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花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

「箱根旅行」と小田原城、そして災害の観光地を憂う

2015年09月15日 | 旅日記
鬼怒川の決壊のニュースに衝撃を受けてすぐに、東京湾を震源とする震度4の地震を体験
そして昨日の阿蘇山爆発のニュース・・・
桜島の噴火も活発で、島民の一部避難のニュースを聞いたのも最近だったような気がします。

災害列島日本で生活するには覚悟が要りますね。
もう一度、改めて避難袋を点検しましたよ。

今回の水害では日光の鬼怒川温泉にも被害が及び、これからの紅葉シーズン
観光客の減少が気になります。
阿蘇も然りで、風評被害が心配ですね。

そんな中、日光と並ぶ関東の観光地「箱根山・大涌谷」の立ち入り禁止地区が一部緩和され、
噴火警戒レベルをレベル3から2に引き下げられたニュースが唯一救われました。

お盆の家族旅行は「箱根」
息子は例年通り、夏休みの旅行は「箱根の保養所」を2泊予約しました。
毎年、我ら夫婦とお嫁ちゃんのご両親も一緒に集まる、恒例のイベントです。


去年は夫が入院したので我が家はパス
楽しみにしていた子供たちのために、息子一家だけ決行・・・

その間夫が重篤となり、息子は連日電車で病院に通ってきましたわ。


あれから1年、私は8月15日の一日だけ参加、午後から電車で箱根に向かいました。
横浜のお盆は7月ですが、それでも旧盆中誰かがお線香をあげに来るかもしれない・・・

それに元気な孫たちと一緒の行動は、3日前に木曽駒ヶ岳登山をしてきた身には到底無理


保養所から見える箱根山・・・
この山の向こうが大涌谷だと思います。


登山電車の駅まで息子に車で迎えに来てもらい、私は午後4時頃合流・・・
すぐに温泉に入って、皆と夕食とを楽しみました。

そして食後はお部屋で全員揃ってカード遊びの「ウノ」で勝負・・・
(昔はもっぱらトランプ遊びが主でしたがね)

孫たちは前日、朝から夕方まで熱海の〇〇ホテルのプライベートビーチで海水浴
そしてこの日は箱根の「ユネッサ」でプールだったそうです

そしてお嫁ちゃんのご両親は二人で「箱根湿生花園」と「ガラスの森美術館」に行ったとか・・・
私も夫と何回か行きましたよ。

日頃は粗食の私、どのお料理も美味しいわビュッフェスタイルの朝食もしっかりと戴きました


いつもは8人だったこの集まり、今年から7人になりました
テーブルに座るのもバランスが悪いですね。

ロビーでは孫たちが喜ぶ縁日・・・朝ぶろに入って朝食後に卓球です。


ば~ばはハー君と真剣勝負、その後オトータンが相手をしてくれました。
以前は父子で真剣勝負をしていた息子こちらで紹介しています。
母親には優しい玉を打ち返してくれましたわ。

午前10時半に宿を出発し、息子一家は箱根湯本のアスレチック公園で遊ぶとか・・・

お嫁ちゃんのご両親はそのまま横須賀に帰るようです
冬に体調を崩したお母さんも元気になられて良かったですね。


私もアスレチックに誘われましたが、木曽駒ヶ岳登山の疲れも残っていて
「お父さんが待っているから、電車で帰るわ」と、息子の車で湯本まで行き駅で降ろしてもらいました。

やはり相方がいないということはとても淋しいことなのです

この時の箱根山はまだ噴火警戒レベル3で、箱根の観光地は閑古鳥が鳴いていると思っていましたが、
お盆の期間中は車も渋滞、保養所も満室でした。


箱根湯本から箱根登山鉄道に乗り、小田原に出ました。

このまま家に帰るのも味気なくて、デジイチ持ってきたのだから、月に一度の写真サークルに
提出する作品を狙わねばと、駅から歩いて10分の小田原城に行ってみました。


小田原城の天守閣はナント、改修工事中で中には入れませんでした。
工事期間などの詳しい情報はこちらでどうぞ

「小田原城」散策
15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって
関東での勢力を拡大していきました。


小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ
総そうがまえ構の出現に至ってその規模は最大に達しました。


しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより
北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。


この日の箱根はうす曇りで涼しかったのですが、小田原まで下ると暑い暑い


それでも若い方々の見学者が、それなりにいましたわ。

銅門(あかがねもん)

馬屋曲輪(うまやくるわ)から二の丸に通じる位置にあり、二の丸の正門にあたります。


地元民のお散歩コースですね本丸には常盤木門、鉄門の2つの城門がありました



常盤木門

このうち常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点であったために、
他の門と比べても大きく堅固に造られていました

ファミリー向けの催し物もあります暑さで思わず食べた「氷イチゴ」


あまりの暑さに撮影意欲も減退し、サークルに持って行けるような画像は撮れませんでした


重機が並ぶ小田原城、この時は辛うじて全景が見られましたが、
ホームページによると今は幕で覆われているらしい・・・

息子が高校に入学した春に(今から28年前)、旅行会社の広告を担当していた夫が
「伊豆の高級ホテルに泊まらせてやる」と言って、家族で二泊三日の伊豆旅行に行きました。

泊まったホテルは今はない下田の「黒船ホテル」だったような・・・
その帰りにこの「小田原城」を見学し、天守閣に登った覚えがあります。

その時のことを思い出しながら、私は電車で帰途に着きました。
案の定、弟と私の友人たちからお花が届いていたようで・・・
不在票が何枚もポストに入っていました。

旧盆が明けるとすぐに夫の一周忌
この一ヶ月、多くの方々がお線香をあげに来てくださったり
お花やお供物を送って戴いたりで、私は接待と礼状書きに追われていました。

皆様、夫の事を覚えていてくれてありがとうございました





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オフ会・今年も伊東で「夏合宿」

2015年09月02日 | 旅日記
9月がスタートしました。
秋雨前線の影響で、連日ハッキリしないお天気が続いています
あの眩しいまでの暑い「夏」はどこに行ったのでしょう

