温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No12

2006-11-10 23:13:57 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「ハイビジョンは隔世の感」

人生50年も生きていると、様々な技術に出会い、あるいは驚異的な発達に驚かされ、その恩恵を受け、人生の豊かさに付加をつけていただいていると思わざるを得ない。

ただ、日常生活に溶け込んでいる様々な技術は、特に気に留めなければ、恩恵を感じることなく、見過ごしてしまう。

したがって、時には、身の回りを取り囲む様々な技術に目をむけ、あるいは、過去のそれと比較して、最新の技術を実感し、ありがたく思うことも必要である。

今回のコンサートは、ハイビジョン放送による鮮明な画像で、臨場感を持って楽しみ、過去の懐かしさに浸っていた。

考えてみれば、会場では、どんなに近くの席からでも、あのテレビ画面に大写しにされている拓郎やかぐや姫のアップされた顔などを見ることはできない。

彼らの汗、細かな表情は、テレビの大画像だからしっかり見ることができる。

だからといって、会場よりお茶の間でのリアルな画像がいいわけではない。

会場の熱気、拓郎とかぐや姫との一体感、そしておそらく体に振動が伝わる大音響は、テレビでは伝わらない会場にいる者だけの特権である。

ここは、ハイビジョンの画像の、そのリアルさ、臨場感に驚くということを強調したい。

しかも今回は、あの35年前のコンサートの再現。いやおうなく当時のリアルと思っていた残像と比べてしまうのである。

あの当時のテレビでの映像やその後のビデオ、DVDの画像と比べるとその鮮明の格段の差は、この35年の歳月を実感するに十分足りるものである。

P1010033_1

昔のぼやけた映像から一枚も二枚もフィルターを取り除いた感じである。

今回のコンサートは、35年前のコンサートを再現し、当時を思い出し懐かしむ一人ひとりに感動を呼び起こすものであるが、ハイビジョンのリアルな映像は、それをさらに効果的に増幅する必須の技術であった。

頭の中には、当時の記憶が今でもリアルに残像として浮かび上がるのだが、いままでは、それを目の前に映像として移し変えることはできなかった。

しかし、ハイビジョンはあの時の記憶を目の前に鮮明な映像に変換してくれ、頭の中を記憶と映像が走馬灯のように入れ替わり立ち代わり相互に駆け巡るものであった。

35年前の技術は技術で、そのときの人々の心を感動させたかもしれない。いや感動させていた。

しかし、あの当時の感動は、初めて見る、体験する「驚き」といえる感動であったが、現代のハイビジョンからの感動は、人間の技術を、これぞ!とばかり見せつける、隔世の感を十分認識させる感動である。

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