8月27日
このところ、朝夕はめっきり涼しくなり、日中も27度位で、それほど暑くもない。周りの山もよく見えて、もう秋になったかのようだ。
三日前の夕方のことだ、誰かがネコの鳴き声をして、歩き回っていた。どうも聞いたことのあるような声だ。少し気になってはいたが、それからしばらくして、いつもの夕食のキャットフードをもらうために、おじさんの家に行った。
そこで、ワタシはおじさんに体をなでてもらい、しっかりと食べた後、おじさんちの軽トラの下に潜り込んで、毛づくろいなどをしていた。
そこに誰かがやってきて、おじさんと話し始め、おじさんが指さした軽トラの下にいるワタシに向かって、ニャーオ、ニャーオと呼びかけてきた。
ワタシも、思わず鳴き返してしまった。確かに聞き覚えのある、飼い主の声だ。軽トラの下から出て、用心深くまずおじさんのそばに寄って行く。
それから、その男の人が間違いなくワタシの飼い主なのか、さらに確かめるために、遠回りにゆっくりと近づいて行った。そして、ワタシはその人にひとなでされた。その手と鳴き声、そして臭いは、間違いなく飼い主だ。
そしてワタシは、飼い主と一緒に鳴き交わしながら、久しぶりに家に帰った。そこで、すぐにミルクを出してもらった。うまい。思わず皿を両手で抱えて、飲もうかとしたくらいだった。
その夜から、ワタシは、家のいつものコタツ布団の上で寝た(夏でも、飼い主がワタシのために、出しておいてくれるのだ)。次の日の朝、飼い主と一緒に散歩に出た。しかし、しばらく歩いてワタシが座り込んだところで、飼い主は先に帰ってしまった。
夕方になって、飼い主が迎えに来て、一緒に帰ると、すぐに、何と新鮮な生ザカナを出してくれた。なるほど、買い物に行っていたのか。ワタシは、久しぶりのサカナを夢中になって食べた。満腹になると、ワタシには力がみなぎってくる。今から散歩に出ようと、飼い主に鳴いたが、もう暗くなりかけていた。
ワタシは、ひとりで外に出て、今までノラで暮らしていた時の習慣で、おじさんの所へ、エサをもらいに行こうとしていた、魚を食べたばかりなのに。
夜の暗闇の中、用心深く少しずつ歩いて行ったが、途中でふと思い出した。お腹はいっぱいだし、何のためにワタシはおじさんの所へ行くのか。
家に帰ろう。ワタシは再び用心深く、暗闇の中の物音に聞き耳を立て、時間をかけて帰った。
玄関の戸は、少し開いていた。ワタシが鳴きながら、部屋に入って行くと、飼い主はすぐにあの、オーヨシヨシのムツゴローさん可愛がりをしてくれて、横になったワタシの体を優しくなでまわし、頭から耳のまわり、そして喉にかけて、指を立てて掻いてくれた。
まさに、かゆいところに手が届くように、ワタシの体をなでてくれるのは、やはり、この飼い主だけだ。少し恐ろしいその顔をガマンしさえすれば、やはり私にとっては、一番近しい人間なのだ。
さて、もう日も傾いてきた。そろそろ、サカナの時間ですよ、飼い主さん。ミャーオ、ミャーオ。
「良かった。ミャオが元気でいてくれて。それも、私と一緒にいる頃と変わりなく、少し太っていて、毛並みも良い。エサをくれていたおじさんへのお礼には、北海道の花畑牧場のお土産では足りないくらいだ。
昨日までは、少し落ち着かないところもあったが、今日は、一日中家にいて、ベランダの洗濯物の陰で寝ていた。昼間、私がクルマで買い物に出ても、別段心配する風でもなかった。つまり、ミャオは2カ月の間、私と離れていたのに、すぐにいつもの私との生活に戻ったのだ。
何という順応力の高さだろう。のらネコから家ネコへと、そして家ネコからのらネコへと、もう数年余り、20数回も繰り返しているのだ(ちなみに前回は6月7日の項を参照)。いいかげんな飼い主を持ったおかげで、ミャオの苦労は尽きないし、またそれゆえに、一際たくましくなったともいえるのだが。
私は、この家にいれば、ミャオのことを考えなければならないから、少しは自分の行動が制約されるが、それでもミャオ一緒にいるという安らぎには代えがたい。
さらに、普通の家だから、水洗トイレはあるし、風呂には毎日入れるし、洗濯も毎日できる。それは、北海道の不便な家と比べると、まさに格段の差であり、上流階級にでもなった気分だ。自分の顔は、それは下流階級のままで変わらないが、まあミャオが見るだけだから、いいか。
しばらくは、この家でのミャオとの暮らしが続くのだ。外では、どこか気ぜわしいツクツクボウシの声が、あちこちから聞こえている。九州の夏も、もう終わりなのだ。