写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

和木美術館

2005年05月16日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 












 友人からのメールで、隣町である和木町の美術館で、「川口健治絵画展」が開催されていることを知った。

 「和木町に美術館?」と訊くと、和木に一年前開館したものだという。行政区が異なるとすぐ隣町のことでも余り情報は入ってこない。

 その日の午後、直ぐに行ってみた。美術館のそばは何度も車で通ったことはあったが、今までまったく気がつかなかった。

 端正な鉄筋コンクリート作りの、いかにも美術館然とした建物だ。こんな田舎の小さな街に、かくも立派なものが出来ていて驚いた。

 山口県上関町出身の川口健治の油彩画・水彩画の作品が展示してあった。1938年生まれ、京都市立美術大学卒、現在岩国短大教授ほか多方面でご活躍中という。

 和木町をはじめ岩国界隈の郷愁を誘う風景画が数十枚掲げてあった。その内の一枚の絵の前で私の足は止まった。

 「倉のみえる通り」と題して、倉のある古い田舎の家が描かれていた。実はこの家は、私の祖母の生家である。

 その場で、絵をデジカメに収め、帰り道その家の前を回ってみた。車から降りて、実物の家を一枚写真に撮った。

 今は空き家になっているが、幼い頃父に連れられて行き、かくれんぼをして遊んだ倉・納屋を懐かしく眺めて帰った。

 「川口健治絵画展」のお陰で、父・祖母のことを久しぶりに思い出すことができたが、主も町に出て誰も住まなくなった家は、栄華の時とはクラべるべくもなく、若葉がそよぐばかりであった。
   (写真は、川口健治作の「倉のある通り」の絵と現物の家) 

鵜飼舟

2005年05月15日 | 旅・スポット・行事
 錦帯橋が架かる下には、カヌーイストの間では「日本一の清流」とさえ謳われている錦川が流れている。

 この川面では、毎年6月1日より8月末までの3ヶ月間、伝統ある夏の風情・鵜飼が催される。

 聞くところによると、日本全国では夏場、12カ所の川で鵜飼が演じられているという。

 今日も、お決まりの散歩コースである錦帯橋の河畔を歩いてみた。桜の木はすっかり新緑に模様替えし、今は大きな緑陰を作っている。

 ひとりの男が、大工道具を抱えて上流に架かる橋の下から出てきた。この橋の下には、鵜飼で活躍する鵜飼舟が雨をしのいで保管してある。

 ふと眼をやると、2艘の屋根が新しくなっている。隣に置いてあるものと比べると、正面の破風板の形が、波型の柔らかい曲線に切り取られ情緒ありげに仕上げてある。

 目前のシーズンに向けて、準備に怠りはない。一方、その向こうでは、大勢の花見客をもてなした売店・座敷の解体が始まっていた。

 春から夏へ確実に季節は移ろうとしている。つい先日、弁当と缶ビールを持って花見をしたばかりだと思っていたのに。

 目まぐるしく変わる世の中にあって、ここでの人の動きは十年一日変わることはない。まるで、ここだけ時が迂回しているように・・・ 
   (写真は、改装なった「鵜飼舟」)

タツノオトシゴ

2005年05月14日 | 旅・スポット・行事
 ゴールデンウィークに近くの砂浜に遊びに行った。瀬戸内海の春の海は穏やかで、遠く近くの島々が薄く濃く色を変えて見えた。

 沿岸に住んでいながら、海辺は遠い。私の住んでいる辺りは臨海工業地帯となっており、砂浜のある海までは少し距離がある。

 降りた砂浜には誰もいない。遥か向こうの堤防に、数人の釣り人が投げ釣りをしているだけであった。

 ハートリーのリードを解いてやると、喜んで走りまくる。コッカースパニエルの出身は水鳥の猟犬である。投げたものを追いかけくわえて持って来る。この遊びが大好きのようだ。