伊東で夏合宿(8月28日~29日)
恒例となったブログ友のラッシーママ家の伊豆・伊東にある別荘での集まり・・・
去年は夫の突然の死去で参加できませんでしたが、この夏は4回目の参加で行ってきました。

4ヶ月前には「ワラビ採り」でやはり一泊していますから、もうすっかりお馴染みの「まりも荘」です。


はるばる大阪から参加のlilyさん、地元静岡のビオラさん
そして7年間皆勤賞の銀河さんと熱海で集合し、いつもの電車で12時2分に伊東駅着
ラッシーママさんのお出迎えを受けました。

すぐに案内されたのは駅近の活き魚料理のお店・・・
ママさんご夫妻が最近見つけた、安くて新鮮で盛りが良いのが特徴
すでに5~6人が並んでいましたわ。


ご夫妻が並んでいる間に我々は海辺に出てみました。
八月とは思えない涼しさで寂寞感が漂っています。

初島が見えていましたが・・・
軍艦らしき船が錨をおろした暗い海では遊ぶ人影も見られませんでした。

ママさんが呼びに来て、我々6人で打ち切り
ギリギリセーフでランチにありつけたようです。

分厚い切り身のお刺身にビックリ・・・金目の煮つけもアジやエビのフライも美味しい


6人分4種類の定食を頼んで皆で戴きましたが・・・
3皿頼んだお刺身は食べきれない量で、これで1人前1100円とは驚きですね

ママさんご夫妻が紹介してくれた五味屋さんもふしみ食堂も、お魚大好き人間の夫と訪ねています。
この新鮮で盛りの良いお刺身定食を「夫にも食べさせたかった」と、ラッシーママさんと2人で呟きました。

ラッシー家の別荘「まりも荘」へ
今年で7回目の夏合宿ですが、クーラーを入れないのは初めてだそうです。


お腹がいっぱいでしたが、テーブルにはママさん手作りのお料理が並びます。
(我が家の畑で採れたキューリとトマトを使った春雨サラダを持参しました)

パパさんと私はウィスキーとワインをちびりちびり・・・
そして6人で喋る!喋る!喋る!

食べて飲んで喋って気が付いたらもう12時近く
順番にお風呂に入って夜中の2時に就寝

私たち居心地の良い居間で、12時間も語り合っていたわけです

奥野ダム「松川湖」ハイキング(8月29日)
翌朝は7時半ごろ息子からの電話で起こされた
「車を貸して欲しい」ですって・・・

皆様安眠妨害で失礼しました


朝はノンビリコーヒーを飲みながらパン食を頂きました
そして10時半出発でハイキングです。


途中コンビニで昼食用のおにぎりと飲み物を買い
11時前にダム湖に到着しました。


奥野ダムは、温泉街の中心を流れる伊東大川(通称:松川)の上流に
治水・飲料水の確保のために作られた伊豆半島唯一の本格的ロックフィルダムです。


一周4800mの周遊道を時計回りに歩きます。


奥野ダムによって生まれた湖が松川湖だそうです。
緑豊かな中にひっそりと佇んでいました。


ダムを作ることにより湖底に沈んだ25軒の家があったようです。
故郷を忘れずにとの思いの碑に、住民の名前が記されていました。


「センニンソウ」があちこちに咲いています。


緑の中を歩いていると、正面の斜面に鹿が三頭
皆カメラが間に合いませんでした

テーブルとベンチが備わった東屋で昼食ですパパさんのザックから魔法のように現れた品々・・・


何度も通った伊豆ですが、こんなに良い所があるなんて知りませんでした。

普通の伊豆観光では見逃すような素敵な場所を次々に見つけるママさんの
好奇心が素晴らしいです


パンパスグラスが咲いていました。

この先には「ロウバイ広場」もあり、桜の木も多く見られ・・・
季節のお花も楽しめそうです。

「水遊びの広場」もあり、孫たちを連れてきても喜びそうですね、

シニアのブログ友同士の5人ですおっぱい山を背景にパパさんが撮ってくれました。


我々の話の輪にも加わって、運転手兼カメラマンに徹してくれる優しいパパさんが居るから
7年も「夏合宿」が続けられたのだと思います。

本当に良いご夫妻です。


天気予報ではマークがあったのですが、ここまでお天気は持ちました。
スタート地点まであと300mという所で雨が降りだしましたが、さして濡れずに済みました

2時過ぎに別荘に戻ってきました。
そして再びお喋りです。

ラッシーママ家のお庭で生った小玉スイカちゃんと赤く熟しています・・・


パパさんが野菜クズで作っている堆肥から自然に芽生えた、貴重なスイカです


お喋りをしているとソーメンが出されました。
台所仕事もスピーディーで手際よく、さりげなく出されるお料理には愛情が籠っていますね。

まるで実家にいるような居心地の良さでのんびりさせていただきました。

ラッシーママさんご夫妻には感謝!感謝!です。
そして楽しい二日間を共に過ごしたブログ友の皆さん、ありがとうございました。

「木曽駒ヶ岳」登山記の最終章「千畳敷の花々」をUPする予定でしたが、
次回とさせていただきます。









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「稲取細野高原」山菜狩り・伊豆オフ会(2)

2015年05月07日 | 旅日記
お天気に恵まれた大型連休が明けました。
私は3日に奥多摩の山登り、そして6日に孫のハー君のお誕生会で
息子宅に両家のじぃじ、ばぁばが招待され集まりました。

今月で11歳になるハー君は、見る見る間に背が伸びて、
身長155㎝の私が追い越されるのも時間の問題ですね。

オフ会2日目・「稲取・細野高原」へ(4月24日)
さて、ブログ仲間のラッシーママさんの別荘に誘われた
「伊東・春合宿」の二日目を記したいと思います。

この日はママさんお手製のパンの朝食を戴いてから、朝8時過ぎにパパさんが運転する車に乗り
ワラビ採りの目的地「細野高原」に出発です

途中コンビニで各自お弁当を買い、9時20分頃に細野高原に着きました。


受付で入山料500円を支払い、N0④の八角形のトイレ前の駐車場に行くことを指示され
中に入りました。

あまりの広さに圧倒される思いです。
ラッシーママさんが「これがワラビよ」と教えてくれました。


「まずは三筋山の頂上を目指したいわね」とだんだんさん。
ラッシーママさんとパパさんは下で採ることにして、私たち3人は斜面に取りつきました。

この広さの中にご夫妻の姿が豆粒のように見えています。
左手のトイレと駐車場の車が分かりますでしょうか?


