写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

木工の依頼

2018年10月22日 | 木工・細工・DIY

 定年を迎えた年、生まれてくる初孫に暇にまかせて木馬を作ってやることにした。まずは、電動ノコ、糸ノコ、電動ドリルなどの電動工具を買い、設計図を引いて1カ月かけて木馬を完成させた。これを契機に、台所用品やガーデンチェアー、薔薇のアーチ、オベリスク、トレリスなどを奥さんの注文に応じて楽しみながら手作りしてきた。

 遊び心で、道路に面した庭の入り口に「工房木馬」と糸鋸でくり抜いた木製の看板をぶら下げて、ここが木工の店であるかのように装ってみたりもしている。

 それから17年が経った。看板を見てかどうかは分からないが、数人から「こんなものを作って欲しいのですが」と言って、木工品の依頼が入ることがあった。絵を描く時に使うイーゼル、調味料を乗せる棚箱、紙芝居の舞台、大きな表彰状額、玄関先に置く額縁型のプランター、刺繍糸を収納する箱など大小さまざまなものを作ってきた。

 ここしばらくはそんな依頼もなく過ごしていた先日、知り合いの生け花の師範から初めて見る妙な写真を見せられた。「こんなものを作っていただけませんか」と、熱心に頼まれる。生け花を台の上に乗せて飾るとき、背景として使いたいという。

 言ってみれば、大きな額縁を2枚蝶番でつないだようなものである。1枚の大きさは縦横が90cm*60cmのものと、55cm*45cmの大小2組で、生け花の背景として屏風のように立てるという。

 仕上げとして、艶消しのペンキを塗ることにした。一緒にホームセンターに行き、適当な木材を調達して帰り、2日かけて作り上げた。何度も塗装すると漆を塗ったように厚くなり、贔屓目に見るからだろうか家具のようにきれいに見える。

 出来上がったことを電話すると「来年の3月に使うのでゆっくりでよかったのですよ」と言われ「私は何でもすぐやる課」ですからと答えておいた。このくらい大きなものを、全く同じ大きさで、きっちりとした長方形のものを2つ作るということは、思っていた以上に結構難しい仕事である。

 来年3月には、この背景をではなく、その前に飾られた生け花を、ぜひ鑑賞してみたいと思っている。

 


新人デビュー

2018年10月20日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 13年前に創設した「岩国エッセイサロン」では、ここ数年は17名の会員が、月に1回の定例会を開催しながら、新聞への投稿を通じて各人がエッセイの腕を磨いている。創設当初は「紅顔の美少年・美少女」であったが、毎年確実に年を重ねた結果、会員の平均年齢は72歳となっている。

 ところが先日、殊勝にも「エッセイを書いてみたい」という女性が、会員を通じて入会を申し込んできた。早速快諾し、昨日(19日)、今月の定例会に出席してくれた。計算してみると、平均年齢が1歳若返り71歳となったことが少しうれしい。

 毎回、毎日新聞の「はがき随筆」に掲載された1か月分のエッセイの中、優秀作品を読んで自ら学ぶというスタイルの勉強会である。先生はいない。会員がお互いに先生の役割を果たすという、自学自習の場である。

 新人のMさんも、直ぐに溶け込んで、感想や意見を言ってくれる。うん、中々いいぞ。定例会の終わりに「Mさんも、ぜひ何か一つ投稿してみてください」「挑戦してみます」と言い合って別れた。

 明けて今朝のことである。朝食前に新聞を開いた。真っ先に「はがき随筆」の欄を見て驚いた。Mさんの名前が早くも載っているではないか。「まず一歩」と題して、「岩国エッセイサロンに入会した。自己啓発を図り、輝いて生きることを目指す志高い会だ。そのようなお仲間に加えていただいて、私もこれからの人生を輝かせたい」と書いている。

 最近少しマンネリに陥っている我が身を顧みて「そうだった。輝いて生きようと思って創設した会であった」と、13年前の初心を思い起こさせてくれる、66歳の新人デビューであった。

 


拾い物

2018年10月18日 | 生活・ニュース

 車に乗って奥さんと買い物に出かけた帰り「吉香公園に行ってソフトクリームでも食べようか」といい、公園内の空き地に車を止めた。少し涼しくなったせいだろう、夏場には観光客が長い列をなしていたソフトクリーム屋さんも、数人が並んでいるだけであった。

 奥さんがソフトクリームを両手に持ち、待っていた私の方に戻ってきた。辺りを見渡すと芝生の上に4脚のベンチが設置されているが、いずれにも誰も座っていない。木陰にあるベンチに座り、通る人を眺めながらおいしく食べた。

 さて、立ち上がろうとして、ベンチの端を見ると、何やら黒い革財布のようなものが目に入った。何だろうと思い、手に取って二つ折りのものを開いてみると、スマホである。

 カード入れには、持ち主の車の免許証のほか、身分証明書や2種類のクレジットカードなどが差し込んである。すべて英語で書いてある。どうやら米軍岩国基地の兵隊さんの持物のようであった。

 周りを見回しても、身分証明書に写っている顔写真のような男は見当たらない。ここに置いていては悪用されるかもしれないと思い、警察署に届け出ることにした。しかし錦帯橋の近くには、観光客が大勢やって来るにもかかわらず交番はない。

