ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(10)

2008-06-29 17:22:06 | Weblog
6月29日
拝啓 ミャオ様 
 四日間続いた晴れの日も終わり、今日は曇り空のまま夕方には小雨が降り出し、気温も16度位と肌寒い。
 この北海道の家に戻ってきてから、少しずつやっている草取り、草刈作業がなかなか終わらない。道の両側、車を停めるところ、畑の周り、庭とすべてを草刈鎌だけでやっているから、仕事がはかどらないのだ。
 今日もその草刈作業を二時間ほどした後、部屋に戻って一休み。新聞を広げながら聴いていたCDの音の流れが、いつしか私の心の中で、もの哀しく膨れ上がっていった。ミャオに会いたい。ミャオの体をなでて、可愛がってあげたい。
 ミャオが、半ノラからようやく我が家のネコに戻ったのに、私は再びミャオをひとり残して北海道に来てしまったのだ。それまでの、ほんの数日だったが、ミャオはずっと家に居て、私も傍にいて、なんと心穏やかな日々だったことだろう。
 人はいつも、一人になって、初めてなくしたものの大きさに気づくのだ。

 聴いていた音楽は、グレゴリオ聖歌集だ。音楽的には、中世の時代に成立したといわれる、キリスト教の聖歌を教会での典礼に従っててまとめたもので、西洋クラッシク音楽の源流の一つだとされている。
 さらに旋律的に言えば、モノフォニーからポリフォニーへなどと難しいこともあるのだが、そんなことまで知らなくてもいいし、わが国でいえば、あのお遍路さんたちが唱える御詠歌みたいなものなのだ。
 クラッシク音楽という難しいくくりに入れなくて、単純にヒーリング(いやし)・ミュージックだと思えばいい。事実、十数年前には、そのグレゴリオ聖歌集のCDが、世界中で大ヒットしたのだ。
 手元にあるCDは、「CANTO GREGORIANO」(ドキュメント・レーベル 10枚組み 1790円)という格安ボックス・セットなのだが、値段のわりに、十分納得して聞くことのできる、グレゴリオ聖歌集である。
 もちろんこの値段からして分かるように、他のCDのような正式な教会での合唱演奏ではなく、寄せ集めの合唱隊によるものだから、その筋の学究的な人々からは問題外の演奏だとされている。
 しかしよほどの専門家でない限り、ラテン語で歌われている意味を読み取り、聞く必要などないし、一つの音楽として、折にふれて聞けばいい。その意味では私の愛聴盤だとも言える。
 レコード時代のものでは、フランスのDECCAレーベルから20枚のシリーズとして出されたガジャール神父、クレール神父の指揮によるサン・ピエール・ド・ソレム修道院聖歌隊によるものが、教会での臨場感に溢れ、その素朴な歌声が素晴らしかった。
 普通のレコード・ジャケットの倍の厚みがあり、その装丁はまるで美術本のようだった。フラ・アンジェリコやラファエロの素晴らしさを、その時にはじめて知ったのだ。私は、そのシリーズのうちのわずか6枚しか持っていないが、レコードが聴けなくなっても、決して手放すことはないだろう。
 
 こうしてここまで書いてきて、ようやくつらい気持ちが大分おさまってきた。元来、日記というものは、古典文学の土佐日記、更級日記などに始まり、樋口一葉や永井荷風などと興味深いものが多く、一大ジャンルとなっているほどだが、個々人が書く日記は、もちろんそこまでの文学性などはないし、書き捨てるだけのものにせよ、「心のうさの捨て所」としての効用は十分にあるだろう。

 ところで、本題として書くつもりの山の話がすっかり遅くなってしまった。三日前、日高山脈の伏見岳(1792m)に登ってきた。今までに何度も登っているのだが、それは雪のある頃か紅葉の頃で、初夏の今に時期に登るのは初めてだった。
 晴れ渡った空の下、新緑のダケカンバの尾根道が気持ちよく、傍らに咲くヤマツツジやシラネアオイの花々を眺めながら、二時間半ほどで頂に立つことができた。
 東側に広がる十勝平野を除いて、日高山脈の山々がぐるりと取り囲む、展望の山なのだ。戸蔦別岳を前衛にした幌尻岳が素晴らしいのはもちろんだが、私の好きなのは、南側に戸蔦別川を挟んで相対するエサオマントッタベツ岳の姿だ(写真)。
 左にJ.P(ジャンクション・ピーク)があり、右の頂上との間に北東カール、頂上から右手に北カールが見えている。(J.Pの上にのぞいているのはカムイエク)
 このエサオマンをさらによく見るためには、積雪期に、その手前にあるカムイ岳の肩にまで登らなければならないが、その苦労に値する息を呑む眺めである。
 ともかく、今回の伏見岳では、数人の登山者に出会ったが、それぞれずっと離れていて、静かな新緑の展望の山を十分に楽しむことができた。道のない山の多い日高山脈だが、芽室岳、十勝幌尻岳、楽古岳と伴に、登山道が整備されていて、手軽に登れるいい山である。
 初夏の好天が続くこの時期に、まだまだ登りたい山が幾つもある。ミャオには申し訳ないが、これが、私が北海道にいたい理由の一つなのだ。
                        飼い主より 敬具

