ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(47)

2008-04-30 16:24:43 | Weblog
4月30日 晴れた日が続いている。昨日22度、今日24度と春本番の暖かさだ。庭には、花々が咲き乱れ、木々の新緑が青空に映え、そよ風が吹いている。
 若いころなら、この季節に浮かれて、あちこち歩き回るところだが、年寄りネコのワタシには、半日陰のベランダで、のんびりと過ごすのが一番いい。春の息吹を感じさせる花や木の、香りあふれるやさしい風を受けながら、ウトウトとして、ふと鳥の鳴き声や羽音に、そして小さな生き物たちの気配に耳をすませる。そして一日が過ぎていく。
 ところが、昨日のことだ。ワタシは、朝のうちはまだ冬からの習慣で、もう電気は入っていないが、コタツ布団の上で寝ている。そして、ベランダに日が当たるころになると、飼い主がワタシを呼ぶ。
 そこでベランダに出ると、何かの気配に一瞬、身構えた。なんとマイケルがいたのだ。朝、すぐに飼い主が洗濯物を干していたが、その下で、マイケルは気持ちよさそうに横になっていた。いつもワタシがそうしているように、まるでこの家にずっといる飼い猫のようだった。
 飼い主も、マイケルがいるなんて気づかなかったらしいが、そのまま後ろからじっと見ている。ワタシは体を低くして、ゆっくりとマイケルのそばに近づいて行った。マイケルが例の甘い声で、鳴いている。ワタシはマイケルの体の臭いをかぎ終わると、すぐに戻ってきて、部屋のコタツ布団の上に座った。
 あんなヤツのそばに、一緒に居たいとは思わない。いくらベランダがいいとしても、ゴメンだ。部屋の中に一人で居たほうがいい。飼い主が何か言っていたが、振り向きもしないで、そのまま座っていた。
 しばらくたって飼い主が再びワタシを呼んだ。行ってみると、まだマイケルが居た。ワタシはそのままの距離を保ち、毛づくろいをしていた。すると今度は、マイケルが起き上がり、ワタシのほうへ近づいてきた。ワタシは小走りに、家の中に入った。
 その後を追いかけて家に入ろうとしたマイケルを、飼い主が止めて、追い払った。ベランダの下に下りたマイケルを、さらに脅して何か物を投げるような音がした。ベランダに出てみると、走っていくマイケルの姿が見えた。
 これでしばらく、マイケルは来ないだろう。やれやれ、ともかく今日は、ゆっくりとベランダで寝ることができる。と同時に、少し寂しい気もする。彼とは、いろいろとあったにしても、この山の中に住む数少ないネコ仲間の一匹なのだ。
 好きと嫌いが交錯する複雑な思い、それはワタシたちネコ社会だけでなく、人間たちの間でも同じことなのだろう。愛する思いと、嫌な思いが断続して、作り上げられていくものが、お互いをつなぐ絆になるのだろう、良し悪しはともかくとして。
 好きな思いにあふれていても、嫌いにならなければならない、離れなければならない時もあり、逆に、嫌いでたまらないのに、好きであるかのように一緒に居なければならないときもある。どちらが正しいのか幸せなのかは、軽々しく決めることはできない。
 つまり時の流れとともに、長い歳月をかけてみれば、良いことも悪いことも、いつしか平均化されて、すべて同じようになってしまうものなのだ。それを、自分だけはという考えでは、いつまでたっても満たされる思いにはならないだろう。ワタシもマイケルも、愛憎を超えたところにある思い、お互い様だということを十分にわかっているのだ。
 ところで、あのマイケルの左目の傷(2月17日付)は、その痕(あと)が残っているものの、すっかり直り、それがちょっとしたスゴみになっていて、苦みばしったいい男だと思いません?
 

ワタシの飼い主(14)

