12月30日
今日は風が強く、寒くなってきた。夕方には、怪しげな空模様になり、天気予報では、今日の夜から雪が降り、三日ほどは雪模様の日が続くとのことだ。
気温が10度を超えたこの二日間は、確かに暖かすぎたのだ。しかし、その天気の良い日のおかげで、ワタシは飼い主と一緒に散歩に行き、その後も居残って、刺激ある外での野生の行動を楽しむことができたのだ。
天気の悪い時や、雪が降って寒い時などは、一日中家にいて、飼い主から、寝てばっかりいてと言われるけれども、ワタシもぐうたらでそうしているわけではない。
半ノラネコ出身のワタシとすれば、食事と寝るときは、もちろん飼い主の傍にいれば安心なのだけれど、天気が悪くて外に出られず、ずっと家の中にいると、野生の何かがワタシに呼びかけてくるのだ。
かぐわしい風の匂い、土の香り、木や草の匂い、そこにつけられた他の動物たちの臭いをかぎ、そして離れた所で動き回る何かを見つめ、さらにすべての物音に耳をすませる・・・。
それは、狩りをすることと、危険を察知することの、相反した二つのことを同時に行わなければならない、緊張のひと時であり、喜びのひと時でもあるのだ。
何度も言うけれど、やさしい飼い主のもとで、毎日のエサと安全な寝る所があれば、後は、時々外に出て、それらの緊張のひと時を楽しむ・・・そんな、ひとりのネコの生活を、ワタシは悪くはないと、いや、なかなか良いものだと思っているのだ。
「思えば、このミャオのためのブログを書き始めて、もう一年になる。
去年の12月28日に、恐る恐る初めての記事を書き送って、最初はミャオの身の上話のつもりだったものが、いつしかミャオだけでなく、むしろ私の身辺雑記にまで話が広がリ、今では私自身が何かを考える場にさえなってしまった。
ブログを書き始めたきっかけになったのは、高齢になってはいたが、それまで元気にしていた母を、突然に亡くしたからである。それはひとりで受けとめるには、余りにも大きな喪失感だった。
しかし、家族との別れは誰にでもあることであり、むしろその後に、少しずつ少しずつ、故人から離れて、いかに自分の道へと戻るかが大切なことなのだ。どのみち、ひとりで歩いていかなければならないのだから。
そのための方向性を、このブログを書くことによって、さらに、もうひとりの家族である、ミャオと一緒にいることによって、私はいろいろと教えられたのだ。
時という偉大な作家が書いた、私の物語の中で・・・。(あのチャップリンが、映画『ライムライト』の中で言っていた。・・・The Time is a great author ,always writes perfect ending.・・・時は、偉大な作家なのだ。いつも、見事な結末を書いてくれる。)
前回からすっかり、辛気臭い話になってしまった。年の瀬だからというわけでもないのだが、少し弱い心になりかけていた私の心を、奮い立たせようと、文章にしてみただけのこと、つまり自らにかける呪文のようなものだ。
そんな思いでいたところ、昨日の朝早い時間に、NHKテレビで、今年106歳で亡くなった、あの永平寺の元貫首の宮崎奕保(えきほ)禅師の話を放映していた。何年か前に『NHKスペシャル』で見た時以上に、今回は、私の心に響いてきたのだ。
『・・・私は毎日、日記をつけているが、同じ時期になると花が咲き、また虫が鳴く。真理を黙って実行するのが自然、自然は人にほめられてもほめられなくても、時が来たら花を咲かせ、終われば黙って去っていく。・・・いつ死んでもいいと思うのが悟りだと思っていたけれども、それは間違いだった。平気で生きている時は、平気で生きて、死ぬる時は、死んだらいい。・・・』
