ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(61)

2009-06-26 19:35:55 | Weblog

   


6月26日
 拝啓 ミャオ様


 ミャオ、ごめんね。オマエをまた、ひとりぼっちにしてしまって。いつものこととはいえ、私との別れで、オマエは、また、一転してノラの生活へと、逆戻りすることになったのだ。
 後ろ髪を引かれる思いで、オマエと別れた私だけれど、いつも、そんなつらい境遇にオマエを追いやるしかない、自分が、ただただ悲しい。
 二日前の朝、少し早いけれど、いつもの散歩にとオマエを連れ出した。しかし、私は出発前で急いでいたから、途中でひとり家に戻り、家の戸締りをしていたところ、開けていた玄関から、突然、オマエは走りこんできた。
 いつもなら、そのまましばらく、野原で過ごして、午後になって戻ってくるのに、オマエは、いつもと違う私の気配を感じたのだろう。
 仕方なく、キャット・フードを器に入れて、オマエの体ごとベランダの外に出し、内側からドアの鍵をかけた。さらに、玄関のドアの鍵もかけて、外に出た。
 気になってベランダのほうに回ると、オマエは振り返り、私を見て、ミャーと鳴いた。許してくれ、ミャオ。私は、急ぎ足で家を離れた。
 バス停までの、20分ほどの道のりの間、振り返って私を見たミャオの顔が、何度も目に浮かんだ。

 「神様、飼い主である私のために、このネコをお助けください。風の中の草をお助けになるように。飼い主が、心の中で泣いておりますれば・・・。」(フランシス・ジャム『子供の死なぬための祈り』より転用)

 同じように、いつも思い出すことだが、それは私の子供の頃の、去っていく母の思いでもあったのだ。(去年の5月11日の項)
 まだしばらくは、ミャオのことを思うつらい気持ちから、離れられないだろう。しかし、そうしてばかりもいられない。戻ってきた、北海道での毎日があるからだ。

 二日前に、私は、さわやかな青空が広がる、北海道の十勝に帰ってきた。ただ、さすがに3週間も留守にした家のまわりには、一面に草が生い茂っていた。
 家に入ると、ひんやりと涼しい。夕方の外の気温が、23度もあるのに、家の中は16度くらいだ。
 そして、昨日今日と、朝早い時間に、草刈をした。まだまだ残りがあって、1週間くらいはかかるだろう。しかし、汗をかいても、家の中に戻れば、冷房が効いているような涼しさだ。
 しかしこの二日、帯広では30度を越える暑さになっている。もっとも、そこからはずっと離れた田舎にある我が家は、さらに、樹々に囲まれているから、ひと夏を通じても、30度を越えることは少なくて、いつも帯広よりは2、3度くらい低い。
 夏の日差しは、ここでも暑いのだが、日陰や家の中では、サラッとして涼しいし、同じように夜も涼しい。これが、私が北海道に住みたいと思った理由の一つでもある。
 話を聞けば、この3週間、つまり私が九州に居た間、ここ十勝地方では天気が悪くて、気温が低く、なんとストーヴに火を入れるほどだったとか。九州では、梅雨とは思えない、連日の晴れの日が続いていたというのに。

 庭には、白いフランスギクや、紫や桃色のストック(のぼりふじ)の花が咲いているし、藪(やぶ)のようになってしまった生垣には、ハマナスの赤い花がいたるところに咲いている。
 日中は暑くて、外での仕事はやりたくない。カメラを持って、家の周りを歩く。野原には、点々と、ヒオウギアヤメ(写真)とエゾフウロ(写真・後)の花が咲いている。青空の下、吹き渡る風が心地よい。ミャオがいない寂しさは、何とか他のことで紛(まぎ)らわせるしかないのだ。

 今朝早く、NHK・BSで、3年前の、鈴木雅明指揮によるバッハ・コレギウム・ジャパンの、神戸・松蔭女子大チャペルにおける演奏が、放映されていた。
 この組み合わせの演奏は、前にも何度か、テレビで放送されていたが、やはり何度聞いても良い音楽だと思う。バッハが好きな演奏家たちが奏でる、バッハの音楽を聞くことは、バッハの愛好家たちにとっての、この上ない喜びなのだ。
 オルガン・コラール前奏曲からの一曲と、管弦楽組曲・第一番からの曲を、間に挟んで、前後に、教会カンタータの第128番「ただキリストの昇天のみが」と、第74番「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」が演奏されていた。
 この二つのカンタータの、ソロ・アリアの楽章の、何という純粋な天国的な美しさ・・・チェロとオルガンの通奏低音の上に、ソロの歌声と、オーボエのメロディーが入れ替わり立ち代り、告白の言葉をつむいでいくのだ。
 
 バッハの四つの声楽の大曲、「マタイ受難曲」に「ヨハネ受難曲」、さらに「ロ短調ミサ曲」と「クリスマス・オラトリオ」、そして、器楽曲の「平均律クラヴィア曲集」と、無伴奏のヴァイオリンとチェロのためのそれぞれの六つの曲。
 それだけあれば、他に音楽がなくても、、私は心安らかに生きていける気がする。やはり、私にとって、いかに他の様々な曲を聞こうとも、帰するところは、野原の中を駆け巡るような、時には明るく、ある時は哀しい、あのバッハのせせらぎの音なのだ。
 つまり、私には、バッハは確かに、小川(BACH)ではなく、すべての音の響きの源たる音の大河なのだ。