2008-04-27 17:32:40 | Weblog
4月27日 「晴れて穏やかな日が続いているが、これからの一週間もいい天気が続くとのことだ。行楽地は、ゴールデン・ウィークの人出であふれていることだろう。
 その前にと、ミャオも元気になってきたことだし、一昨日、久しぶりに山に登ってきた。家から歩いて、往復4時間ほどで登れる山だが、いつものことながら、誰にも会わずに、のんびりと春先の山を楽しむことができた。
 山の中腹辺りでは、今が盛りのヤマザクラを見ることができたが、全体に新緑の木々の彩りを楽しむには少し早かったかもしれない。しかし、頂上の少し下の所にあるアセビの群落は見事だった。普通の白い色から、少し緑っぽいもの、うす赤いものなどの花が鈴なりに咲いていて、その大きな株が点々と続いている。
 アセビのむせ返るような香りの中、ウグイスが鳴き、遠くの山々は春霞の中に溶け込んでいる。山里に住んでいても、さらなる山の中にいることの心地よさ。大自然の中に包まれていることほど、心安らぐ時はない。
 きつい登りや、長時間の歩行というつらさを考えても、その労力に十分報いる、いやそれ以上の、他のどこでも得ることのできない楽しみを、つまりは生きていることの喜びを感じることができるから、私は山に登るのだろう。
 ところで、夏目漱石のあの有名な『草枕』の冒頭の一節。・・・山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。とにかく人の世は住みにくい・・・。
 この世の中で生きていくことの難しさを、自嘲と自笑をこめて、見事に言い当てた一文だとは思うが、ミャオと私の関係にも当てはまるかもしれない。
 私が北海道に行けば、ミャオは困る。ミャオとずっと一緒にいれば、私は身動きが取れない。とにかくミャオと私の関係は難しい。
 しかし、この冬を一緒にすごし、さらにあのケガと病気があってから、私の思いに少し変化があったことは確かだ。犬好きの私が、長い間ミャオと暮らすことによって、いつの間にか猫好きに、いやミャオのことが大好きになってしまったのだ。
 正直言って、美人なネコではないし、その上、年もとっている。なのに、無性にかわいいと思ってしまう。私の傍で安心して寝ているミャオの姿を見ると、おもわずキャワイイーとなでてしまうのだ。このままミャオといてもいい、とさえ思ってしまうのだ。
 待て、これはひょっとして、すべてミャオが仕組んだことではないのだろうか。オスネコとケンカしてケガしたのも、隠れていたのも、病気になってエサを食べなかったのも、飼い主が北海道に行ってしまわないように、ずっと一緒にいてくれるようにと考えてやったことではないだろうか。
 この穏やかな春の日、ふと考えてみたりして・・・。」

 バッカじゃないの、ワタシがそんなことするワケないでしょう。まったく、のんびりするとすぐ、しょーもないこと考えるんだから人間は。「のどもと過ぎれば熱さを忘れ」のことわざ通りで、あの時のワタシを抱きしめて流した涙は何だったの。
 そんなバカなこと考えてるより、ホレホレ、サカナの時間でしょ。
 

ワタシはネコである(46)

2008-04-25 19:15:07 | Weblog
4月25日 今日も晴れて、気温18度、さわやかな春の日だ。チューリップと芝ザクラの咲く庭で、ウトウトと寝てすごす。
 二日前に、病院に連れて行かれて、手術を受けたのが、もう何日も前のことのようだ。あの手術で、全く魔法をかけられたように、ワタシのケガからの病はすっかりなおってしまった。
 しかしまだ、術後の感染(特にあのヘモバルトネラ症が怖い)予防のため、朝夕に抗生物質の服用は欠かせない。飼い主が、いつもは食べさせてもくれない、カツオの刺身に錠剤をもぐりこませて、ワタシに食べさせている。もちろんワタシは気づいているが、自分のためだと、黙って飲み込んでいる。
 普通に健康でいることが、これほどありがたいことだとは・・・人は、いやネコは、こうしてまた一つ物事を学ぶことになる。幾つになっても。
 もしワタシが、ほんとうのノラネコだとしたら、あのまま自分の回復力だけでは、到底持ちこたえられなかったことだろう。それを言えばもう、あの4年前の時に、すでに命を落としていたに違いない。
 つまり、ネコにとって、もって生まれた生命力の強さのほかに、その生活環境や飼い主の意識によって、そのネコ寿命が左右されることになる。われわれネコ族は、人間に依存することで、食・住が確保されるけれども、逆に一瞬にしてそれらが奪われ、命の危機に瀕することもあるのだ。ああ、恐ろしや。
 ワタシの飼い主は、その責任を全うしているだろうか。いや、今度も前の時も、いずれも気づくのが遅すぎる。もっと早く、病院に連れて行ってくれれば、あんなに長い間、ワタシは苦しまずにすんだのに。言い訳はいろいろあるだろうが、直ったから良かったものの、ワタシがもし死んでいたら、一番辛い思いをするのは、飼い主のアナタなのに。
 そしてワタシを置いて、また北海道へ行くこと。あれほどワタシがいなくなったことで、心配し、涙まで流したというのに、分からないのかな、今度はワタシがその立場に立たされるというのが。これじゃお互いに、苦しみ合う、マゾ関係ではないのか。ワタシが年寄りだということを、肝に銘じておいてほしい。
 
