ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(123)

2009-12-28 18:41:26 | Weblog



12月28日


 朝から、雪が降っている。この五日間ほどは、曇り空や小雨の時もあったが、おおむね晴れた天気の日が続き、毎日、飼い主と一緒に散歩に出かけられたのに、今日から雪の日が続けば、また寝てるしかないのだ。
 飼い主は、何やら忙しそうに動き回っている。人間たちにとって、歳末というものは、なんとか年内にいろいろな物事を片づけようとして、気ぜわしくなるものらしい。

 人間は、一体どうして、止まることなく動き続ける時の流れを、区切りたがるのだろうか。過去から未来へと、ただ流れていくだけ時の中に、ただ黙って身を任せていればよいものを。
 今日までに、明日までに、今週中に、そして今年中にと、自分を追い込んで走り続ける人間たち。
 彼らは、羽根車の中で、回り続けるハツカネズミを見て笑うけれども、実は、自分たちもまた、そのハツカネズミの仲間だということに気づかないのだ。

 ワタシたち動物は、人間ほどに無駄に発達した脳組織がない分、物事を単純に考えられる。つまり、人間たちほどに、あれこれ悩まないということだ。
 ワタシにとって、晴れた日には飼い主と散歩に出て、ベランダで日向ぼっこをするし、こうした雪の日は、ただ寝るだけのことだ。

 昨日?そんな昔のことなど憶えていない、明日?そんな先のことなどわからない、とか言った人間もいたそうだが。(横から飼い主の声)「それは映画『カサブランカ』の中での、ハンフリー・ボガートの名セリフだ」。
 つまり、ワタシが言いたいのは、今を生きることだけが、一番大切なことだということだ。人間の世界では、考えすぎて、悩みすぎて、自らの命を絶つ人もいるという。
 しかし、どんなつらい出来事も、どんな悲しい思いも、いつしか時の流れが、ほんの少しずつだが、それらを遠くの彼方へと運んでくれるものだ。
 これもまた飼い主から聞いた話だが、映画『ライムライト』の中でチャップリンが言っていたそうだ、「時は偉大な作家だ。いつも完璧な、結末を用意してくれる」と。

  人間たちの中には、こうして、生きることの意味を良く分かっている人たちもいるのだ。ワタシは、ストーヴの前で横になりながら、飼い主の話を聞いていて、考えたのた。
 ワタシも、つらい過去の思い出はいっぱいある。しかし、それを、思い出したところで何になる。つらかったこと、悲しかったことは、その時にいっぱい悲しんでしまえばいい、後は少しずつ忘れていくようになるから。

 それにしても、暖かいストーヴの炎の前で、だらーっとして寝ているのは気持ちがいい。いつしか、ウトウトと、ハツカネズミが一匹、ハツカネズミが二匹・・・。

 
 「朝から午前中にかけて、ほんの2,3cmほど雪が降った。午後になると青空が広がったが、それもつかの間で、そのまま曇り空の寒い一日になる。気温は、朝ー5度と冷え込んで、日中もやっと1度まで上がっただけだ。
 ミャオも、一日中、ストーヴの前から離れない。時々、ミルクをなめに起きて、トイレのためだけに外に出る。ほとんどは寝ている。時の過ぎゆくままに・・・。

 数日前に、近くの山に登って来た。前回の、十勝岳(11月9日の項)から何と一カ月半も間が開いてしまった。平均すれば、一カ月に二回くらいの、山登りのペースが、少しずつ伸びてきている。
 歳のせいだと言われれば、それまでだが、もうずっと同じ山ばかり行っているから、今一つ意欲がわかないこともあるのだが。

 しばらく雪の日が続いた後、ようやくその前の日の午後から、晴れてきた。朝6時すぎに、家を出る。ミャオはコタツの中だ。気温はー6度、空にはまだ星がまたたいている。
 手持ちのライトをつけて歩きだす。近くで鋭く、ピュッと、シカが警戒の鳴き声をあげている。車道を40分ほど歩いて、登山口に着く。すっかり明るくなってきた空に、曙(あけぼの)に縁取られた黒い山々の姿が見える。いくらか雲は残っているが、良い天気だ。
 手入れもされずに、背たけ以上のササがかぶさる道を登って行く。それでもいつもの雪の後なら、笹に積もった雪が落ちてきて大変なのだが、昨日の午後からの天気で、ほとんどは溶け落ちたらしい。それでも歩きにくく、所々トンネル状になっていて、時には身を屈んで行かなければならない。
 しかし、本来、登山道はこのくらいの方が良い。本当に山に登りたい人たちと、動物たちだけが登るための、踏みわけ道で十分なのだ。10cmほどの雪の上には、幾つもの動物たちの足跡がついている。シカ、イノシシ、タヌキ、ウサギなどだ。