細野高原は三筋山山麓に広がるすすきの草原で、面積は125ヘクタール(東京ドーム26個分)。
毎年2月に山焼きを行い100年近く維持してきました。

昔は牧場だった所を今では東伊豆市が管理していて、年々整備されているようです。

これがワラビ、葉っぱの少ないのを探さねばこちらはワラビの赤ちゃん・・・


まだススの残るススキの間に、たくさんのワラビが芽を出していました。

可愛いスミレやトウダイ草も見られます。




辺り一面ワラビだらけで採り放題
急な斜面の直登も欲が勝って苦になりません。


右手北側には前日に小室山から見た「天城連山」の裏側が見えていました。
あの白い点々は?


ズーミングしてみると、別荘が建ち並んでいました。


ようやく鞍部に到着、ここで一休みします。
山菜採りは腰に来ますね。

だんだんさんと銀河さんの収穫物です。凄い海が見えて、頂上まであと少し・・・


ここでラッシーママさんから「お昼にするから降りてきて」とTELがあり
三筋山頂上は諦めて、三筋下の⑤のトイレ前から車道を下りました。

車道の脇にもワラビがにょきにょき・・・
採りながら下りましたよ。


木陰でコンビニで買ったオニギリを食べました
ラッシーママさんが持ってきてくれた茹で卵や文旦も美味しい

午後からも1時間ほどワラビ採りに再挑戦・・・
採っても採っても採り切れないほどのワラビにとにかくびっくりです

腰が痛くて午後2時でギブアップでした


まだあまり知られていないのか?
人も少なくてワラビは採り放題・・・

秋のススキ祭りは箱根の仙石原の何倍もの規模で、素晴らしいらしいです。
良い所を教えていただきましたので、次回はご近所仲間を誘ってみようと思いました。

帰路ファーマシーに寄ってもらって、銀河さんとアク抜き用の重曹を買いましたよ。。


喉が渇いたので、ファミレスで一休み・・・
運転をしてくれたラッシーパパさん、お疲れ様でした。

4時過ぎに「伊東駅」まで送ってもらって、パパさん&ママさんとサヨナラです。
楽しい2日間をありがとうございました

夜の7時過ぎに帰宅し、それからが大忙し・・
大きめの鍋三つを取りだしてお湯を沸かし、重曹を入れて一晩ワラビを漬けました。

それでも4分の一が処理できず、翌日朝一番でスーパーに走り
再び重曹を買ってアク抜きです。

一日かけてご近所さんや息子の所に配りました。
そして早速作った卵とじが美味しかったこと

残りは冷凍して、日々みそ汁に入れたりお蕎麦に入れたりしています。
初めての「ワラビ採り」、忘れられない思い出になりました。


      

この4月でマイブログも10周年を迎えました。

この10年はあまりにも色々なことがありすぎて、私の状況もすっかり変わりましたが
5年近く夫婦で通ってステイした「パース滞在記」が残せて良かったです。



ブログを始めてすぐに知り合ったミサさんから、綺麗なお花が届きました。
「貴女に贈るのよ、元気を出してね」と・・・


ダイニングテーブルの前のTVの横に飾りました。


大きなカーネーションのようなお花ですが、八重のトルコキキョウだそうです。
ミサさん、ありがとうございました。


主人の遺影の横にも添えました。
そろそろ息子のお尻をたたいて「お墓探し」をしなくてはと思います。

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雪の河口湖・一泊旅行(3)

2015年02月07日 | 旅日記
立春が過ぎたというのにまだまだ寒い日が続いています。
まさに「春は名のみの・・・♪」で始まる早春賦の歌の通りですね。

河口湖「大石公園」(1月18日)

河口湖北岸の「河口湖自然生活館」に隣接する「大石公園」から望んだ富士山です


「逆さ富士」の隠れた名所で、特に冬の早朝、風がなく湖面が穏やかな日には
見事な逆さ富士が見えるようです。


私たちは10時過ぎまでホテルでのんびりしましたので
この公園に来たのは11時近くで・・・

湖にはさざ波もたち、逆さ富士は到底無理でした。


望遠レンズで富士山を観てみると、朝には強風で激しく舞っていた
ブリザードは収まっていました。


孫たちは雪にまみれて遊びに夢中・・・

ここは富士河口湖町初夏の名物イベント「河口湖ハーブフェスティバル」の大石会場としても有名で
6月中旬から7月中旬までは、雪をかぶっていない夏富士と、
じゅうたんのように植えられたラベンダーが一緒に楽しめて

7月には周辺でブルーベリー狩りも楽しめるようです詳しい情報はこちらです。


「自然生活館」でお茶していくことにしました。
私と息子はコーヒー、孫たちはブルーベリーソフトです。

デッキからは見事な風景が眺められます。


流石に世界遺産の「富士山」は人気のようで、
海外からのお客様、特に中国や東南アジアの方々の姿が目立ちました。

息子の仕事が溜まっているそうで、この日は早めに帰ることにします。
河口湖の旅の二日目の見学地はここだけとしました。

            


朝ごはんはホテルでたくさん食べたし・・・
(ご飯大好きな菜奈ちゃんは自分でよそって4杯もお代わりしていましたね)