 「分かっているよ、ミャオ。しかし、すっかり元気になったオマエを見ていると、もう今までどうり、オレがいなくなっても十分にやっていけると思えるからだ。
 久しぶり、実に二週間ぶりにオマエと一緒に散歩して、うれしかったよ。何も変わっていない。オマエの歩き方、鳴き声、あちこち臭いをかぎ、用心深くクルマの音に身構える所など、前と一緒だ。
 草が茂り、小さな花々が咲き、木々の芽吹いたばかりの新緑の葉が、鮮やかに空に映える。やさしい風が吹いて、いい季節だ。
 ・・・思い出すなあ、北海道の春。まず残っていた雪の間から、いち早くフクジュソウの黄色い花が咲いているのを見ると、ついに春が来たと思う。やがてエゾエンゴサクの薄紫の花、カタクリの赤紫の花、オオバナノエンレイソウの白い花などが群れとなって咲き、小川の流れに沿ってエゾノリュウキンカの黄色い花が続き、湿地のあちこちにはミズバショウの花が点々と見える。
 そして、待ちに待っていた山菜の季節になる。ギョウジャニンニク(アイヌネギ)、タラノメ、ワラビ、ゼンマイ、コゴミ、フキ、そしてエゾノリュウキンカはヤチブキともいって食べられるし、他にもニリンソウやヨモギの若葉などなど・・・。
 コブシの白い花が咲き、やがてエゾヤマザクラの濃いピンクの花が咲く頃、背景にはまだ白い残雪に被われた山々が連なっている・・・いやー、やっぱ、北海道の一番いいころでないかい。
 ミャオ、行かせてくれー。」

ワタシはネコである(45)

2008-04-23 17:50:34 | Weblog
4月23日 昨日も晴れの天気で、気温も23度まで上がる。これで五日間も天気の良い日が続いたことになる。
 しかし、ワタシは家に帰ってきて、もう一週間以上になるというのに、相変わらず体調はすぐれず、体がだるく、何もする気にならない。ただベランダで横になっているだけ。サクラの花びらが降りかかる中で、ワタシは哀しい思いで、あの良寛さんの一句を思い出した。「ちるさくら のこるさくらも ちるさくら」。 
 そして今日のことだ。昨日の夕方、また飼い主が、電話で動物病院の先生と話していたから、何かあるなとは思っていたのだが。朝、もう寒くはないのにストーヴの前にいたワタシを、飼い主が呼ぶ。少し日も差していたので、外に出るのかと思いついて行くと、例のネコ・ケージの中に誘い入れられた。
 しまった、謀られたと思ったがもう遅い。元気のない声で、それでも力を振り絞ってミャーミャーと鳴き続けたが、飼い主はワタシをクルマに乗せて走り出した。
 思い起こせば、4年前、病院に連れて行かれたときと同じだ。あの時は、今以上に弱っていたが、閉じ込められたダンボールの中で猛烈に暴れまくったのだ。半ノラとして育ってきたワタシは、狭い所に閉じ込められたのも、クルマに乗せられたのも初めてだったからだ。
 病院に着いて、診察台の上に乗せられる。ワタシは他の人に体を触らせないのだが、このセンセイにはどこか見覚えがあったし、扱い方が上手で、それに飼い主もさわっていてくれたので、おとなしくしていた。
 体の毛を一部剃られた後、注射が二回、体が動くほど痛かったが、何とか我慢して、さらに体の一部を切られ、その傷口を洗われて、その後にも二度、注射をされて、やっとのことでネコ・ケージに戻された。
 飼い主は、センセイに何かを言って頭を下げ、ワタシをクルマに乗せて、家に戻った。ケージから出されて、しばらくの間、ワタシはまだ興奮が残っていて、ベランダや家の中をあちこちと歩き回った。
 そして、体が今までとは違う、何かこう、動きたいような気分だった。われながら驚いたことに、もう二週間近くも食べていなかったキャットフードを食べたのだ。他にサカナも少しもらい、ミルクも飲んだ。
 外は、雨になって、出られなかったが、久しぶりにゆったりとした気分で、いつもの座布団の上に座っている。気温は16度、ストーヴもついていないが平気だ。飼い主は、パソコンの前で手先を動かしていた。ああ、穏やかな午後だなあ。

 「終わりよければ、すべてよし。困難な物事も終わってしまえば、何だそんなものだったのかと思ってしまう。今回のミャオのこともそうだった。
 この二週間、まずミャオの精神的なショックと、次に肉体的なダメージをともに、ワタシが傍で見守っていてやることで、回復させようと思っていたのだが、そう簡単に、自然に解決するような問題ではなかったのだ。
 ミャオはいつまでたっても元気にならないし、といって差し迫ったふうでもなかった。4年前に病院に連れて行く時に、大暴れして嫌がったこともあったから、なるべくならと、ずっと様子を見てきたのだが、しかし、もうそれも限界だった。
 病院に連れて行く時も、さすがに嫌がって鳴いたけれども、もう年寄りネコになったからだろうか、暴れるほどではなかった。
 先生の診断は明快だった。『相手に咬まれた傷口が化膿して腫れあがっています。切開してウミを出してしまいましょう。これじゃアゴを動かせないし、食べられないわけだ。』
 私から見れば、まさしくゴッド・ハンドを持った先生は、手際よく、診察台の上で手術をしてくれた。その間ミャオは、意外なほどに借りてきた猫のようにおとなしかった。ともかく、案ずるより生むがやすしの言葉どうり、今までインターネットなどで調べたいろいろな病気への心配は、病院に来たことですべて消え去ったのだ。
 今、ミャオは元気になった。食べることも、歩く姿も、その顔つき、目つきも、鳴き声も本来のミャオになりつつある。もうしばらくすれば、元通りになるだろう。
 しかし、私が北海道に行けるのは、とうとう最初の予定より、四週間も先の連休明けになってしまった。春先の、あの北の大地の光景を見られなくなったし、そして雪の山々に登ることもできなくなった。それは残念なことだけど、その代わりに、私がここにいて良かったこともあるし、ミャオから学んだこともある。ミャオ、オマエといて本当に良かったと思っているよ。」

