だらだら日記goo編

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苦悩の画家

2005-12-18 23:15:57 | アート・文化
「芸術家が自らの苦悩をキリストの受難と重ね合わせ、苦悩を礼賛するといういささかヒロイックな思念は、今日「ドロリスム」と呼ばれ、19世紀の芸術家たちの特質の一つに数えられる」
展示カタログからの引用だ、なるほどルオーとボードレールをこうやってつなげるのも面白い。
ルオーというのは前から気になる画家だ、分厚いマチエールで常に孤独な人物を描く。
松下電工NAISミュージーアムはルオーコレクションで知られるが「ルオーと音楽」の展覧会がはじまったのでいってみる。
しかしタイトルに期待するとガッカリするだろう、別にルオーと西洋音楽のかかわりを追求した展覧会ではないのだ。
展覧会は大きく三部に分かれる、第一部はルオーの描いた道化だ。
ルオーはサーカスをテーマによく取り上げた、しかしそれは、シャガールがそうであったように美しいものとしてのサーカスではない。
サーカスはルオーにとって流浪の民であり、道化を演じる人間の哀切さをみているのだ。
第二部の展示は「回想録」だ。
銅版画で親しかった人を描いている。
自画像はなかなかに立体的なかんじがする。
モロー教室の学生であったから、モローを二点描いている、貴族的な姿と陰鬱な姿だ。
「絶望者」で知られるレオン・ブロワも描く、ルオーの関心がどこにあったかがよくわかる。
そして「悪の華」のボードレールだ、ボードレールが展示第三部の主題になる。
「悪の華」ははじめ発表されたとき、発禁処分になり六篇の詩が削り取られたというが、ルオーはこのボードレールの詩の「音楽的特質」をモノクロ、カラーで二回絵にしているのだ、いかに関心があったかがわかる。
会場では同時に同じく内面をみつめた画家ルドンの「悪の華」の挿絵も展示される。
ロダンも「悪の華」を描いたというが、これは複製展示、彫刻家だけあってやはり立体的だ。
渋谷のBunkamuraのモローの展覧会でも世紀末芸術へのボードレールの影響の大きさを垣間見たが、今回も図らずもその影響を知ることになった。
会場最後はその「悪の華」の日本語訳が掲げられていたが、堀口大学のいかめしい文語訳はいただけない。
そもそもルオーと音楽という展覧会でありつつ、カタログ自体も「悪の華」と「回想録」しか収められていないのは納得できないし、カタログの「悪の華」の翻訳が鈴木信太郎の訳というのも展示にそぐわない。
展示には1956「マドレーヌ」も出品されていた、マグダラのマリアを描いたものかともいわれるそうだが、ルオーにしては明るい、というか晩年のルオーは透明感が出てくる。
「人間の苦悩」という主題を乗り越えたのだろうか、興味がある。