ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

季節はめぐる

2021-05-18 21:18:34 | Weblog



 5月18日

 とうとう前回から、一か月以上もの間を空けてしまった。
 これはただひとえに、私の怠け者ゆえのぐうたらさによるものではあるのだが、ひとたびこうしてキーボードで文章を書いていくと、夢中になってしまい、言い知れぬ愉しみさえも湧いてはくるのだが。

 ”むつかしきものは、人の心根よ、蝦夷(えぞ)屋、おぬしも悪よのう、ぐはははは・・・”
 と、お代官様に言われそうなものだが、また一方では、次の言葉にも救われるのだ。

 ”なかなかデスクに向かう気が起きないのは当たり前。やる気はやり始めてから出るのが脳の構造である”
 これは、数日前の新聞の書籍広告に載っていた言葉であり、今を時めくあの美人脳科学者の中野信子様の、ありがたい一言である。(「あなたの脳のしつけ方」青春文庫)
 ほんとうは自分は”やればできる子”と、言い訳代わりの自己弁護の思いをもって、日ごろからぐうたらに過ごしている私にとって、これは”渡りに船”の”ガッテン”言葉だったのだ。

 そうした言い訳をしたところで、季節は足早にめぐりくる。
 三月の初めに始まったウメの新緑や花は、ジンチョウゲ、サクラ、ツバキ、シャクナゲ、ツツジと続いて、ほとんどの樹々が新緑の葉を広げているのだが、そうした若やいだ明るさの中にあって、もう枯れたのではないのかといつも心配してしまう、あのサルスベリの木も、このところの初夏の気温に促されて、いっぱいに新緑の葉を広げ始めた。
 これで良い。庭先の皆の顔がそろったところで一安心だが、これからは逆に繁り過ぎると困るので、小枝などを切りそろえていかなければならない。

 さらに、何と数日前には、九州四国中国地方が梅雨入りしたとのことで、例年よりも3週間も早いとか。
 私の感覚でも、梅雨は6月に入ってからだと思っていたから、5月に入ってから始めた板張りベランダの補修作業も、この雨の中では中断せざるを得なくなってしまった。
 家のベランダはもう二十数年前に一度、丸太柱ごと取り換える大掛かりな改修作業をして以来のことで、今回もそれに近い作り変えが必要なのだが、もうそこまでやるのは面倒だからと、柱一本と根太と板張りの、腐食のひどい部分だけを取り換えることにしたのだが、それでもシートで覆うぐらいの長さがあり、かなりの大仕事だ。

 さらに暑くなるであろう夏に備えて、エアコンも新しいものに取り換えた。
 取り外したものは、日付を見ると’88年製のものだから、何と33年も使っていて、取り付け業者の人も”故障なしで”と驚いていた。
 しかし、これでこの年寄りも安心して、厳しいコロナ禍の夏を何とか乗り切きることだろう。

 さて、冒頭に載せた写真は、4月上旬、前回の記事を書いたすぐ後に登った、別府の鶴見岳(1375m、ロープウエイ乗り場からの)写真である。
 一か月以上も前の山の写真を載せるのは、いささか気がひけるが、ここでの山日記としての役割から言えば、どうしても新緑の山の景観として、記録に残しておかなければならないからだ。

 まずは湯布院経由の道を通って、鶴見岳ロープウエイ駅まで行って、そこの広い駐車場にクルマを停め、バスを利用して鳥居まで上がり、そこから神社への道をたどり、その先に続く鶴見岳登山道を登ることにした。
 そして帰りは、頂上から少し下にある山上駅まで行って、ロープウエイを使って下りてこようという算段である。   というのも、前々回に経験した下りの登山道でのひざの痛みに恐れをなして、前回の登山で下りはロープウエイにしてから、すっかり味をしめてしまい、楽な登山の仕方を覚えたというわけである。
 若い時なら、3時間足らずで往復できた山なのに、まあ年寄りになった今では、それなりに無理をしない山登りで山を楽しむことことにしているのだ。歩けなくなるまでは、山に這いつくばってでも登ってやるというほどの、鬼気迫るまでの気迫は持っていないのだが。

 さて、いつもの長い神社の石段に息を切らして登って行くと、人々の声が聞こえてきて、この御嶽権現(おんたけごんげん)火男火売(ほのおほのめ)神社の氏子さんたちが神社内外の掃除をしていた。挨拶して、神社裏の急斜面のジグザグ道を登って行く。彼らの声が遠くなり、後は鳥の声が向こうのほうで聞こえるだけ。
 尾根通しのスギ、ヒノキの樹林帯は終わり、モミジ、カエデ、ウツギなどの新緑が見られようになるが、楽しみにしていたヤマザクラは、手前にある樹々にさえぎられて、残念ながらすっきりとは見えなかった。