 やがて、しばらく登ったところで、樹林帯の中に、赤い光が差し込んできた。日の出だ。足元の雪面が赤く染まっている。もっと上の、見晴らしが開ける所で、この朝焼けの景色を見たかったのだが、少し遅れてしまった。それでも林の中に入ってくる朝の光が、ことのほか目新しく新鮮だった。
 一休みした後、登っていくと、樹林帯を抜けて、アセビやミヤマキリシマの大きなカブが点在する、カヤ(ススキ)の尾根になる。周りの山々が、青空の下に立ち並んでいる。
 しかし、尾根の上部に上がるに従って、風が強く吹きつけ、頭にかぶっていた毛糸の帽子の、汗でぬれている部分が凍るほどだった。雪は20~30cmほどで、たいしたことはないのだが、その風のために、身が縮むほどに寒かった。
 ともかく、あの西側の方が背の高い灌木帯になっている、頂上稜線まで行ったら、風が少しさえぎられるだろうと登り続けた。

 その時にふと考えたのだ。人は、生命の危機にさらされた時に、本能的に強く生きたいと思い、必死になってその危地から抜け出そうとするのだ、と。他の動物たちがそうであるように。
 例えば、地面を歩いている一匹のアリがいる。そのアリに、手を伸ばして捕まえようとすると、そのアリは必死になって逃げ回るだろう。得体のしれない巨大な生き物が、自分を殺そうとしているのだと思って。
 
 つまり、人間は、人間社会という、動物たちの世界から比べれば、極めて安全な社会の仕組みの中に居続けると、いつしか本能的な死の恐怖から離れて、死というものを別な意味でとらえるようになるのではないのか。
 死は、自己の存在を断つものであり、本来、動物本能的には、絶対に避けるべきものであったはずだが、今日では、いつしかその本能の思いから外れて、ごく少数の人たちにとっては、逆の意図として、自己の存在否定への目的となっているのだ。
 
 最近のニュースで知ったのだが、日本の自殺者の数が、何と12年連続して、3万人を超えているという。もちろんそれぞれの場合に、それぞれの理由があるだろうから、一概に、なぜに自殺をとは、問いかけられないだろうが。
 そのことを、私は、寒さに震えながら山に登り続けている時に、ふと考えたのだ。というのは、私も、何度も命の危機にさらされた事があるからだ。

 それは、ひとりでいた時に起きた。まず子供のころ川で溺れたこと、オーストラリアの砂漠の中で途方に暮れたこと、冬の山で吹きすさぶ風雪の中、必死に下山ルートを探し続けたこと、沢登りの途中、足を踏み外したこと、などなどと脳裏に浮かんでくる。
 しかし、それらのいずれの時も、私は、当然のことながら、絶対に死にたくない、なんとかして生きるんだと強く思ったのだ。

 私は何も、自ら命を断とうと考えるくらいなら、その前に命の危機にさらされるような経験をしてみるべきだと、単純に言っているのではない。ただ、人間である前に、人もまた動物であって、本能的に生きるべく創られたものなのだということだ。

 さらに、もう2カ月ほど前のことだが、NHKの”クローズ・アップ現代”で『助けてと言えない~いま30代に何が~』が放送されて、大きな反響を呼んでいたが、それは、職を失った39歳の男が、アパートの一室で餓死していた、というショッキングなニュースを取り上げたものだった。
 さすがに、あの”クローズ・アップ現代”の番組だけあって、現代の一断面である社会問題を、見事な切り口でまとめていた。
 
 しかしここで、私ごときが改めてこの問題について、論評するなどということはできるはずもないが、ただ思うことが一つ二つある。
 それは、自殺者が、男女半々とかではなく、男性にはるかに多く、さらに30代よりも40代や50代の方に多いということ。つまり”助けてと言えない”のは、何も30代ばかりでないということ。

 そして、次に思うのは、もしひとりっきりの彼が、死に至る前までに、多くの本を読んでいたら、あるいは良き映画をたくさん見ていたらということだ。同じ悩みを持つ人が、本の中で語り合い(12月20日の項)、あるいは映画の中で語り合えることによって、自分の悩みが軽減され、さらにそこで、将来への道の何かしらのヒントを、見つけられたかもしれないと思うからだ。

 しかし時代は、本を読まない、良い映画を見ないという風潮になってしまった。ただすぐに結果が分かる、単純な刺激を求めるだけになってしまった。
 刺激を求めて今だけを生きることと、本能を畏(おそ)れて今を生きるということは、相反するくらいに意味が違うことだ。

 などと、私は、雪の山道を登りながら考えていた。そして、頂上に着いた。空は晴れ渡り、周りの山々がきれいだった。しかし相変わらず風が強く、汗ばんだ体には寒すぎた。すぐに山頂を後にして、途中からもう一つのコースへと回って、下りて行った。
 動物たちの足跡だけがある道をたどり、尾根から再び樹林帯の中に入って行った。見上げると、白い雪のついた木々の枝がきれいだった(前回写真)。

 今回は、4時間半ほどの、軽い雪山ハイクだった。家に帰ると、ベランダで日向ぼっこをしていたミャオが、ニャーと鳴いて、私を迎えてくれた。」                                                 


ワタシはネコである(122)

