だらだら日記goo編

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英雄交響楽

2005-09-21 23:20:52 | アート・文化
ナポレオンという人は一体どんな顔をしていたのだろうか。
若くして王位についた男だ、しかしお抱え絵師たちの描くようなハンサム顔だったろうか。
あるいは「フォンテンヌブローでのナポレオン」に描かれていたようにくたびれた肥満顔のおっさんだったのか。
そごう美術館「大ナポレオン展」を観ながらふとそんなことを考えてしまった。
ほとんどがこの前酷評した富士美術館からの出品だ、ナポレオンの一生がまことによくわかる展覧会だ。
会場すぐに「甦る皇帝ナポレオン」という絵、死後まもない時期に描かれた絵に復活したキリストの赴きさえある、もうナポレオン伝説は始まっている。
続いてルソーの「社会契約論」の展示、コルシカからまもなく世を震撼させる人物が現れるとかかれているそうだ、ナポレオン出現は予言されていたのか!
それはともかく、エジプト遠征での「エジプト誌」ナイル川の魚類なる報告もあれば、セーブル窯のものすごい食器セットといったら!
総じて絵画より工芸のほうが面白い。
「東洋の騎士」とか「眠れぬ夜」とかいった置時計は贅の限りを尽くし、今にも時を刻みそうだ。
絵画ではカラヴァッジョやラ・トゥールにつながる光と闇の画家ベンヴェヌーティという人が面白い。
あるいはゴヤはスペイン戦争の「戦争の惨禍」で「真理は死んだ」と語ったがそれが民衆の本音かも。
かくしてナポレオンは南海の孤島セントヘレナへ流され、そこで死ぬのだが「心臓の血液」のついた布など本物かどうか、しかし英雄伝説は色濃く残る。本物かどうかといえば再婚したマリールイーズの髪の毛やらも展示される。
このナポレオンの展覧会は毎日新聞社主催で富士美術館などで開催されるナポレオンの展覧会とは違うようで、カタログも展示品からの抜粋の千円のが販売されている限り。
しかしダイジェストのほうがコンパクトでいいとも言える。
毎日主催の展覧会に行くかどうかは又考えよう、富士美術館の財力には圧倒。


見出されたニッポン

2005-09-18 23:26:39 | アート・文化
愛知万博の入場者はいかばかりだろうか、1900年のパリ万博では5千万人を越える入場者があったというが、日本人はわずか五百人という。
そのわずか五百人のなかからいまの日本の芸術をつくった人が出てきたのだ、たとえば浅井忠だ。
グレー村とのかかわりでよく論じられる浅井も当時フランスに留学していた。
で、展示冒頭に紹介されていたミュシャのたばこ宣伝ポスター「ジョブ」をアパートに飾っていたのだ。
国立近代美術館工芸館の企画展「日本のアール・ヌーヴォー」これがなかなか良い。見ごたえある展示だ。
で、浅井がパリから送ったはがきがいろいろ展示される、おそらく当時のパリに感動したのだろう。
続いて藤島武二「婦人と朝顔」の絵など、わざわざ「装飾用」と断ってある、日本のアール・ヌーヴォーだ。
高村光太郎も「伊太利風アールヌーボー式の一例」などあらわす、眼は完全にヨーロッパを向いている。
でもってヨーロッパのアール・ヌーヴォーはもともと日本の影響を受けたものであったが、パリ万博の時点では日本の芸術はもはや古くなっていたという、時代は革新を求めていた。
そこで出光美術館でおなじみの板谷波山などは、グラッセという人の「植物とその文様化」に影響されいろいろ素描もしたらしい、彼の作品にあわせて素描も展示される。
しかしここでも浅井忠だ、彼は帰国後現在の京都工芸繊維大学で授業を受け持ち、又各種団体をつくって京都における改革運動の先駆者となったのだ。
で、見出されたのが大津絵であり、琳派であった。
そこからたとえば神坂雪佳のような人が育ったのだ。
神坂の代表作は「百百世界」だが、これは菊の花の別名という。