ワタシはネコである(44)

2008-04-20 17:02:08 | Weblog
4月21日 朝から晴れている。この所の気温は15度位だったが、今日は17度まで上がる。暑くもなく寒くもなく、戸外で過ごすにはいい季節だと思う。満開のサクラの花が、風に吹かれて舞い散っている。
 しかし、ワタシはまだ体調が思わしくない。昨日も食欲がなく、切ってもらったコアジを一切れ食べただけ、後はミルクを少し。ほとんどベランダと、家の中で寝てすごしている。 
 今朝は、昨日の残りのコアジを一切れ食べ、その後で飼い主が呼ぶので、外に出た。いつもの散歩コースとは逆の、あのおじさんの家の方だ。久しぶりなので、途中で、辺りの匂いをかいだり、木の根でツメをといだりして、ゆっくりと歩いて行った。
 飼い主は、途中までしか行かなかったので、ワタシも一休みした後、そのあとについて家に戻った。飼い主が庭仕事をし始めて、ワタシもそのまま外にいた。草の香り、鳥たちの声、ああ、春はいいなあ。
 「ミャオの体調が、なかなか元に戻らない。余り食べないから、体はやせたままだし、体力がないから、ずっと寝ているし、鳴き声も元気がない。
 傷口は、何度薬を塗ってやっても、カサブタができかかると、すぐに引っかいて、また傷口が出てくるという有様。しかし、今日あたりは、何とかそのカサブタも小さくなってきている。
 それで今日は、朝から散歩に誘ってみた。オレがいなくなったら、おじさんからエサをもらわなければならない。ミャオには、すっかりご無沙汰の道を思い出してもらうようにと、こっちに来てみたんだ。
 それより、あと三日で、ミャオが回復するかどうかだ。北海道に行くのを先に延ばせば、キリがないし、ますますミャオと離れがたくなる。人生では、いつも様々な岐路に立たされる。つまり、双方ともに大事だから、思い悩み、それでも決断を下さなければならないのだ。
 一週間、先に延ばして今日に至ったことは、ミャオの具合からも当然だったし、結果的にも良かった。ずっとミャオの傍にいて、そのケガと病気をしっかりと見ていてやることができた。そして、これは副次的なことではあるが、一週間余分にいたおかげで、家の庭にある木々の花々を、十分に楽しむことができた。
 サクラはいうまでもなく、コブシ、ツバキ、そしてなによりも、あのシャクナゲの薄紅の花だ。母が亡くなる二年前、一緒に行ったシャクナゲ園で買ってきた、小さな鉢植えの木だったが、今ではもう私の背丈と同じ位にまでなっている。一房に九つ十の花をつけ、それが数十房もある。その花のおかげで辺りまでも明るく照り映え、私の心も明るくなるというものだ。
 生きていればいつも、良いことと悪いことにめぐり会う。そして、その良い思い出が、あとになって、辛い悲しい思い出をやさしく包んでいてくれるのだ。
 ミャオ、そうなるといいね。・・・とここまで書いてきて、サカナの時間になる。ところがまたほんの一切れ食べただけだ。やはりどこかおかしい。無理しても病院に連れて行くべきだろうか。困ったな、ミャオ。」

ワタシはネコである(43)