2009-12-24 21:29:18 | Weblog



12月24日
 
 五日間もの間、毎日雪が降ったり止んだりで、なかなか外にも出られなかったのだが、昨日あたりから、道路の雪も解けて、ようやく飼い主と一緒に、散歩に出かけられるようになった。
 辺りの臭いを嗅ぎながら、まずは、いつもの枯れ葉のたまり場になっている所で、トイレをすませる。この場合は、自分の臭い付けではないから、しっかりと、前足で枯れ葉を寄せ集めて、その臭いの源を隠す。
 くんくんと臭いをかいでみて、これで大丈夫だ。小走りになって、先で待っていた飼い主のもとへと急ぐ。そしてお互いに、ニャーと鳴き交わし、また一緒に歩いて行くのだ。

 前回、飼い主の鬼瓦(おにがわら)顔がどうだのと、少し文句は言ってみたものの、他にワタシが心を許しているのは、あのエサをくれるおじさんぐらいのものだし、やはり、何といっても、一番信頼できるのはこの飼い主なのだ。
 だから、そんな飼い主と行く散歩は、私にとっては、運動を兼ねての、ちょっとしたレクレーションでもある。そういえば、飼い主が戻ってきてもう一月余り、安心して食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活を送っているワタシは、すっかり太ってしまった。
 最高の喜びでもある、生ザカナをいただく他に、しっかりとキャットフードも食べ、ミルクも皿いっぱい分飲んでしまう。ワタシの14歳という年齢からすれば、これでは太りすぎだろうとは思うのだが。
 そこで、傍にいる飼い主を、じっと見てみる。良く言われることだが、飼い主は、いつの間にか、そのペットに似てくるというけれど・・・。確かに、あの鬼瓦顔がふっくらとしてきて、どこかカバに似てきた。そして、体全体が、メタボ化してきているように見えるのだ。
 いかん、これでは、ワタシと飼い主が、ともに要介護の道を歩むことになるかもしれず、反省はするのだが、他に楽しみとてなく、ただ食っては寝、食っては寝・・・。
 ああ、天国は近いのかも、南無阿弥陀仏。そうだ明日はクリスマス、キリスト様の誕生をお祝いして、心からのアーメン。


 「雪の日が続いていたが、ようやく晴れて、全く久しぶりに、山登りに行くことができた。そのことは次回に書くとして、ともかく、雪に降りこめられて、その前の長い間風邪をひいていたことと併せて、いろいろと仕事や用事がたまっていた。
 それは、年の瀬だからといって、取り立てて、気ぜわしく動き回るため、という訳ではないのだ。最低限として、ミャオと私の食料が十分に確保されていれば、それだけでも正月は迎えられるのだから。
 
 今日も、庭仕事などで動き回った後、ようやく一休みして、のんびりしたところで思い出した。明日はクリスマスなのだ。私は、日本人であり、慣習的に仏教徒なのだろうが、キリスト教徒ではない。
 だけれども、私はクリスマスの日を外国で迎えたこともあるし、長い旅の中で、幾つもの教会を訪れて、賛美歌を聞き、共に歌い、十字を切り、祈ったこともある。
 それは、いずれにとっても背教(はいきょう)的な行為というわけではない。私としては、ごく自然に、郷に入れば郷に従え(When in Rome,do as the Romans do.)の格言に従っただけだ。

 私が、キリスト教の教会に、なぜにそれほど近づいたのかというと、学生時代に選択科目の一つとして学んだものだし、さらにその後、社会に出てからも、ヨーロッパの絵画や建築、クラッシック音楽などに興味を持つようになって、どうしても詳しく知る必要があったからだ。
 もちろん、私の乏しい知識力では、それらのことを十分に理解できるはずもないのだが、ただ今まで、一通り、眺めた経験があるから、キリスト教に対しては、いくらかの親近感があるというだけのことだ。
 キリスト教に帰依(きえ)することもなく、かといって仏教徒の信者というわけでもなく、どちらかといえば、己の中にある原初的な自然の神の存在だけを、ひそかにおぼろげに思っているだけである。
 つまり、キリスト教にしろ、仏教にしろ、それらは私にとっては、芸術的な感興を与えてくれ、思索的な示唆を与えてくれる重要なものではあるのだが。


 だから、クリスマスの日、私は、キリストの誕生を祝うために、あの大好きなバッハの『クリスマス・オラトリオ』を聴くことにしている。それは、恋人や家族とともに楽しく過ごす日本的なクリスマスの日の思い出が、余りないということでもあるが。
 しかし、それは、負け惜しみ的な寂しさから言っているのではない。実のところ、私は、この日のために、ツリーを飾ったり、ケーキやチキンを買ったりはしないし、ただ、バッハの作ったクリスマスのための音楽をCDで聴くだけだが、キリスト教徒でもない私には、それで十分だと思っている。

 ところで、そのヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)の『クリスマス・オラトリオ』(1734)についてであるが、オラトリオと名付けられているが、それは例えば、数多くのオラトリオを残したヘンデル(1685~1759)の作品が、一つの話でまとめ上げられているものと比べれば、6部に分けられていて、それぞれが、クリスマス当日と、その後の祝祭日のために演奏されるべく作られた、六つの教会カンタータ集であるともいえる。
 それらの六つのカンタータそれぞれが、キリストの誕生を祝う祝祭的な喜びに満ちていて、他のバッハの、宗教曲の大作である、『マタイ』と『ヨハネ』の二つの受難曲と『ロ短調ミサ曲』などと比べれば、聴きやすく、親しみやすいものだともいえるだろう。