このオーナーズホテルは去年の5月に新しくオープンしました。

去年の夏に主人と初めて泊まる予定だったのに、突然逝ってしまったので
代わりに息子と一緒に来て、その思いを果たしましたが・・・

実はそれだけではなく、今回私は現実的な手続きもありました。

関西の準大手ゼネコンが売り出した会員制のオーナーズホテルの会員権
軽井沢のビラの権利の一部を、バブルが始まった頃に父が義理で買いました。

母が車椅子になった今から15年以上前に「もう行けないからどうにかしてくれ」と言われ
私が継ぎました。

まぁ~ゴルフの会員権と同じような、バブル時代のあだ花で
売るに売れないシロモノになっていたわけです。

私がオーナーで主人がサブオーナー、この二人は全国にある数十軒の系列ホテルに
食事代だけで泊まれるのです(と言っても一人1万円前後)

月々の管理費、軽井沢町に払う固定資産税、そして修繕費積立金などを合計すれば
維持費は年に10万円は超えます。

息子が経費を半分持ってサブオーナーになっても良いような事を、最初は言っていましたが・・・
妻子はビジターですから、家族で利用したら結構高い宿泊料になります。

そして一番の決心のしどころは、主人の亡くなる3週間前に一緒に三泊過ごした
軽井沢のホテルに、私は辛くて到底足が向かないという事です。

TVで軽井沢の風景が流れただけでまだ涙があふれます
それで僅かな預かり金を受け取って脱退することに決めました。



そんなわけで、今回は権利書や印鑑証明などを持って諸々の手続きをしに行ったわけでもあります。
ホテルを去る時、支配人と担当の女性が見送ってくれましたが・・・

この30年近い間、両親や弟一家と皆で軽井沢や伊豆を利用した時の事や、
主人と2人であちこち泊まった日の事を思いだし、涙が出ました

このブログでも軽井沢に泊まって日本海までカニを食べに行ったり、
小布施や善光寺参りに行ったこと、はたまた志賀高原や草津白根山を歩いた事など
たくさん紹介しましたね。

一昨年は白川郷や五箇山見学の後、下呂温泉の会員制ホテルにも泊まりました。

こうして素晴らしい富士山を堪能した一泊二日の河口湖ドライブ旅行・・・
最後は河口湖インターから大月に出て、高尾から圏央道を走り
海老名で東名に入り、我が家近くのラーメン屋さんで昼食を済ませ帰宅しました。

圏央道~東名は主人と最後に走ったコースです。
海老名のサービスエリアで食事したことも、昨日の事のように覚えています。


           

寒い寒いとは言いながら、道端に菜の花が咲いて居ました。
春は三寒四温、顔をのぞかせたり隠れたりでやってくるようですね。


年賀状を頂いた方々に寒中見舞いで主人のことをお知らせしたら、
またまたお香典やらご丁寧なお手紙を頂き

私は礼状書きやお返しに追われていました。
まだまだ哀しみは引き戻され、吹っ切ることはできませんね。

ママ友から送られてきたニンジンジュース・・・新潟に住む高校時代の同級生から送られた甘エビ


皆さん、私の体を気遣ってくれているようです。

5日の積雪予報の日には鬱気味の私を心配して、ご近所仲間2人が我が家にお茶しにきてくれて
午後2時半から夕方の7時近くまで話は盛り上がりました。

友人たちに助けられています。ありがとう・・・




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雪の河口湖・一泊旅行(2)

2015年02月04日 | 旅日記
3日は節分、4日は立春で暦の上では春ですね。
私は一人で豆をまき、西南西に向かって恵方巻を食べました。

陽差しは大部春めいてきましたが・・・
またまた積雪の予報が出て、寒い毎日が続いています。


オーナーズホテルの部屋から眺めた朝の風景(1月18日)
裾野市のぐりんぱ遊園地で遊んだ翌朝
河口湖のホテルの部屋で、私は朝6時半に目覚めました。


ベッドから起き上がり窓のカーテンを開けると、左手に三日月が見えていて
東の空がオレンジ色に輝いていました。


群青色の空がだんだん白んできて・・・
黒いシルエットだった富士山の東側の山肌が茜色に染まりだします

富士山の真東にある我が家からは、この東側が正面となり
見事な赤富士が見えるのですが・・・


東側の山から太陽が顔を出しました


7時を過ぎると茜色は消えていき・・・
真冬の厳しいブリザードが吹き荒れる富士山に見入りました。


窓辺に掲げた主人と一緒に眺めた、およそ1時間の壮大な自然のショー
刻々と変わる富士山の姿に声も出ませんでした。

この頃ようやく息子や孫たちも起きてきて、皆で朝風呂に行きましたが・・・
この素晴らしい早朝の富士を見なかったなんて残念ね~

前夜楽しんだホテルライフ
前日はチェックイン後、中で行き来ができる角部屋の二部屋に荷物を置き
すぐにお風呂に入って冷えた身体を温めました

そして6時からお食事です。一日遊んで流石にお腹がすきましたね。


お正月の雰囲気が感じられる祝肴が並びます。
息子と私はまずビール
ジンジャーエールを頼んだ孫たちと4人で乾杯しました。

今年こそは良い年になって欲しい・・・

白子豆腐とお刺身が運ばれ、カニスキ鍋に点火ホタテとサーモンの酢味噌和えも美味しい!


全部で8種類のご馳走が運ばれましたが・・・

富士五湖と言えばワカサギでしょう・・・ひれ酒も一緒に別途注文しました。


他に海老芋と生麩、フキの煮物もあり、一皿づつの量は少ないものの
これだけ食べればお腹も膨れます。


こちらは「お子様ご膳」
お鍋は牛のしゃぶしゃぶでした。

ハー君は柚子ポン、菜奈ちゃんはコマダレが好みです。


最後のデザートはお子様がメロンとケーキ、大人がプディングでしたが
私はとても入らずお兄ちゃんに食べてもらいました。

こんなお茶目なお兄ちゃん・・・

スタッフのお姉さんに「可愛いから是非ジャニーズに入れば」と勧められ
「ヤダ、僕はサッカー選手になる」と答えていましたよ。

食後は広い方の部屋の窓辺に置いた主人の写真を前に息子と向かい合い
三つのコップに持ってきたビールを注ぎ

孫たちのキャッキャッとはしゃぐ楽しそうな声を聴きながら
息子としみじみ主人の思い出を語りました。

主人もきっと喜んでいたでしょう・・・その内ポンポンと花火の音が!


