ここ2、3日は何かと忙しく夕方の散歩もままならなかったため、身体が少し重くなっていた。これではいけない。日曜日の午後、天気も良し。ストックを持ち出して裏山に向かった。標高150m、平家の落人が住んでいたといわれる集落に向かってゆっくりと登っていった。
30分も歩くと集落の入り口の桜ガ峠に着く。小さな虚空蔵菩薩堂の前で手を合わせていたとき、キューンというモーターが回る音が集落の方から聞こえてきた。その方向へ近寄ってみると、畑の隅の木立の下に手作りの小屋が建っている。私と同年輩の男が一人で何やらやっている。
「何をやっておられるのですか?」好奇心旺盛に聞いてみた。「クロチクの油を抜いているんですよ」「クロチクってなんですか?」「これがクロチク。竹の一種で、いろいろな工芸品を作るものですがね」と、丁寧に答えてくれる。「見せてもらっていいですか」と言いながら、小屋の前に行った。
クロチクとはタケ類の一種でハチクの仲間であり、生えたときは緑色であるが,秋ごろからメラニン色素が増えて黒色に変わる。色の濃淡や変り方は立地で変わり、日当たりのよいところでは鮮やかな黒色となる。たわみぐあいがよいので釣竿に用いたり工芸品の素材となる、と話してくれた。
男がやっていた作業は、黒竹の油抜きで、そういえば小屋の前に、これまた手作りのドラム缶大の窯が据えてある。これで油抜きしたものを、5cmくらいの長さに輪切りして、大竹和紙で作った飾り物の台として使う。商品は大竹和紙工房というところで販売していると言った。どうやら大竹和紙の保存に一役買っているように見えた。
キャップをかぶった優しそうなその男の顔を見ていたら、「ひょっとすると、あの人か?」と思い聞いてみた。職場が違い付き合いは全くなかったが、現役時代同じ会社にいた人であった。小屋の上の方を見ると「武竹庵」と墨で書いた看板が掛けてある。そのあたりは私と共通したところが垣間見える。お互いが改めて自己紹介をしあい、日を改めてゆっくりとコーヒーでも飲みながら話し合うことを約束して別れた。艶消しの黒い竹が、人生の楽園を楽しんでいる男との縁をつないでくれた。