2022-11-12 13:41:34 | 徒然の記

 〈 二闋 三韓来 ( さんかんきたる) ・古代の大英雄、日本武尊   11行詩 〉

                   ・神功皇后の「三韓征伐」

 タイトルをそのままにした、氏の解説の続きです。

 「なぜ戦後の日本史家が、応神天皇以前の天皇の名前を挙げたがらないのか。私の推測であるが、それは神功皇后の記事があるからではないかと思う。」

 「戦前〈三韓征伐〉として教えられたことである。しかし戦後は、朝鮮半島のことについてはタブーが生じてしまった。〈さわらぬ神に祟りなし〉である。」

 学生時代の氏が、日本史で三韓征伐に触れた時、坂本太郎先生から褒められたと言う話を披露しています。最近の学者は朝鮮に遠慮しているからいけない、と言われたそうです。だから氏は、次のように解説します。

 「昔の日本民族に関する、最も信頼すべき記録にはこう書いてある、というところから日本史は始まらなければならない。頼山陽は、敗戦後の日本史学界を支配したタブーなどは知らないから、当時の日本人が知っていた日本史にもとづいて詩作している。」

 こうなりますと、私にも息子たちに聞かせたい思い出話があります。小学校の四年生から、中学校、高校と、私は北九州で暮らしました。東京の大学へ進学して以来、ずっと(主に)関東で生活していますが、北九州は私の何番目かのふるさとです。

 一番高い山が帆柱山で、生徒たちは皆、この山の姿を仰ぎ見ながら通学していました。山の名前の由来は、昔神功皇后が朝鮮へ渡られる時この山の木を切り、船の帆柱にされたという言い伝えです。私たちは戦後の歴史教育世代でしたから、それ以上のことは教えられませんでしたが、氏の解説を読みそういうことだったのかと納得しました。

 左系の学者と日教組の先生たちが、郷土の歴史まで封印していたと言うことです。高校の校歌の一節に次のような歌詞があります。

  磨くは叡智 修むる徳義

  〇〇、〇〇 栄ある母校

  帆柱の峰に 日ぞ照り渡る

 大正時代に創立された高校ですから、歌詞にも古めかしい言葉が使われています。「帆柱の峰に」と、神功皇后の歴史がちゃんと歌われています。私たち生徒は何も考えないまま斉唱していましたが、背景にはこうした戦後の歴史があったのです。

 さすがの日教組も校歌にまでは遠慮したのか、見過ごしたのか、異を唱える人もなく今も歌い継がれています。いわば校歌は、封印された戦後の日本を語る記念歌でもあり、大切にしたくなります。氏が解説する日本の歴史を知っていれば、「男女平等の時代だから、女系天皇でもいいのではないか。」と、つまらない意見を言う自民党の議員もいなくなります。

 まして似非キリスト教とも言われる統一教会へ安易に近づき、選挙協力をしてもらうなどありえない話になります。八百万の神様が治められている日本の知識があれば、ここまで無惨に野党に責められる愚もしなかったことでしょう。

 この意味においては、亡くなられた安倍総理も同じです。統一教会問題の始末をつけなかったことは、氏のカードの裏側の「負」の事跡です。渡部氏の著作は、現在の問題点まで照らしますから、学徒にはめったにない良書となります。

 天武天皇は686年代の方であると書いてあるので、日本武尊はいつ頃の方なのかとウィキペディアで調べますと、次のように書かれていました。

 「日本武尊は、景行天皇12年 - 景行天皇41年、記紀などに伝わる古代日本の皇族(王族)」

 氏の説明通り、戦後の歴史学界では生存年代が不詳とされ、中華思想に言う夷狄を意味する王族という言葉が使われています。

 「第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる、日本古代史上の伝説的英雄である。」

 氏が指摘する通り、これではなんのことなのか国民には日本の歴史が伝わりません。正しい日本史が整理確立されるのは、まだこれからだということも分かりました。頑迷固陋な保守学者たちがいなくなり、反日左翼の教条的学者が減り、中庸の学者の時代が来るまで期待できません。

 早める方法があるとするなら、それは「国民のめざめ」だろうと思います。氏の願いに応え、「正しい日本の歴史を取り戻そう」と国民の多数が心を決めた時です。選挙の一票でまずは共産党の議席を減らす、国民の意思、つまり民意を示すことです。そうなれば、自民党の中にいる愚かな議員たちも、これではいけないと目を覚まします。護る会の議員が増え、日本の過去を取り戻す流れが大きくなります。

 今のところ、私たちにできるのはこのくらいのことです。しかし、「たかがこのくらい、されどこのくらい」・・これが民意で、日本を変える力です。

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『日本史の真髄』 - 11 ( 「弁偽学」について )

2022-11-12 07:31:11 | 徒然の記

 〈 二闋 三韓来 ( さんかんきたる) ・古代の大英雄、日本武尊   11行詩 〉

                   ・神功皇后の「三韓征伐」

 タイトルをそのままにした氏の解説を、紹介します。

 「従って天皇に暴虐のことがあった場合も、それを隠さず記録している。応神天皇や継体天皇以前の日本の歴史について、かくも豊富な記述を書き留めているものは、『古事記』と『日本書紀』のほかにない。