 ところで、このテレビでの演奏の、二番目に弾かれたオルガン・コラール前奏曲は、第727番「わたしは心から待ち望む」である。
 ミャオ、私は、オマエとまた元気で会えることを、心から待ち望んでいる。元気でいてくれ。

                     飼い主より 敬具


ワタシはネコである(107)

2009-06-21 17:50:49 | Weblog



6月21日

 昨日の夜から少しむし暑くなり、今日は、朝から気温が18度もあって、すぐに小雨が降ってきた。梅雨の時期に、こんなことを言うのはおかしいけれど、全く久しぶりの雨だ。
 朝、飼い主と一緒に、いつもの散歩に行ってきた。飼い主は先に帰り、ワタシは後から戻ってきて、雨にぬれてしまった。ベランダから、家の中に入り、ニャーと鳴くと、飼い主がやってきて、おーよしよしと、言いながら、ワタシの体をタオルでふいてくれた。
 飼い主が戻ってきて、3週間足らずの間に、雨にぬれて体をふいてもらったのは、確か、たったの二度だけだ。それほどに、これまでは雨が降らずに、良い天気の日が続いたのだ。
 もっとも、飼い主の話によれば、この後が、本当の梅雨入りで、天気予報も、ずっと曇りか雨だそうだ。

 しかしワタシにとっては、天気もそうだけれど、それ以上に、飼い主のこれからの動向が気になる。こうして、毎日、生魚をもらい、好きなだけミルクを飲んで、安心してぐっすり寝ることのできた日々が終わり、また、ひとりぼっちのノラの生活に戻る時が、近づいてきているのではないかと思うからだ。
 ままよ、今はただ、この雨模様の空の下、しっかりと眠っておくほかはないのだ。明日のことは、明日になって考えればよい。

 「北海道に戻る日が、近づいてきた。いつも、そのたびに思うことだけれど、何も知らずに、私のそばで寝ているミャオを見ているとつらくなる。
 ミャオと一緒に、ここで暮らすことが、イヤなわけではない。むしろ、私にとっては、ここにいれば良いことのほうが多いのだ。
 まず、ミャオがいることで、確かに少し、自分の自由がきかなくなるが、それでも、ミャオと一緒にいることによる、精神的な安らぎを得ることのほうが、私には大きい。
 さらに、この九州の家のほうが暮らしやすいのだ。トイレは水洗だし、風呂は毎日でもはいれるし、いつでも洗濯できるし、つまり、別に特別立派な家でもなく、ごく普通の古い家なのだが。

 北海道の家は、乏しい予算の中で、自力で建てた山小屋だから、今になって思えば、不便なところが余りにも多すぎるのだ。
 トイレは、家の中にポットン式があるが、お客様専用で、自分は外に作ったバイオ・トイレ(聞こえはいいが、他人には勧められない、あの立ちナントカ)を使っている。特に、冬の雪の時や、大雨の時は悲惨である。
 次に、時々枯れてしまう井戸水のために、水を好きなだけ使うことはできない。その上、水が冷たくて、古い二槽式の洗濯機はほとんど使っていない。そのために、2週間分の洗濯物を持って、離れた町のコインランドリーへ行かなければならない。
 外の五右衛門風呂も、確かに沸(わ)かして入れば最高の気分なのだが、沸き上がるまで1時間以上も、火の傍についていなければならないし、水が心配で、そうしょっちゅう沸かすわけにもいかない。


 そんな不便な小汚い家だけれど、何といっても北海道が好きで、自分で建てた家だ、そう簡単に、見限るわけにはいかない。むしろ、北海道の家に戻ると、ほっとして、やはりここはいいなあ、とさえ思ってしまうのだ。
 つまり、ことは簡単ではない。ミャオを選ぶか、北海道を選ぶかといった単純な問題ではないのだ。世の中には、イエスかノーか、あるいは黒か白かというような、択一(たくいつ)的な問題ばかりではないのだ。
 昨日、民放の『人生の楽園』という番組の中で、京都の伏見人形”饅頭(まんじゅう)喰い”が出てきて、そのいわれを話していた。

 『ある男が、まんじゅうを持っていた子供に、”両親のうちどちらのほうが大事か”、と尋ねたところ、その子は、手にしていたまんじゅうを二つに割って、”おじさん、これどっちがおいしい”、と聞き返したそうである。』

 つまり、私にとって、ミャオも北海道も、比べられないもので、合わせて一つの、大事なものなのだ。前回、山について書いたことも、同じことで、九重の山も、北海道の山も、私にとっては、どちらも大切な山々なのだ。
 ただ、目の前の日常が変わること、例えば、ミャオと一緒に散歩すること(写真)が、できなくなるのは、私にとってつらいことなのだ。ミャオにとっては、私以上にツライことになるが。

