1967 ( 昭和42 ) 年、劉少奇は北京中心街の中南海にある建物を、住宅兼執務室に使っていた。中南海は、国や党の重要機関、要人の邸宅などがある広大な敷地で、一般人の立入りはできない。
7月、その中南海の門前に紅衛兵が集結し、劉少奇糾弾前線指揮部を設け、24時間体制で、「劉少奇引きずりだし運動」を展開する騒ぎとなった。毛沢東の妻江青らは、こうした運動に大規模な動員をかけ、紅衛兵や大衆を誘導した。
しばらくコメントなしに、本の内容を紹介する。
・夜に入り中南海は、数十万人の造反派に取り囲まれた。
・彼らは劉少奇の居宅に押し入り、劉少奇を食堂へ、妻の王光美 (おうこうび) を大広間へと、別々に連行した。別動隊は秘書を拘束し、家宅捜索を始め、劉少奇の文書類を片っぱしからあさった。
・約2時間にわたる批判大会の間中、劉少奇は、前かがみの姿勢で立たされたまま、罵声を浴び続け、発言を許されなかった。
・何か発言しても、それがすぐかき消されるほどの怒鳴り声が、返ってくるだけだった。劉少奇の額から汗が流れ落ち、ハンカチを取り出した手を激しく叩かれ、床に落ちたハンカチを拾うことも許されなかった。
・批判集会の拷問が終わると、劉少奇は自分の執務室に戻され、監禁された。その時床に組み伏せられ、ズボンのベルトも抜き取られた。
・王光美は隣接する建物に移され、子供たちは、居宅内の別の部屋で生活するよう強いられた。同じ建物にいながら、劉少奇は、妻と子供たちに会う自由がなくなった。
その一ヶ月後の8月に、再び劉少奇への拷問が行われた。読むに耐えない残酷な描写に、私は何度かページを閉じた。そうでもしなければ読めない、残忍な行為だった。
・江青たちは天安門広場で、大規模な決起集会を開き、全国放映を計画していた。
・広場からわずか1キロ余りの中南海で、紅衛兵たちの糾弾集会が開かれ、劉少奇は、監禁されていた執務室から引きずり出された。
・猛暑の中で、夫人の王光美とともに、批判台に立たされた劉少奇は、2時間にわたって両手を後ろにまっすぐ伸ばし、腰を屈め頭を下げる、いわゆる「ジェット式縛り上げ」にされ、拷問を受けながら必死の抵抗を試みた。
劉少奇は、懸命に語りかけた。
・君たちが、私個人にどういう態度を取るかは、重要なことではない。しかし私は、中華人民共和国主席の尊厳を、守らねばならない。君たちの行動は、自国を侮辱するものだ。
・私も公民の一人だ。なぜ私に話をさせないのだ。憲法は、全公民に人格権が侵されないと保障しているではないか。憲法を破壊する者は、厳しい制裁を受けるべきだ。」
・だが殺気立つ群衆に殴られ、劉少奇の顔は腫れ上がり、毛沢東語録で小突かれ続けた。靴も脱げたままで、靴下姿の劉少奇は、もはや国家主席としての威厳も名誉も失っていた。
・この光景は、劉少奇の幼い子供たちの目にもさらされた。両親を批判するよう強制されてきた子供たちは、糾弾大会での両親の惨めな姿を、涙を流して見つめた。
・批判台の劉少奇から、子供たちの姿が見えたかどうかは分からない。しかしこの日は、劉少奇が肉親を目にする最後の日であった。
本の冒頭で編者の一人である名雪氏が、
・この本は北京市内で手に入れた書籍から、珠玉部分を寄せ集めたモザイクだ
と語っていた。そのモザイクの中から、更に断片を拾い集め、私は自分のブログにしている。
偏向した本にならないよう、名雪氏は注意を払ったのだろうが、私はそんなことはしない。毛沢東が引き起こした狂気の「文化大革命」を、決して肯定しない。事実を曲げて報道した朝日新聞を、許さない。
劉少奇の悲劇は、まだ続く。
・党からの永久除名を受けた1年後の、1969 ( 昭和44 ) 年の10月17日、劉少奇は北京から、河南省開封に移封された。
・軍用機で運ばれた時彼は裸のまま軍用毛布に包まれ、担架に乗せられていた。
・開封市党委員会が管理する、コンクリートむき出しの倉庫部屋に監禁された劉少奇は、肺炎をぶり返し高熱で嘔吐が止まらなかった。
・それから一ヶ月もたたない、11月12日の午前6時45分、71年間働き続けた劉少奇の心臓が鼓動を止めた。
・救急隊がやって来たのは、その二時間後であった。かって国家主席を務めた人物の遺体は、「劉衛黄」という偽名で、無職の老人として荼毘に付された。
・劉少奇の死は公表されず、家族にも知らされることはなかった。」
嫌悪する隣国の政治家だとしても、劉少奇の悲惨な運命に私は涙する。「文化大革命」の出発は、フルシチョフのスターリン批判をきっかけに、毛沢東が国内の修正主義者への疑念を抱いたことだった。
最高権力者だった毛沢東は、共産主義国家建設に命をかけ、今度はその彼を利用し、権力を得ようとする江青ら四人組がいた。これに野心家の林彪が関与し、その後林彪も事故死と見せて殺される。党内での権力闘争が、すべて命がけだと言うことが分かる。
本は劉少奇を肯定する側から書かれているので、もしかすると別の見方があるのかも知れない。だがどちらであっても、共産主義国家での権力闘争は、陰惨な殺し合いだ。
私たちが日本共産党に票を入れ、民主主義を否定する議員たちに協力していたら、日本の行き着く先は全体主義の暗黒になる。 言論の自由を奪われ、命の危険にさらされる社会が正しいという者は、共産党や民進党の反日・亡国の議員に投票すればよい。
しかし、この美しい日本を大切に思うのなら、保守自民党に投票すべきだ。その次に自民党内の腐敗した議員と、反日の議員を落選させれば良い。
殺したり殺されたり、こんな政治を正しいと思う者が果たしているのだろうか。粛清と殺し合いは中国だけでなく、ソ連もそうだった。独自の社会主義を標榜する北朝鮮も、弾圧の国だ。
日本の「お花畑の住民」たちは、この本を読んで目が覚めないのだろうか。と言うよりこの人たちは、もともとこうした本に興味を示さず、自分に都合の良いものにしか目が向けられない。
少しはこんな本も読み、朝日新聞の捏造を知れば良いのに・・・
次回は、劉少奇と鄧小平が何をしたのか。どうして彼らは、毛沢東から走資派と呼ばれ批判されるようになったかを紹介する。