児島㐮氏著「参謀」(昭和47年刊 文藝春秋社)を読み終えた。
参謀を辞書で調べると、「指揮官の幕僚として、作戦、用兵などの計画に参与し補佐する将校」と書かれている。指揮官の位階に対応して、佐官だったり将官クラスだったりすると分かった。重大な作戦になると、退役した元帥が任じられることもある。
たかだか280ページの本なのに、28名もの参謀が語られている。週間ポストの連載記事を単行本にしたものというから、各人物のさわりの部分だけが披露されている訳で、物足りない気がした。内訳は日本人参謀15名、米国人が9名、ドイツ人が4名である。このうち私が名前を知っていたのは、石原莞爾中将と辻政信中佐とホイットニー少将の三人だけだった。
ホイットニーは、マッカーサーの副官としてGHQ内で権勢を振い、「日本国憲法」を作らせ、財閥解体、農地改革、戦争協力者の追放を進めた人物だ。司令部内の反対勢力からは共産主義者と陰口を叩かれていたらしいが、私の記憶には、敗戦後の日本を崩壊させた張本人として刻まれている。石原中将は頭脳明晰で豪放磊落とのことだが、上官の意向を無視し猪突猛進して満州国を成立させた。苦虫を噛み締めていた上層部も、勝てば官軍の言葉のとおり後には彼をもて囃した。満州国の建設こそが、日本崩壊につながる一歩だと思うため、手放しで称賛できないものがある。
愛新覚羅浩(ひろ)氏著「流転の王妃」の中に書かれていた言葉を、どうしても思い出す。
(彼女は満州国皇帝溥儀の弟溥傑と関東軍によって政略結婚させられた人で、嵯峨公爵家の嵯峨実藤氏の長女として生まれ数奇な運命を辿った日本人である。)
「吉岡大佐に限らず、"五族協和"のスローガンを掲げながらも、満州では全て日本人優先でした。日本人の中でも関東軍は絶対の勢力を占め、関東軍でなければ人にあらず、という勢いでした。満州国皇弟と結婚した私など、そうした人たちの目から見れば虫けら同然の存在に映ったのかもしれません。」
「日本の警察や兵隊が店で食事をしてもお金を払わず、威張って出て行くということ。そんな話に私は愕然としました。いずれも、それまでの私には想像もつかなかった話ばかりでしたが、そうした事実を知るにつれ、日・満・蒙・漢・朝の"五族協和"というスローガンが、このままではどうなることかと暗澹たる思いにかられるのでした。」
「日本に対する不満は、一般民衆から満州国の要人にまで共通していました。私は恥ずかしさのあまり、ただ黙り込むしかありませんでした。」
これが石原中将が建設した満州国の実態であり、ここに私は、中国が日本を敵視する原因の一つを見ている。自分の国を愛し、大切なものとして守りたい自分であるが、頑迷な保守と違い、盲目的な戦前の美化はしたくない。美化したり誇張されたりした過去には関心がなく、私が求めるのは歴史の事実だ。正しいことも間違ったことも包含した、国の歴史のありのままが知りたい。
現在から過去を見て批判するのは簡単なことで、現在の知識で過去を断罪するのも容易な話だ。
だから私は、児島氏の著作に共感しないのでないかという気がする。読み物としての面白さを追求している氏と、生きるために事実を求めている私との違いを感じさせられた。
辻大佐は石原氏に似た独断専行型の軍人で、功績も挙げたが上司にも睨まれた参謀だった。敗戦後は戦争責任を逃れるため所在不明となり、ほとぼりが冷めると「平和憲法を守り抜くため」と称して国会議員となった。議員在籍中にラオスへ旅行し、今もなお行方不明となっている。一説には殺害されたという話もあるが、謎のままだ。不可解な、怪しげな人物でしかない。
士官学校をトップクラスで卒業し、年少の頃から天才、鬼才の名を与えられ、輝く出世街道を歩いたと、児島氏はそれぞれの参謀について語る。概して敗戦国の日本とドイツの軍人には厳しい論調で、戦勝国のアメリカの参謀には控えめながらの称賛という印象だ。読み捨ての雑誌の読者へ、面白おかしい話題を提供する目的で書かれたのだから、どれも目の粗い小話となっているのは致し方なしだろう。
ルーズべルト大統領の参謀だったマーシャル元帥の話には、看過できない事実が述べられていた。
昭和19年と言えば、サイパンが陥落し、神風特攻隊が生まれ、「一億火の玉」「一億国民総武装」という悲壮な標語が溢れていた、第二次世界大戦の末期だ。アメリカでは大統領選挙の真っ只中で、ルーズヘルトが対抗馬のトマス・デューイと闘っていた。ニューヨーク州知事だったデューイは米国が日本側の暗号を解読している事実を聞き込み、それを選挙戦に利用しようとした。以下を氏の本から引用する。
マーシャル元帥は直ちに、デューイ候補に親展の手紙を書き、暗号解読について言及しないよう要請した。
