ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

静観の生活

2022-02-13 21:41:35 | Weblog



 2月13日

 ある日のこと・・・朝のうち、雪はひとしきり降っては一面に積もり、やがて止むとすぐに溶けて消えてしまった。
 そこには、それまでの冬枯れの庭の景色があるばかりだった。

 時が流れる中で、現実はいつも、それまでの記憶を少しずつおおい尽くしてゆく。
 そうして、一日が過ぎ、一年が過ぎ、十年が過ぎ、自分の人生が過ぎてゆく。

 入院手術の日々から半年が過ぎて、それまでに一ヵ月、三ヵ月の検診を受け、そして今回六ヵ月後の血液検査とCTスキャンの検診を受けたが、悪性腫瘍の転移は見られないとのことだった。
 しかし、私はもし転移が見つかったとしても、もうこの年では、老年期の悪性腫瘍は進行が遅いと聞いていたから、いつもその時まかせの私は、転移があろうがなかろうがそれほど心配はしていなかった。
 痛みさえないのであれば、前回書いた思いではないけれど、その時が来るまで再手術などしないで、”のんびりさせてもらいたい”と思っていたのだ。
 もっとも担当医師としては、医師の本分からしても、せっかく長時間をかけて悪性腫瘍を切除してあげたのに、一度は救った命なのにと口惜しい気持ちにもなるのだろうが。

 そうして私は、いつものように思うのだ。
 ここで何度もあげたことがあるけれども、あの良寛和尚(りょうかんおしょう)の言葉である。
 当時(江戸時代)の新潟地震で被害を受けた、近くに住む知人にあてた、見舞いの手紙の中に書いてある言葉。

 ”災難に逢う時節には 災難に逢うがよろしく候(そうろう) 死ぬ時節には死ぬがよろしく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候”

 人によっては、何と突き放した冷淡な言葉だと思うかもしれないが、そこにある真意は(遭うでなく逢うと書いてあるように)、おおらかな仏の愛の下に身をゆだねるべく、私たち衆生(しゅじょう)の安らかなる生を願ってのことだったのだろうが。(キリスト教におけるマリア様信仰にも似て。)

 さて、半年にわたって続けてきた”手術入院シリーズ”の第5弾、最後の話として、今回は事前に病室に持ち込んだものについて書いておくことにする。
 もちろん、入院にあたっては、事前に20数ページに及ぶ“入院のご案内”パンフレットを渡されていて、その中には日用品からスマホやパソコンに及ぶまで、様々な規則が書いてあり、それに従って、持ち込むべきものを決めておかなければならない。
 私のように一人で暮らしている者にとっては、後で必要なものがあっても、頼んで届けてくれる人がいないからなおさらのことだ(病院内に売店があるにせよ)。

 最初は2週間以上の予定だったから、その期間に応じて準備したのだが、手術がうまくいかずに、このまま病院で死ぬことになればなどと考えると、まずは自分の家の整理からすませておかなければならないから大変だ。
 しかし、元来が楽天的に考えてしまう人間だから、その時はその時のことで、生きている今心配してもはじまらないと思って、とりあえず、簡単な日用品洗面具やバスタオルなどに、替えの下着などを用意した。

 そして今は使っていない古いWi-Fiなしのノートパソコンに、北アルプスの山々などの登山写真を入れて時々見ることにして、さらに旅行の時に使うウォークマンに音楽を入れて(ネーヴェル指揮ウエルガス・アンサンブルによるルネッサンスの音楽、バッハの「ヴァイオリン・ソナタ」と「フランス組曲」、クープランの「クラヴサン曲集」、そしてブルックナーの「第4交響曲」に、昔のAKBと乃木坂の歌を少し)夜寝れない時に聞くことにしたのだが。

 本は、『万葉集』第一分冊の文庫本に同じく文庫の『徒然草(つれづれぐさ)』、そして新書版の『西行(さいぎょう)』、さらに『植物は知性を持っている』(NHK出版)と山と渓谷12月号別冊付録の『日本百名山ルートマップ』である。