2008-04-18 17:48:56 | Weblog
4月18日 昨日も、時折小雨が降る重たい曇り空だった。
 ワタシは相変わらず、ストーヴの前で寝ていた。夕方前、飼い主が誰かに電話をかけ、その話し声が聞こえていた。受話器からもれ聞こえてくる声は、確かに聞き覚えがある。そうだ、ワタシが4年前、入院した時の病院の先生の声だ。 
 話し終えた飼い主が、部屋に戻ってきて、ワタシの様子をしきりに伺う。これは何かあると気づいたワタシは、起き上がり、いつものサカナの時間にはまだ間があったのだが、台所の方へ歩いていって、催促の声で鳴いた。
 すると飼い主は、いつもななら、「まだ早い、ダメ」とか言うのだが、嬉しそうに、「そうか食べたいのか、良かった、良かった」と言って、いつものコアジを、食べやすいように小さく切って出してくれた。
 外で何も食べずに三日、家に戻ってきても食欲がないままにさらに三日たっていたが、ようやく食べる気になった。10cmを超えるコアジなら一匹、7,8cmくらいのものなら二匹、いつももらっていたのだが、その小さい一匹では足りずに、皿を舐めていると、飼い主がすぐにもう一匹を持ってきてくれた。
 嬉しそうな飼い主の声を聞き、体をなでられながら食べるのは、ワタシにとってもいい気分だ。その後、外に出て、まだ遠出の散歩に行くほどの気力はなかったが、庭の周りを少し歩いた。
 確かに、体力が戻ってきてはいるが、まだ静養の時だ。今日は、午前中にようやく雨も上がり、昼前から日も差してきて、ワタシはベランダに出て横になっていた。
 するとクルマの音がして、ワタシを家に残したまま、飼い主は買い物に出かけて行ったらしい。
 
 「ミャオ、オマエは家に戻ってきて、三日にもなるのに、相変わらず食べないし元気もない。耳の傍の傷は、カサブタができてはいるが、少し化膿もしている。それほど寒いわけでもないのに、ずっとストーヴのそばで横になったままだ。
 年寄りのネコだし、気になって、まず本やインターネットで調べてみると、ともかく様子を見るより、病院に連れて行ったほうがいいと書いてある。そこで、動物病院に電話してみたんだ。
 4年前、お世話になって、点滴をしてもらったおかげで、ミャオがすっかり良くなった所だ。その先生が言うには、水やミルクを飲んでいれば、胃が受け付けているから、そのうち食べるようになるし、傷もひどく化膿していなければ大丈夫だから、もう少し様子を見て、精神的なショックもあるだろうから、無理につれてこないほうがいいとのこと、全くいい先生だ。 
 そしたら、その話の後ですぐに、オマエはコアジ二匹を食べてくれたし、嬉しかったよ。食べてくれれば元気になるからね。
 ところで、オマエには言ってなかったが、実はマイケルが二三度来ていたんだ。昨日は、ちょうどオレが庭に出ていた時で、オマエを求めて鳴きながらやってきた。オレを見ても、逃げるふうではない、やはり飼い猫だからな。しかし、オレとしては、オマエに傷を負わせた憎い相手、石を投げて追い払ったのだ。考えてみれば、傷の相手はあのいつかの若いネコかもしれない。だがどちらにせよ、今のオマエに相手させるわけにはいかない、分かってくれるな。
 さて今日、買い物から戻って、オマエはちゃんとサカナを食べてくれたが、その後の散歩は、家の周りを歩いてトイレをしただけ、その上、あの傷のカサブタはまたかきむしって傷口が出ている。エリザベス・カラーをつければオマエは嫌がってとってしまうだろうし、困ったな。
 ともかく、その傷を早く治し、今までのように元気に外を走り回ってくれ。そうでないと、オレはまだおびえているオマエを残して、とても北海道なんかには行けないし・・・。」
 

ワタシはネコである(42)

2008-04-16 17:44:28 | Weblog
4月16日 今日は、一日中、雨が降ったり止んだり。昨日は、終日快晴の天気で、気温も20度まで上がったというのに、今日は、9度という肌寒さだ。
 ストーヴの前で、横になっている。二三度、起き上がり、エサ皿の置いてある所へ行って、ミルクを少しだけなめたが、相変わらず食欲がない。飼い主が、ワタシの大好きなバターや味付け海苔を出してくれたが、それも少し食べただけだ。
 頭の傷はカサブタになっていたのだが、かゆくて後ろ足でかきむしってしまい、また傷口が広がり、血が出て、それをまた舐めてきれいにする。写真では見せられないほど痛々しい状態なので、飼い主は抗生物質の傷薬を何度も塗ってくれたのだが、それもすぐに舐め取ってしまう。
 体はだるいし、ともかくあまり動きたくないのだ。ワタシはもう若くはないのだ。病気をしたり、怪我をしたりすると、そのことがよく分かる。ただ、飼い主がずっと傍にいてくれることが、恐怖という心の傷を受けたワタシにとって、なによりの安心になるのだ。そんなワタシのことを、飼い主も言っている。
 