「ルーズベルト大統領が、日本の攻撃を事前に推測できる立場にあったことを暴露すれば、閣下は選挙で大統領を倒すことが出来るでしょう。」
「しかし同時に、わが米国の太平洋での優位は崩れ、多くの米国の若者が戦場で倒れることも明らかであります。」
元帥は、デューイ候補はその切り札を出さなければ落選するかもしれないが、その落選は祖国の勝利という栄誉ある報酬をもたらします、と強調した。
そしてデューイ候補は落選し、このエピソードは元帥の優れた説得力の物語とされているとのこと。
ここで私が注目するのは、ルーズベルトが日本軍の暗号を解読し攻撃計画を知っていたというくだりだ。何時から知っていたのかについて記述はないが、もしかすると一部の言論人が言うように、真珠湾攻撃の前からだったのかもしれない。卑劣極まる奇襲攻撃だと米国民に語りかけ、参戦への口実にしたのなら、ルーズベルトは日本軍を上回る策士だったことになる。
米国でも中国でも、安部総理を歴史修正主義者と蔑称しているが、歴史の事実を正しく知るのは重要なことだ。「見直し」と「修正」は似て非なる言葉であり、お決まりの米中の共同情報戦に決まっている。本を読むほどに、私は孤立無縁の日本を発見する。しかし国際社会では、何時だって「昨日の友は、今日の敵」で、国益をかけた醜い戦いが絶えず続く。どこの国だって、孤立無縁のなかで奮闘しているのだとも言える。
こうした状況を踏まえれば、「日本を一方的に責める資格のある国なんて、あろうはずがない。」「日本だけを悪とし、卑下させ、卑屈にさせる左翼思想は間違っている。」「反日の言動に踊らされる国民は、愚かなお花畑と蔑まれて当然だ。」
最近はどんな本を読んでも、こうした思考から離れられなくなった。氏の本で語られる参謀は、氏の視線を通じた参謀でしかなく、実際の姿は別なのかもしれない。生きている間に自分の考えがまとまるのかどうか、遅々とした歩みでも焦りはしない。残り時間との勝負だろうが、納得出来る事実を読書から集め、自分なりの答えが見つけられたら満足だ。
過去のブログを読み返してみると、思い違いや間違いを発見し顔の赤らむ時があるが、訂正はしない。
いわばこれが私の足跡であり、成長の道でもあろう・・・・・と、謙虚な書きぶりだが、相変わらず傲慢で生意気な自分がいる。
体力が日々衰えていくのに、「雀百まで踊り忘れず」の憎まれジジイである。世に憚って、案外と長生きするのかもしれない。
参謀を辞書で調べると、「指揮官の幕僚として、作戦、用兵などの計画に参与し補佐する将校」と書かれている。指揮官の位階に対応して、佐官だったり将官クラスだったりすると分かった。重大な作戦になると、退役した元帥が任じられることもある。
たかだか280ページの本なのに、28名もの参謀が語られている。週間ポストの連載記事を単行本にしたものというから、各人物のさわりの部分だけが披露されている訳で、物足りない気がした。内訳は日本人参謀15名、米国人が9名、ドイツ人が4名である。このうち私が名前を知っていたのは、石原莞爾中将と辻政信中佐とホイットニー少将の三人だけだった。
ホイットニーは、マッカーサーの副官としてGHQ内で権勢を振い、「日本国憲法」を作らせ、財閥解体、農地改革、戦争協力者の追放を進めた人物だ。司令部内の反対勢力からは共産主義者と陰口を叩かれていたらしいが、私の記憶には、敗戦後の日本を崩壊させた張本人として刻まれている。石原中将は頭脳明晰で豪放磊落とのことだが、上官の意向を無視し猪突猛進して満州国を成立させた。苦虫を噛み締めていた上層部も、勝てば官軍の言葉のとおり後には彼をもて囃した。満州国の建設こそが、日本崩壊につながる一歩だと思うため、手放しで称賛できないものがある。
愛新覚羅浩(ひろ)氏著「流転の王妃」の中に書かれていた言葉を、どうしても思い出す。
(彼女は満州国皇帝溥儀の弟溥傑と関東軍によって政略結婚させられた人で、嵯峨公爵家の嵯峨実藤氏の長女として生まれ数奇な運命を辿った日本人である。)
「吉岡大佐に限らず、"五族協和"のスローガンを掲げながらも、満州では全て日本人優先でした。日本人の中でも関東軍は絶対の勢力を占め、関東軍でなければ人にあらず、という勢いでした。満州国皇弟と結婚した私など、そうした人たちの目から見れば虫けら同然の存在に映ったのかもしれません。」
「日本の警察や兵隊が店で食事をしてもお金を払わず、威張って出て行くということ。そんな話に私は愕然としました。いずれも、それまでの私には想像もつかなかった話ばかりでしたが、そうした事実を知るにつれ、日・満・蒙・漢・朝の"五族協和"というスローガンが、このままではどうなることかと暗澹たる思いにかられるのでした。」