 その『クリスマス・オラトリオ』の、クリスマスの第1日目に演奏される第1部の曲は、ティンパニの連打に始まる前奏の後、『いざたたえよ、この良き日を』という合唱曲になり、そして二つの説明のレチタティーヴォの後は、その序奏から素晴らしい第4曲の(カウンター)テノールのアリアになり、第5曲の有名な合唱曲の後、第6曲のレチタティーヴォでイエスの誕生が告げられ、そして第9曲まで、幼子(おさなご)イエスをたたえるアリアや合唱が続く。
  さらに次の、クリスマス第2日目に演奏される、第2部の第1曲のシンフォニアの、何という天国的な美しさ・・・、その後にある有名なアルトのアリアなど、書いていけばきりがない。

 この『クリスマス・オラトリオ』の演奏を、レコードの時代には、有名なリヒター盤(Archiv)で聴いてきたが、その後は、クルト・トーマス(edel)やガーディナー(Archiv)、鈴木雅明(BIS)などの指揮するCDで聴いていたが、今年は、ルネ・ヤーコブス(harmonia mundi)のものを聴くことにしよう。
 実はこのヤーコブスのCDは、すでに持っていたのだが、今年最高の企画もののCDボックス・セット、『SACRED MUSIC』(harmonia mundi 29枚組)の中の2枚だったのだ。ダブることになったが、私はためらうことなく買ってしまった。このCDセットについては、また後日、詳しく書きたいと思う。

 クリスマスの日に、静かにひとり、バッハの曲を聴くということ・・・ミャオは、ストーヴの前で、静かに寝ている。それで良いのだ。

 写真は、昨日、山に登った時に、林の中で写したものだ。まだ木々には、雪が付いていた。青空を背景に、天使のような、綿毛のような雪が、私の目にやさしく映った。」 

(参考文献) 『名曲解説全集15声楽曲』、『名曲大辞典』(以上、音楽之友社)
  
 


ワタシはネコである(121)

2009-12-20 10:07:02 | Weblog



12月20日


 毎日、雪の日が続いている。寝ることが、ワタシたちネコ族の特徴の一つであるとしても、こうも外に出られない日が続くと、さすがに、もう寝あきるくらいである。
 うつらうつらとしていて、ハッと目を開けると、ニタニタ笑う飼い主の、あの鬼瓦(おにがわら)顔だ、全く、いい加減うんざりする。
 人間は、どのネコかを選ぶことができるが、ワタシたちは、飼い主を選ぶことはできない。エサをもらうようになれば、どんな人間であれ、飼い主様として従い生きていくほかはないのだ。

 実はそこに、ワタシたちネコ族の、宿命的な問題点があるのだ。つまり、ネコ側からの、待遇改善の要求や、フリーエイジェント制度(一定期間をその飼い主のもとですごしたネコは、自由に新しい飼い主を選べる権利)が、十分に実行されていないからだ。
 ワタシたちネコが一致団結して、ユニオンを作ったところで、もし相手の飼い主たちが、ワタシたちの目の前で、マタタビやキャットフードでもちらつかせようものなら、ワタシたちネコ・ユニオンが総崩れになるのは目に見えている。
 つまり、ネコと飼い主の関係において、ワタシたちネコは、初めから本質的に弱点を抱えていて、アホな飼い主でも、ただつき従うほかはないのだ。

 ワタシの飼い主にしても、寒い冬場はこうして一緒にいてくれるから良いものの、その他は長い間、私を放り出して、どこかへ行ってしまう。最近、飼い主がこのブログで、『母を尋ねて三千里』や『家なき子』などの話をしているらしいが、一体、このワタシの方はどうなっているのだと言いたいくらいだ。

 さらに、こうして毎日、いつも同じ鬼瓦顔ばかり見ていては、時々いやになる。もしできることなら、やはりやさしい女の人の方が良い。例えば、吉永小百合さんとか、いやし系のあの安めぐみさんあたりに、やさしく、ミャオとか声をかけてもらいたい。うー、たまらん。

 そこに、野太い飼い主の声がして、ワタシの夢は破れる。
 「ミャオ、いつまでも寝てないで、たまには外に行って来い。」
 あーあ、飼いネコはツライよ。


 「もう五日間も、寒い雪の日が続いている。日中の気温も、マイナスのままの真冬日で、暖房設備が十分でないこの家では、ひとしお寒さが身にしみる。
 もっとも、北海道では、暖冬の予報に反して、12月としては記録的な寒さになっているらしいが。私の小屋がある十勝地方では、もう今の時期からー25度を下回ったということだ。
 しかし、そんな寒さの中でも、あの小屋の中には、しっかりとした暖かい薪ストーヴがある。薪のはじけて燃える音を聞きながら、柔らかい暖かさに包まれて、揺り椅子に座っていたことを思い出す。
 とは言っても、こちらは、少し寒い家だけれど、風呂には入れるし、ちゃんと水洗トイレもあって、普通の生活が送れる。その上、いつも傍には、ミャオがいるのだ。何事もすべてに満足することなどできないし、半分くらいがちょうど良いということなのだろう。