飼い主よりミャオへ(9)

2008-06-27 17:41:21 | Weblog
6月27日 
拝啓 ミャオ様
 四日前、散歩に連れ出したまま、オマエを置き去りにして、家を出て行ったのは、本当に申し訳ないと思っている。
 四年前に母が亡くなってから、オマエを一人残して、北海道に行かざるをえなくなって、これまで、もう十回余り、オマエとのつらい別れを繰り返してきた。
 それは、オマエの嘆きほどではないけれども、私にとっても、本当につらいことなのだ。今にして私は、幼い私を預けて働きに出ていた、母の気持ちが良く分かる。そのことについては、前回の別れの時(5月11日の項)にも、書いていたが、今回も同じことだ。
 こちらに着いた翌日は、確かにオマエの涙雨ではないかと思うほど、一日中雨が降り続き、私もすっかり滅入ってしまった。お互いに一人同士なのに、そして仲良くやっていけるのに、どうして遠く離れて暮らさなければならないのか。
 私が北海道に行かないで、ずっと九州にいるか、それともミャオを北海道に連れて来て、一緒に暮らすかなのだけれど、それはお互いに理由があって、どちらとも不可能だ。
 オマエがノラになって、つらい心休まらない毎日を送っているかと思うと、いいカゲンな飼い主とはいえ、長い間、同居人として暮らしてきた私は、自責の念に駆られ、いたたまれない気持ちになる。
 しかし、解決できない問題を、あれこれと思い悩んでいても仕方がない。人は皆、いつしか忙しい日常にまぎれて、少しずつそのつらさを忘れていくことだろう。あの映画「ライム・ライト」の中で、チャップリンの言った言葉、”The time is a great authour.”(時は、偉大な作家だ)のように、時が解決してくれるまで・・・。
 もちろん、一日たりとも、オマエのことを忘れてはいない。ミャオは、小さくても重たい文鎮のように、しっかりと私の心の中にあるからだ。時が、オマエと私を再び会わせるその日を信じて、ミャオ、辛抱して生きていてくれ。

 私がこちらに来て、三日目の午後から、ようやく晴れてきた。大きな青空の下、さわやかな風が吹きわたり、そこに、輝く北海道の初夏の光景があった。
 町まで買い物に行く途中、左右に流れていく田園風景を眺めながら、この二日ほどのつらい気持ちから抜け出て、ようやく北海道に帰ってきた喜びを味わうことができた。
 夏の盛りに、収穫期を迎える小麦畑が、今その成長の盛りにあった。そのすがすがしい薄青緑色のじゅうたんの広がりが、十勝晴れの青空の下に続いている。
 暗い雨の日ばかりは続かない。すっきりと晴れ渡る日もあるのだ。
 さらに次の日に、私は山に登ってきた。新緑に溢れる尾根道を歩き、頂から周囲の高い山々を眺めてきた。そのことについては、次の回に書こう。
 ともかく、私は少しずつ、北海道の生活に戻っていこうとしている。ミャオの場合は、そんな余裕もなく、つらく厳しい毎日だけなのだろうが、しかし一方では、外にいる時のオマエの、あの生き生きとした瞳の輝きに、私はノラとしてのたくましさも信じていたいのだ。勝手な飼い主で申し訳ないが。なんとか、元気で居てくれ。

              飼い主より 敬具

ワタシはネコである(54)

2008-06-24 16:13:27 | Weblog
6月24日 雨が降っている。また、ひとりぽっちのノラになった、ワタシの涙雨だ。
 一昨日の夕方、飼い主は大きなアジを一匹、ワタシにくれた。日ごろもらうものよりは、ずっと大きめのサカナで、ワタシが食べにくいだろうと、飼い主が二つに切ってくれた。
 時間をかけてゆっくりと、その大きなサカナを食べきった。そのまま、家で横になっていて、夜、トイレも含めて外に出ていたが、すぐに家に戻った。
 そして昨日の朝、いつものように、飼い主が起きて部屋から出てくると、ワタシはニャーと鳴いて、朝の挨拶をした。
 あの飼い主の200m走で家に戻ってから、四日間、ワタシはもう、隠れ家のポンプ小屋に行くことはなくなっていた。すっかり、この家のネコに戻っていたのだ。
 だから、朝、飼い主にかけたワタシの鳴き声も、何かを訴えたり、甘えたりするときの声とは違って、ネコなで声の、小さな優しい声になっているのが、自分でも分かった。
 人は、そしてネコもまた、心と体が満足すれば、誰にでも優しい気持ちになれるのではないだろうか。もちろん、それはいつも満たされていて、もののありがたみも分からないほどの、裕福な状態にあれば、なかなか気づくこともないだろうが。むしろ、辛い哀しい経験をした後にこそ、満たされたもののありがたさに気づくのだ。

