ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

男が決断する時

2016-10-21 14:24:44 | 徒然の記

 岩國哲人氏著「男が決断する時」(平成2年刊 PHP研究所)、を読了。

 同じ著者の本を、叔父が二冊も買っている。もう一冊はこれから読むが、「ウォール街発 新日本論」(昭和63年刊 講談社)だ。

 私に馴染みのない人物の書を、なぜ叔父が二冊もと、最初は首をかしげたが、著者の略歴を見て納得した。今後のことがあるので、長いプロフィールだがそのまま引用する。

 「昭和11年、大阪に生まれ、6歳の時に父を亡くし、」「小学二年生の時、戦火を避け、母の郷里の島根県に帰る。」「湖陵中学校、出雲高校を経て、東京大学法学部を卒業。日興証券に入社した。」

 「銀座支店長への栄転の辞令を、娘の教育のため返上し退職。」「その後、米国投資銀行モルガン・スタンレー 社を経て、」「世界最大の証券会社、メリル・リンチ社へ転職。」「昭和61年に、本社副社長に就任、」

 「昭和63年に、郷里出雲市の市長選挙への、熱心な出馬要請に応えて、同社を退職。」「昭和64年、出雲市長に就任。現在米国のバージニア大学の客員教授。」「我が国を代表する、国際的経済人である。」

 亡くなった叔父は、出雲人でもある岩国氏のことを知るため、二冊も著作を購入した。おかげで私も、この人物の姿を、実像として心に刻むことができた。本の感想を一言で云えば、「上品な語り口の自慢話」だ。

 豊かな家庭ではなかったが、優秀な少年だった彼は、努力すれば何でも手に入れられる順風満帆の人生を歩み、家族にも友人にも、会社にも恵まれ、誰からも好感を持たれるエリートだった。

 イギリス勤務だった時、幼い娘たちの教育のため、栄転の国内勤務辞令を断って、辞職した。氏の言葉によれば、ロンドンの業界紙は、娘たちの教育のためにした、「勇気ある決断」という記事まで出したという。

 これが本の表題となっている、「男の決断」の一つで、残る一つが、「出雲市長選のためにした、メリル・リンチ社の退職」である。これも氏の著書によると、マスコミ各社が「一億円の年収を捨てた男」と書いたとのこと。ちなみに、当時の出雲市長の年収は、一千万円前後だったらしい。

 踏ん反り返った人物の自慢話は、鼻持ちならないが、淡々と語る氏の言葉は、分かりやすさも手伝い、自然な気持ちで読めた。昨日まで手にしていた黄氏の著作に比べると、とても読みやすく、一日で読了した。深刻な話、人間不信の話、会社との葛藤など、そうしたややこしいものが何もない。最初から最後まで、穏やかな語り口の、「優等生の人生」の話だ。

 だから本の中の、一章から六章に渡るタイトルだけを並べると、どんな内容なのかすぐに思い出せる。自分の半生の自慢話をしているのだが、紳士が語ればこんな風になるのかと、感心させられた。私が真似たら、1ページも進まぬ内に、読者から軽蔑されるのが落ちだろう。参考のため、タイトルだけをランダムに書き抜いてみよう。

「市長になる条件を、一つも満たしていなかった私」

「私の選挙活動」「日興証券を辞める。」「辞めた後でもいい関係」

「上司と部下をどう使うか」「人の出会いと名刺」「自国の欠点を聞く耳を持ちたい」 

「日本の教育、アメリカの教育」「小学校時代の思い出」「私の受験時代」

「東京大学時代の思い出」・・。

 こんなことをしていたら切りがないので、結論を言おう。

 氏の著作には、悪人が出てこないし、誠実な人間が沢山登場するから、読者は怒ったり嘆いたりしなくて済む。精神衛生上からも、無害な本だといえる。日本のODAに関する辛口の批評だって、そうだったのかと納得させられる。

 「国際協調ということで、日本はバラマキ外交を行い、発展途上国に、」「金の援助を行っているが、金だけの援助が、果たして効果的なのかどうか、非常に疑問である。」「その国の有力者が、援助資金を私物化してしまうことが、しばしばあり、」「このことは、マルコス時代のフィリピンでも明らかである。」

 「今の日本の援助は、金だけばら撒いて、結局その金を、」「ブーメランのように、日本企業に取り込んでいるだけだったり、」「その国の指導者層を富ませるだけで、庶民には、何のメリットももたらさず、」「返って日本に対する反感を、増幅させるだけに終わっているのが、現状である。」

