温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2020 八方ふさがり

2020-02-12 06:49:21 | 日記・エッセイ・コラム
今年は八方塞がりの年。おみくじも凶をひいた。
ところで八方塞がりがよくわからないのでインターネットで調べるが、これがどうもよくわからない。
そうか、と腑に落ちるような理解できる解説がない。
八方塞がりと言う言葉を聞くと、本当に何をしようとするにしても八方塞がって、成功しない、かなわないと思い込んでしまいそう。

これってもしかして、意欲をなくする儀式?
改めて考えると、年齢の10の位の数字と1の位の数字を出して10と切りの良い数字になる時が八方塞がり。
それは9年に1度回ってくる、8つの方位すべてに吉方がないこと。

ところで私は、来月1日になると63歳。
ただ、数えで64歳のようで、ちょうど10。
でもなんだかとってつけたような数。

神事を軽々しく見るつもりはない。毎年菩提寺に、神社に初参りに行く。
日常何事にも仏壇の前に座る。

ただ、よくわからないことに日常生活を小さく閉じ込める事は、私の性格上なかなかできない。
私の勝手な見解だが、おそらく八方塞がりは、厄年と同じように、人生ある一定の間隔において、生活に、健康に気をつけるよう、漫然と暮らす生活を戒めるよう、言い伝えられた教訓ではないのか。

日々の生活は、面白楽しい。
ただし、そんな生活も長くは続かず困難な時も迎える。
そのための用心にと、一定の間隔で自戒を諭す教訓と勝手に考える。

そうなると、もともと漫然と暮らす生活はできないタイプの人間。
となると、八方塞がりはそんなにビクビクせず、生活を収縮する必要はない。
日々研鑽、毎日が反省の生活。

何かにつけ、うまく事が運ばない時に、ついつい今年は八方ふさがりだから仕方ない・・・、と思いがちだ。
しかし、このままネガティブに生活していけば、なんだか1年がもったいない。

数年ごとの八方塞がりの教えは教えで、ありがたく理解し、八方塞がりの呪縛から少し離れてみたい。

今日は3連休後の仕事。
さあ今日も頑張っていきましょう!
コメント
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