 そして、テレビを見ながら、朝食をとっている飼い主の傍で、ワタシは丸くなって寝ていた。しばらく、家のあちこちで、ゴトゴトいわせていた飼い主が、ワタシを呼ぶ。
 昨日は、朝から、少し日も差していたし、これは散歩だなと、飼い主の後について外に出る。梅雨らしい、雨の日が続いたから、久しぶりに日の当たる朝の道を、歩いて行くのは気持ちがよかった。
 一緒に、ポンプ小屋方面への道を来たとき、ワタシが先になって、小さな石段の道を降りたのだが、その後になかなか飼い主が降りてこない。しばらく待っていたが、そのうちに、草むらの虫や小鳥の物音に、興味が引かれて、その辺りを歩き回って遊んでいた。
 何時間ほどたっただろうか、ワタシは少しおなかがすいて、家に戻った。すると、ベランダに、ほんの少しだけのキャットフードが置かれているだけで、ドアも雨戸も堅く閉められていた。夜でもないのに。
 ガーン、ワタシはやっと気づいた。飼い主が、また居なくなったのだ。鳴き声をあげながら、家の回りをまわってみたが、入り込む隙間はどこにもなかった。
 しかし、涙に暮れているわけにはいかない。この家には、またマイケルや他のネコたちがやってくるだろう。あのポンプ小屋に戻るしかないのだ。

 そして今日、雨が降っていて、外には出られない。もう丸一日、何も食べていない。ああ、あの大きなサカナが最後だったのか。夕暮れ時になったら、あのおじさんの所に、エサをもらいに行くしかない。これからまた、きびしいノラの生活が続くのだ。
 飼い主様、お願いですから、一日も早く帰ってきて下さい。

ワタシはネコである(53)

2008-06-21 14:22:40 | Weblog
6月21日 朝のうちは雨が上がっていたが、午後になって、また強い雨が降り出した。このところ、まるで梅雨末期のような大雨の日が続いている。人間だけでなく、ワタシたち外で活動するネコにとっても、嫌な季節だ。
 ところで、前回(18日)、ポンプ小屋に戻っていたワタシは、帰るにも帰られない状態にあったのだ。真夜中に家を出て、その日は一日中、ポンプ小屋周辺にいて、次の日の朝に、何とか帰ろうとしたのだが、大雨に降られて、途中から引き返し、ずぶぬれのまま震えていた。
 昼前になって、ようやく雨が小止みになったところで、飼い主の声が聞こえた。迎えにくるのが遅い。ワタシは大きな声でミギャーミギャーと鳴いた。飼い主にぬれた体を触られて、一安心して、一緒に歩いて家に向かう。
 ところが途中で、また雨が降り出し、よその家の軒先で雨宿りしていた。なかなかやまない雨に、飼い主は、小脇に挟んでいた棒状のものをサット差出して、大きく広げた。
 ワタシは突然現れた大きな物体に驚いた。思わず軒先から飛び出して、雨の降りしきる中、離れたところにある大きな木の下へと走った。
 飼い主は、すぐにその大きな物体を折りたたんで、見えないところに隠すと、戻ってくるようにと、しきりにワタシの名を呼んだ。
 木の下では、雨宿りにはならない。ワタシは恐る恐る、飼い主の近くへ歩いて行った。飼い主は何かを言いながら、ワタシの濡れた体をなでた。
 ようやく落ち着いてきたところで、飼い主は、突然ワタシを抱えあげて、走り出した。雨の振る中、タタタタタッと、飼い主はわき目も振らず走って行く。
 ワタシは暴れることもできず、抱えられた体を揺れるのに任せていた。飼い主の激しい息遣いが聞こえる。もしこの雨の中、滑りやすい道で、飼い主が足を取られて滑ったら、と思うと気が気ではなかった。
 家が見えてきた。ああ、よかった。肩で息をする飼い主と一緒になって、家に入って行った。飼い主は、「オレの200m走の新記録だ」と、あの鬼瓦の顔を引きつらせて、ワタシに言った。
 バッカじゃないのと思いながらも、ワタシは飼い主の顔を見上げて、ニャーと鳴いた。すると、早速、飼い主はサカナを出してくれた。やはり、これはウマイ。バリバリと音を立てて食べる。
 そして、その日は、夕方にもサカナをもらい、そのまま寝る。次の日(昨日)の朝、部屋に入ってきた飼い主が、叫び声をあげた。
 濡れた座布団を、ワタシの目の前に出して、なにかを言ったが、それは決してひどく怒っている声ではなかった。
 少しは悪いと、ワタシも思っていた。昨夜、トイレに出るのが嫌だった。雨は降っているし、他のネコが来ていないかと、不安だったし。そこで、この居心地のいい場所に自分の臭いをつけるためにもと、思わず出してしまったのだ。
 断っておくが、確かにワタシは、14歳にもなる老ネコ(見た目は若い)だが、体が弱ってきてもらしたワケではない。自分の意思でそこにしたのだ。
 その後、飼い主が洗濯するために、座布団とコタツ布団とを持っていった後に、押入れの中から、見慣れないクッションをワタシのために出してくれたが、ワタシはそれにも軽くスプレーをかけてやった。飼い主は悲しそうな顔をして、そのクッションも洗濯するために持っていった。
 ワタシは、コドモのころから今まで一度たりとも、自分の家の中で、シッコを撒き散らしたりしたことはない。それは、あのシャム猫、母さん(12月29日の項)から、ちゃんとしつけられていたからだ。
 飼い主も、そのことを知っているからこそ、そうまでして臭いをつけようとした、ワタシを叱らなかったのだ。つまり、この家は、マイケルなど他のネコの臭いだらけで、ミャオの家ではなくなっていたのだ。
 しかし、その200m走の後は、ずっとこの家にいる。昨夜も、外に出たが、朝早く帰ってきた。やはり、ポンプ小屋ではなく、この家が自分の家だと思っているからだ。そのことに気づくのに、飼い主が帰ってきて、二週間以上もたっていた。