「日本に対する不満は、一般民衆から満州国の要人にまで共通していました。私は恥ずかしさのあまり、ただ黙り込むしかありませんでした。」
これが石原中将が建設した満州国の実態であり、ここに私は、中国が日本を敵視する原因の一つを見ている。自分の国を愛し、大切なものとして守りたい自分であるが、頑迷な保守と違い、盲目的な戦前の美化はしたくない。美化したり誇張されたりした過去には関心がなく、私が求めるのは歴史の事実だ。正しいことも間違ったことも包含した、国の歴史のありのままが知りたい。
現在から過去を見て批判するのは簡単なことで、現在の知識で過去を断罪するのも容易な話だ。
だから私は、児島氏の著作に共感しないのでないかという気がする。読み物としての面白さを追求している氏と、生きるために事実を求めている私との違いを感じさせられた。
辻大佐は石原氏に似た独断専行型の軍人で、功績も挙げたが上司にも睨まれた参謀だった。敗戦後は戦争責任を逃れるため所在不明となり、ほとぼりが冷めると「平和憲法を守り抜くため」と称して国会議員となった。議員在籍中にラオスへ旅行し、今もなお行方不明となっている。一説には殺害されたという話もあるが、謎のままだ。不可解な、怪しげな人物でしかない。
士官学校をトップクラスで卒業し、年少の頃から天才、鬼才の名を与えられ、輝く出世街道を歩いたと、児島氏はそれぞれの参謀について語る。概して敗戦国の日本とドイツの軍人には厳しい論調で、戦勝国のアメリカの参謀には控えめながらの称賛という印象だ。読み捨ての雑誌の読者へ、面白おかしい話題を提供する目的で書かれたのだから、どれも目の粗い小話となっているのは致し方なしだろう。
ルーズべルト大統領の参謀だったマーシャル元帥の話には、看過できない事実が述べられていた。
昭和19年と言えば、サイパンが陥落し、神風特攻隊が生まれ、「一億火の玉」「一億国民総武装」という悲壮な標語が溢れていた、第二次世界大戦の末期だ。アメリカでは大統領選挙の真っ只中で、ルーズヘルトが対抗馬のトマス・デューイと闘っていた。ニューヨーク州知事だったデューイは米国が日本側の暗号を解読している事実を聞き込み、それを選挙戦に利用しようとした。以下を氏の本から引用する。
マーシャル元帥は直ちに、デューイ候補に親展の手紙を書き、暗号解読について言及しないよう要請した。
「ルーズベルト大統領が、日本の攻撃を事前に推測できる立場にあったことを暴露すれば、閣下は選挙で大統領を倒すことが出来るでしょう。」
「しかし同時に、わが米国の太平洋での優位は崩れ、多くの米国の若者が戦場で倒れることも明らかであります。」
元帥は、デューイ候補はその切り札を出さなければ落選するかもしれないが、その落選は祖国の勝利という栄誉ある報酬をもたらします、と強調した。
そしてデューイ候補は落選し、このエピソードは元帥の優れた説得力の物語とされているとのこと。
ここで私が注目するのは、ルーズベルトが日本軍の暗号を解読し攻撃計画を知っていたというくだりだ。何時から知っていたのかについて記述はないが、もしかすると一部の言論人が言うように、真珠湾攻撃の前からだったのかもしれない。卑劣極まる奇襲攻撃だと米国民に語りかけ、参戦への口実にしたのなら、ルーズベルトは日本軍を上回る策士だったことになる。
米国でも中国でも、安部総理を歴史修正主義者と蔑称しているが、歴史の事実を正しく知るのは重要なことだ。「見直し」と「修正」は似て非なる言葉であり、お決まりの米中の共同情報戦に決まっている。本を読むほどに、私は孤立無縁の日本を発見する。しかし国際社会では、何時だって「昨日の友は、今日の敵」で、国益をかけた醜い戦いが絶えず続く。どこの国だって、孤立無縁のなかで奮闘しているのだとも言える。
こうした状況を踏まえれば、「日本を一方的に責める資格のある国なんて、あろうはずがない。」「日本だけを悪とし、卑下させ、卑屈にさせる左翼思想は間違っている。」「反日の言動に踊らされる国民は、愚かなお花畑と蔑まれて当然だ。」
最近はどんな本を読んでも、こうした思考から離れられなくなった。氏の本で語られる参謀は、氏の視線を通じた参謀でしかなく、実際の姿は別なのかもしれない。生きている間に自分の考えがまとまるのかどうか、遅々とした歩みでも焦りはしない。残り時間との勝負だろうが、納得出来る事実を読書から集め、自分なりの答えが見つけられたら満足だ。
過去のブログを読み返してみると、思い違いや間違いを発見し顔の赤らむ時があるが、訂正はしない。
いわばこれが私の足跡であり、成長の道でもあろう・・・・・と、謙虚な書きぶりだが、相変わらず傲慢で生意気な自分がいる。
体力が日々衰えていくのに、「雀百まで踊り忘れず」の憎まれジジイである。世に憚って、案外と長生きするのかもしれない。