丁度この日から「河口湖・冬花火」が始まったようです詳しい情報はこちらです。
私はカメラを抱えて廊下に出て、富士山と反対側の窓から花火を撮りましたが・・・

初めて観た冬の花火・・・撮り方も分からずオタオタ


部屋に戻って再び息子と飲み直したら、良い気持ちになって
11時前にはベッドにダウンでした

いつもは精神安定剤を飲んで寝るので、夢などみないのですが、
この日は薬を飲まずに寝たせいか?、

初めて主人が夢に出てきました
(苦笑いしていましたね)

夜中の二時過ぎに一度目が覚め、丁度五か月前の真夜中に逝ってしまった主人を思いました。

でも、再び眠りの世界に戻れて・・・
朝の6時半に目覚めた時は、満ち足りた自分を感じました。

息子や孫たちと一緒にここに来ることができて
きっと私は精神的に落ち着けたのでしょうね


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雪の河口湖・一泊旅行(1)

2015年01月30日 | 旅日記
今週初めの2日間は春の暖かさでしたが、水・木曜日は真冬の寒さ
そして今朝(30日)目覚めてみると、雪景色が広がっていました。

三浦半島の付け根、東京湾と相模湾の間にある我が家は、午前十時には雨に変わっています。
今回はこのまま融けて明日は晴れるのでしょうか?

          

河口湖のホテルの窓から見た夕景の富士山・1月17日(土)

痩せて体力不足の上に、食事会も続いて少々疲れ気味ですが
私には1月中にどうしても行かねばならない所がありました。

毎年旧盆に実行していた息子一家と両方の親との旅行
昨年は主人の入院で流れました。

息子に「箱根の保養所はキャンセルして」と言った時、
すぐに退院できると思っていた主人は不服そうな顔をしました。

希望者がたくさんいてクジ引きだった保養所は
「行けない場合迷惑かかるから」と納得させ・・・

翌日の17日に2人で泊まる予定の、河口湖のホテルはキャンセルしないから
「早く元気になって行ましょう」と私は言ったのです。

結局主人は8月17日の夜に危篤となり、日にちが変わったとたんに逝ってしまいました

あれから丁度5ヶ月目の1月17日に、主人の遺影と同じ写真を持って
夫婦で泊まる予定だったホテルに、息子と孫たちと行ってきました。


目の前にドカンとそびえる富士山の頂上には、赤く染まった雲がぐるぐる廻っていました。

この日は晴れたり曇ったり、時々雪が舞ったりの
変わりやすいお天気でしたが・・・

ホテルの部屋から、これだけの夕景の富士山が見えただけでも良かったです。

一日目は富士山の裾野に広がる「ぐりんぱ遊園地」で遊ぶ
朝の8時に、息子のワゴン車で我が家を出発
東名高速を走り、御殿場インターから富士山の裾野を登っていきました。


富士山の大自然の中、体を使って遊ぶアトラクションが人気の遊園地です詳しい情報はこちらでどうぞ

メルヘンチックな家々が並ぶゾーンもあり小学生や幼稚園児は一日遊べます。


この日、オカータンは実家のお母様のお加減が悪くて
残念ながら不参加でした。

息子が子供たちを遊ばせ、私はもっぱら撮影係りです。


菜奈ちゃんはトータンとメリーゴーランドに乗り・・・
にぃにぃはトータンと爽快なゴーカートを楽しみました。

更に父子三人で楽しんだこのコーナーはとても気に入って2回も挑戦しましたね。




ばぁ~ばが付き合ったのは観覧車・・・
富士山の宝永火口が目の前でしたが、残念ながら頂上は雲に隠れていました。

その内雪もちらつきだし、私はレストランに避難です。

孫たちは更に、日本最大級の立体からくり迷路「ココドコ」や、巨大迷路アトラクション、
考えるアスレチック「ピカソのタマゴ」などのアスレチックに挑戦したようです。


そして食後には「スケートがしたい」と菜奈ちゃんが言いだしました。
「靴を借りたりするのだから、すぐに嫌だとは言わないでくれよ」と息子・・・

最初はトータンにへばりついて居ましたが何とか一人でも滑れるようになりました。


結局1時間以上初スケートを楽しんでいました。

私は目の前のレストランのストーブにかじりつき、時々窓越しに望遠で
3人の姿を追っていましたよ

子供は風の子元気な子

毎年暮れからお正月には3泊4日でスキーに行っているとはいえ
孫たちのガッツに驚きました

午後3時ころまで遊んで、河口湖のホテルに着いたのは4時を過ぎていました。
子供たちは車に乗った途端に眠ってしまいましたね


            

こちら横浜は寒いものの、雪ではなく冷たい雨が降り続いています

去年のブログを見直してみると、2月最初に薄っすら積もり
その後二週続けてドカンと積雪がありました。

今年も要注意ですね。


主人は両隣の雪かきもしていて、皆様に感謝されていました(去年2月の画像です)

今年は雪が降ったらこの道は歩けるのだろうか?と、防犯パトロールのお仲間も心配し
私も家に閉じ込められるのではないかと不安になりました

雪国の方たちには申し訳ない思いですが、これくらいの雪でも戦々恐々・・・
昨日から主人を思い出す場面も多々あり、感情が乱れています。

私は低気圧性鬱なのかもしれませんね



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富士山とミカン狩りを楽しむ

2014年12月21日 | 旅日記
超格安ツァーで中伊豆へ(12月5日)
心優しい友人たちが、私を元気づけるために声をかけて下さる機会が多くなり
私もウツ予防のためにできるだけ外に出ようと心がけ、忘年会や食事会などなどに参加

「通販の会員向けの無料のバスツァーに招待されたのだけど行かない?」という
話しを持ってきたのはカメラ仲間のSさん。

「同伴者は1人6480円なのよ」
「私は一人で行く気はないけど、あなたと一緒なら半額づつ分担して行っても良いと思うの」
「何しろわが街のTデパート前を8時出発が魅力よ」