 飼い主の声・・・「ようやくのことで、家のミャオになってきたのに、もう北海道へ戻らなければならない。すべては私が悪い。ごめんねミャオ。」

ワタシはネコである(52)

2008-06-18 20:58:48 | Weblog
6月18日 梅雨らしい雨や曇りの日が続いている。ワタシは家にいるときは、ただひたすらに寝ている。
 キャットフードを少し食べ、ミルクを飲んで、飼い主のそばで横になる。今は、ワタシ自身も惚れ惚れとするほどの、つやつやとしたビロードのような夏毛に覆われていて、そのワタシの体を、飼い主が優しくなでると、今までの気苦労も忘れて、トローンとまぶたが重くなり、もう眠たいだけ・・・。時に、イビキをかきながら眠り込んでしまうのだ。
 そうして癒されるのはワタシだけではない、飼い主の方も、やわらかい小さな生き物を、なでて可愛がることによって、心が落ち着き、優しい気持ちになれるのだと言っていた。
 他の小さな生き物を可愛いと思う気持ちは、原則的には、すべての生物の心の中にあるに違いない。母親犬が子猫を育てたりするように、種類が違う動物間の子育てや、仲間として生活を共にするということは良くあることだ。
 もちろん原則的にと言ったように、例外もある。クマやライオンのように、自らの優性本能から、メスの連れているコドモを殺したりする場合もある。もっとも、動物界で最低のモラルしかない人間は、自分の気まぐれや勝手な都合で、子供を殺してしまうのだから論外であるが。
 まあ、この問題は色々とあるからそのくらいにして、ともかく小さな生き物を可愛がることによって、心が癒されることは確かだろう。長期療養のお年寄りたちが、犬やネコに触れることで心からの笑顔を取り戻したり、家でペットを飼えない子供たちが、学校でウサギやニワトリを共同飼育したりなど、その効用は広く知られている。
 先日、理由もなく人々を殺して回った若者に、もし日ごろから可愛がるペットがいたらとか、あるいは大地震で避難生活をする人々のところに、犬やネコがいたらと思ってしまうのだ。
 まして家でペットを飼っている人たちにとっては、自分の心の癒しにと言うよりは、同じ家族の一員なのだという思いが強いだろう。しかし、そのかけがえのない家族としてのペットに対する思いが嵩じると、自分のペットだけを偏愛するようになってしまう。
 そのあたりの効用と危険性を、自分の体験から冷静に分析、評論した「イヌネコにしか心を開けない人たち」(香山リカ著)は、なかなか興味深い本だ。今までよく読まれてきた、ペット愛好家の著名人たちが書いたエッセイや、動物生態学者たちが書いた本などと比べると、精神科医としての著者の視点が新鮮に思える。
 さて、ワタシと飼い主との関係は、そう簡単に、一般的なペットとその愛好家という範疇ではくくれないのだ。それは、ワタシが今や、すっかり半ノラ的な性格になってしまったからだ。
 確かに、飼い主が出してくれたミルクをなめ、サカナを食べると、やはり家はいいなと思う。そして何より、安心して、ぐっすり寝ることができるからだ。
 しかし、あのニタニタ笑う鬼瓦の飼い主の顔に、いいかげん見あきて、あくびが出たときに、ふと半ノラとしての野生の思いが膨れ上がってくる。こんな所にいるより、あのポンプ小屋に戻ろう。
 そこは、ひと時たりとも、心落ち着ける所ではないけれど、逆に、常に何かの物音がして緊張し続けることで、本来の野生のネコとしての、本能や感覚が研ぎ澄まされていくのだ。
 ネコはヒマだから寝ているのだ、と言った学者先生もいたが、ワタシは、敢えてヒマな家にいるより、緊張の野外を選んだのだ。飼い主がいつも家にいる、普通の飼い猫なら、そんなことはしないだろう。繰り返すが、そんな半ノラに好き好んでなったワケではないし、いまさら飼い主がいる時に、ワタシも一緒にいるという、飼い主ベッタリ依存の生活には、もう戻れなくなってしまったのだ。
 それにしても、今日は暗いうちから出ていたので、おなかがすいた。明日の朝、飼い主が迎えにきたら、エサと睡眠のために一緒に家に帰ろう。それが、ワタシの生きる道なのだ。
 心配しないで。それは、別に厭世的になっているからというワケではなく、むしろ、ひとりで生きて行く気力に満ち溢れているからなのだ。