 金曜日のNHK・教育で、なんとあの、フランツ・ウェルザー・メスト指揮による、クリーヴランド管弦楽団の演奏会が放映された。それも、ブルックナーの交響曲、5番、7番の2曲、という内容で。ただし、10時半という時間は、私のもう寝ている時間なので、録画して、翌日に見たのだが、なかなかに興味深かった。
 一つには、私は、今はもうすっかり、中世・ルネッサンスやバロックばかり聞いているのだが、久しぶりにブルックナーを聞いて、ロマン派のシンフォニーの良さを再認識したということである。
 次に、ブルックナーと言えば、ベーム、カラヤン、ヨッホム、ヴァントと言われた時代から、次の次の世代である、ウェルザー・メスト達の時代へと移り変わってきているということ。まだ若手だと思っていた彼が、もう49歳にもなるのだ。
 そして、ブルックナーの第5番の演奏が、あのブルックナーゆかりの、オーストリアはリンツの、ザンクト・フローリアン修道院の教会で行われたということ。
 ウェルザー・メストにとっては、故郷への凱旋(がいせん)公演でもあったろうし、アメリカの名門オーケストラ、クリーヴランド管弦楽団とはいえ、その団員達にとっては、ブルックナーの聖地で、それも音の反響が多い教会での演奏に、緊張している様が見て取れた。
 私は、若いころのヨーロッパ旅行の時に、何度も教会での演奏会に足を運んだのだが、もちろん、それぞれの教会や座る位置にもよるが、そのこだまするほどの、音の反響には、少なからず驚かされ、また納得することも多かった。
 ウェルザー・メストの指揮は、その教会での深い残響の中に、原始霧の中から現われてくる、ブルックナーの思いの音をちりばめ、漂わせ、いとおしむかのようだった。
 私たちが、今までブルックナーに抱いていたイメージ・・・つまり、教会のパイプ・オルガンが奏でる、神の意志のごとき、地響きをあげる重低音の迫力に似て、フル・オーケストラの重たい響きで迫ってくる演奏・・・からは少し離れて、それは響きの中にあっても、それぞれの音が天使たちのように、きらめき舞い上がるやさしさに満ちていた。
 ブルックナー自身の、内なる神への感動の高まりを、表現することはもとよりのことだが、より以上に、ブルックナーの逍遥(しょうよう)する果てしなき思いのほうに、ウェルザー・メストの共感があったように思えてならない。
 
 アントン・ブルックナー(1824~1896)。オーストリアのリンツ郊外に生まれ、少年時代をリンツのザンクト(聖)フローリアン修道院の、少年聖歌隊、オルガニストとしてすごし、のちに学校教員として作曲をはじめ、次第に名声が高まり、ウィーン大学に迎えられるが、生涯独身のまま、その地で没し、彼の遺言通りに、遺体は聖フローリアン地下に納められる。
 ブルックナーは、同時代のワーグナー、ブラームスほどには、もてはやされなかったが、偉大なるベートーヴェンの交響曲の跡を継ぐべく苦闘して、結果としては、同じように九つの長大な交響曲を残した。
  神への信仰を、その神秘性と倫理性を、矛盾することなく併せ持つことができた最後の時代に、その信仰をよりどころとして、純朴(じゅんぼく)に生きたブルックナー。
 彼の交響曲の、壮大な音の伽藍(がらん)の中に、我々は今、人として、神への真摯(しんし)な思いを聞くべきなのだろうが・・・生きていくということとは・・・。


 ミャオよ、しばしの別れだ。オマエにも、神の恩寵(おんちょう)がありますように・・・。


ワタシはネコである(106)

2009-06-17 18:39:50 | Weblog



6月17日

 晴れた日が続いている。繰り返し言うけれど、ここ九州では、一週間前の梅雨入り宣言の時に、一日雨が降っただけで、後は毎日、晴れの天気だ。恐らく、気象庁は、後になって、西日本の梅雨入りを訂正するに違いない。

 この天気はひとえに、ネコであるワタシが、せっかく九州に戻ってきた飼い主のためにと、同じヒゲのある仲間の、八大竜王(はちだいりゅうおう、雨乞いの神様)に、なるべく雨降りをお控え下さいと、お願いしたからなのだ。それまで、飼い主がいた北海道では今、気温15度位の、5月並みの寒い日が続いているというのに。
 飼い主は、それを知ってか知らずか、この8日ほどの間に、何と、三度も山登りに行ってきたのだ。午後になって帰ってきては、例の日焼けした赤鼻の顔で、迎えに出たワタシを、満面の笑みで、オーヨシヨシと言いながらなでまわすのだ。
 
 今日も朝から、快晴の空が広がっている。気温は朝、13度位でひんやりしているが、日中は26度位まで上がる。しかし、空気が乾いていて、日陰にいれば涼しい。
 朝のうちに、飼い主と散歩に出るのだが、舗装道路はもうすっかり熱くなっていて、ワタシは、木陰で立ち止まり、休んでしまう。それで、飼い主はしびれを切らして、先に帰ってしまうのだが、まあワタシとしては、しばらく自然の中に囲まれて過ごし、午後になって家に帰れば良いのだから。
 ワタシたちネコにとっても、晴れた日のほうが良い。家の中から外に出て、風通しの良い日陰で、うつらうつらと寝ながら、時折、鳥や虫たちの物音に耳をすませる。

