写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

新聞投稿

2005年05月26日 | 生活・ニュース
 投稿した短いエッセイが、先日新聞に掲載された。久しぶりの中学校の同窓会に遠くの友が帰ってきたことを書いたものである。

 それから数日経った日のこと、一通のメールが入ってきた。卒業以来、一度も会ったこともなく、同窓会にも顔を出したことのない同級生の男からであった。

 「50年のご無沙汰、突然のメールお許しください。○○新聞掲載のエッセイを読んで、これはわれわれの同窓会のことではないかと思い、作者を確認して便りをした次第です。
 
 同期の者でも、クラスが違っていたら思い出すこともできないようになっているわが頭にいささか失望していますが、エッセイを読み、忘却のかなたから少し記憶が戻ってきたような気がします。」

と書いてある。

 早速、一緒に遊んだ頃の顔を思い出しつつ「今度帰省の折には、是非駅前の焼き鳥屋で一杯飲ろう」と書いて返信をした。

 卒業して半世紀、友はどんなになっているのだろうか。今回の投稿エッセイをきっかけに、旧いふるい友との糸が再び繋がった。

 新聞への投稿は、思いもかけない人からの便りを誘ってくる。前回は、勤めていた会社の後輩や、しばらく会っていない従妹から連絡があった。

 しかし、せっかく投稿しても、新聞社に駄文だと言われれば、トウコウして一目散に逃げ帰るしかない、立場の弱い私である。
  (写真は、私御用達の「新聞読者投稿欄」)

刺すまた

2005年05月25日 | 生活・ニュース
 散歩の途中、何十年ぶりに同じ町内に住む80才に近いご婦人と会い立ち話をした。久しぶりとあって、しばらく昔話を聞かせてもらった。

 その婦人の子供たちの話に及んだ。3人の息子がいるという。子供といっても、みんなもう50才前後になっている。

 それぞれが会社員・公務員として頑張っているようだ。「みな教員の免状は持っとるが、先生にはならんかった。ならんで良かった。今は、先生という仕事も怖いからねぇ」という。

 我々が子供の頃は、先生といえば聖職、子供・親だけでなく誰からも尊敬される立場の、憧れの職のひとつであった。

 ところが今はどうだろう。小学校にはとんでもない外敵が無断で進入してきて、大変なことをしでかしてしまう。

 真面目で子供好き、教育熱心だけでは先生は務まらない。男であるだけでなく、子供が怖がるくらいの屈強な大男でないと、もはや務まらなくなっている。

 テレビのニュースで、先生が「刺すまた」を持って、警官が扮する悪漢と闘う訓練をしている姿を見るのは、如何にしても悲し過ぎる。

 私が習った、厳しいけれど優しかった女の先生は、もうこれからは見ることは出来なくなるのだろうか。

 先日の新聞に、今の子供がなりたい職業ベスト5に「保育園の先生」はあったが、「学校の先生」は入っていない。

 このようなことではいけない。「大きくなったら先生になりたい」という子供が、多く出てくるような社会にしなければと切に思う。

 先生が「刺すまた」を手にする姿は似合わない。手にして欲しいのは子供たちへの厳しく・優しい「愛の手」だけである。
   (写真は、有刺鉄線を張り巡らせた小学校の「校門」) 

