だらだら日記goo編

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書の可能性

2005-09-14 23:24:39 | アート・文化
「書は美術ならず」論争が岡倉天心と小山正太郎の間で昔あったそうだ。
しかしいまや漫画すら芸術として展覧会が開かれる時代だ、書が芸術でないとおもう人はまずいまい。
現代の書家、石川九楊の還暦記念の展覧会を日本橋三越に観に行く。
大学に入り、同時代の詩とであったのがきっかけという、当時の彼は「複雑な世界を書は表現しうるか」に関心があったという。そこで産まれたのが「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」1972だ。
なんとも異様な世界だ、大画面に「神話は要らない」とか「暴力」とか言葉があれこれ殴り書きされている!
で、その延長線上に「言葉は雨のように降り注いだ」が生まれる、1975、これは「私的イエス伝」でタイトルどおり言葉があふれている、聖書の引用がほとんどだが殴り書きなので読みづらいことこの上ない。
彼は書道作品でない世界を表現しようと目隠しをして描いたり、左手で描いたり暗中模索していたという。
で、この人は古典文学へと行く。
字を模写するというより、テキストのイメージを筆に置き換える戦略に出る。
歎異抄だ、親鸞の言葉の垂直性を文字にする、当然縦長の線の世界が生まれる。
徒然草はおぼろげにはかなげに、くもの巣みたいな、あるいは血管みたいな世界が生まれる。
源氏物語だ、「雲隠」は当然真っ黒だ、「若菜」は水平線を意識し、「しいがもと」は逆に垂直線だ。
こんなことを書いても実際この人の書を見てもらわなければ判らないのだが、現代絵画に通ずるところがある世界だ。
源氏を描いて再び古典の世界へこの人は戻る。
吉本隆明とか田村隆一のテキストをイメージした書をつくるのだ。
そんなこんなで911のテロが起きた。
この人は「ビルの自壊に人々は美しさを感じ酔いしれてもいた」という。
かくて「垂直線と水平線の物語」が生まれる、垂直なビルに水平な飛行機が突っ込み、垂直がこわれたのだ。
この人は911以降も題材に作品をつくっているが、そのテキストは公開しないという。
招待券でいってなかなか面白い展示に出会った。テキストと書家と鑑賞者の火花散る真剣勝負だ。
さてさて十月には三越のお隣に三井記念美術館がオープンする、芸術の秋ますます満喫したい。