 さて、前回からの続きだけれど、先日の『フランダースの犬』から、サザンカの花のつながりで思い出した、田宮虎彦の短編小説について、少し考えてみたいと思う。


 戦時中から、戦後にかけて、そして昭和の時代を通して活躍した田宮虎彦(1911~88)の小説は、大きく言えば、三つの系統に分けられるだろう。
 一つには、『落城』等の、明治の時代を迎えてもなお、徳川幕府に義を通し続ける東北の、架空の小藩の悲劇を描いた連作や、その他の歴史小説もの。
 次は、『足摺岬』や『絵本』、『小さな赤い花』等の、私小説的色彩の濃い、幼少年期や青年期のことを書いた、短編、長編小説。
 三つ目のものは、大人の愛の物語である、『別れて生きる時も』、『赤い椿の花』そして、亡き妻との間の愛をうたった『愛のかたみ』(その後、作者自身の意向により絶版)等である。

 私は、何も、それぞれのジャンルの作品の一つ一つを、文学評論として語るつもりはないし、その余裕もない。あくまでもここでは、今回の私の思い出につながるものとして、二つ目にあげたグループの中から、特に彼の子供時代のことを描いた作品についてだけ、少し考えてみたいと思う。
 そこでは、彼の子供時代のつらい思い出が、繰り返し、小さな短編となって語られているのだ。つまり、『異母兄弟』(昭和24年)、『父という概念』『童話』(27年)、『異端の子』(28年)、『母の死』(30年)、そしてそれらの集大成とでも言うべき長編の『小さな赤い花』(36年)等である。

 その中心をなす物語は、絶対家父長的な性格の男の所へ、後妻として嫁いだ母のもとに生まれた少年が、その鬼のような父親によって、上の兄たちとは差別され疎(うと)んじられて、そのうちに病弱な母は里に帰されて、少年も一緒について行くが、そこで母は亡くなり、少年は一人残されるという、昔にはよくあっただろうと思われるような話である。
 そのころ、私は、その同じような内容の短編を次から次に飽きることなく読んでは、時には涙を浮かべていたのである。
 今回、一連の思い出のために、その幾つかを読み返してみたが、確かに、その当時の若い私としては、子供時代の記憶がまだ生々しくあって、とても他人ごととは思えずに、多分に自己同化して読んだのだろう。
 それは、自分のつらい過去の思い出をたどり、本に書かれていることを読むことで、その当事者と語り合うことになる、つまり、同じ痛みを持った者同士として、話し合うことによって、その心の傷を癒(いや)していたのだ。

 それは、いつの時代にも言えることだ。今でも、様々な事件の被害者や、同じ病を抱えた人たちが集まって、話し合う場が設けられることがあるけれども、それらは確かにお互いの癒しの場になりうるだろうし、必要なことだと思う。
 体の傷も、心の傷も、本当のところは、その当事者たちでしかわからないことであり、いつも人は、自分が傷ついて初めて、あの時の人の痛みが分かるものなのだ。

 ただし、その話し合いの場やあるいは小説の中で、十分に語り終えて、心にたまったものを出すことができたら、そこにとどまっていてはいけない。次へと歩みださなければならない。
 思い出の中だけでは、人は生きられないし、その間にも、自分の人生の持ち時間は、刻一刻と少なくなってきているからだ。
 
 今回、それらの短編小説を幾つか読み返したけれども、もう今では、私の胸に激しく突き上げてくるものはなかった。しかし遠い日の、古い写真を見るように懐かしい思いがした。
 彼の短編小説の中に、『子別れ』(昭和25年)という作品があるが、そこには彼の小説のひとつの本質が見えている。母馬と仔馬の別れを、思いを込めて描いていて、美しいリリシズムとヒューマニズムに溢れてはいるが、今にして思えば、やはり感傷的に過ぎるのだ。
 彼の作品が、その後忘れ去られたのも、今の時代にも合わない理由もよくわかる。しかし、とは言っても、いつに時代にも、私がそうであったように、彼の作品を必要とする人たちがいることも、また確かである。

 ついでに、田宮虎彦のことについて、少し書き足すとすれば。当時、彼の作品は、次々に映画化され、テレビ・ドラマ化されていた。その中には『足摺岬』(1954年、吉村公三郎)、『銀心中』(1956年、新藤兼人)、『異母兄弟』(1957年、家城巳代治)などがある。
 1988年、彼は、脳梗塞の後遺症のために執筆できないとの遺書を残して、投身自殺した。

 前回書いたように、記憶は、時の流れとともにいつしか、同じ平面上にひとしく書き残されていくだけのことだ。夢、幻のように・・・。

<参考文献 > 『足摺岬・絵本』、『落城』、『別れて生きる時も』、『赤い椿の花』(以上角川文庫)、『落城・足摺岬』(新潮文庫)、『井上靖・田宮虎彦集』(講談社版)、『永井龍男・田宮虎彦集』(集英社版)。以上すべて絶版であり、現在、講談社文芸文庫に、『足摺岬ー田宮虎彦作品集』があるだけ。他にウェブ上のウィキペディア等を参照。