ワタシはネコである(51)

2008-06-15 16:51:22 | Weblog
6月15日 終日、雨が降り続いている。気温14度という肌寒さだ。ワタシは低く入れてもらったコタツの中で寝ている。6月半ばというのに・・・。
 居間の方から、飼い主の聞くCDの音が聞こえてきた。上品な、しかし、なんと鮮やかに、情感たっぷりに踊りまわるヴァイオリンの音だろう。ネコに小判ながら、あとで飼い主に聞いたところ、バロック時代のイタリアの作曲家、タルティーニ(1692-1770)によるものだとのこと。
 このタルティーニは、有名な「悪魔のトリル」で代表されるように、ヴァイオリンの技巧を発揮させるように作られた曲が多く、そのために、これ見よがしで表面的過ぎると学究派からは批判されることも多い。200曲ものヴァイオリン・ソナタと135曲ものヴァイオリン協奏曲があるのに、録音されているものは少なく、正当に評価されていないのかもしれない、と飼い主が言っていた。
 ついでながら、このCDはいつものことながら、あの安物買いの飼い主の趣向に合うものらしく、ブリリアント・レーベルの3枚組みで1,680円ということだ。
 雨の日に静かに聞くには、それほどはしゃぎすぎでもなく、かといって深刻に考え込むこともない、いい音楽だとワタシも思う。
 
 さて、ワタシの話だが、二日前飼い主が山から戻ってきた後、さっそくサカナをもらい、元気いっぱいになったワタシは、一日家にいて、外に出たくなった。しきりに鳴いて、飼い主を散歩に誘う。
 山歩きで疲れていただろう飼い主は、それでも文句も言わず、一緒に出てくれた。それは、ワタシを長い間、放って置いたことへの罪滅ぼしの気持ちからだったのかもしれないが、まあそれはいい。
 ともかくいつものコースを二人で歩いていき、そして例のポンプ小屋の少し手前のところにある、広い草むらの中にワタシは入り込んだ。そこでじっと身を潜める。ここには、野ネズミや野ウサギ、それにエサになる昆虫類もいるからだ。
 しかし、飼い主は待ちきれずに、先に一人で帰ってしまった。日が暮れて、夜になって、ワタシは隠れなれた近くのポンプ小屋に向かった。闇の中、家に帰るよりはこちらの方が安全だったからである。
 次に日(昨日)の朝早く、さっそく飼い主が迎えにきた。お互いに、ミャーミャー鳴いて呼び交わし、そしてわずか700mほどのところを、40分近くもかけて一緒に家に帰った。
 飼い主はもう、私を抱え上げて無理に連れて行こうとはせず、ワタシが休んだり、他の生き物の臭いをかぐために少し草むらに入っても、辛抱強く待っててくれたのだ。ほう、やればできるじゃない、とワタシは飼い主を見上げて、ミャーと鳴いた。
 そして、ワタシは昨日の夜、外に出たが、明け方には帰ってきた。今日は雨も降っているし、ずっと家の中にいる。マイケルは、飼い主が追い払ってくれたおかげで、このところ来ていないようだ。
 ワタシだって、何も好き好んで、あんなポンプ小屋にいたいわけではない。飼い主がそばにいて、ちゃんとサカナとミルクをくれるこの家にいるのが、一番いいのだ。そこんとこ、よろしく・・・といっても、また北海道へ行くんでしょうがね。どもならんわ、この鬼瓦は、とぼけた顔して、チャカチャカとパソコンを叩いて。