 もしも左翼系の学者が説明するように、記紀が皇室を正当化し権威を高めるために編纂されたとすれば、こんなことを書くのだろうかと疑問を抱いた記憶があります。勅命で編纂された最古の正史が『日本書紀』と聞くわりには、天皇を賛美し飾り立てられた事実ばかりが書かれていません。中国、北朝鮮、韓国の歴史書は、皇帝や総書記や大統領が生まれた時から偉大な人物で、輝かしい業績を上げたとする歴史書ですから、氏の意見にうなづかされます。

 「そもそも当時のこれほど充実した史書を無視しようというのが、土台無理な話なのである。日本民族に関して、八世紀以前にこれ以上の史料は地上に存在していない。」

 「記紀は、ユダヤ人にとっての旧約聖書と同じ位置付けである。ローマの歴史には、ユダヤ人のことが少ししか書かれていない。ローマの歴史書を元にして、ユダヤ人の歴史を書くことを考えるユダヤ人は一人もいないであろう。」

 突飛な比較と思われるかも知れせんが、学者としての重要な意見です。旧約聖書はユダヤ人の歴史書ですから、神代のことが詳しく書かれています。ユダヤ人はローマ帝国がどれほど強大な国だったとしても、僅かの記述しかしていないローマの史書を拠り所にせず、旧約聖書をもとに自国の歴史書を編纂するのだと、このように語っています。次の説明を読むと、氏の意図するところがハッキリします。

 「日本民族について、シナの史書の記述は極めて少ない。直接に交渉のない東の海上の島のことを、古代シナの史家が正確に書けるわけもなく、書く気もなかったのは当然である。」

 戦後左翼系の学者は、記紀の記述を無視し、シナや韓国の歴史書に書かれた日本の記述部分をもとに日本史を書き改めたので、氏はこのことを指摘しています。田中英道氏も同様の意見ですが、学問的にみれば渡辺氏と田中氏の姿勢の方が正しいと思います。

 「朝鮮の史書は最古のものでも十二世紀であって、記紀より四世紀以上も新しい。日本史については、たとえ不正確なことが混入していても、記紀の記述が座標軸でなければならない。」「書かれた古い史料は、偽書でない限り最高の敬意を払わなければならない。」

 先日紹介した氏の言葉を思い出せば、言わんとするところが理解できます。

 「戦後に出された日本史の特徴は、『古事記』や『日本書紀』に書かれた古代を史実でないとして、否定もしくは無視することである。」

 左翼系の学者はご先祖が苦心の末編纂した『記紀』を無視し、中国や韓国の歴史書の中に記述された日本を探し出し、中国から見た日本、韓国から見た日本を捉え、日本史を書き直してきました。こうなる原因については、やはり共産党が関係しています。宮本委員長の言葉をもう一度読み返してみます。

 「マルクス主義は科学的社会主義論で、矛盾や曖昧さのない理論だから、マルクス主義に則って指導している共産党の政策に間違いはない。マルクス主義は科学であり、根拠のない精神論ではない。」

 左翼系の学者は記紀を根拠のない精神論書で、科学的検証に耐える史書でないと考えているということです。彼らはなぜか中国と韓国の歴史書を、科学的検証に耐える文献であると評価していますが、それで良いのでしょうか。息子たちへの参考のため、黄文雄氏の興味深い意見を紹介しておきます。氏は台湾の歴史家、評論家、哲学者です。

 「中国の歴史観は、さすがに政治の道具というだけあり、歪曲と捏造に満ちたものである。この国は有史以来、経典の偽作を伝統とし、偽史、偽書、偽経で、溢れている。そのため偽物を見破るための、〈弁偽学〉が発達した。」

 「日本では古来、中国史研究が行われてきたが、その入門書というべき〈弁偽学〉の書だけがなかったため、根が善良な日本人は中国史のウソを見破る、という発想を持てないできた。」

 「張心淑の『偽史通考』などは、千四百点もの古典の真偽を考証した『弁偽学集大成の書』と目されている。」「日本人の中には、中国は歴史を大切にする国だと、敬意を表する人が多いが、中国はもともと、歴史は捏造するものと考えている国なのだ。」

 黄氏は、中国を厳しく批判する台湾人ですから、日本の左翼系学者は氏を無視しており、こういう事実を知らないのではないでしょうか。氏の意見を読めば「ねこ庭」を訪れる方々には、渡辺氏の意見が的外れでないことが分かると思います。

 〈 二闋 三韓来 〉本題に入る前に、なぜ氏が左翼系の学者の姿勢についてここまでに解説するのかが、見えてきました。氏は読者である私たちに、「日本の歴史を取り戻すべき」と、語りかけているのです。

 あと一つ、氏が語ろうとしている事実がありますので次回に報告いたします。これが終わると氏も安堵したのか、そのまま本題に入っています。

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