ワタシはネコである(120)

2009-12-17 17:12:48 | Weblog



12月17日
 
 今日は、朝から雪が降っている。家の中でも寒いくらいだから、外は相当に冷え込んでいるのだろう。昼前に、ほんの少しの間、飼い主と散歩に出たが、後は、家の中で寝ている他はない。昨日からついに、本当の冬が来たのだ。

 昨日の明け方、ワタシは目が覚めて、コタツの中から部屋の外に出て、そしてベランダへと出てみた。薄暗がりの中、身ぶるいするほどの寒さだった。雪が積もっていた。その雪の上を歩いて、下に降りた。
 トイレをすませると、すぐにまたベランダに上がり、部屋に戻った。
 しかし、体にしみ込んだ寒さは、飼い主によって、低い温度に設定されたままのコタツの中くらいでは、とても温まらなかった。

 ワタシは、部屋を出て、隣の部屋のドアの前で、少し遠慮がちに、ニャーと鳴いた。ややあって、ドアが開き、飼い主は黙ってワタシを抱えて、ベッドの布団の中に入れてくれた。
 そこは、飼い主の臭いと、温かい空気に満ちていた。ワタシは、ニャーと鳴いた。飼い主は、ワタシをなでてくれた。ワタシは毛づくろいを終えて、そこで丸くなって寝た。
 しばらくして、飼い主はワタシをベッドに残したまま、部屋を出て行った。そうか、もう飼い主の起きる時間だったのか。
 日中は日も差して、幾らか暖かくなり、ワタシはベランダで、日の光を浴びて寝ていた。

 「昨日の明け方、ミャオは、この冬初めて私の布団の中に入って来た。それで目が覚めてしまい、そのまま起きて外を見ると、まだ日の出前だったが、周りが白々と明るくなって、雪が積もっていた。
 しばらくして、日が昇ってから、カーテンを開けて外を見ると、積雪は3、4cmほどで、辺り一面の雪景色だった。
 ベランダに積もった雪の上には、ミャオの足跡が残っていた。そして、その夜になって私が寝る頃になると、ミャオはまたも私の布団の中に入って来た。
 寒いからだろうが、私としては、あまり歓迎すべきことではないのだ。それは、寝がえりを打ってミャオを押しつぶしやしないかと気になって、ぐっすりとは眠れなくなるからだ。
 今日も朝は、-5度と冷え込み、晴れ間ものぞいたりはしたが、雪が降ったり止んだりで、マイナスの気温のままの寒い一日になった。


 さて、前回からの話の続きになるが、人というものは誰でも、時々、立ち止まっては、自分の人生を振り返ってみるものだ。
 ある時は、輝かしき成功の甘い思い出に酔い、ある時は、屈辱的な失敗への悔悟(かいご)の思いにさいなまれながら、何度となく、繰り返しては思うのだ。
 しかし、歳月とともに、あれほど色鮮やかに分けられていた、良き思い出と悪しき思い出が、いつしかその境がぼやけて行ってしまい、ついには、過去という名の大海を目の前にした時のように、すべては茫洋(ぼうよう)とした広がりの中に混じりこんでしまう。
 そして、いつかは今ある自分も、その海の中のほんの一滴として、溶け込んでいってしまうのだろう。

 そんなふうに、今ではもうさしたる区別をする必要もないような、私の記憶の中にある事柄を、三つほど並べてみる。

 まず、子供のころの思い出。私には、父親の記憶が余りない。物心ついたときに傍にいたのは、母の姿だけである。
 誰もが貧乏で、それでも一生懸命に生きていた時代のことだ。私の母は、まだ小さかった私を、彼女の兄の家に預け、次には妹家族のもとに預けて、その間に一人で働いては、親子でなんとか生きていくためだけの、わずかばかりのお金を稼いでいた。まだ母親に甘えていたかった幼い私が、その母に会えるのは、一月に一度くらいだった。
 小学校の転校も繰り返し、言葉が違うからと、そのころは体も小さかった私は、よくいじめられていた。遠い昔の話だ。

 次の記憶は、高校に入ったばかりのころだ。その高校は、古くからの藩校の伝統があり、初めて知ったたくさんの古本の臭いに満ちた図書館で、私は様々な本に出会った。
 まず、手始めに読み始めたのは、恥ずかしながら、私の年齢からでは余りにも遅すぎる児童文学全集だった。
 その中には、『母をたずねて三千里』、『家なき子』、『フランダースの犬』等があり、私は、書棚の片隅で、人に気づかれぬように、涙を流しながら、それらの本を読んでいた。

 そして、都会の学校に入り、そこで下宿生活を送りながら、学生時代を過ごした。今にして思えば、自分の将来への希望に満ちた思いが、いつしか崩れていき、自堕落(じだらく)な生活へと傾きかけた青春時代であり、とても充実していたなどとは言えぬ思い出である。
 ただそのころ、私は、手当たり次第にたくさんの本を読んだ。田宮虎彦はその中でも、一時は、夢中になって読んだ日本の作家の一人である。
 