 「こんなに晴れた日が続くなら、あの九重山は、坊ガツルにテントを張って、二三日を過ごし、あちこちの山々に登って、盛りのミヤマキリシマの花々を、楽しむことができたのにとも思うが、ミャオが家で待っているから、そういうわけにもいかない。
 それでも、一昨日も、この一週間余りで、三度目になる九重に行ってきた。それは、前回、時間がなくて行けなかった、その先にある山々の花を見たかったからである。

 九重の山々の、ミヤマキリシマの主な群生地は、大体、知っているつもりだから、そこが、今年のような当たり年の時に、どうなのか、見ておきたいからである。とはいっても、わずか三日くらいでは、すべてのミヤマキリシマ群落を見ることはできない。
 特に他の山々から見ても、赤く染まっていた三俣山(1745m)と、去年登ったった立中山(1468m)に行くことができなかったのは、心残りではある。


 6時半、牧ノ戸峠にクルマを停めて、二日前と同じ道を、心もち急ぎ足で歩いて行く、一番目の目的の山、久住山(1787m)の登りにかかるころは、もう先に誰もいなくなった。
 快晴の空が広がっていて、人影もないし、久住山の山腹は赤く染まっているし、言うことはなかった。頂上で雲海の上の、祖母・傾や阿蘇山の写真を撮って、一休みした後、尾根を東に向かう。
 その久住の東の肩の南面、やはりここも、初めて見るほどにびっしりと花が咲いている。残念なことには、もうその南面からガス(霧)が吹きあがってきていた。
 次の稲星山(1774m)から白口岳(1730m)辺りまでは、なんとか、雲の間に間に日も差していて、稲星の山頂付近の群落(写真)や、白口の頂上東斜面は期待通りの素晴らしさだった。
 その上、人に会ったのは、三人だけだった。道端のコケモモやマイヅルソウ、イワカガミの花を見ながら、白口岳に登り、その西端の岩棚の上で、正面に中岳(1791m)を見て、静かなひと時を過ごした。ウグイスとホトトギスの声が聞こえている。雲が空の大部分を覆っていたが、風も弱く、周りの山々も見えていた。
 次の中岳への登りでは、所々で群生しているミヤマキリシマが、その山腹を点々と彩(いろど)り、見事だったが、惜しむらくは、日がかげっていなければと思う。
 さらに天狗ヶ城(1760m)に登る。眼下に御池を望む南面と、頂上から続く北西面は、いつも通り以上の花の数だが、何といっても、日が差していないのが、残念だった。
 こんな曇り空で、これ以上、他の山に登っても仕方がない。縦走路をたどり、足早に、牧ノ戸峠に戻った。わずか6時間半ほどの山歩きだった。花は、明らかに盛りを過ぎていたが、それでも、まだ今が盛りの所もあって、十分に楽しむことができた。

 多くの小さな山々からなる九重山は、それほど標高が高くないのに、火山の山容が形づくる、高山性の雰囲気が素晴らしく、アプローチが簡単で、初夏のこのミヤマキリシマのころや、秋の紅葉の時期、そして冬の雪が降った後、などはもちろんのこと、いつ行っても、それなりの山歩きが楽しめるのだ。
 山に登った回数など数えてはいないが、この九重山群と北アルプス、そして北海道の大雪山と日高山脈が、私の最も多く登った山々である。このうち、どの一つの山群が欠けても、私の登山人生は成り立たなかったに違いない。
 しかし、日本一の山でもある富士山には、私はまだ登っていない。その昔、夜行寝台列車の車窓から、快晴の冬の朝、優雅な裾野を引いて聳(そび)え立つ富士山の姿を、初めて見た。
 田子の浦の海岸から、掛け値なしの3776mの標高で、せり上がる山・・・それは、私にとって、初めて見上げる高さだった。
 その後、長く住むことになった東京から、そして周りの山々から、私は、どれほど多く、この山を眺め続けたことだろう。だけれども、いつも畏敬(いけい)の念を持って見ていたその山に、あえて登りたいとは思わなかった。
 しかし、最近になって、その富士山に、もう登りに行っても良いのかもしれない、と思うようになってきた。それは、私の行く手に、何かが見えるようになってきたからだ・・・。


 『願わくば、人のいない春行かむ、冬の名残(なごり)の雪のあるころ』、と思ってはいるのだが・・・。」


ワタシはネコである(105)

2009-06-14 18:04:48 | Weblog



6月14日


 さわやかな青空が広がっている。とても、梅雨に入っているとは思えない。その後、たった一日雨が降っただけで、晴れた日が続き、今後一週間も、雨は降らないだろうとのことだ。それでも、今は、梅雨の中休みだと言うそうである。

 まあ、人間たちが勝手に、空模様に名前を付けているだけだから、ワタシたちネコが、とやかく言うことはないのだが・・・。ともかく、ワタシたちは、その日の天気に応じて、行動するだけである。
 それは、また飼い主が戻ってきてからの、ワタシの対応と同じことだ。長い間、ワタシをノラネコにしておいて、いざ帰ってくれば、ワタシをネコ可愛がりする。
 どうして、ワタシを放っておいたのかと、問い詰めたところで、どうなるわけでもない。その思いはぐっと飲み込んで、むしろ、今一緒にいられることをありがたく思いたい。


