岩國哲人氏著『ウオール街発 新日本論』( 昭和63年刊 講談社 ) 、を読了。
今から28年前の本だ。日本が経済大国としてのし上がり、金にあかせ、米国の企業や土地を買いまくった頃の著作だ。バブル経済の破綻以後、四苦八苦している今の日本から見れば、「奢る平家は久からず、ただ春の夜の夢の如し」の感がある。
確かに、あの頃の日本人は浮かれ過ぎだった。NHKの番組で、日本経済成功の原因に関し、日本人と外国人の討論番組があった。具体的な内容は忘れたが、得意そうに喋る日本人の高慢さで、不愉快になった記憶がある。
岩国氏の意見を、紹介する
・このまま貿易の不均衡を放置しておけば、世界経済にも深刻な影響を及ぼし、その先にあるのは、日本の孤立化である。
・日本の貿易活動は、アンフェアーである、
・日本の社会は、不透明で閉鎖的であるという世界の批判を謙虚に受け止め、その要求を受けざるを得ない。
メリル・リンチ社の役員だった氏の意見に、当時のマスコミ報道を重ねて思い出した。中曽根総理が外国の製品をもっと買いましょうと、呼びかけているニュースがその一つだった。
「前書き」の、氏の意見を紹介する。
・世界が、日本を見捨てることはできても、日本が、世界を見捨てることはできない。
・戦後40年の日本の平和と繁栄が、アメリカの軍事力と経済力に負っているという事実を、今一度思い起こしてほしい。
東京とニューヨークの往復生活をしていた著者が見た、当時の日本だ。
・今、日本に求められていることは、経済大国として、国際社会の中で、新しいルールを模索するためのイニシァティブをとること、そしてリーダーとしての品格と、応分の負担である。
当時の日本が、現在の中国に似た、自己中心的国家だったと知らされる。つまりこの著書は、身勝手な日本への批判書だ。
主な目次だけを拾っても、厳しい表題が付けられている。
「日本の政治の後進性」 「日本の官僚神話はもう通じない」
「日本の美徳は世界の悪徳」 「世界の失笑を買う日本」
「醜い日本人」 「日本の常識は世界の非常識」
先の著作で氏が帰化した在日と知った私は、次の言葉に違和感を覚えた。
・私は日本人であるが、いまは家族ともどもアメリカで暮らしている。そんな私にとって、日米摩擦は辛い事実であり、憂うべき事実である。
しかし氏は、私が知らなかった事実を教えてくれた。日本のマスコミが伝えなかった、恥ずべき日本人の姿だ。「醜い日本人」の章の言葉を、そのまま紹介する。
・日本人の集団行動が、もっとも醜い姿をさらしたのがレーガン叩きである。
・この記事は、昭和62年12月8日付のニューヨークタイムズにある。農産物の自由化に反対する北海道の農民が、よってたかってレーガンの藁人形を叩いている。
・アメリカの国旗が、地面に叩きつけられている。たとえ藁人形であろうと、自分の国を代表する大統領が、他国民にふくろ叩きにあっている写真を見て、快かろうはずがない。
・不敬な物言いかもしれないが、日本の天皇陛下が同じことをされたら、日本人はどう思うか。
「慰安婦問題」に抗議する韓国人たちが、日本大使館前で、安倍総理の顔写真を叩き落とし、足蹴にし、日の丸を踏みにじる写真に、私は怒りが抑えられなかった。似た行為を、北海道の農民がしていたとは知らなかった。日本の新聞とテレビが、この事実を報道をしなかったのでないか。もしそうなら、私が知らなくて不思議はない
氏の意見は、二つの意味でショックだった。一つは、非難していた韓国と同じことを、日本人がしていたということ。今一つは、マスコミが報道しないことは、たとえ事実でも国民には伝わらないということだ。
韓国でも、マスコミは自国に都合の悪い報道をしないと聞くので、あるいは一般の韓国人は、日本の大使館前での、同胞の醜い抗議活動を知らないのでないか、ということになる。
つまり国民は、マスコミが取捨選択した情報を通じてしか世界が見えない。一番良い例が、反日マスコミに支配された沖縄だ。
藁人形の件については、日本人の醜さを認る。けれども、更に続く氏の意見には、疑問が残っている。
・私はこれを見て、少年の頃の記憶が蘇ってきた。それは、太平洋戦争のさなかであった。
・校門のところに、ルーズベルト大統領の藁人形があった。毎朝そこに先生が立っていて、登校してくる生徒一人ひとりに、竹槍でその人形を突かせた。
・いわゆる、鬼畜米英である。
敗戦前後の本や回想記など、私はいろいろ読んでいるが、学校でこのようなことをしていたという話には遭遇したことがない。こんな愚かしい行為があったのなら、左翼平和主義者たちが、黙っているはずがないと考えるからだ。
それとも都合の悪いことはなんでも隠すため、日本人は右も左も、あうんの呼吸で通じていたのだろうか。
昨今の左翼の反日ぶりをみているとそう思えないので、私は現在のところ「ルーズベルトの藁人形」について疑問を抱いたままだ。
・欧米人が理解しかねる、日本人の行動様式の一つに集団行動がある。
・とくに欧米のように、個人主義の高度に発達した社会では、日本人の集団行動は異様に映る。
・異様というより警戒心、警戒心というより、恐怖心を呼び起こす。ましてそれが、神風特攻や、バンザイ突撃の国なら尚更である。」
著作を読んでいると、氏自身が、日本人や日本に好感を持っていない印象の方が、深まってくる。次の意見になると、日本人というより、米国人の意見そのものだ。
・あれからもう、40年以上経っている。
・戦後の物資援助をはじめ、アメリカのフリーマーケットのおかげで、日本は経済大国と言われるまでになった。その間、人、物、金の、全般にわたって、日米交流が開始された。
・一言で言えば日本は、たいへんアメリカのお世話になっているのである。それがなぜ今頃、レーガンの藁人形叩きをしなければならないのか。集団心理というものは、怖いものである。
氏の意見に、私は賛成する。敗戦後の日本は、米国の支援、援助のおかげで、経済の復興が果たせた。そして大統領の藁人形は、間違った行為だ。しかし氏が日本人であるのなら、なぜ米国礼賛だけで終わりにするのだろう。
日本は米国のおかげで経済大国になったが、他のアジア諸国で、米国から多大な支援を受けた国はなかったのか。氏の母国である韓国が、手取り足取り同じ支援を受けながら、経済大国になれなかったのはなぜか。
日本発展の陰には、他のアジア諸国以上の日本人の汗と苦労があったのだ。
米国は米国の国益に沿い、属国としての日本を育成してきた事実があることを、氏は説明しない。安全保障戦略の一環として米軍を駐留させ、「日本国憲法」で日本を骨抜きにし、氏のような親米派の人間を多数育てた事実も語らない。
レーガン大統領の藁人形のことは恥じるが、一方的な氏の批判には黙っておれなくなる。先日は酷評したので、今日は言葉を控えようと心がけたがそうならなかった。きっと私は、家内が言うように「心の狭い人間」なのだろう。
心の狭い人間のまま、明日も氏の著書を紹介する。
自分の意に反して、他人の意見を誉めるのなら、ブログを書く意味がなくなる。日本には心の広い人がいて、心の狭い私のブログを読んでくれるかもしれないと、そんな期待で明日も書く。