10月29日
いい季節だなあ。
私の苦手な、あのべっとりとまつわりつく夏の暑さが終わり、厳しい冬の寒さが来るまでには、まだ時間があり、青空高く天空が広がり、林の木々が色鮮やかに色づくころ。
9月10月とそれぞれ一回だけ行った、山々の紅葉とはまた違う、丘陵地の林の中の紅葉。
山に行って見る時の様な、一過性の紅葉ではなく、毎日少しづつ色づき変わっていく様を、また晴れた日に、そして、雨の日曇り空の日でもその色合いが変わっていく様を、そんな自宅林の樹々の色の変化を、毎日毎日、微に入り細に入り観察できることの楽しさ・・・こうして毎年、変わらずに私の目を楽しませてくれる、自然が身近にあることこそ、今ではそれが、私が生きて行く上での、大きな生きがいの一つになっているのだ。
もちろん、自然はその景観の素晴らしさを、私たちに見せてくれ楽しませてくれるだけではなく、逆にひとたび強大な力となって荒れ狂えば、私たち弱い人間は、その被害をまともに受けては、苦しむことになる。
三度もの、台風による強風と豪雨に繰り返し襲われた、房総半島の各市町村の被害の惨状、さらには一部のリンゴ園が壊滅状態になった長野千曲川流域、そして茨城・福島・宮城の農村部の被害などなど。
こうした、自然災害を受けた被災者たちの心情を思うと、紅葉がきれいだ月がきれいだとかいった、”花鳥風月”の雅(みやび)な世界などに浮かれていてはいけないのだろうが、しょせん人間は、いつも言っていることだが、アフリカのサバンナにいるヌーたちと同じようなもので、その群れの一頭が、ライオンに襲われて食べられているところを遠巻きにして見ている、他のヌーたちの思いと同じことで、同情はするけれども、自分でなくて良かったと思うのが本音のところだろう。
生きている者たちはすべて、自分の身に災いが降りかかってきて、初めて自分のこととしての痛みに気づくのだ。
ただ私たち人間は、そこに天文学的格差があるにせよ、それぞれに多少の蓄えがあり、それを個人の財産の差によって、寄付金ということで一系統に集約し、その募金を被災者たちに分配することはでいないものだろうか。
今の、各団体各会社等によるばらばらの寄付の呼びかけではなく、それこそチーム日本としてのまとまりで、こうした未曽有の災害には対応するべきではないのだろうか。
公共事業は政府や地方団体の責務だとしても、個人の生活保障などについては、同じ国民としての私たちがともに痛みを分かち合い、それぞれの年収に応じて、多少なりともの寄付金を出すべきではないのだろうか。
高齢者健康保険や高齢者介護保険が、あれほど見事に、働く人々すべてで支えるべく制度化されたように(ほとんど利用しない私たちには高すぎるが)、自然災害に関しても、同じようにすべての国民が加入すべき、災害保険として制度化することを考えたらどうだろうか。
もちろん収入の差によって、高額所得者ほど割高になるべく算定化するのは当然のことだが。
それでも、あの高度な社会保障制度が整えられた、北欧の国々と比べれば、まだまだ負担率は低い方で、受け入れられないほどの金額にはならないと思うのだが。
それに比べて、貧乏人やお金持ちからも同じ率で税金をかける消費税が、いかに理屈に合っていない課税制度なのかと、ここでも考えてしまう。
私たちは、見事な狩りをするライオンたちの目線ではなく、その他大勢のヌーの集団目線に立って、集団安保の役割を考えてみるべきではないのだろうか。
かくいう私は政治家ではないし、日ごろから生臭い経済の話をするのは避けているほどで、元来がぐうたらな毎日を送っている私には、”あっしにはかかわりのないことでござんす”と、だんまりを決め込んでいたほうがいいのだが、連日報道される被災者たちの声を聞いていると、高齢者の中には、このまま仕事をやめるという決断をされた人もいて、つらい気持ちになってしまったのだ。
さらに、これもまた関連のあることなのだが、先日NHKのドキュメンタリー番組 ”プロフェッショナル 仕事の流儀 吉永小百合”(74分)を見た。
私たち同世代の人間にとって、彼女は今でも”さゆりちゃん”と呼べる存在なのだが、その吉永小百合に、NHKは新作映画撮影に合わせて、10か月にも及ぶ密着取材を敢行して、”今の吉永小百合(74歳)”の姿を撮ってくれていたのだ。
