錦帯橋の花火大会に、小学3年の孫を連れて行った。花火もさることながら、出ている夜店の数も半端ではない。座ってじっと見上げているだけの花火を見飽き、夜店見物に付き合った。
水槽に色とりどりの跳ねるボールが浮かんでいる店の前に出たとき「これがやりたい」という。小さなボールを金魚すくいのような紙製のすくい網ですくうやつだ。孫は自分の気にいったきれいな模様の入ったものを狙い、何とか4個すくったところで網は破れて万事休した。すくったボールを店主に渡すと「はい。じゃぁこれ」と言って、あらかじめ店頭にぶら下げてある、可愛くもなんともない一回り小さなボールが4個入ったポリ袋をくれた。
ほかの子供も同じような扱いを受けている。何ということはない、すくったボールはもらえず、安っぽいボールをもらっただけである。孫はきょとんとしているが、私は文句をいうことなく手を引いてそそくさにその場を離れた。なんとも不愉快な気持ちになった。
確かに、300円のお金を払って遊ぶ前に、すくったボールは全部もらえるのかという質問はしなかった。勝手に、すくったものはもらえるものだと思い込んでいた。店主と何ら契約をかわすことなく孫を遊ばせたことを反省した。しかし、店にも落ち度はある。遊ぶルールはどこにも張り出したり、口頭で説明したりはしていない。
日常の生活の中で、保険の加入や家の補修工事などに際してはちゃんと契約書を交わしているが、こんなささやかな遊びの中ではいい加減にしていることは多い。大人としての常識的な暗黙の了解というものもあるだろう、と胸の中でつぶやいてみる。孫には申し訳なかったが、孫は孫で、世知辛い世間の風を、花火の爆音のもとで経験した真夏の夜の出来事?であった。