それは、『方丈記』の鴨長明や、『徒然草』の兼好法師にみられるような、中世的な無常観と、道元を祖とする曹洞宗(そうとうしゅう)、ひいては禅宗の教えがあいまって作り上げた、日本的な穏やかな諦観(ていかん)とでも呼ぶべき生き方であり、宮崎禅師の心情の吐露でもある。
私は、最近になってようやく、あの良寛に関する本を読み終え、さらに遡って一休の本を読み始めて、先には、あの難解を極める『正法眼蔵随聞記(しょうほうがんぞうずいもんき)』の道元のもとへと、何時かはたどり着きたいと思っていただけに、その流れの続きにあり、現代に生きていた宮崎禅師の言葉は、ひときわ感慨を新たにするものだった。
この時の映像は、禅師104歳の時のもので、さらに学ぼうとし続けるその意欲には、ただただ感嘆するばかりだ。
私がこれから、ほんの少しの本を読んだだけでは、彼らの意図する真髄にまでは、もとより、その足元にさえ及び着くことはできないだろうが、日本人であることの、いや人間であることの、一つの生き方を、知ることはできるかもしれない。
そのために、読むべき本が、学ぶべきことがいかに多いことか、日本だけではない、古来より伝わる中国の思想、ギリシアに始まり、その後、キリスト教文明を根底に据えて、大きく成長してきた西洋の哲学・思想についても、私は、ほんの少しの表面を、見知っているだけだ・・・。
私はまだ、果てしない大海に泳ぎだしたばかりだが、それも、こんなに年を取ってから、それでも、何も知らないでいたよりは、先達者たちの、知という大きな海を垣間見ることができただけでも、幸せというべきだろう。
とても、ぐだぐだと落ち込んでばかりはいられないのだ。やるぞ、これからは、しっかりと勉強しよう。
・・・と、中年オヤジが自分で自分を励ましている姿なんか、あまり人様に見せられたもんじゃないが、まあ、だからこんな人の少ない、山の中に住んでいるのだとも言えるし。われながら、まったく、なんのこっちゃ。2008年はこうして暮れていくのでした・・・。」
今日は風が強く、寒くなってきた。夕方には、怪しげな空模様になり、天気予報では、今日の夜から雪が降り、三日ほどは雪模様の日が続くとのことだ。
気温が10度を超えたこの二日間は、確かに暖かすぎたのだ。しかし、その天気の良い日のおかげで、ワタシは飼い主と一緒に散歩に行き、その後も居残って、刺激ある外での野生の行動を楽しむことができたのだ。
天気の悪い時や、雪が降って寒い時などは、一日中家にいて、飼い主から、寝てばっかりいてと言われるけれども、ワタシもぐうたらでそうしているわけではない。
半ノラネコ出身のワタシとすれば、食事と寝るときは、もちろん飼い主の傍にいれば安心なのだけれど、天気が悪くて外に出られず、ずっと家の中にいると、野生の何かがワタシに呼びかけてくるのだ。
かぐわしい風の匂い、土の香り、木や草の匂い、そこにつけられた他の動物たちの臭いをかぎ、そして離れた所で動き回る何かを見つめ、さらにすべての物音に耳をすませる・・・。
それは、狩りをすることと、危険を察知することの、相反した二つのことを同時に行わなければならない、緊張のひと時であり、喜びのひと時でもあるのだ。
何度も言うけれど、やさしい飼い主のもとで、毎日のエサと安全な寝る所があれば、後は、時々外に出て、それらの緊張のひと時を楽しむ・・・そんな、ひとりのネコの生活を、ワタシは悪くはないと、いや、なかなか良いものだと思っているのだ。
「思えば、このミャオのためのブログを書き始めて、もう一年になる。
去年の12月28日に、恐る恐る初めての記事を書き送って、最初はミャオの身の上話のつもりだったものが、いつしかミャオだけでなく、むしろ私の身辺雑記にまで話が広がリ、今では私自身が何かを考える場にさえなってしまった。
ブログを書き始めたきっかけになったのは、高齢になってはいたが、それまで元気にしていた母を、突然に亡くしたからである。それはひとりで受けとめるには、余りにも大きな喪失感だった。