かくしてあれこれへて、杉浦非水やら富元憲吉やら岸田劉生らが新しい時代をになう。
富元が「音楽家住宅設計図案」など描いていてまことにモダンなのには驚いた。
総じてヨーロッパに輸入された日本美術が逆流現象を起こし、琳派の再発見などにつながったという面白い展示だ。
本当はここに書いただけではなく、もっといろいろな要素が詰め込まれた日本のアールヌーヴォーの展覧会、ぜひ会場に行って面白さを楽しんでほしいと思う、日本全国から膨大な数の出品だ。
惜しむらくは展示会場が狭すぎてあれこれ詰め込むので腰を下ろすスペースすらないという始末だ。
しかし新聞社の後援もないのに全国からほんとによく集めたものだ、野島康三の女性写真まで展示されている。
11/3文化の日は無料観覧日です、お薦め展覧会です。



書の可能性

2005-09-14 23:24:39 | アート・文化
「書は美術ならず」論争が岡倉天心と小山正太郎の間で昔あったそうだ。
しかしいまや漫画すら芸術として展覧会が開かれる時代だ、書が芸術でないとおもう人はまずいまい。
現代の書家、石川九楊の還暦記念の展覧会を日本橋三越に観に行く。
大学に入り、同時代の詩とであったのがきっかけという、当時の彼は「複雑な世界を書は表現しうるか」に関心があったという。そこで産まれたのが「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」1972だ。
なんとも異様な世界だ、大画面に「神話は要らない」とか「暴力」とか言葉があれこれ殴り書きされている!
で、その延長線上に「言葉は雨のように降り注いだ」が生まれる、1975、これは「私的イエス伝」でタイトルどおり言葉があふれている、聖書の引用がほとんどだが殴り書きなので読みづらいことこの上ない。
彼は書道作品でない世界を表現しようと目隠しをして描いたり、左手で描いたり暗中模索していたという。
で、この人は古典文学へと行く。
字を模写するというより、テキストのイメージを筆に置き換える戦略に出る。
歎異抄だ、親鸞の言葉の垂直性を文字にする、当然縦長の線の世界が生まれる。
徒然草はおぼろげにはかなげに、くもの巣みたいな、あるいは血管みたいな世界が生まれる。
源氏物語だ、「雲隠」は当然真っ黒だ、「若菜」は水平線を意識し、「しいがもと」は逆に垂直線だ。
こんなことを書いても実際この人の書を見てもらわなければ判らないのだが、現代絵画に通ずるところがある世界だ。
源氏を描いて再び古典の世界へこの人は戻る。
吉本隆明とか田村隆一のテキストをイメージした書をつくるのだ。
そんなこんなで911のテロが起きた。
この人は「ビルの自壊に人々は美しさを感じ酔いしれてもいた」という。
かくて「垂直線と水平線の物語」が生まれる、垂直なビルに水平な飛行機が突っ込み、垂直がこわれたのだ。
この人は911以降も題材に作品をつくっているが、そのテキストは公開しないという。
招待券でいってなかなか面白い展示に出会った。テキストと書家と鑑賞者の火花散る真剣勝負だ。
さてさて十月には三越のお隣に三井記念美術館がオープンする、芸術の秋ますます満喫したい。



