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古代からアスワン周辺はピラミッドや神殿に用いられた花崗岩の産地で、
ここから切り出された石材はナイル増水時に船でエジプト各地に運ばれました。
アスワン郊外にある古王国時代から開発されていた石切り場には、
今でも切りかけのオベリスクが残っていました

その長さは約42m・・・
完成していれば、現存するオベリスクの中では最大級の物ですが
製作中にヒビが入ってしまったため、そのまま放置されたようです。
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まずは一同腰をおろし、モモちゃんの勉強会から始まりました。
オベリスクはまず切り出す大きさに溝を作り
そこに木製のくさびを打ち込み
水をかけて木材が膨張する力で亀裂を生じさせ切り出すとか・・・
切り口はほとんど凸凹がなく滑らかに切れるそうです

世界中に現存しているオベリスクは合計で30本だといわれています。
そのうちオベリスク発祥の地、エジプトには7本しか残っていません。
「たくさんのオベリスクがエジプトには在ったのに、そのほとんどを戦利品として盗られました」
とモモちゃんは残念そうにつぶやいていました。
古代ローマ帝国がエジプトを支配下に収めたとき、
エジプトから50本ものオベリスクを本国ローマに持ち帰ったと伝えられていますが
その殆どが現在発見されていない状態で、ローマには13本のオベリスクが残されているのみです。
そのほかの10本のオベリスクに関しては、
イタリア各地、トルコ、イスラエル、フランス、アメリカ、イギリスなどに点在しています。
フランス・パリのコンコルド広場のオベリスクも有名ですね。
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モモちゃんの説明が終わってから、各自石切り場の丘を登りました。
明らかに溝が掘られ表面が滑らかな長い石が横たわっています。
以前はこのオベリスクの上に登れたようですが、今は立ち入り禁止・・・
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更にひと登りするとアスワンの町が見渡せました。
乾いた風は爽やかでしたが、照りつける太陽が強烈で、みんな帽子やフードを目深くかぶります。
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下を見下ろすと私たち仲間4人の影か見えています。。マウスオンでご覧下さい

「みんなでハ~イ



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石切り場のてっぺんから、ヌビアの人々が暮らす家々が望めます。
もともとエジプトとヌビアはそれぞれ独立した別の国でした。
広大なヌビアの大地は金や銅を初めとする鉱物資源に恵まれていたため、
ヌビア人は小さな集団を形成していました。
現在ヌビアという国は存在しませんが、年中行事や冠婚葬祭、音楽や建築、衣装に見られるスタイル
エキゾチックな風貌などエジプトとは違う、ヌビアとしての独自性が色濃く残っています。
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石切り場の丘を下ってお土産屋さんの並ぶ通路を通り、
トイレに寄ってからバスに戻ると「ランチボックス」を手渡されました。
これからいよいよ280km南にある、エジプト観光のハイライト「アブシンベル」に向かいます。
午後12時半、すべての観光バスは軍団になって、パトカー先導で行くようです。
エジプトではイスラム原理主義のテロによって亡くなった人は、
1992年から98年までにかけての6年間だけでも観光客地元民含めて1100人にものぼるとか・・・
特に1997年のルクソールの「ハトシェブスト女王葬祭殿」での出来事は戦慄でしたね。
日本人観光客10人を含め、68人がテロにより亡くなりました。
それ以来観光客は激減、特に日本からのツァーはいつまでも再開されず
観光立国のエジプトには多大な痛手となったそうです(そこがテロリストの狙い目?)
それで日本大使館と話し合いが行われ、このようなパトカー先導で行く措置がとられたとか・・・
モモちゃんに言わせると
「パトカー先導


「おもしろ~い

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警察官の見送りを受け出発です。
バスの中からはパトカーの姿は見えませんから、物々しさは特に感じられません。
たとえテロの心配がなくても、このようなアラビア語の標識では、
オーストラリアのようにレンタカーを借りて個人で行こうにも無理がありますね。
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こちらは速度標識でしょうか・・・
どの車も凄いスピードで走り、守られているとも思えませんでした。
朝ごはんは、早朝のカイロ空港でお弁当のパンとチーズとヨーグルトを食べただけですから
流石にお腹がすきました。
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こちらが「ランチボックス」の中味です。
炒めご飯とコッペパン・・・
パンの間に鳥の唐揚げをちぎってピクルスと一緒に挟んで食べたら、それなりに美味しかったですね。
後の席に座っていた泉アキさんが覗き込んで、「私、青唐辛子が大好き!」と言うので
お分けしましたわ。
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広大な砂漠の中に送電線がどこまでも通じていました。
アスワンハイダムが出来て以来、有り余るほどにエジプトの電力事情は良くなったそうです。
砂漠街道をバスは速度を増して走ります。
その内、皆がコックリコックリ舟を漕ぎ出しました