で・・・
当日はこの見事な富士山が望めた絶好の旅行日和となりました


通販会社のお一人様無料のツァーとあって、最初に寄ったのは横浜市内の
「毛皮製品の取り扱い会社」
見るだけね。


それからお土産屋さんに二軒寄り、試食だけして
三軒目でランチタイム

シラスご飯とうどんのセット、期待していなかったのでお腹に入ればそれでよし
あまり食欲もない私ですものね。


でも宝永火口が目の前に見える美しい「富士山」が一番のご馳走で
私はザックに入れたままのデジイチを慌てて取り出しました

最後に目指すのは中伊豆・・・
私たちはもっぱらバスの中でお喋りを楽しみました。
Sさんも先月お父様を亡くされたばかりなのです。


小さな公園と言った感じのこちらが「足湯」を体験する場所らしい。


大きなジャカランタの木が数本ありました。

主人と5年通った西オーストラリアの州都パースで初めて見た思い出の花ですこちらでどうぞ

主人の告別式で流すスライドショーを作っていたお嫁ちゃんが
たくさんのアルバムを見ながら
「パースでのお義父さんが一番輝いているわ」と呟いていたのを聴きました。


伊豆長岡温泉近くにある無料の足湯が楽しめる公園です。

靴を脱いで、足のツボを刺激する遊歩道を歩きました。
「ひやぁ~痛たたたたぁ~」


足つぼウォーキングが結構効いて盛り上がり足湯でのんびりできました。




そして最後に行ったのが葛城山のすそ野に広がるミカン園


気候が温暖な伊豆だけあって、紅葉も始まったばかり・・・


葛城山に登るロープウェーが見えていました。

あのロープウェーには2度乗りました。
1度は主人と、そして2度目は短大時代の友人たち4人で・・・

主人とは葛城山から発端丈山へと縦走し、最後はミカン畑を急降下して三津浜に出ました。
そんなこんなを思い出しました。

40代で未亡人になった山仲間から「あなたはご主人とたくさんの山に登った思い出があるから良かったね」
というメールが届きましたが、
思い出がある分、その場を見るとジィ~ンとして涙ぐむ機会も多いのです


ミカンも5個食べればもうお腹がいっぱい
持って帰るのはご法度で、マナー違反です。

45分ほどミカン狩りを楽しんで、帰路に着きました。
夕方の5時前にはわが街に帰り着き、夕食用のお寿司を買って帰り
バスツァーで寄ったお土産屋さんで唯一買った、丸天の練り物をおつまみに

Sさんとお喋りと富士山を楽しんだ良い一日でした。

12月19日・「相模川」沿いから見た富士山

ブログ仲間の山小屋さんのグループと一緒に、寒川から茅ヶ崎までの相模川沿いを歩きました。

富士山も見る方向で姿かたちも少々違い、雪も増えていますね。
この日もお天気に恵まれました。
次回にご報告したいと思います。


信じられないような出来事が次々と私の身に起きた今年も
残り少なくなりました。

一人淋しく家にいるのも辛くて、今月は積極的に外に出て、
できるだけ気分転換をはかりましたが・・・

最後に体力が伴わず風邪をひいてしまい
ノドと鼻をやられてマタマタ抗生物質を飲む羽目になりました

でも・・・
頭痛のタネだった主人の事業の税金の申告を、お仲間のFさんと
組合のNさんのご協力を得て、今日ようやく税務署に出す事ができてホッとしています。



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軽井沢で休養(3)湿原の花々と浅間山周辺

2014年08月15日 | 旅日記
旧盆に入り台風一過の晴天が続くのかと思っていましたが、暑さは一段落
でも、ムシムシとした不安定なお天気が続いていましたね。

今日8月15日は終戦記念日、久しぶりにカラリと晴れ上がり蝉しぐれの中で朝を迎えています。
日中はさぞかし猛暑になることでしょう

あの湯の丸高原の爽やかな風の中で、花や蝶を撮影してからすでに半月が過ぎました。
その後の急展開の状況に何が何だかわからないような10日間となり・・・

あっという間だったような?、もうずっと以前の楽しい思い出になってしまったような?