 飼い主と家に戻ってきて以来、もう10日になるが、ワタシは、冬の間、飼い主と一緒に暮らしていた時と、同じような毎日を過ごしている。
 つまり、雨降りの日以外は、午前中か夕方に、必ず一緒に、長い散歩に出かけることにしている。夕方には、生の小さなサカナを一匹か二匹もらい、後は時々ミルクを飲むだけだが、それで食事は十分である。
 夜は、飼い主とすこしふざけて、噛みつきごっこなどをした後、やさしくなでられて、飼い主の布団の足元で寝る。
 まあ、時々飼い主がクルマで出かけることがあるが、ちゃんと夕方には帰ってきて、サカナをくれて、ワタシが、飼い主のそばで安心して寝ることができれば、それで、良いのだ。
 
 つまり、年寄りネコのワタシにとっては、変わらない日常こそが、最も大事なことなのだ。
 『静かな眼 平和な心 その他に何の宝が世にあろう』(三好達治)


 「快晴の日曜日の今日。ミヤマキリシマの花が満開の、九重の山々は、多くの人々でにぎわっていることだろう。
 混雑するところに、出かけたくはない私は、そんな日には、一日家にいる。まずミャオと一緒に散歩に出る。ゆっくりと歩きまわった後、先に家に戻って、まず部屋中に掃除機をかけ、洗濯をして、庭木の刈り込みと、草刈りを少しして、そして、二日前に行った山の写真の整理をする。
 そうなのだ。4日前の平治岳(6月10日の項)に続いて、また九重の山に、ミヤマキリシマの花を見に行ってきたのだ。


 登山口の牧ノ戸峠(1333m)に着いたのは、6時半。まだ駐車場は、所々空いていた。(これが、戻ってきたときには、駐車場はいっぱいで、道の片側に、停められたクルマの列が並んでいたのだ。)
 沓掛山(1503m)付近の花は、さすがにもう終わりだったが、そこから人々とともに縦走路をたどり、ゆるやかに登ってゆく。天気予報は、午前中は晴れるが、午後は曇り空になるとのことだった。しかし、上空は、もう青空が少なくなっていた。
 まずは、九重のミヤマキリシマ二大名所の一つである、扇ヶ鼻(1698m)に向かう。まだ十分に、今が盛りの花々が、一面に咲いている。特に、その西側谷あい斜面の満開の花は、初めて見るほどで、素晴らしかった。
 次に、縦走路から分かれて、やっと一人きりになれて、尾根に取り付き、星生山(1762m)へと向かう。下の長者原(1040m)から見たときは、この星生山の東面が、これまた初めて見るほどに、赤く染まっていて、頂上東の肩から、少し下りて見に行った。
 しかし、何といっても、星生山頂上南面の急斜面を駆け下る、ミヤマキリシマの群落は見事だった。その西に続く岩稜をたどり、星生崎(1740m)まで行くと、目の前に、九重山の主峰、久住山(1787m)の姿が、さえぎることなく聳(そび)え立っている。いつもの年にはあまり目立たない、久住山のミヤマキリシマだが、山腹を彩るように、点々と咲いている。
 その上に、ありがたいことに、いったん曇った空が晴れてきて、青空が広がってきたのだ。時間があれば、もっと先まで行きたかったが、午後の大事な用事のために、どうしても昼までには、牧ノ戸に戻らなければならないのだ。残念。
 しかし、まだ時間はある。星生崎下に降りて、さらに人々の行き交う、西千里浜の縦走路から、南に踏み跡をたどり、肥前ヶ城(1685m)へとゆるやかな草原をたどる。一人と会っただけだった。その端のところから、谷を隔てて、眼前に赤く染まった扇ヶ鼻の姿が素晴らしかった(写真)。
 南側には、遠く、祖母山・傾山連峰と阿蘇山が、ミヤマキリシマの群落を前に、絵になる風景だった。その絵ハガキ写真になるような光景を、何度もシャッターを押して、撮っていく。ひたすら夢中になって、何と幸せなひと時だろう。
 誰もいないここで、ゆっくりと休みたかったが、時間がない。後は、人々で賑わう縦走路を急ぎ足で下り、昼前には牧ノ戸峠の駐車場に戻ることができた。


 長い間、九重のミヤマキリシマを見てきているのだが、今年は、九重全域にわたって花が多く、初めて見る群落地の広がりには、ただただ驚くばかり。それは、天候のこともあるのだろうが、例年の虫食い被害対策を講じたことの、成果だとも言われている。
 ともかく、わずか5時間余りの、慌ただしい山歩きだったが、予想外の花の盛りに出会えて、これだから、山はやめられない。ああ、生きていて良かった。

