だらだら日記goo編

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建築という舞台

2008-08-22 22:30:09 | アート・文化

戦争中は「資本論」を読んでいた人だ「あれは全く聖書だと思います」とカタログ収録のインタヴューに答えている。

しかし晩年は洗礼を受けた、洗礼名は「アッシジのフランシスコ」

この人の心中を思う。

建築家村野藤吾、その回顧展を松下電工汐留ミュージアムに観にゆく。

この人の回顧展は目黒区美術館でもやった、まあ、現在の目黒区総合庁舎がこの人の設計だから目黒でやるのも当たり前だ。

この人は油土模型によるスタディを欠かさなかったという、それと関係あるのかこの人の建築の特徴は土と建物を融合させつなぎあわせるところにあるといわれる。

手がけた建築物もすごい、長生きしたためもあったろうが、「自分の建築学的生命をこれにかけよう」としたそごう心斎橋、1936に始まり、世界記念平和聖堂、1954、日生劇場、1963、千代田生命本社ビルー現在の目黒区総合庁舎、1966、新高輪プリンスホテル、1982と続く。

しかしこれでは単なる建築の紹介で、今週号の「週刊新潮」にも載っていたが、この展覧会の最大のハイライトは、1938年に南米移住者輸送を目的に作られた「あるぜんちな丸」とその姉妹船「ぶら志る丸」のインテリアデザインを写真と大画面の3DCGによって再現することにあるといえるだろう。

これが晩年のホテル建築の原点となっていく。

日生劇場もまたすごく、そのこけら落としは1963/10,「フィデリオ」だったというが指揮者はベームだったろうか。

ホール天井には二万枚のインド産マド貝が使われたという!

最後の建築は谷村美術館、新潟県糸魚川市だったという。

木彫作家澤田政広という人の仏像彫刻を展示するための施設だそうだが、まさに大地とつながった建築の集大成がここにはある。

この人は頭に浮かんだものをすぐにメモ、メモ帳に間に合わないときは何でもかんでもにメモする性格だったとか、スケッチブック「筆のすさび」というのをあらわし、様々な人々の後ろ姿や斜めからの姿を描写したというが、その中に指揮者ホルスト・シュタインがあるのも面白い。

自宅は宝塚に、1940代から45年住み続け、庭を飾る花を美しく見せていたというが阪神大震災で被災して往時の姿はないという。

しかしこの人の建築物はこれからも僕たちに何らかの示唆を与えてくれるように思う。


3 コメント

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村野藤吾。そんなにすごい方だったのですか。 ()
2008-08-22 22:59:33
村野藤吾。そんなにすごい方だったのですか。
ぜひこれは見なくては・・と okiさんを読んでいて思います。
石山展@世田美、土との発想や 凝りなさ あきらめなさが楽しかったのですが 造形としては私はうまく把握できず。
東大博物館の建築模型展と、
この村野藤吾は ちょっと行って見て来ます。力学がわからないんです、建築はいつもそのため 申し訳なく感じつつ、
興味津々で見てしまいます。
プロジェクトが政治経済を超えて繋がり、波及、実現するときがあって・・ そのためにいくつアイディアをつぶされても腐らない建築家。
力強い夢見る人々ですね。
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建築も本当に面白いですよね。 (oki)
2008-08-24 22:20:52
建築も本当に面白いですよね。
村野は出光左三、近鉄グループ中興の祖佐伯勇とか、西武グループの堤義明とか実業家とのつながりも深いんですよ、建築にはそういう力学がありますね。
カタログは一般書店でも販売、ただし展覧会会場では安く手に入ります。
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資本論、ではないのですが… ()
2008-08-27 22:03:08
資本論、ではないのですが…

“蟹工船”を読みました。恥ずかしながら 近年ちゃんと読んだのは初めてでした。
…まだ立ち直れません。

村野藤吾登場の社会背景には、
寄せる怒涛の津波のようなパワーの台頭と
押し返す民衆の爆発力が…。

わぁっ★
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