だらだら日記goo編

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

写真家の模索

2005-06-03 23:18:49 | アート・文化
夜間開館を利用して東京都写真美術館へ、友の会会員なので地下一階と地上三階の二つの展示を無料で見る。
「写真はものの見方をどのように変えてきたか」というこの美術館開館10周年記念のシリーズの第二段「創造」をみる。
絵画との出会いと別離が主題だ。
写真の誕生で影響を受けたのは絵画のほうであろうが、ここは写真美術館なので絵画の問題は扱われない。
むしろ初期の写真家たちがどう写真表現をするかを模索していった点が面白い。
初期の写真家は絵画風の作品をつくった、そこのところが面白い。
たとえばスタイケンの「ロダン 考える人」だ。批評家に「画家をかねた写真家」と評されたそうだが、まことに絵画的な構図だ。
コンスタン・ピュヨーという人の「睡蓮」はモネの絵そっくりだし、日本の小林祐史という人の「哲人 SADA」という写真はレンブラント的な陰影を持つし、堺時雄の「哲学A」は頭蓋骨がオブジェになっているのも絵画的だ。
それに対し、写真を絵画に似せることを反対したのはエマーソンだという。彼の写真にはごく当たり前の風景がそのままとられている。
となんだか写真史の教科書をなぞっているようだが、展示がそういう構成になっているのだから仕方ないし、写真史に疎いものにとっては勉強になる。
この企画展示の第一部「誕生」は写真誕生を扱ったもので、少し前に見たが、膨大な資料が展示されていたのと比べるとこの第二部の展示は展示数もちょうどいい。
展示の後半はシュールレアリズムやバウハウスとのかかわりになるがこれも教科書どおりのないようだ。
この展示会は第三部「再生」第四部「混沌」と11月までかけて続いていくが、さてどんなものになるか。
場所を地下一階の展示に移すと「超ビジュアル」という展示会だ。
「視覚への欲求」がテーマというが現代最先端の技術の展示ではっきりいってわからない。
三階の展示内容の写真家が写真のあり方を模索していた頃とは隔世の感がある。
まあこういうのが好きな人も多いかもしれないが僕には理解できなかった。
さてさてそろそろ「ぐるっとパス」の期限が切れる。
明日は「ぐるっとパス」を使って無料展覧会を観にいきたい。