 「ミャオの受けた傷も、心の傷も、思った以上に深かった。どちらも、そう簡単に直るものではない。模様を見て、病院に連れて行こうかとも思うが、4年前の病気の時と比べれば、あの時は二日間点滴してもらって、劇的に回復したのだが、今は、それほど差し迫っているとは思えない。
 ただ気がかりなのは食欲がないことだ。丸三日間、食べなかったから、体はすっかりやせてしまっていて、そのあと家に連れて帰ってからも、ミルクを少しと、サカナを少しだけで、これでは体力は回復しない。五日間、何も食べず、水も飲まなかったあの時と比べればまだいいと思うが、やはり心配だ。
 北海道に行くのは、とりあえず、一週間先に延ばしたが、果たしてミャオは、心の傷も含めて直ってくれるだろうか。できるものなら、一緒に北海道に連れて行ってやりたいが、病院に連れて行くのでさえ、あれほど暴れたネコだ、とても一日がかりの移動にも、向こうでの環境にも慣れないだろう。繊細な感受性を持ったミャオの命を縮める様なものだ。
 飼い主の責任として、ミヤオの命が尽きるまで、ここで一緒にいてやるべきなのだろうか。私自身も、もう若くはない。今のうちにやっておきたいことがいくつかある。それは、しかしミャオの傍を離れることを意味するのだ。
 ミャオにとって、私にとって、生きることとは、生きていくこととは。
 ミャオの傍にいたこの二日間、録画しておいた映画を見た。NHK・BSだけでなく、他のBSデジタル局でも名作映画を放映していることが、この3月に地デジ対応テレビを購入して、初めて分かった。鮮明な映像で、最近のいい映画を見られるなんて・・・生きてて良かったと思う。  
 「モーパッサン・ノアール(黒)」「モーパッサン・ブラン(白)」という題名での四編のオムニバス作品。モーパッサンの短編作品を、多少アレンジして、それでも、見事にその時代の人々の生き方と感情を、それは現代の私たちにも通じるのだが、皮肉と愛情をこめて見せてくれる。なんという、フランス映画の、誇り高き伝統とその芸術の香り・・・。フランス国内で、テレビで放送され、いずれも高い視聴率だったという。
 日本にも、数多くの古典以来の名作があるというのに、今、誰が一体、納得できる作品として映画化してくれるだろうか、いやできるだろうか・・・。
 話はともかく、ミャオの傍から離れられないために、またそれはそれでいいこともあるのだ。
 そして今日は、ミャオが三回に分けてではあるが、コアジを一匹食べてくれた。いつも丸ごと、ガシガシと食べるのだが、今日は小さく切ってやって、ようやく食べてくれた。嬉しかった。ミャオ、早く元気になってくれ。」

ワタシはネコである(41)

2008-04-14 16:15:21 | Weblog
4月14日 快晴の空が広がり、その青空に満開の山桜の花がきれいだ。気温も20度くらいにまで上がった。
 どっこい、ワタシは元気に生きていたのだ。11日の昼過ぎのこと、飼い主が出かけた後、ベランダで寝ていると、オスネコの声がした。ワタシは体が少しだるい感じで、余り気乗りしないのに、そのオスネコがしつこくするので、とうとうキレて、ケンカになってしまった。相手の気持ちも考えない、デリカシーのない男どもにはウンザリだ。
 しかし、体の小さなワタシは、したたかにやられてしまった。二箇所に傷を受け、血が滴り落ちていた。家のドアは閉まっている。どこかに逃げないと、また襲われるかもしれない。飼い主と行く散歩コースの一つ、家から遠く離れたあそこなら、他のネコも来ないはずだ。
 ワタシは、その人の住んでいない家の軒下で、ひたすら傷が治るのを待ったのだ。腹はすくし、サカナも食べたかったが、飼い主が戻ってきているかどうかも分からない家に、帰るわけにはいかない。あのオスネコがうろついて、危険なのだ。
 11日の夕方から、12、13日と過ぎ、そして今日の昼前、懐かしい飼い主のワタシを呼ぶ声がして、思わずワタシもそれに応え、お互いにミャーミャーと鳴きあった。久しぶりに見る飼い主の顔は、その鬼瓦のような顔が、涙でクシャクシャになっていて、ワタシを抱きかかえて頬ずりをした。
 500mほど離れた家に戻る間、飼い主はワタシを抱いたまま歩いて行こうとしたが、ワタシはそれほど弱っているわけではない、何度もイヤイヤをして下におろしてもらった。
 家に着くと、飼い主がキャットフードとミルクを用意してくれたが、三日も食べていないのに、余り食欲はなく、ミルクを少しなめただけだった。それでもともかく、飼い主のいる安全な場所で、日の光がいっぱいのベランダで、ゆっくり寝ることができるだけで十分だった。
一方で、飼い主に話は・・・。
 「今日の朝、あのおじさんの所へ、キャットフードを持って、よろしくと頼みに行ったのだが、なんとミャオは来ていないとのこと。
 どこに行ったのだミャオは、悪い予想が頭の中を駆け巡る。よその人にはなつかないから、誰かについていくとは思えない。用心深いから、クルマにはねられることはありえない。考えられるのは、病気かケガをして、その回復のためにどこかに潜んでいることだ。前に、精神的なショックから食べられなくなり、草むらにいたことがあったからだ。
 それで、何としてでも探そうと、最悪の事態も覚悟して、歩き回ったのだ。そしてよく行った散歩先の所で、名前を呼んだ時、何度目かに、小さく声が聞こえ、さらに強く呼びかけると、はっきりと鳴き応えてくれた。
 何と嬉しい、ミャオの声だったことだろう。良かった、本当に良かった。この三日間の辛い思いと緊張が、一気にはじけてしまい、あふれる涙を抑えることができなかった。他に誰もいないからいいのだ、ミャオとオレだけだから。
 家に戻ってきて、オマエがベランダに寝ている姿を見て、やっと安心することができた。しかしよく見ると、右の耳の傍に血の塊のカサブタが一つ、さらにアゴの所にも一つある。今まで見たこともないような傷だ。怖かったんだな、ミャオ。
 とてもそんなオマエを残して、あと二日で、北海道に行ってしまうわけにはいかない。少なくとも、一週間は先に延ばさなきゃ。それとも連休明けにするか。せっかくのバーゲン・チケットが無駄になってしまうが、そんなことは言ってられない。ともかくオマエが落ち着くまでは、ちゃんといるから。」
 