ワタシの飼い主(18)

2008-06-14 18:37:01 | Weblog
6月14日 うす曇り、気温23度。
 「昨日は、梅雨の晴れ間の一日で、九州の各地も30度を越えていたが、比較的に湿度が低く、からっとした暑さだったようだ。
 山の上なら、さらにさわやかな気分になれるだろう。ということで、またもや、九重の山に行く。一昨日の大雨の後、空気も澄んで、山もきれいに見えることだろう。もちろん、ミヤマキリシマの花を見るためでもあるのだが、今年は開花が早めで、さらにあの大雨のために花も散り、もう盛りを過ぎているのかもしれないのだが・・・。
 満開だけれど天気の悪い日と、咲き始めのころや盛りを過ぎてはいるが天気の良い日との、どちらかを選ぶとすれば、それは何を見に行くのかという目的によって異なるのだろうが、私はやはり天気の日のほうがいい。
 まして快晴の朝だ。ミャオは部屋の中で寝ている。静かにドアを閉めて家を出る。長者原の登山口の駐車場には、まだ十分に余裕があった。雨ガ池を越えて坊ガツルに出る。九重の山々に囲まれて、穏やかな草原・湿地が広がっている。
 まだ中学生だったころ、大人に連れられて来て、ここにテントを張り、いくつかの山に登った。夏にしては、空気の澄んだ晴れた日で、遠く雲仙の山までがはっきりと見えた。それが、私の初めての山だった。天気の良い日に、良い山に登ること、それが山が好きになるきっかけになるのかもしれない。
 しかし、それは規律的な集団登山(山にとっても百害あって一利なし)であってはいけない。あくまでも、少人数で行って、自然の奥深さに親しむための登山であるべきだ。
 さて、長者原からの登山者の殆どは、ここ坊ガツルからミヤマキリシマの二大名所である、平治岳か大船山に登るのだが、私はそのまま山すそにある法華院温泉へと向かう。
 これも昔の話だが、もう老年に近かった母と叔父を連れて、同じコースを歩いて法華院温泉に泊まったことがある。普段歩き慣れていない二人には、つらい歩行だったことだろうが、白濁の硫黄の臭い漂う、湯治場的な温泉山小屋を大変喜んでくれた。その二人も、今はもういない。
 そんな思い出に浸りながら、法華院から北へ、くたみ分かれ(くじゅうの語源とも言われ、万葉集にその名が出てくる)方面へと向かう。鉾立峠に着き、左に立中山への道をたどる。その南斜面には、少し盛りを過ぎていたが、鮮やかにミヤマキリシマが点在していた。
 なだらかな頂上に着く。東側に、白口岳、中岳、天狗ガ城そして三俣山(写真)、西に平治岳、大船山、南に遠く祖母、傾の山々・・・そよ風、快晴の空、他に誰もいない。なんという幸せなひとときだろう。生きていることに感謝するばかりだ・・・。
 しかし、そこから大船山への道は踏み跡と言うにふさわしく、リョウブなどの藪が道を被い、二度ほど迷って何とか道を見つけるほどだった。決して他の人に薦められる道ではない。楽しいひと時があれば、つらい不安なときもあるのだ。
 あとは、人々の賑わいの中、今が盛りのミヤマキリシマで溢れんばかりの北大船から、さらに平治岳に登って、長者原に戻った。7時間余りの、私には適度な山登りだった。

 家に戻ると、ずっと部屋にいたらしいミャオは、ミャーと鳴いて私を迎えてくれた。いつものサカナをやると、すっかり元気になってミャーミャーとうるさく鳴いて、散歩に行きたがった。私は山歩きで疲れていたが、一緒にいつもの散歩コースを歩いて行くと、また先の草薮の中に入っていってしまった。呼んでも戻ってこない。
 私はそのままひとりで帰ってきた。ミャオは夜になっても戻らなかった。また朝になって探しに行かなければ・・・。」

ワタシの飼い主(17)