 それらの幾つもの記憶があって、前回書いたように、一週間ほど前に、たまたまテレビ番組の中で、『フランダースの犬』を見て、さらにミャオと散歩中にサザンカの花を見て、これら三つの思い出が、まるで一本の糸のようにつながっては、私の脳裏にまとまり浮かんだのだ。

 そのテレビ番組の中で、私と同じように涙を流して見ていた人は、テレビ・カメラに写っていた限りでは、何人かはいたのだが、そう多くはなかった。あの悲しく哀れなラストシーンを見て、ああかわいそうだとは思っても、泣くほどではないという人の方が多かったのだろう。
 ただ、私にとっては、主人公のネロと犬のパトラッシュに襲いかかる不幸の数々が、人ごととは思えなくて、幼いころの自分に重ねて見えてしまったからだ。
 私はここで何も、『フランダースの犬』を見て泣く人が、私と同じようにこの物語を良く分かっている人たちで、それ以外の人は分かっていない人たちだなどと、浅薄に決めつけようとしているのではない。(実のところ今になって思えるのだが、私などは、ずっと恵まれていて幸せな方であり、世の中には私以上の悲しい子供時代を送った人が、幾らでもいるはずだ。)
 むしろ、ここで言えるのは、泣いた人たちは、多分に不幸な過去を持つ人たちであり、泣くほどではなかった人たちは、ただそういう過去の悲しみがそれほどのものではなくて、どちらかといえば、あまり大きな波風を受けることなく、普通の家庭で育ってきた人たちだろうということだ。
 そして、そんな彼や彼女たちが、その両親のもとで、恐らくは健(すこ)やかに育ってきただろう子供時代を、私は、むしろ良かったと喜んであげたいくらいなのだ。
 人は何も、悲しみ泣くためばかりに生まれてきたのではない。悲しみは少なく、喜びは多くあることが、人としては望ましいことなのだから。

 ただし、人が生きていくうえでは、その数の多少はあるにせよ、何度かは、嵐吹きすさぶ中で、恐怖に立ちすくみ、凍える寒さの中で、ただ身を縮めて、ひたすらに耐えて、過ごさなければならない時があるものだ。
 
 前回、暖かい冬の日差しの中で写したサザンカの花が、今は降り積もる雪の下で、ただ寒さに耐えている(写真)。
 次回は、田宮虎彦の幾つかの短編小説について、少し考えてみたい。」 
 


ワタシはネコである(119)

2009-12-14 19:34:32 | Weblog



12月14日
 
 ようやく晴れて、青空が広がり、所々に白い雲が浮かんでいる。
 朝、飼い主と散歩に出たのだが、家から少し行った日当たりのよい所で、ワタシは座りこんでしまった。飼い主は、ワタシの気持ちを察して、散歩に行くことをやめて、ワタシに声をかけ、一緒に家に戻った。
 そして今は、ベランダにいるというわけだ。このところあまり晴れた日もなかったから、今日は久しぶりに、自分のいっちょうらの毛皮干しができるのだ。

 部屋の方からは、飼い主の聴く、外国の古い時代の音楽が聞こえてくる。飼い主が、どんな音楽を聞こうと、ワタシはあまり興味はない。外で時々聞こえる、鳥たちの声や、梢を渡る風の音だけで十分だ。
 今は、風の当たらない、日当たりのよいベランダで寝ている。家には飼い主もいる。それで十分だ。


 「天気が悪い上に、長い間風邪をひいていて、何もする気がせず、何という九日間だったことだろう。ようやく今日辺りから、体調が元に戻り始めたようだ。
 四日前に、風邪は治りかけていたのだが、大した意味もないこのブログの記事を書いたり(前回)、他の仕事をしたり、寒い中ミャオと散歩に出たりしていたために、風邪が長引いてしまったのだ。
  熱もなく、咳も出ず、ただ頭が痛くて、少しボーッとしているだけなので、日常生活で困ることはなかったのだが。もっとも、私はいつも、ボーッとした人生を送って来たようなもので、生まれてこの方、ずっと人間社会への対応免疫が十分ではなかったために、いつも風邪をひいていたのかもしれない。

 ところで、そんな風邪をひきながらも、出かけていたミャオとの散歩だが、その道すがらには、所々にサザンカの花が咲いている(写真)。
 冬の間は、他に殆ど花が咲いていないのに、このサザンカだけが、鮮やかな花を咲かせている。赤の他にも、樹によっては、薄紅、桃色、白などの花もあるが、やはり常緑の緑の葉には、このサザンカの赤い色が良く似合う。
 まだまだ蕾がいっぱいあるから、冬の間中、咲き続けてくれるだろうし、その甘い蜜は、メジロやヒヨドリたちにとっては、冬の間の大切なえさ場にもなる。
 
 冬の花と言えばサザンカだが、その花に代わるようにして、冬の終わりから春にかけては、同じ仲間のツバキの花が咲く。どちらも、厚い常緑の葉を持った亜熱帯系出身の樹なのに、どうしてこんな寒い時期に花が咲くのだろうか。