 私は、これまで、北アルプスや南アルプスの、主に斜面地に広がるお花畑や、あの北海道は大雪山の、例えば五色ヶ原のような、広大な高原に広がるお花畑こそが、日本の山の誇るべきお花畑だと、思っていた。
 しかし、今年の九重のミヤマキリシマを見て、単一種の花ではあるが、その面積と広がりからいって、日本最大の、高山の花のフィールド(あえてお花畑とは言わないが)だと、確信するようになった。
 そして、自分が元気でいる限りは、そんな見事な花を、たやすく見に行ける所にいるのだから、私は恵まれているともいえるだろう。
 静かな心と、穏やかな眼を持って、これからも、山々の姿を見ていきたいものだ。」


ワタシはネコである(104)

2009-06-10 17:45:28 | Weblog

 

 6月10日

 昨日、梅雨入りしたとのことだが、今日は、昨夜からの雨が降り続いている。気温も16度までしか上がらず、梅雨寒むの気配。ワタシは、外にも出られず、殆ど一日を寝て過ごす。
 
 飼い主が戻ってきて、5日ほどになるが、そのうち2日間は、ワタシを家に置いたまま、どこかに出かけて、夕方になると、帰ってはきたのだが、それまでは、もう飼い主は、また北海道に行ったのではないのかと、やきもきして待っていた。
 夕方、クルマの音がして、飼い主が帰ってくると、ワタシはニャーニャー鳴いて、飼い主の車の傍に走り寄る。飼い主は、ワタシを「オーヨシヨシ」と、ムツゴローさん可愛がりをして、その後すぐに、夕食の二匹のアジコをくれる。
 今までの心配と空腹は、そのサカナを食べているときに、もうすっかり忘れてしまう。後は、飼い主の布団の、足元の所で、丸くなって寝るだけだ。
 終わり良ければ、すべて良しということだ。


 「北海道ではないから、さすがにストーヴをつけるほどではないが、それにしても、この温度では、靴下をはいて、長袖シャツを着込まないと、寒いほどだ。


 昨日は、一日、遠く離れた町まで行って、いろいろと仕事を済ませてきた。その前の日は、つまり梅雨入り直前の日だったのだが、九重の山に、ミヤマキリシマの花を見に行ってきた。
 いつも行っているのだが、毎年、微妙に、咲く時期も場所も違っている。去年、余り花をつけていなかった一帯が、今年は見事に花をつけている、ということなどよくあることだ。

 今回は、男池(おいけ)登山口からのコースにした。6時半、駐車場には、もう30台ほどのクルマが停まっている。しかし、九重山の山開きの日でもあった、昨日の日曜日には、おそらく、道のそばにも、長い駐車の列が続いていたことだろう。
 この男池からの登山道は、何といっても、新緑の、うっそうと茂る樹々の下を通って、歩いて行く道が素晴らしい。所々に、大きなブナの樹がそびえ立ち、見上げる青空から、枝葉を通して日が零(こぼ)れ落ちている。ミソサザイやオオルリの声が、鳴き渡り、初夏の山を感じさせる。
 中高年のグループを幾つも抜いて、大戸越えの鞍部に着く。見晴らしが一気に開けて、今年の花はどうだろうかと、見上げる。
 いつものように、平治岳(ひじだけ、1642m)の頂上部が薄赤紫色に染まっている。良かった。ただし、この辺りでは、もう花の盛りは過ぎようとしていて、色あせ、枯れたものもある。
 頂上へと、人々の姿が点々と続いている。九重の山々が、もっとも華やかに色どられるこの季節、ましてこの晴れの天気の日に、登山者たちで混雑するのは、当然のことなのだが。
 静かな山行を求めれば、一面の花というわけにはいかなくなるが、それなりに幾つかのコースはある(去年の6月11日、14日の項)。しかし、梅雨にかかるこの時期、わずかな晴れ間は、貴重である。どうしても、とりあえずはと、ベストの花の場所へと、足が向いてしまう。
 そうなのだ、九重では、この平治岳こそが、一番のミヤマキリシマ群生地であり、さらに南に連なる北大船(きただいせん、1706m)、大船山(だいせんざん、1787m)へと続く辺りや、そして牧ノ戸峠や赤川登山口からの扇ヶ鼻(1698m)周辺の群落も素晴らしい。

 ともかく、人々の後に連なり、急な道をたどって平治岳南峰に着く。なんといっても、ここから本峰(北峰)にかけての光景は何度見ても素晴らしい(写真)。さらに、鞍部の細い藪の道を通って、本峰に着く。そこからの西斜面は、まさに花に囲まれた大庭園である。
 眺めを満喫した後、再び大戸越えに戻り、今度は北大船を目指して登り返す。途中、楽しみにしていたオオヤマレンゲの花は、まだ開いてはjなかった。
 山腹の急な登りが終わると、ミヤマキリシマの続く段原火口の尾根に上がり、行く手には大船山の山頂部が見えている。こちらの花も、少し盛りを過ぎようとしていたが、十分にきれいだった。
 人々でにぎわう鞍部から、米窪火口の方へと向かい、そこでようやく一人きりになれた。しかしもう、大船山の上には雲が広がっている。
 その先で、黒岳へと向かう道と分かれて、ひどい藪道をたどって、大戸越えに戻る。途中、嬉しかったのは、小さなクサボケの赤い花を数輪、見かけたことだ。
 