2008-06-11 17:16:09 | Weblog
6月11日 「一昨日、また山登りに行ってきた。朝、6時に出て、午後3時過ぎに戻ってきたのだが、ミャオは何処にも行かなかったらしく、ニャーと鳴いて部屋から出てきた。その日の夕方、一緒に散歩に出たが、途中で草むらに入ったまま戻ってこなかった。
 昨日の朝早くに、探しに行くと、ミャオはなんとあの草むらの中から出てきた。一晩中じっとしていたのだろうか。すぐに連れて帰り、それからは家にずっといたけれど、しかし、今日の未明、ドアの音がしてミャオは外に出て行った。昨日から一日中、家にいたから、さすがに退屈になったのだろうか。
 その後、朝になって雨が降りはじめ、一日中、降り続いている。ミャオは帰ってこない。また遠く離れたあの隠れ家のポンプ小屋にまで行ってるとすれば、この雨では、帰ってこられないだろう。
 その時は、雨がやんでから、また迎えに行けばいい。もう深く考えないことにした。ミャオか北海道かと、難しく二者選択などと考えないことだ。今のミャオのことだけについて、対応するしかないのだから。
 
 そんな訳で、今日は雨も降っているし、ミャオもいないし、先日買ってきたCDを聞きながら、山の写真の整理をして、このブログ記事を書いている。
 ジョン・ダウランド(1563-1626) リュート曲集 4枚組みCD ブリリアント・レーベル 2,390円
 去年、タワー・レコードからオワゾリール・レーベルの復刻盤として出た、同じダウランドの4枚組みCDを持っていたのに、これはなんとBIS・レーベルのリンドベルイの復刻盤であり、思わず買ってしまったのだ。
 オワゾリール盤の四人の奏者の一人であった、リンドベルイがその17年後にひとりで演奏しているというだけでも十分に興味がある。92曲もの一つ一つを、それぞれに評価して行くことなどできないが、四枚のどれもが明晰で、確かな音の流れの中にあると言えるだろう。
 しかし、今、雨の音が強くなってきて、CDをとめた。やはり、これは静かなときに聞きたい。そういえば、一昨日、また九重の山に行ってきたのだが、メイン・ルートから離れた白口岳、稲星山周辺も静かだった。
 そこでの二時間余り、出会った人は一人で、離れたところで二人見かけただけ。天気はうす曇りで、いまひとつはっきりと青空が見られないのは残念だったが、点々と咲き誇るミヤマキリシマの花株を眺めながら、静かにひとり歩いて行くことができて、全くいい気分だった。(写真は稲星分岐付近より白口岳)
 そこでは、風の音と鳥の声が聞こえるだけで、それで十分だが、もしその時、小さく静かな音楽が流れてくるとすれば、このダウランドのリュート曲こそふさわしいと、今になって考えた。
 稲星山から空池をぬけて、久住山へのメイン・ルートに戻ると、人々が多くなり、仰ぎ見る頂上には、生徒たちらしい人影がアリのように群がっていて、いくつもの声が響き渡っていた。
 クルマでいっぱいの牧ノ戸峠の駐車場に戻ると、そこも人々でいっぱいだった。
さあ、ミャオが待っている、帰ろう。そして、家に戻ると、先に書いたようにミャオが、ニャーと鳴いて出迎えてくれたのだ。私は、オーヨシヨシとムツゴロウさん可愛がりをしてやった。」

ワタシの飼い主(16)