飼い主よりミャオへ(1)

2008-04-13 15:35:27 | Weblog
4月13日 曇り空、午後には雨になるという予報だ。
 同じように、私の心も重たい曇り空のままだ。ミャオが帰ってこない。待っても、待っても帰ってこない。
 こうして書くことも辛いのだが、ともかく心の区切りをつけなければと思う。
 去年の秋の終わりに、この九州の家に戻ってきてから、五ヶ月近くの間、私はもちろんミャオも、一日じゅう家を空けるということはなかったのに。それなのに、もう二日もミャオが帰ってこないのだ。まだミャオが若かったころには、一日二日と帰ってこないことがたまにはあった。しかし年をとってきた最近は、そんなことはなく、むしろ私とベッタリ一緒に居たがっていたのに。そのミャオが帰ってこない。
 一昨日、私が思っていたことがその通りになったのだ。飼い主からベランダに出されたばかりか、エサの皿も外に出されて、ガチャリと内側からドアを閉められれ、カーテンを引く音も聞こえ、ミャオは気づいたのだ。今まで何度もあったことだが、飼い主が長い間いなくなるのだと。ノラネコの生活が始まるのだと。
 犬は人につき、猫は家につくと言われているが、正確には猫は人のいる家につくのだ。つまり私のいない間、ミャオは家でじっと待っているわけではない。500mほど離れた所にある、エサをくれるおじさんの家の近くにいるのだ。
 それが分かっていても、私はそのおじさんの家に行ってみるわけにはいかないのだ。北海道に行くまで、あと数日しかない。ミャオを呼び戻しても、数日後には、またミャオを辛い目にあわせなければならない。
 しかし、私としても辛いことだ。ミャオがいなくなったこの二日、エサをくれるおじさんの家とは逆だけれども、いつもミャオと一緒に行く散歩のコースを、あちこちにたどり、何度もミャオの名を呼んでみた。山の斜面には、野焼きの後に点々とキスミレが咲いていた。空は晴れて、温かい春の風が吹いていた。いつしか、目に涙があふれてきた。
 (・・・と、ここまで書いてきて、また涙が出てきて耐えられなくなった。3時間ほど中断して、テレビのお笑い番組などを見て、ようやく落ち着いてきた。母が亡くなって以来のことだ。)
 しかしミャオは、死んで私の前からいなくなったわけではない。ただ長い間、二人っきりで暮らしてきたものだから、その毎日に慣れていて、そこで相手が急にいなくなると、その寂しさが身にしみて、何を見るにつけ思い出してしまうのだ。
 愛猫がいなくなった話で有名な、あの内田百の「ノラや」(文庫本)ほどではないにしても、毎日、日記に書きたいほどの気持ちはよく分かる。誰でも飼い猫に去られると、身内を失ったかのように辛いのだ。
 そして去る人よりも、残される人のほうがはるかに辛いのだ。どこかへ行く人は、目的があって行くからまだいいけれども、残された人は、その人の毎日の生活の残り香と共に、これからを暮らしていかなければならないからだ。
 ところが、私はいつも、旅たつ人の側にばかりいた気がする。今まで私は、残された側の気持ちを十分に分かっていたのだろうか。ホームに見送りにきて、私との別れに、いつも涙を流してくれた若き日の彼女、東京へ、北海道へと旅立つ息子を家の中から見送ってきた母、そして何もいわず私が出て行くのを見ていただろうミャオ・・・みんなみんな、私が悪いのだ。
 しかし涙を流し、自分を責めてばかりはいられない。ともかく私は、北海道に行かなければならないのだ。そこには、切り開いたカラマツの林の中に、自分の力だけで建てた家が、私を待っているし、あの日高山脈の山々もまだ白い雪に覆われて輝いていることだろう。 
 ミャオ、オマエがあのおじさんの家の近くに行ったきりで、私がいないだろうこの家に戻ってこないのは、その気持ちはよく分かる。飼い主のいない家で、その残り香をかいで、いつ戻るとも知れない飼い主を待っていて、一体、何の腹の足しになるだろうか。まず自分が生きていくこと。オマエは賢いネコだから、しっかりと自分で判断したのだろう。
 私も、今はもう、オマエを探しに行くのはやめようと思っている。とは言っても、今すぐにでも会って、オマエを抱き上げその体をやさしくなでたいのだが、しかし、そうすれば、すぐにまたいなくなってしまう飼い主に、オマエは混乱し、辛い気持ちになるだけのこと。
 オマエも私も、まだまだ乗り越えなければいけないことがたくさんある。今は、また必ず会えることを信じて・・・ミャオ、元気でいてくれ。

