十年も前から、我が家の周りから田んぼや小川がなくなっていった。大きな建物や立派な駐車場が出来たりで、地面がアスファルトに変わっていった。
以前にはこの季節、ベッドに入ると喧しいほど聴こえていた「げろげろ ぐぐー」という心地よい蛙の歌は今は聞くことはない。
先日、利息の付かない預金を引き出すために駅前の銀行に出向いた。駐車場に車を止めて裏口から入ろうとした。
ビルの谷間になった日陰に、エアコンの室外機が置いてあり、その上に一匹の雨蛙が陶器の置物のようになって座っていた。
そういえば鳥獣戯画以外、蛙が立っている姿なんぞ見たことがない。手の内を見せないよう、両手は胸の下に隠している。
老眼鏡でもはっきり見える至近距離に顔を近づけても平静を装い、よそを向いたりはしない。首がないから向けないのか・・・。
お礼の気持ちで一枚デジカメに収めた。更にアップで撮ろうと近づいた時、ぴょんと跳ねて小さな植え込みに紛れていった
今迄しみじみと蛙の目なんぞ見たことはなかったが、良く見ると、本当に優しい目をしている。私のようにいつも微笑んでいる。
見方によっては達観した高僧のように見えなくもない。あんなビルの谷間に生活の基盤を置くなんて、どんな心境からだろう。
その晩ベッドに入ったとき、遠くから微かに懐かしいなき声が聞こえてきた。果たして何がコウソウしているのやら。ケロケロ。
(写真は、久しぶりに会った高僧「雨蛙」)
以前にはこの季節、ベッドに入ると喧しいほど聴こえていた「げろげろ ぐぐー」という心地よい蛙の歌は今は聞くことはない。
先日、利息の付かない預金を引き出すために駅前の銀行に出向いた。駐車場に車を止めて裏口から入ろうとした。
ビルの谷間になった日陰に、エアコンの室外機が置いてあり、その上に一匹の雨蛙が陶器の置物のようになって座っていた。
そういえば鳥獣戯画以外、蛙が立っている姿なんぞ見たことがない。手の内を見せないよう、両手は胸の下に隠している。
老眼鏡でもはっきり見える至近距離に顔を近づけても平静を装い、よそを向いたりはしない。首がないから向けないのか・・・。
お礼の気持ちで一枚デジカメに収めた。更にアップで撮ろうと近づいた時、ぴょんと跳ねて小さな植え込みに紛れていった
今迄しみじみと蛙の目なんぞ見たことはなかったが、良く見ると、本当に優しい目をしている。私のようにいつも微笑んでいる。
見方によっては達観した高僧のように見えなくもない。あんなビルの谷間に生活の基盤を置くなんて、どんな心境からだろう。
その晩ベッドに入ったとき、遠くから微かに懐かしいなき声が聞こえてきた。果たして何がコウソウしているのやら。ケロケロ。
(写真は、久しぶりに会った高僧「雨蛙」)