 そんな遊びをしている時、砂に埋もれかかった小さな生き物の死骸を見つけた。怒り心頭に発しているような顔に見える。

 手にとって見た。どこから眺めて見てもタツノオトシゴである。何の根っこだろうか。良く出来た造形だ。

 タツノオトシゴは、「seahorse・海馬」とも書くが、魚の一種だそうだ。メスは卵を産むだけで、生んだ卵はオスが自分のお腹で育てて子を産むという。

 とっくの昔から男女共同参画・男性育児休暇・夫婦共同養育をやっている。人間の男が出来ていないことを、太古の昔から既に実践していることを知って頭が下がった。

 形は遠慮しておくが、考え方には見習うことが多い。小さいけれども、度量の大きいタツノオトシゴのオスである。

 私のオトシゴは、今どこにいる?いやいや、そんな覚えはありゃしない。私は若い頃から、夫婦共同養育の模範亭主だったから。うん間違いない。ねっ、奥さん。
   (写真は、養育で力尽きた「タツノオトシゴのオス」) 

バラ園

2005年05月13日 | 季節・自然・植物



































 







 バラ好きの妻を連れて、バラに取り付かれている中学の同級生だった女性の家を訪ねた。

 岩国の、とある住宅街にその館はある。地元の人以外は通らない道に面して建っており、南向きの明るく広い庭がある。

 家の前の広場に車を止めて降りた途端、えも知れぬふくいくとした香りが既に辺りに漂っていた。

 門のそばにはつるバラがからみ、それに続く40坪の庭は、本当に所狭しといわんばかりに、ばら・バラ・BARA・薔薇である。

 彼女は、1年の殆どをバラと「暮らして」いるらしい。手入れの大変さは、バラを育ててみれば直ぐ理解できると妻は言う。

 バラの花は、夜明け直後が1番美しく、毎朝5時に起きて見て回っているようだ。私は、ただ美しいとしか言えなかったが、バラ好きのふたりの談義は、お茶をよばれながら延々2時間も続いた。

 知る人ぞ知るバラ園を、毎年密かに楽しませてくれる彼女に感謝しながら、胸いっぱいに甘い香りを吸い込んで車に乗り込んだ。

 家に帰った途端、留守番をしていたハートリーが、ほうじ茶のようなこうばしい香り?を発しながら跳びかかってくる。ベルサイユの夢の園から、3人3様のばらばらな生活にまた戻った瞬間であった。
   (写真は、友宅の「薔薇・バラ・ばら」) 

テニス仲間F

2005年05月12日 | 生活・ニュース
 今日も私のテニス仲間の紹介をしたい。やはり会社で一緒だったFさん。定年退職をして2年が経つ。それからの生き方を模索していたが、今は大活躍の毎日である。

 ひとつには、市のパソコン教室のボランティア先生。技術があれば誰もがなれるというわけではないようだ。

 彼は退職後、計画を立てて研修を受け公的資格を取得し、市のパソコンボランテァに参加して、毎月大忙しの様子である。

 最近は、出張講座と銘打って、開講を希望する自治会を回っての講習会も開催し、好評を博している。このボランティア仲間も徐々に増え、充実した陣容・講座になりつつあるという。

 また一方では、錦帯橋で観光ボランティアというものもやっている。厳しい講習を受け、そのあとの実技訓練をし、晴れて正規の観光ボランティアになったと聞いた。

 数々の名所・旧跡・史跡・謂れなどの記憶力もいる。体力もさることながら頭がしっかりしていなければ、期待に応えることは出来ない。

 先日はなんと観光案内の途中、橋の上で得意の自作詩吟まで披露して魅せたという、機知に富んだボランティアをやっている。

 これら何れも、初対面の人を相手にするボランティアである。笑顔を絶やさず、優しく・親切に・相手の気持ちに立っての活動が基本であろうと思われる。

 定年退職後の彼は、まさに水を得た魚のごとく、生き生きと毎日を送っている。手のすいた時にやっと、我々テニス仲間と遊んでくれる。

 自らの力で、いい生き方を見つけ出したものだと感心している。その生き方に刺激されて、私も私なりの小さなボランティアに励んでいる。彼のように、いつも前を向いて歩いていたい。
  (写真は、緑の風薫る詩吟舞台「錦帯橋と城山」)