 氏の指摘する通りであるらしく、腐敗した途上国の支配層の懐を肥やし、日本企業の収益となり、ついでに口利きをした日本の政治家にも還流したと、何かの本で読んだことがある。

 フイリピンだけでなく、インドネシア、タイ、マレーシア、韓国、エジプト、イラン等々へばら撒かれ、昭和57年に入ると中国が対象国に入ってくる。ほとんどの国が日本に感謝していないと聞いているが、昨今の、中国や韓国による日本への罵倒ぶりを見れば、氏の言葉にうなづかされる。

 どうやら読書について、私は運に恵まれない人間なのか、氏への好感と敬意がここまでで終わった。本に書かれたプロフィールに満足せず、ネットの情報を確認し、失意の底に蹴落とされた。余計なことをしなければよかったと、一途な探究心を持つ自分を、いささか後悔する。

 出雲市長退任後の氏が、何をしたのか、何とも不思議な足跡を残している。平成8年の衆議院選挙に新進党から立候補して当選し、平成12年の衆議院選挙では、なんと民主党から立候補して当選している。

 自民党から議員になり、金権腐敗体質でも変革してくれるのかと思っていたら、反日・売国の政党の議員だ。平成18年には、民主党の国際局長に収まっている。氏が辿った政党の遍歴は、新進党 --> 太陽の党 -->民政党- ->民主党、そしてまあ、なんと節操のないこと、平成22年には石破氏に請われ、自民党の政務調査会の顧問に就任している。

 国際的金融知識が求められたらしいが、受諾した氏も氏だが、依頼した石破氏も、お粗末極まる。このような石破氏が、安倍氏氏の後継者の一人だというのだから、保守自民党の再建もあまり期待できない。

 石破氏のことがメインでないから、話を元に戻すが、岩国氏は民主党の議員になって正体を現し、日朝国交正常化議員連盟の副会長になり、朝鮮半島問題研究会の会長になり、夫婦別姓制度、外国人参政権に賛成する議員の仲間となっている。

 もっと驚いたのは、ネットの情報で「帰化した在日議員」の中に、小沢一郎、中山正春、横路孝弘、赤松広隆、岡崎トミ子の各氏に混じって、氏の名前があったことだ。

 思い返してみると、あれだけ詳しく述べられていた氏のプロフィールの中で、父親についての説明があまりに少なかった。

 「6歳の時に父を亡くし、小学二年生の時戦火を避け、母の郷里の島根県に帰る。」

 この一行の中のたった10文字だ。これが大阪での話だとすれば、氏の父親は、不法滞在の韓国人か、北朝鮮人だったことになる。議員なって以来、朝鮮関係の議員連盟で、要職に就いている意味がうなづけてくる。

 そしてさらに脅かされたのが、次のネット情報だ。あまりに酷いので、真偽のほどに自信が持てないから、参考として引用するだけにしておくが、事実なら許せない話でないか。 

 「 メリル・リンチ副社長と、バージニア大客員教授は、経歴詐称。 メリル・リンチ本社の副社長に、未だかつて日本人が就任したことなし。」 

 「孫会社の、メリルリンチ投資銀行に、バイスプレジデント(副部長) に岩國氏の名前あり、日本で言う、取締役副社長とは全く違う。」「 本物の副社長なら、前にエグゼクテキブ、もしくは、ディレクターが付く。」 「バージニア大学に、元々客員教授と言う肩書きなし。」 

  こうなってくると氏は、私が嫌悪してやまない、「獅子身中の虫・駆除すべき害虫」となる。すでに読み終えた氏の本についても、新たな怒りがこみ上げ、「精神上からも、無害な本だ。」と言った感想を、即刻取り消し、黄氏に負けないくらいの批判がしたくなった。

 ブログが既に長くなっているから、今日はここで中断しよう。今から昼食を摂り、天気が良いので、久しぶりに家の掃除をする予定だ。早朝にバードバスの掃除をし、庭木の水やりもした。明るく楽しい一日となりそうだったのに、ちょいと出来心を起こし、ネットの情報を確認したのが間違いだった。

 それにしても、こんな酷い話があって良いものだろうか。「立派な紳士」から「獅子身中の虫」へと、半日の間に変貌する人物がいるなんて・・。

 落胆と失望と怒りと、驚きと、こんなややこしい精神の状態でも、私は明日のブログに挑戦する。というより、そうせずにおれない。氏にたぶらかされた私のような、お人好しの日本人たちに向かい、「騙されるな、騙されるな。」と、警告を発したい。

 一人でも、この日本から、「お花畑の住民」が減っていくことを祈りたい。

 

コメント (2)
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