日差しが心地よかったので、早起きして庭の水やりをした。
カラカラになった鉢に水をたっぷりと与え、乾いた地面にも思い切り水を浸み込ませる。やりだすと、一時間はかかってしまう。昔なら30分で済ませた、それこそ朝飯前の仕事だった。若いときは早くても仕事が雑だ。年を取ると草花と対話しながら、楽しみながら、丁寧な作業になると、今では加齢の繰り言より自慢をする。
バードバスの水を汲み出し、沈んだ落ち葉や木の実を捨て、タワシで中を洗う。
綺麗な水をいっぱいに張ったところで、朝の仕事が一段落する。それから、家内と二人でいつもの朝食の支度だ。どちらが何をすると決めているのでないが、湯を沸かしたり、トーストを焼いたりする。トマトを切り、レタスを洗い、皿に盛り付けるのは私の担当だ。定年前は缶入りの紅茶だったが、年金専任暮らしとなってからは、安物のティーバッグ紅茶だ。砂糖は入れず、たっぷりのミルクティーだ。
猫庭を眺めつつ、仲が良いのか悪いのか、口喧嘩をしたり笑ったり、ひとときの朝食を楽しむ。
庭が騒がしいので食事の手を休めて目をやると、なんとしたこと。ヤマガラのつがいとシジュウカラのつがいと、メジロのつがいがバードバスを訪れている。雀までが加わって、大騒ぎだ。バードバスの横に立つえごの木が、鳥たちの順番待ちの場所なのだ。体が大きく強い鳥から、水浴びをし、きちんと待っている。先の鳥が終わらないうちに飛び込んだりすると、たちまち喧嘩になる。
ところが、今朝はどうしたことか。ヤマガラとシジュウカラが一緒に水浴びし、雀がメジロと隣り合って体を洗っている。
人間だって動物だって、喧嘩をしている様子は見て楽しくないが、仲良くやっている様は楽しいばかりでなく、愛くるしさがたまらない。一度体を洗っても、えごの枝で羽を震わせ体が乾くと、また水に入る。いつもなら間を空けて鳥が来るのに、今朝は繁盛する風呂屋のような賑わいだった。
バードバスを買おうと家内が言い出したとき、つまらないものを買うもんだと呆れたが、今は猫庭の必需品だ。
毎日バードバスの掃除をし、水を交換するのが自分の仕事だと、勝手に決め精を出しているのだから、家内の方が呆れている。亡くなった猫を思うと今でも辛くなるが、バードバスのお陰で慰められている。膝に抱いたり背を撫でたりはできないが、弾んだ声で水浴びをしたり、バスの縁に止まって小首を傾げたり、私たちがいても逃げずにえごの木でさえずったり、その仕草は猫に劣らない愛らしさだ。
綺麗になったバードバスを、こんなに喜ぶのだから、鳥もヤッパリ汚れたバスより清潔な水浴び場が好きなのか。天気が良いと汗をかき、一風呂浴びたくなるのだろうか。人間とおなじ暮らしのリズムがあるのだろうか。
千客万来の、バードバスだった。いや、そうでなく、千鳥万来のバードバス。
カラカラになった鉢に水をたっぷりと与え、乾いた地面にも思い切り水を浸み込ませる。やりだすと、一時間はかかってしまう。昔なら30分で済ませた、それこそ朝飯前の仕事だった。若いときは早くても仕事が雑だ。年を取ると草花と対話しながら、楽しみながら、丁寧な作業になると、今では加齢の繰り言より自慢をする。
バードバスの水を汲み出し、沈んだ落ち葉や木の実を捨て、タワシで中を洗う。
綺麗な水をいっぱいに張ったところで、朝の仕事が一段落する。それから、家内と二人でいつもの朝食の支度だ。どちらが何をすると決めているのでないが、湯を沸かしたり、トーストを焼いたりする。トマトを切り、レタスを洗い、皿に盛り付けるのは私の担当だ。定年前は缶入りの紅茶だったが、年金専任暮らしとなってからは、安物のティーバッグ紅茶だ。砂糖は入れず、たっぷりのミルクティーだ。
猫庭を眺めつつ、仲が良いのか悪いのか、口喧嘩をしたり笑ったり、ひとときの朝食を楽しむ。
庭が騒がしいので食事の手を休めて目をやると、なんとしたこと。ヤマガラのつがいとシジュウカラのつがいと、メジロのつがいがバードバスを訪れている。雀までが加わって、大騒ぎだ。バードバスの横に立つえごの木が、鳥たちの順番待ちの場所なのだ。体が大きく強い鳥から、水浴びをし、きちんと待っている。先の鳥が終わらないうちに飛び込んだりすると、たちまち喧嘩になる。
ところが、今朝はどうしたことか。ヤマガラとシジュウカラが一緒に水浴びし、雀がメジロと隣り合って体を洗っている。
人間だって動物だって、喧嘩をしている様子は見て楽しくないが、仲良くやっている様は楽しいばかりでなく、愛くるしさがたまらない。一度体を洗っても、えごの枝で羽を震わせ体が乾くと、また水に入る。いつもなら間を空けて鳥が来るのに、今朝は繁盛する風呂屋のような賑わいだった。
バードバスを買おうと家内が言い出したとき、つまらないものを買うもんだと呆れたが、今は猫庭の必需品だ。
毎日バードバスの掃除をし、水を交換するのが自分の仕事だと、勝手に決め精を出しているのだから、家内の方が呆れている。亡くなった猫を思うと今でも辛くなるが、バードバスのお陰で慰められている。膝に抱いたり背を撫でたりはできないが、弾んだ声で水浴びをしたり、バスの縁に止まって小首を傾げたり、私たちがいても逃げずにえごの木でさえずったり、その仕草は猫に劣らない愛らしさだ。
綺麗になったバードバスを、こんなに喜ぶのだから、鳥もヤッパリ汚れたバスより清潔な水浴び場が好きなのか。天気が良いと汗をかき、一風呂浴びたくなるのだろうか。人間とおなじ暮らしのリズムがあるのだろうか。
千客万来の、バードバスだった。いや、そうでなく、千鳥万来のバードバス。