日本とアメリカのトップ選びが今同時に行われ、その違いが鮮明に浮き出ている・・・。
日本は、与党、野党とも国会議員が同僚の推薦人を一定数以上集め、立候補者となる。
立候補者は、各自の政策を訴えるが、訴える先は国民向けと見えるが、結局は投票する各党の議員の受け狙いにみえる。
その後、各党内で選挙を行い党の代表を決めるが、決まった代表同士の選挙戦は?といえば、数の倫理で自動的に与党代表が日本のトップに・・・。
ここでは、いつもながら国民不在のトップ決めだ。
一方、アメリカは、2大政党において代表を各政党内で選び、そこに国民がどちらがいいかの投票を行う。
ただ、最後の大統領決定は総得票数ではなく、各州ごと得票の多かった陣営の選挙人の数で勝敗を決めるようだ。
最終は、国民の投票数ではないものの、アメリカは、中間で国民投票を行っている。
日本は、与党、野党とも国会議員が同僚の推薦人を一定数以上集め、立候補者となる。
立候補者は、各自の政策を訴えるが、訴える先は国民向けと見えるが、結局は投票する各党の議員の受け狙いにみえる。
その後、各党内で選挙を行い党の代表を決めるが、決まった代表同士の選挙戦は?といえば、数の倫理で自動的に与党代表が日本のトップに・・・。
ここでは、いつもながら国民不在のトップ決めだ。
一方、アメリカは、2大政党において代表を各政党内で選び、そこに国民がどちらがいいかの投票を行う。
ただ、最後の大統領決定は総得票数ではなく、各州ごと得票の多かった陣営の選挙人の数で勝敗を決めるようだ。
最終は、国民の投票数ではないものの、アメリカは、中間で国民投票を行っている。
アメリカ国民は少なくとも1回は、自分の推す大統領候補者に投票する機会がある。
日本とアメリカのトップの決め方はだいぶ違うが、やはり痛感するのは、国民がトップを選ぶ選挙に直接かかわり夢中になっているか、自分自身の問題として選挙に自ら1票を投じているかの大きな違いがある。
日本とアメリカのトップの決め方はだいぶ違うが、やはり痛感するのは、国民がトップを選ぶ選挙に直接かかわり夢中になっているか、自分自身の問題として選挙に自ら1票を投じているかの大きな違いがある。
残念ながら、日本は、国政レベルの選挙でも、地方自治体選挙でも、投票率の低い、イコール選挙への情熱が感じられない選挙を長年やっている・・・。
まあ、国民性が正確に表れているといえばそれまでだが、国民不在の政党内で粛々と代表決めを行う日本と、国民を挙げて大統領を、時には狙撃すらも行い感情を高ぶらせて何とか自分の大統領を決めようとするアメリカとの違いは、その熱量が全然違う・・・。
はたして日本国民はこれでいいのか・・・!?
国民性と言えばそれまでだ、人を殺してまでも大統領を決めようとする情熱アメリカの一方、国民の代表を決めることを冷めた気持ちで、他人事のように淡白に政党に任せる日本人・・・。
このツケがいつ国民に回ってくるのか・・・!?
いや、ツケは常に存在するが、ぬるま湯のカエル、日本人は今の生活に満足し、将来への危機感を持たない・・・。
それが日本人のいいところであり、国民性でもあるが・・・。
アメリカの決め方も、日本の決め方も、それぞれお国柄を反映しての最適なトップ選出方法なのだろう・・・。
日本人がアメリカのような熱狂的選挙を行うことは、決してあり得ない・・・。
しかし、今まさに日本とアメリカのトップ決めの真っ最中、アメリカの国民一人ひとりが候補者に訴えるその熱意のわずかでも、日本人が感じていればいいが・・・。
願わくば、トップが決まった後、正しい選択であったと言えるような両国のトップ決めであってほしい、そしてその成果は、将来の両国の豊かな繁栄に結びつくものへと願わざるを得ない・・・。
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