ワタシはネコである(40)

2008-04-11 19:06:07 | Weblog
4月11日 今日は晴れて、気温も16度まで上がる。朝のうちは、まだストーヴの前で寝ているのだが、日がいっぱいに差し込んでくるようになると、飼い主がワタシを呼ぶ。
 やはり晴れた日のベランダは気持ちがいい。外にいると、部屋の中で面白くもない飼い主の顔を見なくてすむし、例のカッチョウなどの鳥もやってくるし、他のネコちゃんたちの気配もすぐに分かる。春はいいよなー、春は。
 家のさんま桜も、ようやく今日開花したと飼い主が言っていた。さんま桜というのは、家の山桜のことで、あの亡くなったおばあさんが名づけたのだ。ソメイヨシノなどと違って、葉が先に開いてその後から花が咲く、つまり歯が先・・・はじめのうちは葉ばかり茂って、花びらは数えるほどだったのだが、歳月が過ぎて今や大きな木になり、いっぱいの花を咲かせるようになっていた。さすがのさんま桜だ。
 飼い主は、ワタシをベランダに出し、キャットフードの餌皿も外に出して、ドアを閉め、内側からガチャリとカギをかけた。そしてクルマの音がして、出かけていった。
 ワタシには分かる。庭のコブシの白い花が咲き、そして桜の花が咲き、チューリップの色鮮やかな花が開く頃、ある日突然飼い主がいなくなるのだ。この暖かい春の空気が、いろいろな春のにおいを伝えてくれるのだ。
 いよいよワタシ一匹で生きていかなければならないのだ。何とか飢えないだけのエサは近くのおじさんの所へ行けばもらえる。しかし、一箇所クルマの通る道を横断しなければならない。それが問題だ。
 前にも言ったように、ワタシは臆病というより、非常に用心深いネコだ。飼い主以外に体を触らせるのは、そのおじさんだけ。飼い主と一緒に散歩していても、誰か他の人に出会ったり、クルマが通ったりしただけで、ワタシはあわてて隠れてしまう。
 脱兎のごとく草むらにか、あるいは道路傍の側溝の中に逃げ込むのだ。子供のころから半ノラで暮らしてきたワタシは、周りはいつも危険がいっぱいなのだと、身にしみて知っているからだ。それは飼い主に飼われている家猫になっていても変わらない。つまり春から秋にかけて、また時々ノラにならなければいけないからだ。
 確かに、今ワタシは、年齢の割には動作も機敏で、オスネコたちにもモテるし、若く見えるかもしれない。しかし、いつかその日が、きっとくるはず。
 
 「ミャオか、オーヨシヨシヨシ。買い物に行ってきたけど、途中の景色がきれいだったぞ。オマエもクルマに乗れればなあ。サクラはもう葉が出始めていたけれど、まだ満開の木もあったし、とくに山肌に点々とヤマザクラ見えてよかったなあ。田んぼにはレンゲの花が咲きはじめ、周りに菜の花があって、いかにも春らしい景色だったな。
 ばあちゃんがいつか話してくれたことがある。子供のころ、小高い丘にある公園に遠足に行って、そこから初めて、自分たちの住む田舎の、田んぼの広がる景色を見て、その時の景色を今でも憶えてるってね。
 ちょうど今頃の季節で、広い平野の見渡す限りに、紫色のレンゲの花と、黄色の菜の花が、田んぼごとにだんだら模様になって広がっていて、子供心にもなんてきれいなんだろうと思ったんだって。
 だからばあちゃんは、毎年春になって、菜の花、レンゲ、サクラだけでなくいろんな花が咲くのを、楽しみにしていたなあ。オレも今、その気持ちが分かってきたよ。北海道もいいけれど、九州も悪くないってね。『願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ』という西行の思いは、日本人の心のふるさとなのかもしれないな。いいねえ、この情感が、年を取ったから分かるんだろうけれど。」と、ミャオが帰ってきたら話してやろう。