この2日間、ほとんど寝る時間がありませんでしたものね。






ご報告です。
全身麻酔で行う父の二泊3日の検査入院の予約を来週に入れたのですが、
不安がいっぱいで眠れない日が続き・・・
一昨日、「あなたも真剣に考えて!」と弟を誘いだし、一緒に病院の主治医と再度話し合いました。
先生も「無理には勧めません」と言ってくれましたので、結局キャンセルしてきました。
今更手術も出来ないのに、リスクの高い検査をしてどうするの!といった心境だったのですが、
一人で決断するには重すぎて、弟にも一緒に考えてもらいました。
これで後悔したとしても、2人で決めたことですから重荷は半分です。
姉妹がたくさんいらっしゃる方々を羨ましく思ったこの数週間でしたよ。
患部は前立腺なのでこれからホルモン療法に入ります。
まだまだCTスキャンやMRIの検査はあり、すべてはこれからなのですが・・・
取り合えず最初の難問は通り抜けてほっとしました。
昨日はピカピカのお天気の中、花のお江戸に繰り出し、そして明日はお花見に出かけます。
私も気持ち的にようやく春を感じることができました。
ご心配いただいた皆様、ありがとうございました

でもこれはエジプトからきたものではないようです。
中央線からもよく見えますね。
ランチボックス、なかなか豪華です。
ブータンのお弁当はボロボロしたパンにハムを
挟んだサンドイッチとゆで卵1個だけでした。
ブータンでは贅沢はいえません。
心が豊かならそれでいいのです。(笑)
お父さんのこと、それでよかったと思います。
あとはたびたび顔を見せてあげてください。
本人が「やる気」のある年寄りでない限り、身内はリスクを回避したほうが良いと思いました。
さて、アスワンの大地を眺められた感想は、いかがでしたか。
各地へ飛散した遺跡ですが…
今のエジプトの民族紛争や文化財への保護レベルを考えると。
世界中から見にくることが出来る博物館にあることが、負の遺産であっても良いことかな、と思ったりします。
ルクソールの悲劇。その後に来た日本観光客が笑いながら見てる写真がありました。
とても複雑な気持ちになって…
次はアブシンベルですか?
泉アキさん、見た目と同じで、人なつっこいんですね(^_^)v
日本はエジプトから搾取したものは何もないようですね。
この日は朝昼とも「お弁当ボックス」でした。
エジプトはパンが美味しいので、苦もなく食べられましたが、今回の旅はグルメの方には辛かったかも・・・
私は山のお食事で鍛えられていますから何でも平気です。
父の細胞生体検には悩みました。
このような結論を弟と出して、ひとまず気持ちは落ち着きました。
このアスワンは特に「ナイル川」の存在が大きく、思った以上に新しさと古さが融合している魅力的な街でした。
翌日再び戻りこの街で一泊しますので、街のご紹介を改めて致したいと思っています。
エジプトの文化財やミイラその他諸々が一番充実しているのは「大英博物館」だそうです。
19世紀にエジプトを統治していた国ですものね。
自分達の国の「王のミイラ」さえも外国に流出していて・・・
返還要求を出しているのに返されない現状にガイドさんは憂いていました。
アフリカ大陸の中では、そしてイスラームの国の中では比較的治安は落着いているエジプトですが、いつ何時何があるか分からないですから・・・
これらの文化財が、パキスタンのタリバンに爆破された「石窟の仏像」のようにならない事を祈るのみですね。
そのため観光客は厳しいセキュリティー検査を不平も言わずに受けているのですから・・・
オベリスク、言葉も初めて聞きましたが日本の自然の中でも見ることが出来るのですね。
山に登る人は好き嫌いを言わずに何でも食べることが出来るんですね。生きるためですね。
やはり私には出来そうにありません、残ね~~~ん。
お父さまの検査のこと、弟さんと二人で決断されたのですね。少しホッとしました。
どんなに考えたり悩んだりしても親との別れには後悔が付いて回ります。私は母に病名を言わなかったことを今でも悔やんでいます。もっといっぱいいっぱい悔やんでいます。
親と別れるってこう言うことかなって最近少しずつ納得するようにしています。
エジプトの民が作ったオベリスク。
大変な労力のものと思いますが、
かなりのものが流出とのこと。
そんなことになるとは思ってもい
なかったでしょうねぇ。
その石切場があるというのも大切な
遺跡と言えましょう。
南アルプスの鳳凰山の頂上には尖った岩石がそびえていて、ふもとから見ても良く分ります。
「鳳凰山のオベリスク」と親しまれ有名なのですよ。
今ではヘリコプターの活躍で、山小屋のお食事もお弁当もずいぶん贅沢になりましたが、昔はほとんどがカレー・・・
お弁当も日の丸弁当に近いものがありました。
ですからフリカケとかカンズメを持参したものです。
炭水化物さえとれば、人間、馬力は出るようですよ。
父の件では、全身麻酔の生体検査をやってもやらなくても後悔するだろうなぁ~と覚悟しました。
これからも延命措置はどうするか?とか・・・
身内はその場その場で決めなくてはならない事が出てくるでしょうね。
すべてはこれから始まります。
木製のクサビを打ち込み、それに水をかけて膨張させ切り離すなんて・・・
重機のない時代の知恵ですよね