 今回の、往復7時間余りの山歩きでは、静かな山を楽しむことはできなかったが、今年もまた、青空の下で、満開のミヤマキリシマの花々を見ることができて、それだけで、もう十分だといえるだろう。
 しかし、季節がめぐり来るように、毎年、繰り返し続けることと、新しき、未知なる所へと、足を踏み出すこと、年齢を重ねても、そのふたつのことを、心しておかなければと思う。
 通いなれた道と、知らない道、どちらを選ぶのか・・・それは、私の心の有り様を映(うつ)しだす、鏡なのかもしれない。」


ワタシはネコである(103)

2009-06-07 20:45:29 | Weblog



6月7日
 
 ごらんの通り、飼い主がワタシを写した写真だが、ワタシはしっかりと、元気である。

 三日前の夕暮れ迫るころ、遠くで誰かが鳴いている声が聞こえた。その声の方へ行きたい気もしたが、それより、おじさんからもらう夜のエサのことが気になっていた。
 次の日の朝早く、朝のエサをもらうために、おじさんの家のそばまで行ってみると、誰かがおじさんと話していた。ワタシは、いつものように用心深く、おじさんの家の軽トラの下に隠れていた。

 すると、おじさんが気づいて、ワタシのほうを指差した。振り返った男の人が、ワタシに向かって、ニャーオンと鳴いた。
 あれは、飼い主の声だ。思わずワタシも鳴き返す。そして、軽トラの下から出て、恐る恐る近づいて行く。
 繰り替えしニャーオと鳴いている、その飼い主らしい男の人のそばに行ってみたかったが、後ろで、いつものように、茶碗にエサを入れてくれている、おじさんの方に走り寄った。そして、ともかく、まずはガツガツとエサを食べた。
 少し離れたところにいた、その飼い主らしい男の人は、ワタシが食べ終わって、顔を上げると、ワタシに向かって、再び、繰り返し鳴いた。
 ワタシは確信した。飼い主だ。そばに走り寄り、体をなでてもらう。ああ、やはり飼い主の手だ。

 飼い主は、立ち上がり、おじさんに何度も頭を下げていた。そして、ワタシは、飼い主と、お互いに短く鳴き交わしあいながら、家まで歩いて行った。ああ、懐かしの家だ。飼い主もいるし、これでやっと、安心できる。
 それから丸二日の間、ワタシはほとんど眠っていた。

 「ともかく、ミャオが元気でいてくれてよかった。
 九州に戻ってきたのは、他にいろいろと用事があってのことなのだが、何といっても、ミャオに会うことが、そして、短い間だが、一緒の暮らすことが、むしろ、一番大事なことなのだ。

 いつも、最悪の事態も予想して帰ってくるだけに、ミャオの元気な姿を見たときには、ほっと安堵の胸をなでおろし、抱きしめたくなるほど、嬉しくなるのだ。ミャオありがとう。
 そのうえ、いつもなら、なかなかミャオが家のネコに戻ってくれないのだが(去年の6月4日の項、参照)、今回はすぐに、何事もなかったかのように、家になじんでくれたことも嬉しかった。                                     


 家に戻ってきたミャオは、しかし、ひたすら眠り続けていた。それも、私の布団の上で。
 時々、起きて来ては、ミルクを飲むだけで、キャットフードさえも食べなかった。暗くしていた私の部屋で、ただ眠り続けていた。
 そんなミャオが、分からないでもない。恐らくは、毎日の、ノラの生活の中では、安心して、ぐっすりと眠ることなどできないのだ。常に周りの外敵のことや、様々な物音が、気になってしまうのだ。

 私も、恐ろしげな外見に似合わず、枕が変わる眠れないたちで、たとえば、北アルプス縦走などで、数日間の小屋泊りを続ければ、連日のすし詰めの小屋の中は、いびきに歯ぎしりの合唱、さらに夜中にトイレに起きる人たちもいて、とてもぐっすり眠ることなどできないのだ。
 ようやく、家に戻ってからは、安心できる自分の臭いのしみついた万年床に倒れこみ、俗に言う爆睡(ばくすい)状態になる。つまり、私も、ネコ並みなのかもしれない。

 そんな話を、こちらに戻ってきて、知り合いの歯医者さんにすると、実はうちの息子も、そうなのだと話してくれた。
 週に二泊の予定で、遠くの離れた町に、習い事に通っている彼の息子さんは、皆と一緒の寝泊まりで、いつもよく眠れずに、家に帰ると、まさしく爆睡しているそうだ。
 つまり、世の中には、どんな所でも、短い時間でも、すぐにぐっすり眠れる人がいて、その一方では、私みたいによそでは、よく眠れない人がいるのだ。

 歯医者さんは、ニタリと笑いながら、付け加えていった。『うちの息子もあなたも、より神経細やかな、芸術家タイプの人だということですよ。もっとも、そうだと、長生きはできないそうですがね。』


 ゲッ、私とミャオ、たがいに見合わす、顔と顔・・・。

 ところで、こちらのダイアル・アップによるインターネット接続は、なぜか北海道よりは遅く、混んでいる。昨日の朝から、一日以上、全く作動せず、他に原因があるのではないかと、何時間も色々と試してみる。諦めかけていたところで、やっとつながった。
 考えてみればそんなことで、時間を取られ、一喜一憂するなんて、そばで寝ているミャオからすれば、なんてバカバカしいと思うだろうが。キカイに頼ることの、便利さと危うさ。