湯の丸高原「臼窪湿原の花々」(7月30日)
前回紹介したキャンプ場の先にある湿原で見られた花々をUPいたします。


木道が整備され、10分程度で廻れる小さな湿原ですが
丸い姿の湯の丸山が見えるのが絵になる場所ですね。

左手に連なる烏帽子岳か見えないのがちょっと残念ですが・・・

群生で咲いていたニッコウキスゲアヤメはそろそろ終わりのようでした。


湿原は乾燥化が進んでいましたが、目を凝らせばたくさんの花々が見られました。


こちらは秋まで楽しめる「ワレモコウ」

私の好きなカワラナデシコも群落で可憐なフウロもたくさん咲いていました。


気短な主人が待っていますから、素早くバシバシと撮っていきました

手ブレが気になりますが、あくまでもこの湿原に咲いていたお花の記録ということで・・・

ノイバラのようなこちらは何のお花?コオニユリでしょうか・・・


他にもたくさんのシャジクソウとノハラアザミが咲いていました。


シニアのご夫婦二組と、大きなカメラを抱えた登山姿の男性に会っただけの
静かな静かな湿原でした。


1時間10分後に主人の待つ地蔵峠に戻りました。

主人がお茶していたロッジの上にはこの様な看板が
ここは分水嶺なのですね。

私もすっかり汗をかきましたので、今度は二人でソフトクリームをほおばりましたよ。


主人お勧めの嬬恋にあるイタリアンレストランに向かいます。
途中車窓から見た「浅間山」はすでに雲が湧きだしていました。


こちらは浅間山の北西に連なる「四阿山~根子岳」の峰々。
ふもとの菅平や「嬬恋野菜」が有名ですね。

主人が元気だったなら四阿山の斜面にある「パルコール嬬恋スキーリゾート」から
高山植物の宝庫と言われる「野地平湿原」に行きたかったのですが、今回は諦め・・・

主人お勧めの嬬恋高原「ブルーワリー」でランチをしながら、
高原野菜の畑越しに観る「浅間」を堪能することにしました。


主人の学生時代の同じゼミの先輩がこの近くに別荘を持っているので、
大学時代の仲間とよく来たと言うレストラン「ブルーワリー」ホームページはこちらです。

それがなんと「定休日」
前回、息子一家やお嫁ちゃんの両親を連れて着た時もリニューアル工事中で
「縁がないわね~」となりました


高原野菜の販売所はやっていたので「完熟トマト」(5個で350円)と「ブルーべりー」(500円)を買いました。


キャベツ畑の向こうにドカンとそびえる「浅間山」が絵になると主人は言いますが
浅間の北側なので時間を選ばないと逆光で山は霞んで見えました。残念です


軽井沢に戻り、ホテル近くのお蕎麦屋さんで食べた山菜天ぷら蕎麦

蕎麦はシコシコして美味しかったのですが、ツユがしょっぱくて
「この天ぷらの盛り付けはひどすぎる、まずそうで食べる気がしない」と夫はオカンムリでした。

2時過ぎにホテルに戻りしばしお昼寝

3日間もホテルの和風会席のお食事をする気にはならなかったので
この日は素泊まりにし、夕方から歩いて15分の駅前通りにあるローストチキンのレストランに行きました。


ホテルの若いお姉さんに紹介された駅前通りの「カスターニ」詳しくはこちらです。

ペアでのコース料理を頼みました

数種類の中からシーザースサラダを選び前菜はサーモン、メキシコ風のおつまみも


この後にチーズとトマトの「モッツァレラピザ」が出たのですが、撮影し忘れました

メインのローストチキンは全部は食べられずただしデザートのアイスクリームは別腹ですね。


私はコケモモ、主人はバニラを選びましたわ。

若者好みのお洒落なレストランでしたが、軽井沢らしくて外人さんの家族も見られました。
お料理もイタリアンとドイツが合体したような?

「カスターニ」とはドイツ語で「トチノキ」という意味らしい・・・
それってマロニエのことかしら?

若いスタッフさんたちもキビキビと気持ち良い接待で、居心地の良いお店でした。
7時前に帰路に着きましたが、吹く風が涼しくて私はサマーカーデガンを羽織りました。


手先はしびれると言いながら、こんなに元気で食欲も旺盛だった主人ですが・・・
あまりにも突然の入院で私も気持ちが現実に着いていかず、オロオロしています

本人も何とか頑張っておりますので、主治医と本人の体力と抗生物質が効くことを信じて
私も連日病院に通っています。





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軽井沢で休養(2)「湯の丸高原」

2014年08月09日 | 旅日記
猛暑が続いていましたが、台風11号の影響で関東地方は少し涼しくなりました。
台風は10日未明から明け方にかけ、四国地方に上陸する見込みのようですね。

西日本の太平洋側と東海地方を中心に猛烈な雨を伴い
すでに三重県地方にはかってないほどの大雨とか・・・
被害がないことを祈ります。

山仲間と3人で、10日から一泊で中央アルプスの「木曽駒ヶ岳」に登る予定で
新宿発の高速バスの往復チケットと山小屋を予約していましたがキャンセルしました。

私は主人の入院というハプニングに見舞われ、台風騒ぎ以前に山は諦めましたが
今年はトコトン「山とお天気」の巡りわせが悪くて、山とは縁がありませんわ


「湯の丸高原」散策(7月30日)
さて、軽井沢2日目は朝から晴れ上がりました。
主人が「浅間山が見えるだろうから昼食は嬬恋のイタリアンレストランでしよう」と
朝食後に言い出しました。


まずは「湯の丸高原」に寄っていくことにします。

私は山岳道路の運転は苦手ですから、主人が運転
「運転は大丈夫だけど山歩きはパス」とのこと・・・


標高1732mの地蔵峠の駐車場に車を停め、私はカメラを抱えて放牧されている牛を撮りに行きました。
湯の丸高原はもう一ヶ月も早ければ「レンゲツツジ」の大群落が見られる所として有名です。

「俺はここでコーヒーを飲んで待っているから、一人で湯の丸山まで登って来れば」と夫は言います。

頂上までは牛さんたちの柵の横から1時間・・・
下ってきた山姿のご夫妻にお花の状況を聞きました。


「キャンプ場の先の湿原にキスゲが咲いていましたよ」と言われ、そちらに向かうことにします。

駐車場から20分登った所にバンガローや炊事場が整ったキャンプ場があります。

この日の私は登山靴ではなく、撮影の時に履くウォーキングシューズ
砂利道の登りにヒィーヒィーハーハーと、息が切れました

こんなんでロープウェー利用とはいえ3000m級の中央アルプスに登れるのだろうか?と
不安になりましたわ。



キャンプ場の周りにはアザミが咲き乱れていました。


ここにはノアザミ・ノハラアザミ・タムラソウとあるらしいのですが
私には区別はできません。


蝶や昆虫たちの楽園のようです。


トンボもやってきました。


この様な無粋な看板が見られましたが、この自然は大事にしたいですね。


正面に「湯の丸山」が見えてきました。

山頂からは浅間山の 噴煙や鹿沢の山々、白根火山など上信国境の山並が一望できます。
2005年の秋に登った時は北アルプスまで見えましたこちらこちらです。


足元にはウツボクサの群落もあちこちに見られました。

こちらはシャジク草、まだ蕾?ウツボグサもまだ咲き始めのようです。


7月下旬のこの時期はまだまだ夏のお花が新鮮ですね。

林の中ではヤマブキショウマが風に揺れてヤナギランも咲きだしました。




そして左手に木道と黄色いキスゲの群落が見えてきました。
ここで撮影できれば、もうあの山に登らなくても十分だわと思いました。

カメラを抱えていれば不思議と一人での孤独も感じません。


たまに登山者が足を延ばしてやってきますが、静かな静かな湿原でした。

        