 1kmも離れたところにある錦帯橋交番に行ったが、入り口にはかぎが掛かっており「御用の方は本署に電話をしてください」との紙が貼ってある。仕方なしに、岩国駅に近い本署まで走って、拾い物を届けることができた。

 この拾い物、正確には落とし物か忘れ物かは知らないが、届けてから放免されるまでに30分くらいかかった。まず拾った人の住所と名前を聞く。拾った場所は地図を出して住所を調べる。中身を全部出していちいち記入する。拾得した人の権利を放棄するかしないかを問われる。落とした人からのお礼の連絡などしてよいかも聞かれる。すべての権利を放棄して、無事に警察署を出た。

 拾い物は、拾った人も私のように暇人でないと届け物の処理には時間がかかる。私も以前、置き忘れたデジカメを拾ってもらったことがあることを思い出した。かくて、小さな秋に小さな恩返しができたというお話だが、それにしても錦帯橋界隈に、交番がなさすぎではありませんかねえ。


天高く 馬肥ゆる秋

2018年10月17日 | 生活・ニュース

 季節は今、秋もたけなわ。稲刈りも終わり、道の駅を覗くと、イモやカキ、松茸やクリなど秋の収穫物がたくさん並べられていて、食欲をそそられる。まさに「天高く 馬肥ゆる秋」の通り、空は澄み渡って晴れ、馬が食欲を増し、肥えてたくましくなる絶好の秋を迎えている。

 ところがこの諺、「なぜ秋に、敢えて馬が肥えるというのだろう」と、ふと疑問を感じて調べてみた。「天高く馬肥ゆる秋」の由来は、中国の故事にある。秦滅亡後に建てられた中国の王朝・前漢(紀元前206年-8年)時代には、北方の遊牧国家・匈奴(きょうど)との争いが激化していた。当時既に万里の長城の一部は建設されていたが、匈奴の侵入を防ぐのに十分ではなかった。

 匈奴は秋になると収穫物を奪いに大きく育った強い騎馬で侵入してくることが多かった。そのため、前漢の将軍は次のように述べて、敵襲に備えよと皆に警戒を促した。

 「雲浄くして妖星落ち 秋高くして塞馬肥ゆ」(くもきよくして ようせいおち あきたかくして さいばこゆ)。「妖星」とは不吉な出来事の前兆、「塞馬」とは北方の馬、ここでは騎馬民族・匈奴の馬のこと。秋になると匈奴の馬が大きく強く育ち、その馬で攻め込んでくるから警戒せよといった内容である。

 当時の中国は、秋といえば北方の異民族が収穫期の作物を狙って南進してくる季節。辺境の軍事拠点では馬を肥えさせて防衛に務めなければならなかった。「空が高くなってきた。秋が近いぞ。そろそろ匈奴が馬に乗って収穫を奪いにやって来るぞ。みんな戦闘準備だ!」ということなのである。

 現代使われている「天高く馬肥ゆる秋」の意は、「空は澄み渡って晴れ、馬が食欲を増し、肥えてたくましくなる秋。秋の好時節をいう言葉」であるが、本来は全く異なる戦闘準備の意味であったことを知った。

 

仏の顔は何度でも

2018年10月14日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 2018年のプロ野球、セ・リーグのペナントレースは広島カープが悲願の3連覇をぶっちぎりで飾った。10月17日からCSファイナルステージがマツダズームズームスタジアムで開催されるのを、今か今かと待ちわびている一人である。

 昨日(13日)は、2位のヤクルトと辛うじて3位に滑り込んだ巨人とがCSの1stステージの第1戦を行い、巨人が4対1で勝利し、ファイナルステージ進出へ早くも王手をかけた。

 ヤクルトか、それとも巨人か。いずれかを迎え撃つカープであるが、ペナントレースの終盤にかけて、昨年、1昨年と同じように、どうも今一つ勢いに欠けている。夏場のあの熱い戦いが影を潜め、主力も脇役も精彩に欠ける。

 いずれにしても何とかして短期決戦を乗り越えなければ、これこそ悲願の「34年ぶりの日本一」なんぞを達成することはできない。万一、今回も日本一となれなかったら、年間を通してあれだけ応援にこれ努めたカープファンも「仏の顔も3度まで」の諺にもあるように、3度までは許してくれるが、4度目はもう許してはくれまい。

 と、ここまで書いて「仏は3度までは許してくれる」ことに疑問をもって調べてみた。すると「仏の顔も3度まで」という使い方は間違いだという。正しくは「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」の略で「仏の顔も3度」というのが正しいと書いてある。出典は「上方(京都)いろはかるた」である。

 慈悲深い仏様といえども、3度も顔を撫で回されたら腹を立てるということから、どんなに温厚な人でも、何度も無礼なことをされれば怒り出すことのたとえである。仏でさえ、3度目には腹を立てる。そうであれば、カープも3度目の挑戦となる日本一を今年果たせなかったら、日ごろは温厚なカープファンも怒り出して当然ということになる。

 しかしそこは紳士然としたカープファン、何があっても「所詮はスポーツの世界のこと」、「仏の顔は何度でも」の気概で、CS、それに続く日本シリーズを今まで通り楽しく応援していこうと思っている。日本一がやって来る日を何年でもじっと「待つ」という楽しみ方もありますものね。