写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

天然の美

2005年05月21日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 錦帯橋を渡り、武家屋敷のあった白壁の通りを進むと吉香公園に入る。その一隅に「田中穂積」の胸像がある。

 その脇には「美しき天然」と題が書かれた五線譜の石碑が置いてある。前を人が通りかかると曲が流れてくる。

 ♪ 空にさえずる鳥の声 峰より落つる滝の音
      大波小波とうとうと 響き絶えせぬ海の音 

   聞けや人々面白き  此の天然の音楽を
      調べ自在に弾き給う 神の御手の尊しや ♪

 田中穂積は岩国市横山の出身で、明治33年海軍軍楽隊長の時にこれを作曲したと記してある。

 私が幼い頃、この歌を母が良く口ずさんでいたから知っていた。その頃は「天然の美」と呼んでいた。

 古めかしい歌詞を聞いて、この世にはない風景のような気がしていた。何か少し物悲しい歌だと思っていた。

 当時、錦帯橋の河原にはよくサーカス団が来ていた。「木下」とか「矢野」というサーカス団だったことを思い出す。

 フィナーレを飾る空中ブランコの時に、必ずこの「天然の美」の曲が天幕の小屋に物悲しく流れ、美女が空を舞うのを見ていた。

 サーカスは、子供心に少し陰のある哀愁を帯びたショーのように感じていた。隣接して、「へび女」とか「ろくろ首」などの見世物小屋があったせいかもしれない。

 いまもこの曲を聞くと、手を握り締め身体を固くして見ていた、サーカス小屋の中の幼い私がフォーカスされて浮かび出てくる。ふと我に返り、毎日を綱渡りしているような自分に気がつく。
   (写真は、吉香公園の「田中穂積」胸像)

雨 蛙

2005年05月20日 | 生活・ニュース
 十年も前から、我が家の周りから田んぼや小川がなくなっていった。大きな建物や立派な駐車場が出来たりで、地面がアスファルトに変わっていった。

 以前にはこの季節、ベッドに入ると喧しいほど聴こえていた「げろげろ ぐぐー」という心地よい蛙の歌は今は聞くことはない。

 先日、利息の付かない預金を引き出すために駅前の銀行に出向いた。駐車場に車を止めて裏口から入ろうとした。

 ビルの谷間になった日陰に、エアコンの室外機が置いてあり、その上に一匹の雨蛙が陶器の置物のようになって座っていた。

 そういえば鳥獣戯画以外、蛙が立っている姿なんぞ見たことがない。手の内を見せないよう、両手は胸の下に隠している。

 老眼鏡でもはっきり見える至近距離に顔を近づけても平静を装い、よそを向いたりはしない。首がないから向けないのか・・・。

 お礼の気持ちで一枚デジカメに収めた。更にアップで撮ろうと近づいた時、ぴょんと跳ねて小さな植え込みに紛れていった

 今迄しみじみと蛙の目なんぞ見たことはなかったが、良く見ると、本当に優しい目をしている。私のようにいつも微笑んでいる。

 見方によっては達観した高僧のように見えなくもない。あんなビルの谷間に生活の基盤を置くなんて、どんな心境からだろう。

 その晩ベッドに入ったとき、遠くから微かに懐かしいなき声が聞こえてきた。果たして何がコウソウしているのやら。ケロケロ。
  (写真は、久しぶりに会った高僧「雨蛙」)

大前提

2005年05月19日 | 生活・ニュース
 人間全ての行動には目的がある。意識としてそれが明確になっているかどうかは別として、目的というものは必ずある。

 ところが行動を起こすと、目先のことだけを考えて、得てして本来の目的とは若干異なる動きをしてしまうことがある。

 このたびのJR西日本の脱線大事故がその典型的な例である。JR西日本の会社の目的は何か。言うまでもなく、乗客を「安全に輸送」して「利益を上げる」ことである。

 そのとき、「安全に」ということは目的というよりも大前提であろう。この大前提を守った上で、より速く、より安く、より快適に、より便利に・・・でなければならないのは当然である。