今回の軽井沢行きは二ヶ月前から予約していて主人も楽しみにしていました。
頸椎捻挫もありノンビリするために滞在を1日増やし、高原に出かけたのはこの日だけ・・・

あとはもっぱらホテルと旧軽近辺で美味しいものを食べ大いに鋭気を養い
いたって元気な主人でしたが、今週に入って熱をだし「肺炎」ということで入院しました。

原因が分からずまだ菌も特定できず、最初は1週間と言われた入院は長引きそうです。

父と同じ病院の同じ病棟で・・・
私は切ない想いが甦り、複雑な心境の日々です


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軽井沢で休養(1)「富岡製糸場」見学

2014年08月02日 | 旅日記
8月に入り、アブラゼミの声が賑やかになってきました。
暑い首都圏を抜け出して、3泊4日で軽井沢に避暑に行ってきました。

と書くと優雅ですが、実は主人が仕事中に脚立から落ちて「頸椎捻挫」
手が腫れて仕事はすべてキャンセル・・・

暑い中悶々としてTVの前に居座る夫に私の方が根を上げ、気分転換に出かけた次第です。


「富岡製糸場」見学(7月29日)
父の新盆の行事「お施餓鬼」に出席し、
義妹とお坊さんの講和を聞き法要も無事終えた翌日・・・

幸い主人もハンドルは握れるようで、2人で車で出かけました。


関越道・中央道・東名を結ぶ圏央道ができて、本当に便利になり
東名海老名から圏央道を使えば軽井沢まで2時間半で行けるようになりました

朝9時45分に横浜の我が家を出て、途中のサービスエリアで昼食を取り
この日の観光目的地、群馬県の「富岡製糸場」に着いたのは1時前でした。


群馬県では古くから養蚕、製糸、織物といった絹に関する営みが盛んで
絹産業に関する文化遺産が数多く残っています。

これらのうち「富岡製糸場」と、蚕の品種改良と普及に貢献した「田島弥平旧宅」、
全国海外に技術を広めた民間養蚕教育機関「高山社跡」、そして日本最大級の蚕種貯蔵施設「荒船風穴」の
「絹産業遺産群」は今年の6月にドーハで開催されたユネスコの世界遺産委員会で
正式に登録されました(パンフレットより)


富岡製糸場が操業を開始したのは明治5年(1872年)
近代化が悲願だった日本が国の威信をかけて建設した、国営の近代製糸工場です。

「東繭倉庫」
500円払って中に入るとすぐに「東繭倉庫」1Fが事務所で2Fが乾燥させた繭の貯蔵庫です


もらったパンフレットの地図では「乾燥場」と書かれた所が崩落していました
今年の2月の大雪で崩れてしまったそうです


「何しろ世界遺産になったので元通りにしなければならず、数年かかりそう」とスタッフさんが言っていましたが
費用はどこが負担をするのでしょう


「繭倉庫」の建物は木で骨組みを造り、柱の間にレンガを積み上げて壁をつくる「木骨煉瓦造り」
(この頃はまだコンクリートは使われていなかったそうです)


たくさんのボランティアガイドさんが、午前午後とも30分おきに案内をしてくれます。
「横浜から来た」と言うと「ここは横浜と深いつながりがあるのです」とのことでした。


工場建設の指導者としてポール・ブリュナはじめ、当初は10人のフランス人を雇い入れました。

「繰糸場」
繰糸場は繭から生糸を取る作業が行われていた場所です。
創業当初はフランス式の繰糸機300釜が設置された世界最大規模の製糸工場でした。


明治26年に官営から三井に安く払い下げられ、10年後は横浜の三渓園の主・原氏に転売されました。
昭和14年、片倉製糸紡績と合併し、昭和62年の操業停止まで115年間操業し続けた製糸場です。

グンゼの片倉工業が閉鎖後も保全管理していたおかげで世界遺産につながったようです。


この日は暑い日でしたが、当然どこも冷房などありません。
入り口にはミストがしつらえてありましたが、汗が流れ出ました

その分人が少なかったと言えるでしょうか・・・


小屋組には「トラス構造」という従来の日本にはない建築工法を用いているので
建物内部には中央に柱のない広い空間が保たれています。

現在は昭和40年以降に設置された自動繰糸機が保存されています。

「ブリュナ館」
指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らした住居は320坪の広さ


のちに建物は寄宿舎や女工に読み書きや裁縫などを教える夜学校として利用されました。


フランス式の労働環境を取り入れた富岡製糸場は、女性が働く環境としてとても先進的でした。
労働時間は一日八時間未満、日曜日は休みで、夏休み冬休みも十日ずつあったそうです。

後に全国でできた「民営」の製糸工場では「女工哀史」などに代表される過酷な搾取と労働環境により
多数の女工が命を落としたり病気にかかったりしました。

富岡製糸場は少なくとも民営化される前までは良好な労働環境が保たれていたそうです。

当時の女工たちが目指したのは「一等工女」
一等工女は給与も服装も特別待遇で、浮世絵に描かれるほどの憧れの存在でした。

他に日本人工女に機器による糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居や
生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居などがありますが・・・


こちらは最後の「片倉工業」時代の寮
あちこちに雪害の様子が見られました

世界遺産だからという理由では国からの交付金は支給されません。これはユネスコも同じです。

世界遺産登録の前提となる文化財保護法での文化財補助金という名目で
損壊等の恐れが文化審議会で認められた場合にのみ修繕費用としての助成金が給付されるようです。

基本的に維持は持ち主の負担だそうで、この場合は「富岡市」

市営駐車場の周りは整備されていますが・・・商店街はまだまだ素朴なお店が並びます。


「世界文化遺産」というブランドは獲得したものの、すべてこれからの発展途上の観光地です。
涼しくなったら観光客であふれるかも知れませんね。

私たちも「絹産業遺産群」観光は次回に残すことにして
再び「上信越自動車道」の富岡インターから軽井沢に向かいました


※今回の記事は入場時に渡されたパンフレットを参考にさせていただきました。
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