 さて、ミヤマキリシマの花が盛りの九重の山々に行って、キカイから、しばし離れなければ・・・。」
 


飼い主よりミャオへ(60)

2009-06-03 16:42:18 | Weblog



6月3日
 拝啓 ミャオ様

 四日前の、10度にも満たないない、あの肌寒い日から、一転、この三日間は、20度を越えて、汗ばむほどの天気になった。
 この急激な温度の変化が、初夏の北海道の、天気の特徴であり、ぐうたらな私に、生活のめりはりをつけてくれる、ありがたい女王様の、ムチのひとふりでもある。
 アヘー、お許しを、と言いながら、その暑さ寒さに喜んで身もだえする。アホかおまえは、と言われるだろうが、しかし、これが、私の性向に合った北の天気なのだ。

 それにしても、良い季節だ。いよいよ九州、四国、本州と、梅雨に入る頃、北海道には、一月遅れの、五月晴れの空が広がるのだ。
 もっとも、この十勝地方は、朝夕とも、霧に被われることが多いのだが、しかし、昼前には、少しずつ霧が取れてきて、その灰色の雲の間から、青空が見えてくる時は、何とも心楽しくなる。
 この三日間、実にさわやかな青空が広がっていた。そんな時に、家の中にいたくはない。外での仕事はいくらでもある。 
 それまでは、朝になると、コルリ、キビタキ、アカハラとそれぞれに、美しいさえずりを聞かせてくれていたのだが、家の周りの林は狭すぎるし、適当な水辺もない。いつのまにか、聞こえなくなってしまった。
 しかし、それに代わって、朝早くから、カッコウが鳴き、やがて、センダイムシクイやアオジ、そして家の軒下に巣を作っているシジュウカラたちの声が聞こえてくる。遠くでは、まだオオジシギの、急降下の羽音も聞こえている。
 庭では、エゾヤマツツジが満開になり、レンゲツツジのオレンジ色の花も半分ほど開き、ライラックも、その紫の花が開き始めた。足元には、小さなチゴユリの花、林の中には、スズランにベニバナイチヤクソウも咲き始めた。見上げると、周りの樹々の新緑が、鮮やかだ。
 そして、日が当たり始めると、いっせいにエゾハルゼミの鳴き声が聞こえてくる。その林の中に入って行くと、もう耳を聾(ろう)せんばかりの鳴き声が、うるさいという言葉を通り越して、ただジーンと耳鳴りがしているようでもある。しかし、不思議なもので、その鳴き声にも、いつしか慣れてしまう。
 一町歩(3000坪)ほどしかない、小さな家の林だが、恐らく、数百以上はいるだろう、エゾハルゼミたちの鳴き声ではある。
 その樹々の幹には、幾つものセミの抜け殻が残っている(写真)。カラマツ、ミズナラ、カエデ、エゾヤマザクラ、ホウノキ、ハリギリなどの樹々であるが、太いものばかりではなく、まだ細い樹の幹にさえ群がっている。
 しかし、注意深く見てみると、シラカバの樹には、稀に一つ二つあるだけだ。恐らくは、シラカバの薄くめくれ易い、樹皮のためか、あるいは、その白い色が、彼ら幼虫の姿を、目立たせるためかもしれない。
 寒い日が続いた後に、暖かい晴れた日が続くことを予測して、いっせいに地中から出てきて、羽化したエゾハルゼミたち。
 私は、あの十日ほど前の、一匹のエゾハルゼミのことを思う(5月24日の項)。
 あのセミが、ただ一匹で鳴いていた時、他のセミの幼虫たちは、みんな、それを地表に近い所の、地中で聞いていたのだ。まだ、早いと。
 しかし、おまえ、少しだけ早く、晴れの舞台を目指して現れた、一匹のセミよ。おまえの、一匹だけの死は、決して無駄ではなかったのだ。他の、何百という仲間の、セミたちのための、時節を計る良い先例になったのだから。
 それはまた、来るべきおまえたちの、繁殖の春のための、有意義な犠牲(いけにえ)でもあったのだ。               
 アフリカのサバンナで、ライオンに襲われた一頭の獲物、しかし、そのために、他の群れの仲間たちは、助かり、繁殖のために、生き残ることができたのだ。
 自然界の摂理・・・、聞こえてきたのは、あのストラヴィンスキーの『春の祭典』・・・序奏の、静かな春の目覚めから、いっせいにすべてが活動し始める、あの音の氾濫(はんらん)だ。そして、やがて、太陽神のために、ひとりの乙女が犠牲(いけにえ)として捧げられる。
 おまえ、エゾハルゼミよ。おまえは、その仲間たちのための、聖なる犠牲(いけにえ)だったのだろうか・・・。

 そして、私は今、お互いにひとりはなれて暮らす、ミャオの元へ、梅雨の始まる九州へと、向かおうとしているところだ。ミャオ、その時には、元気な姿を見せておくれ。

                     飼い主より 敬具