 急な山腹の道で腰を下ろして休んでいると、先生に引率された高校生らしい生徒たち十数人が登って来たが、意外に静かで統制の取れた一団だった。
 さらに上からは、すでに頂上に登って来たらしい人たちも一人二人と下りて行ったが、そのくらいなもので、山頂付近の観光客の賑わいを除けば、十分に静かな山歩きを楽しむことができた。
 山頂からの展望は、別府湾を見るよりは、むしろ裏側の由布岳が見えるほうへと少し下った所がいいのだが、しかしそちら側はまだ枯れ木色の展望で、ただ山裾辺りには点々とヤマザクラ模様になっていた。
 帰りはロープウエイに乗ってあっという間に戻ってきてたが、ともかく3時間余りの心地よい登山だった。

 しかしそれからの、クルマに乗っての帰り道こそが、この日の見ものだった。
 下の写真は、城島(きじま)高原を過ぎた猪ノ瀬戸辺りからの眺めで、手前に側火山の日向岳(ひゅうがだけ、1085m、登路はあるが頂上の展望はない)とその後ろに由布岳(1583m)が見えていて、このくぼ地一帯のあちこちにはサクラソウも咲いていた。



 さらに次の下の写真は、その日向岳の南斜面の眺めで、サクラと新緑ががまだら模様になり、まさにヤマザクラの時期にふさわしい景観になっていた。 



 さらに下の写真は、そこから反対側を見たものであるが、青梅台から続いてきた尾根(断層帯)にも、手前にケヤキの新緑が美しく、ヤマザクラが点々と見えて、まさに春の山らしい眺めになっていた(写真下)。



 その後一月たつが、山には登っていない。ただ、いつもの3時間半ほどの山麓歩きに、二回ほど行っただけだ。
 九重の新緑も見たいのだが、これからはミヤマキリシマの花の季節にもかかり、人の多さを思うと、感染力の強いコロナ変異株が怖くて、なかなか出かける気にはならないのだ。 
 ワクチン注射は、地域の差が大きいようで、北海道の私の家がある町では、もうかなり接種が進んでいるようだが、この九州の家ではまだその通知さえ来ていない。

 繰り返し言うことだが、まだまだ日本の山の遠征登山をしたいと思っていたのに、このコロナ禍蔓延(まんえん)の世の中では、自分の体力の衰えと相まって、とてもおいそれと出かけて行くこともできなくなってしまった。
 ましてやひとつ前の遠征登山が、東北鳥海山の失敗登山(’19.8.5,12の項参照)だったと思うと、悔しさも倍増するが、なあにその前後の栗駒山(’18.10.1,8の項参照)、焼石岳(’19.10.8,15,22の項参照)の紅葉の錦世界に出会えただけでも、よしとするべきだろう。
 あとはテレビで放送される”日本百名山シリーズ”や、とうとう行くことのできなかったヒマラヤでの”グレートヒマラヤ・トレッキング・シリーズ”などの番組でも見て、つまり”高嶺の花”でも見ることはできるのだから、年寄りにはそれで十分なのだ。

 その点、書物の世界は良い、逃げては行かないからだ。
 前回書いたように、古典の”三大和歌集”の後は、相変わらず進まない『源氏物語』を少しずつ読み進めているが、枕もとには、これも前回少し触れた、あの中野京子さんの読みやすい絵画解説文に惹かれて、今では枕元に彼女の『名画の謎』シリーズ4巻(文春文庫)を置いていて、夜ごとにその一節を読んでは、謎解き終えた気持ちになって、眠る前の有意義なひと時を過ごしている。

 一年前にコロナ禍によってこの世を去った(合掌)、あの志村けん風に言えば、”本はいいよな、本は。”
 私たちが生涯出会うことのできないような、知力学識を備えた人に、文字を通じてたやすく、その創作物や体験談や研究成果などの話を聞くことができるのだから、これほどありがたいものはない。
 前にも書いたように、今の若い人は昔の小説、古典などは読まないようだから、”ブックオフ”などの古本店には、古いけれど新品同様の本が安く投げ売りされていて、私の本棚にはそこで買いあさった本が何十冊もあり、それとは別に書店で購入した新刊本もあるから、とても死ぬまでには読み切れないほどだ。
 つまり”熟読”ではなく”積んどく”状態になってはいるが、それでも安い金額でよくここまで集められたものだと思う。そうしてしたり顔で、私はその宝の山の一冊をひもとくのだ、何やらあの「クリスマス・キャロル」のスクルージに似て。
 私が死んだ後、これらの本やレコードやCDが安く売られ処分されたとしても知ったことではない、今生きている私のそばに宝ものとしてあることだけで十分なのだ。