2008-06-08 22:05:15 | Weblog
6月8日 曇り後小雨。気温18度。
「ミャオの様子がおかしい。家のネコではなくなってしまった。私の知っているミャオではない。
 ミャオを可愛がっていた母が亡くなって四年になる。その間、私は北海道を往復する中で、ミャオを二ヶ月から四ヶ月もの間、ひとりにしておいてきた。それだけでも、飼い主としては、なんの申し開きもできない。しかし、この家に戻ってくるたびに、ミャオは飼い主である私を喜んで迎えてくれた。
 そのことに、私は慣れていたのかもしれない。ミャオは他人にはあまりなつかないから、私さえ戻ってくれば、すぐに家に帰ってくるはずだと。
 ところが、五日前に戻ってきたのに、ミャオは家にいてくれないのだ。私がいない間に見つけた自分の隠れ家に、すぐに戻って行ってしまうのだ。
 ミャオのいない家のなんという空しさ、寂しさ、私が悪いのだからとわかっているからこそ、後ろめたい思いにさいなまれるのだ。
 ところで、ミャオと一緒にいたときには、そんなことなど考えてもいなかったのに、いざいなくなると何というつらさだろう。それは人間でも同じことだ。一緒に暮らしている家族の一人がいなくなって初めて、その有り難味がわかるものだ。まして二人だけで暮らしていて、相手がいなくなったときの喪失感は、耐え難いものになるだろう。
 しかし生きとし生けるもの、すべてに等しく死は訪れ、いつの日にか、その別れの日は来るのだ。宗教のような終末観をあおるつもりはないが、その終わりの日があることを、しっかりと分かっておかなければならない。
 それにしても、こんな半ノラのネコにしてしまったのは、すべて飼い主である私の責任なのだ。この数日の経過をたどってみると・・・。
3日 夕方に家に帰ってきて、早速、ミャオを探しに行くが見つからず。
4日 朝、エサをあげてもらっているおじさんから、ここ何日か姿を見ていないと聞く。探しに行くが見つからず。昼前、昨日ミャオを見かけたとの情報で、再び探しに行く。地区のポンプ小屋でミャオを見つけて、つれて帰る。しかし、サカナなど食べた後、なんとマイケルが来てにらみ合う。夜には出て行って戻らず。
5日 夕方まで帰ってこないので、ポンプ小屋に行って、見つけてまたつれて帰るが、サカナを食べた後、また自分のすみかに帰って行く。 
6日 朝、またポンプ小屋まで行って、つれて帰ってくる。この日は夕方までいるが、サカナをやった後、一緒に散歩に行くと、途中で座り込み動かず、そのまま帰ってこない。
7日 朝、予定していたミヤマキリシマが盛りの九重の山に行く。昼には戻るが、やはり帰ってきていない。ポンプ小屋に迎えに行って、つれて帰る。
 つまり、ミャオはここでサカナなどを食べさせてもらうとしても、この家のいたるところにマイケルの臭いがついていて、ずっといるには危険な所になっていたのだ。
 ミャオの友達とばかり思っていたマイケルが、実はミャオにとっては、心身ともに深い傷を負わされた恐るべき敵だったのだ。そのことに気づかなかった私が悪い。
 今までこんなことはなかっただけに、私が帰ってくれば、ミャオもすぐに家に戻ってきていたのに、マイケルのせいで、自分の家ではなくなっていたのだ。
 ポンプ小屋に行っても、びくびくして出てくるミャオ、家でサカナを食べた後、いそいそと自分の隠れ家に戻っていくミャオ。そこには、ミャオの深い孤独の影が見えていた。ひとりの生き物としての・・・。それは、飼い主である私の心を映す鏡でもあったのだ。
 しかし、マイケルを追い払ったこともあってか、やっとのことで、ミャオは昨日からずっと家にいるようになった。多分もう大丈夫だと思うが、まだ問題は解決したわけではない。
 二週間後、私は北海道に戻らなければならない。飼い主の責任を放棄して、またミャオを置いていかなければならない。またミャオは、あの歌のせりふのように、星の流れの元で、ネグラを探し、鳴いて涸れ果てた声で、言うだろう、こんなノラに誰がしたと・・・ああ、ミャオよ。」 
 

ワタシはネコである(50)

2008-06-07 20:14:26 | Weblog
6月7日 うす曇り 気温24度 
 昼過ぎになって、飼い主が隠れ家にいたワタシを呼びにきた。やはり嬉しいから、ニャーニャーと鳴いて応える。しかし、遠い距離を歩いて家に戻るのは、気がすすまない。と言うより、あの飼い主が戻ってきた家に、問題があるのだ。
 はっきり言えば、今や恐ろしい敵でもある、マイケルが自分の匂いをつけまくっている、あの家になんか行きたくはないのだ。
 ところが、飼い主は嫌がるワタシを抱きかかえて、家につれて帰った。そこで、しばらく体をなでられた後、ミルク、キャットフード、コアジ一匹を差し出され、食べれば、いい気分になって、飼い主のそばでうたた寝をする。
 しかし、時々、外が気になる。ベランダに出たり、窓際に座って外を見たりする。そして、夕方のサカナをもらえば、姿を隠すために、また遠く離れたあの場所に戻って行くだけだ。
 どうして、こんな半ノラのネコになってしまったのか。そうじゃなくて、こんな半ノラに、誰がしたんだ。
 飼い主から、こんな悲しい歌について聞いたことがある。 
 「星の流れに身を占って 何処をねぐらの今日の宿 荒(すさ)む心でいるのじゃないが 泣けて涙も枯れ果てた こんな女に誰がした」(作詞 清水みのる、作曲 利根一郎)
 終戦直後(と言っても、もう60年も前)の歌なのだが、戦後の混乱の中、家族とはぐれ、生きて行くために、食べものを得るために、街角に立つようになった哀れな女の独り言なのだが、この後に続く二番の歌詞には泣かされる。あの独特な歌いまわしの菊池章子の声が、またこの歌にうまく合っていた。飼い主もその時代のことは知らないが、後になって聞いた歌だそうで、それにしても、みんながつらく悲しかった時代の歌だ。自分の贅沢のための金を得るために、出会い系サイトで男を探す、今の若い子達とはえらい違いだ。
 ともかく、この歌の詩が、まさに今のワタシの境遇を語っているのだ。こんな半ノラに誰がした・・・。明日、続いて、飼い主がつらい話をするとのことだ。