写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

見れども見えず

2011年05月26日 | 生活・ニュース

 10日前、緊急入院していたクラシックなBMWが、再び我が家に帰って来た。遠出しているところで、ラジエーターの破裂という未曾有の大トラブルに見舞われたが、元気な姿になって戻って来た。
 買ってから14年、走行距離は13万キロ弱。外車は電気系統が故障しやすいというが、それほどでもなかった。買ってすぐ、エンジン制御のコンピューターが異常となった。取り替えるには十数万円かかると聞いたが、保証期間をほんの少し過ぎていただけなので無償で交換してもらったということがあった。

 あとはデジタルの時計が表示されなくなったり、フォッグランプが切れたり、ブレーキランプのスイッチが作動しなくなったりなど、比較的小さなトラブルばかりである。そんな中、今回は突然のラジエータ破損という大トラブルであった。

 私が初めて車を買ったのは昭和41年(1966年)、三菱コルト1000であった。あの頃の車はいろいろと故障も多かったが、ラジエーターからの水漏れというものもよくあった。どこの町にも「ラジエーター修理」という看板を掲げた専門の修理屋さんが数軒あったくらい需要もあったのだろう。
 当時のラジエーターはすべて金属製で、防錆剤などを入れてきちんと水処理をしておかないと、腐食して穴が開く例が多かった。水が漏れ始めたら、修理屋さんはハンダを使って直していく。そんな昭和レトロな時代はとっくに終わっていたと思っていたとき、この度のトラブルであった。

 ボンネットを開け、壊れたラジエーターをその気で見て驚いた。ヘッダー(集合管)の材質が、金属ではなくプラスチックである。昔とは違っている。腐食はないだろうが、入り口ノズルがぱっくりと大きく割れている。14年という年月、熱や振動による経年劣化に違いない。

 このたび私が何よりも驚いたことは、14年もの間、時々ボンネットを開けてエンジンルームを点検していたにもかかわらず、ラジエーターの材質がプラスチックに変わっていることに全く気がついていなかったことである。「見れども見えず」とはまさにこのこと。何を見ても、見る気で見ないと、ものの本質は見ていないということを再認識した。