大いなる命はめぐるー奥田元宋によせて

2005-09-07 23:35:15 | アート・文化
京都銀閣寺の障壁画を手がけたのだから名のある画家なのだろう、僕は知らなかった。
「元宋の赤」というらしい、その道では有名な画家なのだろう、奥田元宋という画家その没後初めての回顧展を日本橋高島屋に見に行く。
なんでも戦争中の疎開で美しい日本の山河に目覚めたということで、日本の景色をせっせと描いたのだ。
初期のこの人は赤とは無縁だ、「花開く南房」とか「尾瀬」とかのどかな景色をむしろ青が印象的に描く。
転機となったのは「秋嶽紅樹」という作品だ、昇仙狭をスケッチしていたとき突風が吹いてきたのを描いたのだ。
いまは練馬区立美術館所蔵だ、これが「元宋の赤」の出発点となる。昭和五十年の作品だ。
それから奥入瀬とかいろいろ展示されるが、「炎王図」というのがある。この人に仏画は珍しいという。
不動明王を描いたものだが燃え上がるような赤がこの人の内なる情熱を示す。
「塊」というのが横に展示されていたがこれまた燃える炎のような山を描く。
この人は「半心半眼」という言葉を使う、対象をそのままでなく心で捕らえて描くという意味だ、それがよく伝わってくる。
勿論赤い作品ばかりではない「春耀」という作品では大画面に桜が白い花を咲かせている。
総じてお寺の障壁画などやった人だ、作品はどれもものすごく大きい。その迫力たるや尋常ではない。
昭和62年に高島屋美術部創設八十年の事業でこの人の展覧会「幽玄讃歌」というのが開かれ、そのために新作をたくさん描いたようで、それがかなり展示されている。
展示総数は少ないが一つ一つが大画面で圧倒されるので物足りなさはまったくない。
しかしながら面白いことは後期になるとこの人の視点はどんどん険しい山の中へすいよせられていくのだ。
立山連峰は剣岳に取材したり、「新雪一の倉」も山深くだし、中国山地は積雪した大山を望むのもみな山深くに視点がある。
この人は大いなる自然に抱かれていたのだろう、そして到達した境地が亡くなる前の「輪廻の峪」だ。
それは自然そのものが循環しているともいえるし、仏教思想に詳しいこの画家にとってすべての命の輪廻かもしれない。
この展覧会では奥さんの人形の展示もあった。
この画家がなくなったのは満月の夜でまるで月に吸い寄せられるようだと奥さんは語る。
そういえばこの画家の絵には月も数多く登場する。
この画家が月に何を観ていたのかは定かではないが、大いなる命、生きとし生けるものを支える大いなる命の予感があったように思える、人はどこかで超越という次元に出会うと僕には思える。
美を道徳と関係付けた哲学者カントすら、美はその限界において「崇高」という異質なものに接しているから美足りうると語ったのだった。
それはともかく、大画面のこの展覧会、横浜、大阪、名古屋と巡回する、ぜひ観てほしいと思う。


花を愛する心

2005-09-06 00:04:05 | アート・文化
「なぜ、世人は花を眺めるだけに止めておくのだろうかー花を愛するという心があるならば、花が組み立てられているいろいろの部分を研究しようという念が起こらないはずはないのである」
植物学者牧野富太郎の含蓄ある言葉だ。
その花を愛する人々の絵画や写真を集めた展覧会「庭園植物記」を目黒の庭園美術館に観に行く、まあ庭園美術館としては満を持しての企画というべきだろう。
さて、その植物観察まずは択捉生まれの横山松三郎という人の育てた「変化朝顔」からスタートする。
あの洋画の高橋由一もかなりの植物写生をしたようだ。
小川一真の植物写真もあるがモノクロなのでどうもインパクトに乏しい。
会場は一階と二階からなり、時代順におおよそ展示されるが、総じて二階の展示つまりは新しいほうがインパクトがある。
その中でも中川幸夫という人の写真はまことに面白い。
なんでもガラス器に900本のカーネーションを詰めて、発酵させる、その仕込んだあとのなんとも言えず変化したカーネーションを撮影するのだ、カーネーションだけではない、チューリップとかも同じ方法だ、それが大画面に映される、なんともいえない迫力だ。
現代写真家の荒木経惟もすごい。
小さな部屋一室すべてを彼の花の写真で埋め尽くしたのだ!ほれぼれする。
鈴木理策という人も負けてはいない、こちらは吉野の桜だ、それが小部屋を埋め尽くす、幸福感に浸る!
その他、いけばなの勅使河原蒼風作、土門拳撮影の写真も多数展示、2人の偉才の真剣勝負があるかと思えば、つい子の間までステーションギャラリーで展示されていた五百城文哉の高山植物のスケッチも場所を移してお目見えだ。
至極満足する。素敵な展覧会だ。
鑑賞の後は庭園散策、この企画にあわせていろんな植物が栽培されている。
なんでも花柄の洋服なりバックを着たり持っていたりすると、入館料百円引きとか。
花鳥風月をめでる心はいつになっても失いたくはない。