昨日、死闘の戦いのジャッジをしてきたM・Bridge氏から、お疲れの心身に鞭打ってのコメントをいただきました。
「今日は、掛川球場では、色々とありがとうございました。審判部屋で温故さんの顔を見た時に、肩の上の重りが取れた感じでした。温故さんの顔が仏様に見えましたよ。
温故さんに会えたことで、試合も無事に終える事ができ、浜松商業の石野君と、島田商業の山田君から感動を貰えることができました。
やっぱり、高校野球は最高です!筋書きのないドラマとよく言いますが、まさにその通りです。高校野球の審判をやっていて、本当に良かったと思ってます。
両チームの皆さん、掛川球場のHO澤主任さんを始め関係者の皆様、掛川球場でマスクを被れたことに感謝します。
掛川球場の帰りに、山咲技術員と清水庵原球場に立ち寄ったところ、温故知新真2ではおなじみの、ssk48氏と、しがない印刷屋審判に会えることができ、両氏も掛川の再試合が無事に終わったことを喜んでくれました。
明日は、浜松球場です。美酒を飲んで寝ます。」
お疲れ様でした。
部外者が顔を出すと、せっかくの集中が途絶えることを心配していましたが、私を仏にするほどの喜びようであったなら、私も顔を出した甲斐がありました。
ただ、まだ仏にはなりたかぁ~ないが。
それにしても、連日のハード審判。
浜松商業と島田商業の因縁の(!?)対決は、初回島田商業の攻撃で1点入れたと思いきや、その裏4点を浜松商業が得点。
しかし、中盤3回の表には、突如浜松商業の投手が制球難で乱れ、6点を与える。
もうこれからは、おそらく何があるかわからない対戦だと直感。
3回が終わったところで、ちょうど1時間。
ということは、9回は3時間ゲームか・・・。
そんなことを思いながら、帰るタイミングを考えていた。
実は昨日、11時30分には家に着いていなければならなかった。
ときには9回の試合が、1時間30分ほどで終了する時もあり、それを期待していたが、もう混戦が分かったので、5回終了の時点で球場を後に。
当然に、第2試合の榛原高校の試合すらもあきらめ。
それにしても、今回の掛川球場は、M・Bridge氏にとっては初球場であり、その初戦で、思わぬ再試合と言う経験をしたが、それをネガティブにとらえず、ポジティブに、いい経験をしたと喜んでいる。
さすが、審判道を極めようとする者は、こんな姿勢でなければ・・・。
試合も、逆転の逆転で終わってみれば、浜松商業が勝利。
やっぱ予想したとおりの混戦であったようだ。
試合時間は2時間半ぐらいか。
第2試合の榛原高校は、初戦を飾れなかったようだ。
そうなると、この榛南3高校は全滅。
もう夏の試合の楽しさ半減である。
M・Bridge氏が帰りに寄った清水庵原球場のしがない印刷屋審判員から昨日夕方ようやく大会パンフレットが届いた。
分厚い冊子の冒頭は、昨年の大会の写真集で飾られている。
その中に、あった!
3塁線ベースをかすめる打球に反応し、左手でフェアのジャッジをする私がしっかりと載っていた。
でも、よかった。
打球がはるか後方でジャッジをしているのではなく、3塁手が横っとびのそのベースを打球がよぎった瞬間に反応している。
しがない印刷屋からは、3塁ベースをしっかりと見ていると評価していいただいた。
おそらく昨年清水庵原球場3回戦の3塁。そして昨年最後の試合であるとともに、選手権大会最後の試合の一コマ。
いい記念ができた。
ただし、もっと嬉しい写真がもう一つあった。
焼津ユウタ氏が見つけてくれなければ、おそらく見落としていたチーム紹介の東部地区の冒頭写真。
何と私の静岡球場での球審の試合、富士宮北高校と浜松湖東高校のそのスコアボードの写真であった。
他の地区の写真は選手の激しいプレーのワンショットであるが、なぜか東部はこのスコアボードとクロスプレーの2ショット。
また、パンフレットをよくよく見ると、結構このブログの常連や話題になる方などが載っている。
嬉しいこの2枚の写真と仲間内が載っているこの大会パンフレットは、初選手権(ちなみに平成6年)のパンフレットとともに、いつまでも大切にしまっておこう。
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