写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

運否天賦(うんぷてんぷ)

2021年03月12日 | 生活・ニュース

 徳川家康の良く知られた遺訓がある。「人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ」という意味のことが書かれている。

 昨日、いつものように奥さんと2人で裏山の散歩に出かけた。その都度、夫婦連れや仲間と連れ立って上る何組かと挨拶したり、少し立ち止まってその日の天気やよもやま話をしたりする仲となっている。

 裏の団地に住むKさんが、白いスポーツウエアを着て、竹の杖を突いて下りてくるのと出会った。1年以上も顔を見ることはなかったが、元気そうな足取りである。お母さんと2人だけの住まいであるが、5年前にお母さんが脳梗塞で倒れたあと、1人息子で独身のKさんが自宅で面倒をみていることは以前聞いていた。

 「お母さんはどんな様子ですか?」と聞いてみた。相変わらず左半身は不随だが、週に5日はデイサービスに通っているので助かっていると、笑顔混じりで話してくれる。Kさんの顔色もよく、大変な苦労もあるのだろうが顔に出すこともない。

 別れ際に「わしゃあ、若い頃にゃあやんちゃして、お袋には随分苦労をかけたが、今、もとを取られよるよ」と笑う。すかさず私は「人間の一生は、最後になると、苦労と楽の帳尻が合うといいます。いろいろな苦労は、やってくる時期が早いか遅いかだけで、あなたは今、その帳尻を合わせているのでしょうね」と言うと「そうかもしれんね」と笑顔で手を振って別れた。

 長い人生である。いいことばかりの人生なんてありえない。逆に、悪いことばかりの人生もない。人は苦労して生きているときには、きっと楽な時が来ると信じて生きていく。楽に生きているときには、いつやって来るか分からない苦労を最小限に出来るような生き方を心掛けて生きていく。

 そのあとは運を天に任せるしかない。運否天賦というではないか。時はまさに入学試験の合格発表の季節。ベストを尽くした後はまさに運否天賦。合格したからと言って奢ることなく、失敗したからと言って落胆することはない。「人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなもの」である。頑張ってさえいれば急に荷が軽くなる日はきっとくる。