 その他にも、テレビ番組を録画したかなりの数のDVDやBR(ブルーレイ)がある。それらは大きく言えば、登山番組、外国旅行番組、映画、クラッシク音楽、絵画番組、古典芸能などだが、興味のない人にとってはただの燃えないゴミなのだろうが。(おやじが遺した膨大な山の写真、フィルムの片づけに困り、結局燃えるごみとして処分したという、ある人の話を前にも書いたことがある。)
 人それぞれが大事に持っているものでも、資料として貴重なものはともかく、その人が生きている時にだけ意味あるものであり、後は野となれ山となれの廃棄物でしかないのだろうし、それで良いのだ。
 私にしても、他にも写真や雑誌や資料など片づけ処分するべきものはうんざりするほどあるのだが、相変わらずのぐうたらぶりでは、いっこうにその気も起きないのだが。冒頭に書いた中野信子さんの言葉のように、まずは取り掛かるべきなのだろう。

 そういえば少し前の新聞土曜版(5月1日)に、”自分の性格、好きですか?”というアンケート調査の記事が載っていた。
 その結果は、52%と48%という相拮抗(きっこう)する数字で、回答者1600人という数字からも、半々の誤差の範囲以内というべきだろうが。
 さらに”どこが好き?”という複数回答には、”楽観的、マイペース、他人に気をつかう、まず行動に移すところ”などという答えが続いていて、”どこが嫌い?”という複数回答には、”内向的、優柔不断、面倒くさがり、悲観的”などいう言葉が並んでいた。
 確かにこうした自己分析の結果は、むしろ外国人と比べて見た時に、日本人の性格が表れるのではないかと思うけれど、一方では疑問もわいてきた。

 それは、アンケートや統計学そのものについての疑問でもある。
 つまり、すべてを0と1の配列にしてしまう、現代のデジタル数列化的な怖さである。
 はたしてそう簡単に、人間の性格を、単一の言葉として言い現わすことができるものなのか。
 例えば楽観的と答えた人はすべての状況の時に100%楽観的でいられるのか、それは状況によって100%から0%の間を行き来するものではないのか。あの音の周波数の強弱を変えるイコライザーのように、実はその周波数ごとに、波打ちうねる姿こそが、人としての性格の違いの実態ではないのかと。
 すなはち、人の性格などを、血液型の違いだけで断定してしまうことと同じで、一つの言葉だけで一元的に決めつけていいものかということだ。
 同じ楽観的だと言っても、そこには様々な状況の下での、強弱のパターンがあり、決して断定的なものにはなりえないのだし、さらに続く複数の答えにも、それぞれに意味合いが違っているはずだし。

 ちなみに、こうしたアンケートの時には、自分のどこが好き嫌いだと答えた時の、上位4つの言葉のように、いずれにも多少とも自分に当てはまるところがあるように感じられて、つい自分はそうなのだと思ってしまう。
 つまり手相見や運勢判断の類いと同じで、言われてみれば誰にでもそういうところがあるから、ついうなづいてしまうし、その中の一つだけでも、自分が80%ぐらいそうだと思っていることをたまたま指摘されれば、そのことだけで相手の言うすべてを信じてしまうことになるのだ。
 誰でもそうだが、相手の人の運命運勢など分かるはずもないということ。唯一、自分の運命運勢を決めるのは、誰かのせいでもおかげでもなく、自分の考えや行動以外に何もいないということだ。

 最後に、この一か月の間に見たテレビ番組についてもあれこれ書きたいのだが、もう長くなりすぎたので簡単に。相変わらず、「ブラタモリ」や「ポツンと一軒家」は面白いし、さらにBSでは、昔のカラヤン、バーンスタイン、クライバー、三大テノールなどの演奏会が素晴らしかったし、美しい山々を映し出した内外の山番組にも魅了された。

 さらに付け加えるべきは、Youtube にあげられていた一つの動画だ。それは”さしはらチャンネル”での、指原とフワちゃんの二人が、ファミリーレストランのデニーズで、話しながら食事するだけの15分ほどの動画だが、日常の一場面を切り取っただけの、友だち同士の楽しいドキュメンタリーになっていて、今を盛りの二人のタレントに感心してしまった。
 これは、テレビのこれから向かう一つの方向を暗示しているのか、それともこうした自由な撮影スタイルによる動画が、次第にテレビを圧倒していくきざはしになるのか。テレビを見ない若い世代が増えているといわれている中で。 
 人類が火を手に入れた時から、世界が変わっていったように、誰でもが使える小型カメラやスマホがあまねく普及して、今や映像媒体の世界が変わろうとしているのだろうか。

 もう、あっしのような年寄り世代には、係わりのねえことでござんすが・・・。
 あの中村敦夫の”木枯し紋次郎”の後ろ姿に、上条恒彦の歌った主題歌が流れ、上州の土ぼこりの風が舞う・・・。