しかし、家族との別れは誰にでもあることであり、むしろその後に、少しずつ少しずつ、故人から離れて、いかに自分の道へと戻るかが大切なことなのだ。どのみち、ひとりで歩いていかなければならないのだから。
そのための方向性を、このブログを書くことによって、さらに、もうひとりの家族である、ミャオと一緒にいることによって、私はいろいろと教えられたのだ。
時という偉大な作家が書いた、私の物語の中で・・・。(あのチャップリンが、映画『ライムライト』の中で言っていた。・・・The Time is a great author ,always writes perfect ending.・・・時は、偉大な作家なのだ。いつも、見事な結末を書いてくれる。)
前回からすっかり、辛気臭い話になってしまった。年の瀬だからというわけでもないのだが、少し弱い心になりかけていた私の心を、奮い立たせようと、文章にしてみただけのこと、つまり自らにかける呪文のようなものだ。
そんな思いでいたところ、昨日の朝早い時間に、NHKテレビで、今年106歳で亡くなった、あの永平寺の元貫首の宮崎奕保(えきほ)禅師の話を放映していた。何年か前に『NHKスペシャル』で見た時以上に、今回は、私の心に響いてきたのだ。
『・・・私は毎日、日記をつけているが、同じ時期になると花が咲き、また虫が鳴く。真理を黙って実行するのが自然、自然は人にほめられてもほめられなくても、時が来たら花を咲かせ、終われば黙って去っていく。・・・いつ死んでもいいと思うのが悟りだと思っていたけれども、それは間違いだった。平気で生きている時は、平気で生きて、死ぬる時は、死んだらいい。・・・』
それは、『方丈記』の鴨長明や、『徒然草』の兼好法師にみられるような、中世的な無常観と、道元を祖とする曹洞宗(そうとうしゅう)、ひいては禅宗の教えがあいまって作り上げた、日本的な穏やかな諦観(ていかん)とでも呼ぶべき生き方であり、宮崎禅師の心情の吐露でもある。
私は、最近になってようやく、あの良寛に関する本を読み終え、さらに遡って一休の本を読み始めて、先には、あの難解を極める『正法眼蔵随聞記(しょうほうがんぞうずいもんき)』の道元のもとへと、何時かはたどり着きたいと思っていただけに、その流れの続きにあり、現代に生きていた宮崎禅師の言葉は、ひときわ感慨を新たにするものだった。
この時の映像は、禅師104歳の時のもので、さらに学ぼうとし続けるその意欲には、ただただ感嘆するばかりだ。
私がこれから、ほんの少しの本を読んだだけでは、彼らの意図する真髄にまでは、もとより、その足元にさえ及び着くことはできないだろうが、日本人であることの、いや人間であることの、一つの生き方を、知ることはできるかもしれない。
そのために、読むべき本が、学ぶべきことがいかに多いことか、日本だけではない、古来より伝わる中国の思想、ギリシアに始まり、その後、キリスト教文明を根底に据えて、大きく成長してきた西洋の哲学・思想についても、私は、ほんの少しの表面を、見知っているだけだ・・・。
私はまだ、果てしない大海に泳ぎだしたばかりだが、それも、こんなに年を取ってから、それでも、何も知らないでいたよりは、先達者たちの、知という大きな海を垣間見ることができただけでも、幸せというべきだろう。
とても、ぐだぐだと落ち込んでばかりはいられないのだ。やるぞ、これからは、しっかりと勉強しよう。
・・・と、中年オヤジが自分で自分を励ましている姿なんか、あまり人様に見せられたもんじゃないが、まあ、だからこんな人の少ない、山の中に住んでいるのだとも言えるし。われながら、まったく、なんのこっちゃ。2008年はこうして暮れていくのでした・・・。」