大変貴重な遺産です。
古代文明発祥の地「エジプト」ですが、クレオパトラの時代以後ローマ帝国に支配され衰退していきます。
ご先祖様の遺産が世界中に流れて、ファラオたちの嘆きが聞こえるようです。
お父様の全身麻酔検査断念されて、良かったと思いますよ。
ご高齢ですから体への負担が大きすぎますものね。
一人で決断するのはとても困難ですよ。
弟さんがおられて良かったです。
オベリスクという言葉は恥ずかしながら
知りませんでした。
良い勉強になりました。
パトカー先導の観光バスですか。
日本では考えられませんが、
テロから身を守るためなら、
仕方ないですね。
昔のお嬢様方、4人のシルエットが可愛くて
ほほえましいです。
又出かけておりまして、↓も読み逃げでゴメンナサイ。
未知の国、エジプトですから欠かさず拝見はしております。
先ずは何よりもお父様の事、一つ大きな決断をされて良かったですね。
ベストの決断であったと思います。
何よりも精神状態不安定な中、これだけの紀行文を纏め上げてUpされる
このnaoママさんの精神力の強さ冷静沈着さに唖然とさせられます。ご立派ですね~♪
私ならきっと何も手付かずにおろおろするばかりだったと思います。
何分兄弟姉妹8人で育っていますから、何時も何処かに頼る癖がついているのかも・・・。
然し今では姉兄は高齢になり、一番身軽な私が上からも下からも頼られる存在になってしまいました。
ギリシャ神話は知れば知るほど面白いですが、次から次へと忘れてしまうのが悲しいです。
こうして纏めて置かれると後々までいい記念になりますね。
観光説明を聞きながらメモを取っておられたのでしょうか?旅先でも帰ってからもお勉強ですね。
naoママさんならではの事、関心しきりです。
有難うございました。
エジプト紀行を楽しく読んでいます。私はカイロ周辺を観ただけなのでこれからの展開にとても興味が湧きます。
naoさんのお父様、昔一度お会いしたことがあります。エリート技術屋さんという感じてはつらつとしていましたがもう90歳ですか?
可愛かった弟君も頼りになる年齢(50代?)になられたようですね。
naoさんも心痛で大変でしょうが、弟さんと協力し合って頑張ってくださいね。
私は5年前に田舎の母を亡くしましたが、病院のこととかのすべての段取りは近くに住む兄がしていました。私は時々見舞いに行くだけ、それでも遠くて大変と思っていましたが、naoさんを見ていて決断の大変さを思い知り、改めて兄夫婦に感謝ですね。
その節はPCのことやブログのことを教えていただきありがとうございました。失敗ばかりでご迷惑をおかけしましたが又教えてくださいね。
弟がいてくれて気持ちの負担が軽減されましたが・・・
息子一人しかいないわが身を振り返り、愕然とする思いです。
日頃から息子夫婦とは意思疎通をよくしておかないといけませんね。
オベリスクとは石でできた記念碑のような塔です。
エジプトでは神殿の前に建てられたようですね。
観光バスはパトカー先導と前もって知っていましたが、物々しさはほとんどありませんでした。
遺跡見物にもすべて持ち物検査がありましたが、テロに対してはこういった「ポーズ」が必要なのでしょうね。
今回「決断」の難しさを思い知りましたが、これからも何かと「決断」しなくてはならない事が起きてくるかと思います。
弟と連絡を取り合い、経験者と相談しながら進むしかありませんね。
一週間おきに一日4時間のボランティアのような仕事をしていますが、今回のことで辞める事を考えました。
でも仕事の4時間が良い気分転換になりましたので、もう暫く様子見としました。
ブログも同じで、真夜中に目覚めたりしたついでにPCに向かったりして気分転換しています。
旅行中は大まかなメモしか書き込んでいませんが、ガイドさんのお話が面白くて、そこの所を帰ってきてから調べたりしています。
もともと歴史や地理が大好きだったので、この作業はとても楽しいですね。
旅行は行く前に楽しみ、行って楽しみ、帰ってきてから叉楽しめると聞いています。
父のことでバタバタしながらも、三度目の楽しみを味わっていますよ。
寒暖の差が激しい昨今ですが、その後坐骨神経痛は如何ですか?
ジュンさんのエジプトは南部には行かなかったのですね。
南部はほとんどが壮大な「神殿巡り」でした。
私の両親は我が家から車で20分の所にある施設にお世話になっていて、そことの提携病院もさほど遠くではありません。
ですから頻繁に行き来が出来るというもので、地方に住む親の事はとても無理ですよ。
貴女はあなたなりに精一杯通っていたと私には思えますので、それで充分ですよ。
親御さんを看取られた皆様には色々な思いがあることを今回の騒ぎで知りました。
皆様「後悔」の念を抱いていられるようですが、その場その場で精一杯向かい合っていく事でヨシとするしかないですね。
私もすべてこれからです。
アマッタレだった弟も50代後半で、もうすぐ定年です。
未だに私のことを「お姉ちゃん」と呼びます。
両親のことは土日が弟、平日は私が対応しています。
母も最近は「脳梗塞」を疑われるほどに手足が動かなくなりました。
我が家は施設にお任せして楽させてもらっていますが、介護問題は皆で協力し合わないととても無理と悟った次第です。