写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

ノーベル賞

2018年10月02日 | 生活・ニュース

 2018年のノーベル医学生理学賞を京都大学高等研究所の本庶 佑(ほんじょ たすく)特別教授と、米テキサス大のジェームズ・アリソン教授の両氏に授与すると発表された。免疫の働きにブレーキをかけるタンパク質「PD-1]を発見し、このブレーキを取り除くことで、がん細胞を攻撃する新しいタイプの「がん免疫療法」を実現したものである。

 図を使って、いくら説明を聞いても理解できない我が頭であるが、下世話なことはよく分かる。これに対する賞金は900万スウェーデンクローナ、日本円で約1.15億円で、2人の受賞者が等分するという。すなわち本庶氏は5750万円をもらうことになる。

 研究生活の一生をかけて成し遂げた結果、しかも人類の命にかかる歴史を変えるような研究成果を上げた報償がこの金額である。比較する土俵は全く異なるが、スポーツ選手の賞金額である。つい先日、テニスの全米オープンで優勝した大坂なおみの優勝賞金は何と4億2千万円であった。

 日本のプロ野球の一流選手の年収は数億円。このような選手であれば、スポンサー契約やらでさらに上乗せがあり、庶民からは想像することができないくらいの収入がある。

 それに比べると、ノーベル賞という、その道の世界的な第一人者が受賞する賞であるにもかかわらず、頂ける賞金はあまりにも少ない。受賞者は、協力してくれた関係者と一杯やっただけで賞金は一文も手元に残るようなことはなくなるに違いない。

 今回の本庶佑教授の恩恵は、未来永劫、がんにかかった人の命を救うことになるようであるが、例えば100万人の命を救うことができたとする。1人当たりわずか1万円のお礼をもらえるとすれば、合計100億円の謝礼が入るという計算になる。

 そんなことを考えると、ノーベル賞の賞金で済ませるだけでなく、日本の国だけでなく世界の国から、スポーツ選手に負けない100億円くらいの賞金を出しても、決して出し過ぎだとは言えないと思う。

 それにしても、「佑」(たすく)という文字には、「助ける」という意味があるが、まさに本庶先生は名前に負けることなく、多くの人を助けるために研究しただけで、賞金の額なんかには興味はないに違いない。