彼女は、今ではもう”最後の映画スター”としての印象が強いのだが、ジムに通いトレーニングする姿や、スタッフたちと歓談するさまには、映画俳優としては素人(しろうと)であり続けたいという彼女の心構えが、日常の姿として映し出されていた。
最後に、この番組の若いプロデューサーが、”どうしてこの番組で長期間密着取材することを許してくれたのですか”という問いに、彼女はしばらくの時間をおいて、「女優としての仕事はやっていきたいけれど、私もそろそろ自分の幕引きを考えなければと思って・・・」。
人は最後まで、生きる力がある限り、自分の与えられた仕事を続けていきたいのだ。
しばらく前にあったことだが、ガンにかかって自分の余命が少ないこともわかっていた医師が、その日が来るまで、医師としての仕事を全うしていたというし、今日の夜のニュースでは、ガンの病魔に侵されながら映画を完成させた大林宣彦(のぶひこ)監督(81歳)の姿が映し出されていた。
思えば、私の友達たち何人もが、とうに引退してのんびりと暮らしていてもいい歳になっているのに、相変わらずに家業の店の仕事を続けている。
それに比べて、私は、ただぐうたらな自分だけの毎日を送っている・・・モミジがきれいホーヤレホー、雪が降る降るずんずん積もる、春の小川はさらさらいくよ、私の頭も”おつむてんてん”ちょうが舞う。
吉永小百合の思い出に残る映画は幾つもあるが、なんといってもあの『キューポラのある街』(1962年)での若い娘役が素晴らしかった。
何人もの子供を産んだ私の叔母さんが、つい言ってしまったのだろうが、”あんなかわいい子が自分の子供だったらねえ”、その時、ぼうぜんとして、自分たちの母の言葉を聞いていた子供たち。
映画『海峡』(1982年)での、互いに涙を流して高倉健と見詰め合うシーンは、映画史に残る名シーンだと思う(映画自体としては今一つだったが)。
多くの俳優たちが、自分の仕事について同じように言うのは。自分とは違う人生を、その人になりきって演じることができるからだということ。
さらに一つ、一時期、彼女と同じ学校に通っていた私は、何度か彼女の姿を見たことがあったが、彼女は二部(夜間科)であり、そうたびたび出会えることはなかったのだが、ある時、彼女は空き教室でひとり本を読んでいて、しかし私は、そんな彼女を見ながらも、近づくことさえできなかった。
それは、当時の学生たちみんながそうであったように、すでに映画スターであった彼女をそっとしておいてやろうという気持ちが強かったからでもある。
ちらりと見た、姿勢正しく座って本を読んでいた、あの彼女の横顔、古今の絵画には、それぞれの画家が描いた『本を読む娘』という題の絵が何枚もあるが、あの時の一瞬の絵は、私の視線の額縁となって切り取られて、私の『本を読む娘』となって、今なお鮮やかに脳裏に残っている。
そしてさらに、これはどうしても、この一週間の出来事として、書いておかなければならないことだが、W杯ラグビー準決勝でのイングランド対ニュージーランド、ウェールズ対南アフリカ。
それぞれ80分の試合時間の間、テレビ画面から目を離すことができなかった。
それぞれに、19-7に16-19というスコアが示すような大接戦で、いずれも予想を覆してのイングランドと南アフリカの勝利だったのだが、両チームともにそれぞれが自分の身体能力の限りに、一人一人が”one team"という思いにあふれていて、最後に勝敗のカギを握ったのは、両チームのヘッドコーチの作戦の組み立て方にあったように思うが。
それにしても実力が拮抗(きっこう)した、いい試合だったし、そこでふと思い出したのは、亡き映画評論家、淀川長治さんの言葉である・・・”若い時にこそ、いいものを一流のものを、たくさん見ておきなさい。”・・・と、じじいになった私は思い出すのでした。
一気に寒くはならないけれど、朝の冷え込みは0℃くらいにまで下がり、家の林の紅葉は今盛りの時を迎えている。
初めに、コナラやカシワなどの葉が黄色(冒頭の写真)や赤に変わってゆき、たちまちのうちに枯れた褐色になってしまった。
家の裏手に並ぶ、モミジの樹々には、まだ緑色の葉も見られるけれど、同じ木でも葉先がもう縮んでしまい枯れかかっている葉もあるが、全体に太陽に透かして見れば、今を盛りの紅葉色だ。(写真下)
毎年の、この一刻(ひととき)のために、いつまで続くのかわからないこの一瞬のために、私は生きていたいと思う。