正月元旦に植えた三州黒松の種の最初の発芽は3月3日。
たった一粒が種から根をだし、頭を地上に(実際には苗床ではあるが)出した。
この分だと、次から次へと芽を出すぞと期待していたが、その後の気候の冷たさで、後が続かなかった。
しかしここにきて、ようやく一気に発芽。
ここで、満足に眺めていられない。
実は、黒松作りに欠かせないこの発芽時期の最初の作業が、正にこの時。
つまり、発芽したばかりの根を将来の作品に仕上げるための最初の試練、直根切りを行う。
発芽した黒松は、地上に出る幹部分と、同じ太さと成長で地下に埋もれる根がある。
この根は、なにもしないままだと一本の根が成長して、そこから枝根が出て、このまま大木となる。
しかし、盆栽としてある一定の大きさまでに成長を止め、それ以上成長させないとともに大木の姿を凝縮する根張り(大木の本体を支える、大地をはう八方に広がる根)を育てるためには、直根は不要。
だから、この芽が出た段階で早めに根の処理をすることとなる。
いまから育って一人前になるには何年かかるかわからないが、作品には至らないまでも、そこまでの育てる過程が何より楽しい。
【写真↓:3月3日の一粒から、今はそこかしこから発芽。】
【写真↓:第1番目の発芽の芽は、最初の8葉から次の葉がもう成長し始めている。】
【写真↓:挿し木用の市販の土に私独自のほかの成分の土を混ぜた苗床。】
【写真↓:直根切りは大根を使う。大根をまな板にすると、黒松の根とともに大根も切れるので、切ったところがつぶれない。】
【写真↓:切断後】
【写真:↓今回は4本✕9鉢=36本。しかし次の芽がすでに伸びている。これは次週か!?】
たった一粒が種から根をだし、頭を地上に(実際には苗床ではあるが)出した。
この分だと、次から次へと芽を出すぞと期待していたが、その後の気候の冷たさで、後が続かなかった。
しかしここにきて、ようやく一気に発芽。
ここで、満足に眺めていられない。
実は、黒松作りに欠かせないこの発芽時期の最初の作業が、正にこの時。
つまり、発芽したばかりの根を将来の作品に仕上げるための最初の試練、直根切りを行う。
発芽した黒松は、地上に出る幹部分と、同じ太さと成長で地下に埋もれる根がある。
この根は、なにもしないままだと一本の根が成長して、そこから枝根が出て、このまま大木となる。
しかし、盆栽としてある一定の大きさまでに成長を止め、それ以上成長させないとともに大木の姿を凝縮する根張り(大木の本体を支える、大地をはう八方に広がる根)を育てるためには、直根は不要。
だから、この芽が出た段階で早めに根の処理をすることとなる。
いまから育って一人前になるには何年かかるかわからないが、作品には至らないまでも、そこまでの育てる過程が何より楽しい。
【写真↓:3月3日の一粒から、今はそこかしこから発芽。】
【写真↓:第1番目の発芽の芽は、最初の8葉から次の葉がもう成長し始めている。】
【写真↓:挿し木用の市販の土に私独自のほかの成分の土を混ぜた苗床。】
【写真↓:直根切りは大根を使う。大根をまな板にすると、黒松の根とともに大根も切れるので、切ったところがつぶれない。】
【写真↓:切断後】
【写真:↓今回は4本✕9鉢=36本。しかし次の芽がすでに伸びている。これは次週か!?】
こちらは、年度末&新年度で死にそーです。
この忙しさで、歌が作れそうなくらい・・・・!
また、新天地は如何でしょうか・・・・?
とにかく、とにかく昔(高校三年生の六月下旬だったか一度学校から自宅に戻る途中)の交通事故の瞬間(市役所と大津通りの信号のある交差点で跳ね飛ばされ縁石に頭をぶつけ意識が無くなっていた)が数年前から少しずつ思い出されて来ている状況。それに伴い、自分が幼少の頃、子供たちの幼少の頃からの動画が、走馬灯の様に頭の中を駆け巡り只今、執筆中である。すでに原稿用紙40ページほど書いたがまだまだ本題に入り込めない状況である。おそらく200枚~400枚くらいのボリュウームか・・・・・とにかく、記憶が消えないうちに書き留めておこう。と、日記には書いておこう。