 結果的に言えば、入院の期間が実質9日に縮まってしまい、パソコンの山の写真は一度見ただけであり、音楽も眠れないときに少し聞いただけであり、やはり私に一番向いているのは、読書であることがよく分かった。
 買ったままで長い間読んでいなかった『植物は知性をもっている』以外は、繰り返し読んできた本ではあるが、和歌や段落の短い文章が、昼間うとうとと寝る前に読むには、まさにうってつけの読み物だったこともある。
(その傾向は今も続いていて、夜眠りにおちる前には、必ず本を読んでいるのだが、いずれも和歌や短い文章が多い本ばかりである。ちなみに今読んでいるのは、『一日一文』(木田元編 岩波文庫)という文庫本で、かつて新潮文庫から出ていた梅原猛の『百人一語』と同じ系統の、読みやすい名文・名言集ともいえる。)

 病院で出された食事は、初めのうちは、ミキサーにかけられた流動食ばかりだったが、一週間もたつと主食のおかゆは変わらないとしても、おかずがついにやわらかい形のままで出されてきて、煮つけの魚や大根がなんと美味しかったことか。

 私は、食べ物に関してはぜいたくは言わないし、もともと子供のころから貧しい家庭で育ったせいか、温かいものを食べることが出来ればそれで十分だという体質であり、今までに忘れられない食事といえば、若き日のヨーロッパ旅行で立ち寄った、フランスはリヨンの友人の家で、パパとママンにごちそうになった夕食、イセエビのフランス風ソースかけであり、今でもあの時の味が思い出されるくらいだ。
 そして、同じく若いころに北海道をバイクでツーリングしていた時に、網走の近くで食べたイクラ・ラーメン、どんぶりの中の麺が見えないくらいに、イクラの粒が山盛りに乗っていた。

 その他、おいしかったと言える料理は、いつもたまたま出会ったものばかりであり、評判を聞きつけて行ったり、まして行列に並んだりして食べたことは一度もない。
 それほどまでして食べる気にならないというのは、ひとえに私のめんどくさがり屋のぐうたらな性格ゆえであり、加えて美味美食を求めるほどのグルメ舌を、私が持っていないためでもあるのだろうが。

 話が食べ物のことにそれてしまったが、元に戻そう。
 短い入院期間ではあったが、思えば本当に静かな部屋で穏やかに過ごすことができて、3食付きの良いホテルに泊まっているような入院の日々だったし、その静寂のひと時を破る来訪者は、かわいい看護師(婦)さんたちだけという、まさに天国顔負けのひと時だったのだ。あーあ何と幸せなことだったのだろう。

 まだまだ、この入院手術の体験にまつわる話はいろいろとあるのだが、もう半年も前の昔のことだし、これからは、たまたま話が及んだ時の、小話の一つとして書くことはあるかもしれないが、正面切って主題としてあげていくには気が引けるし、今回で終わりにする。
 ただ言えることは、前にも書いたことだが、検査、入院、悪性腫瘍摘出手術、治療退院という流れは、もちろん初めての体験ではあったのだが、本当に良い経験になったと思っている。
 昔の健康な体のまま死んでいくよりは、こうして自分の身に降りかかった大病を経験できたことで、また幾つもの新たな視点でものを見ることが出来るようになったからだ。
 たとえば、大病を克服して戻って来た人の、今後の抱負を述べる言葉として、”今までとは違う新しい命を授かって”とか、”新しく生まれ変わった体で”とかいう言葉を聞くことがあったが、今にしてその意味が多少ともわかった気にもなるのだ。

 ともかく、自分の人生の道は、だれでもそうなのだが、誰のものとも同じではないし、いつも自分だけの新しい道であるということだ。
 そして今、私は老人として振り返り思う思索の時にあり、すべてのものを受け入れるべく、大きな広がりの中にいるような気がする。
 薄明の道の彼方には、ぼんやりと見える小さな灯りがあって・・・。

”・・・(私たちは)望みや夢想や欲望や情熱に駆り立てられて、私たち人間の大部分がそうであるように、私たちの生涯の何年も何十年ものあいだ、焦り、いらいらし、緊張し、期待に満ち、実現あるいは幻滅のたびごとにはげしく興奮してきた。――そして今日、私自身の絵本を注意深くめくりながら、あの疾駆(しっく)と狂奔(きょうほん)から逃れて、すなはち「静観の生活」に到達したことが、どんなに素晴らしく、価値のあることであるかに驚嘆するのである。”

 (「人間は成熟するにつれて若くなる」ヘルマン・ヘッセ V・ミヒェルス編 岡田朝雄訳 草思社文庫)