 ところが、ニュースで見る限り、JR西日本の今年度の方針は、
   1.稼ぐ 2.安全輸送 そして3.4.と続く。

 民営化されてもう随分年数が経った。会社創設時の大前提は今いずこ。会社の存続・死命を制する大前提が後回しになり、利益追求の視野狭窄に、会社全体が陥ってしまっている。

 私も製造業のサラリーマンを長くやった。どんな経営状況の中にあっても会社の方針の第1は「安全の確保」であり、全社員がそのことを共有していた。それに続いてが、品質の確保、コストダウン・・・であった。
 
 JR西日本は何故こんな会社・風土に陥ったのか。一個人・トップを責めるだけでなく、人に起因する原因にたどり着くまで、徹底的に解明して欲しい。

 犠牲とは、「ある物事の達成のために、かけがえのないものを捧げること」と書いてある。

 亡くなった人は、JR西日本の安全運転の確保のために生まれてきたのではない。全社員が英知と汗を捧げて安全の確保を誓って欲しい。
   (写真は、JRマンの原点「蒸気機関車」)

ブログ・コメント

2005年05月18日 | パソコン
 暇に任せてブログに、自称「エッセイ」とやらを毎日出している。昨年の11月初旬から書き始めて、もう6ヶ月が経った。

 色々なブログを訪ねて行き、多くの人との交流も出来た。見知らぬ間柄でありながら、ブログを読ませてもらっている内に、近所に住んでいる顔なじみのような気すらしてくる。

 家族・趣味・毎日の忙しさ・節目の行事・パートナーのこと・打ち明けたい悩み・いい話・楽しい体験・季節の移ろい・・・

 日々の出来事、色々な人生模様が、明るく前向きに表現されている。誰かに言いたい、伝えたい、共有したい、分かって欲しい等の思いがよく表現されている。

 私の拙いブログでも、多くの人からコメントを頂く。「今日は、どんなコメントが入っているかな?」と、書いた人の顔を想像しながら読むのも大きな楽しみのひとつになっている。

 頂いたコメントを集めただけで、愉快で楽しく素敵なエッセイ集になりそうである。

 私は、ブログ本文を書くことで精一杯であるが、皆さんは一歩進んで、機転の利いたコメントを出すまで頭が回っている。

 コメントのやり取りは、ブログの楽しさを倍増させる。これからも当意即妙、機知に富んだコメントを、隅から隅までズズズイ~と、ゴメンドウでもどうかよろしくお願いし申しあげま~~す。
     (写真は、goo blogの「コメント欄」) 

こころざし

2005年05月17日 | 生活・ニュース
 3年前、サラリーマン生活に終止符を打ち、故郷に帰ってきた。出て行く時には元気だった父母はもういないが、晩年、地域の人々や福祉サービスに支えられて充実した日々を送っていたことに、私は遠くから感謝していた。

 現役時代には転々としていたため、地域社会のお役に立つようなことは何ひとつできずにいた。

 昨年の初秋、自治会の会長さんが来られて、民生委員・児童委員を引き受けないかとを打診された。

 民生委員法には「人格識見高く、広く社会の実情に通じ、かつ、社会福祉の増進に熱意のある者」から選任すると明記してあり、自分の対極にある人物像のような気がする。

 しかし、お話を伺っているうちに、父母のこともあり、今は実力不足かもしれないが、微力ながら人を支える側の生き方もしなければと思い引き受けることにした。

 昨年末、民生委員・児童委員を委嘱されて初めての活動は、長期間在宅介護サービスを受けている方々に見舞金を渡すため慰問することだった。

 そうした人が近くに住んでいながら、私は気付かずに過ごしており、知っていれば何かお手伝いができたのではないかと反省した。

 これからは、民生委員・児童委員ひとりが頑張るのではなく、地域住民に民生委員・児童委員のことをもっと理解していただき、自治会などと連携しながら地域全体でまちづくりに取り組んでいきたいと考えている。

 地域福祉は「地域住民全員の暖かいまなざし」がキーワードに思えた。
   (写真は、出て行くときに植えた「紅白の花水木」)
   (全国社会福祉協議会発行「ひろば」2005年4月号掲載文)