腹部検査

2005年05月24日 | 生活・ニュース
 持病があるため半年ごとに、定期健診で腹部の超音波検査を受けに、広島の総合病院へ行っている。

 毎回のように、担当する検査技師は変わる。名前を呼ばれ、暗くした部屋の中に入る。上半身裸になりズボン?のベルトを緩めてベッドに横になる。

 腹部に冷たくぬるぬるしたゼリーを塗布されいよいよ検査の開始だ。「息を吸ってー、お腹膨らませて・・・、ハイ止めてー」カチッ。

「今朝、何か食べて来ませんでしたか?」「最近おしっこの出はいいですか?」「食欲はありますか?」「今まで何か言われたことありませんか?」

 検査を受けに行くたびに、技師がこんなことをひとこと私に訊く。その都度私は、「あっ、何か異常があるのかな」と少し心配になる。

 そう言えば、最近ああだなこうだなと、この歳になると心当たりはないこともない。心配性の私の頭の中は色々と悪い考えが巡る。

 2時間くらい待ってようやく担当医から検査結果を聞く。「ああ、全く問題ありませんね。半年後にまた来てください」で終わる。

 ある時こんなことがあった。検査技師が私の腹部に器具を強く押しつけて、しきりに「おかしいなー」を連発する。

 隣の部屋からもうひとりの技師を連れてきて、私の検査画像を見ながら、ふたりで何やらひそひそと話をしている。

 てっきり私は、自分の身体のどこかに異常が見つかり、ふたりで再確認でもしているのではないかと気が気ではない。

 検査終了した後訊いてみると「いや、途中で器械の調子が少しおかしくなって・・・」とあっけらかんなことであった。

 そこで検査技師さんにひとこと言わせて頂きたい。「それでなくともナーバスになっている患者に、余計な話しかけ・独り言はご法度です」と。毎度のことながら、腹部検査は腹ふくるる検査ではある。
   (写真は、気分も暗い「CT検査室」)

人 目

2005年05月23日 | 生活・ニュース
 ある朝、通勤でいつもの新橋駅に降りた。改札を出た雑踏の中で、ばったりと故郷の顔見知りの女性に出会った。

 それから数年が経った。ある日曜日、上野のアメ横に出張用のアタッシュケースを買いに行った。かばん屋を回って歩いていた時に、再びその人と出会った。

 東京のど真ん中で、2度も同じ人と偶然に出会った。とてつもなく低い確率と思うが、あの大都会の中でさえこんなこともある。

 今の生活はどうだろう。人口11万人の田舎の町では、出かけるたび、スーパーに入るたび、焼肉を食べに行くたび、必ずといっていいほど誰か顔見知りに出会う。

 それをいいと思うか、いやだと思うかは人それぞれだろうが、私は今でも「都会の中の孤独」の方を好む。

 会いたい時には会い、ひとりでいたい時にはひとりに徹する。まったく無防備に、周りの目を気にすることなく、でれーとして生きることが好きだからだろう。

 いや、本当の所は、知人に見られるとまずいこと、恥ずかしいことを、人目を気にせず平気でやってみたいだけかもしれない。

 この忙しい世の中、他人のことに深く関心を持つような人は、周りの何処にもいやしない。存分に自由に生きていけばいい。

 自分が「自分の目」に縛られているだけである。誰かが見ているとは、実は自分が自分を見ていることである。

「人目」とは「自分の目」のことであることに気がついた。じゃぁ、世間の皆さんはみんな老眼?ってな訳ありませんね。
  (写真は、人目ならぬ我が「ロードスターの目」)

ふたりの同窓会

2005年05月22日 | 生活・ニュース
 先日、中学校の同窓会が開催された。卒業して50年という節目。思っていた以上に大勢が出席すると聞いていたが、私は所用のため、残念ながら欠席せざるを得なかった。

 その1週間前に、1本の電話が掛かってきた。結婚してアメリカに嫁いで行った幼なじみの女性からであった。

 同窓会のために、久しぶりに帰国したという。翌夕、駅前の寿司屋でふたりでミニ同窓会をした。懐かしい昔話と少しの酒で、時間はあっという間に過ぎていった。

 数日後、彼女が帰る日が来た。その日、新幹線の駅まで車で送って行く約束をしていた。

 駅へ向かう途中のレストランで、ノンアルコールのビールで乾杯し、同窓会の話を聞きながら軽いランチをとった。

 田舎の新幹線駅の乗客は僅か3人しかいない。握手をした後、彼女はがら空きの自由席に座り、私に向かって軽く会釈をする。

 動き出した窓に向かって私は小さく手を振った。4両編成の短いこだまは、すぐにトンネルに入っていった。

 見送ったあと、地球の遥か彼方に帰って行く友のことを思いながら、駅の階段を下りた。

 何があった訳でもないのに、鼻の奥がつんとしてきた。止めていた車に乗ろうとした時、降りた時には全く気がつかなかった小菊のような花が、優しく私のほうを向いて咲いていた。
  (05.5.15毎日新聞「男の気持ち」掲載)