 サザンカの花は、その花びらの一枚一枚が、樹の根もとに散り落ちて、きれいな模様になるけれど、ツバキは潔(いさぎよ)いというべきか、花ごとにぼとりと落ちる。
 はっきりとは覚えていないのだが、ある人の家を訪ねた時に、その落ちてきたツバキの花が一輪、白い小皿に活けられていたのを見たことがある。元来ツバキは、その花が首元から落ちるので、余り生け花には使われていなかったのだが、その時の白と赤の色が、今も鮮やかに、脳裏によみがえってくる。
 
 サザンカからツバキの花を思い出し、そして『赤い椿の花』という小説を思い出した。今はもう、知る人も少ない田宮虎彦(1911~1988)の書いた小説である。
 その古い文庫本が今も私の手元にあるのだが、この田宮虎彦は、学生時代になぜか心惹(ひ)かれて、彼の書いた幾つかの短編小説を、次々に夢中になって読んだことがある。

 実は、その時に彼の小説を思い出したのは、サザンカの花を見たからというだけではなかったのだ。その前の日の夜、たまたま見ていたテレビの番組の中で、あのアニメ番組として有名だった『フランダースの犬』が、ほんの10分足らずのダイジェスト版ドラマとして、紹介されていた。
 その時に、番組の数人のタレントたちと、そこに参加していた数十人ほどの女の子たちも一緒に見ていたのだが、そのうちの何人かが涙を流していた。私も、思わず涙がこぼれてしまった一人なのだが、その時のことと重なって、田宮虎彦の小説を思い出したというべきなのだろう。

 人の心の中で、連関して思い出されるものが、いつしか一次元的な平面上に、過去の事実として連記されて行き、やがてそれらが、一つの線でつながっているのが見えてくる。無意識の中で関連付けられて、思いもしなかったことが、夢として現われてくるものと比べれば、今という秩序だてられた自分の意識下でのことだけに、過去の事実として、はっきりと思い出すことができるのだ。

次回は、この『フランダースの犬』と、田宮虎彦、そして私の幼いころの思い出、この三つのつながりについて、書いてみようと思う。 


ワタシはネコである(118)

2009-12-10 17:40:48 | Weblog

12月10日


 昨日の昼前から雨が降りだして、今日も、降ったり止んだりの一日である。ワタシは、朝、トイレに出た以外は、いつものストーヴの前で寝ている。
 時折、飼い主が、ワタシに手を伸ばしてきて、なでてくれたり、ふざけて少し遊んでくれたりする以外は、他にやることもない。飼い主は、家の中を動き回り、座り込んでは何かをしたりしている。

 そんなにヒマだったら、ネコとはいえ、何か趣味を持ったらいいじゃないかと、前に飼い主から言われたことがあるけれど、ワタシたち動物は、生きるということに関わる以外の無駄な動作はしたくないし、考えたくもないのだ。

 ワタシの生きていく上での行動というのは、まず飼い主と散歩に出たり、あるいはひとりで外に出た時などの、自分の大切な生活圏(縄張り)の見回りである。同じように外に出てすませるトイレは、生理作用であるとともに、これまた自宅周辺での自分の臭い付け、マーキングもかねているのだ。
 次に、自分で狩りをして獲物をしとめるのは、時間と運もかかわる難しい仕事でもあるが、たとえ飼い主からエサをもらっていても、いつ半ノラになるかもわからないから、常日頃から、その準備だけはしておかなければならない。
 実際に、獲物をしとめることはもちろんのこと(前回参照)、毎日の訓練も大事である。例えば、飼い主がワタシの前でネコジャラシを動かして、ワタシがそれにじゃれているように見えるかもしれないが、あれはもちろん遊んでいるのではない、しっかりと狩りのための練習をしているのであり、と同時に、ワタシが遊んでいるように見せかけて、飼い主と遊んでやっているのだ。
 そして、寝る子だから、ネコと呼ばれるようになったワタシたちにとって、この寝るという行為は、また大切なことである。つまり、無駄な体力を浪費しないために、寝ているのであり、次の狩りのためのエネルギーを蓄えておくために、寝ているのだ。
 後は、その獲物をとらえるために、ひたすらに待つということ。それは、今のワタシでいえば、夕方に、飼い主から一匹の生ザカナをもらうために、もう何時間も前から、飼い主の顔をうかがいながら待ち続けることでもある。

 つまり、以上のこと、自分の足で歩きまわり、しっかり寝ておいて、ひたすらに待つというのが、ワタシが生きていく上での行動として、一番大切なことであり、猫の手も借りたいというが、忙しい誰かのために手を貸すとか、自分の趣味を持っていて、そのことに没頭するなんていう、無駄な時間は過ごしたくはないのだ。

 雨が降っていると外にも出られず、寝てばかりいるワタシだが、『雨の日のネコはとことん眠い』(加藤由子著 PHP文庫)とかいう本を書いている人間もいるくらいだから、飼い主もそのあたりのことは分かってくれていて、そんなワタシを見ては、体をなでてくれるだけで文句は言わない。
 しかし、さすがに一日中だと退屈してきた。もうサカナの時間も近いし、ベランダに出て、しばらく待つとしよう。こんな雨の中でも、鳥たちは、エサを探して飛びまわっている。ご苦労なことだ。



 「この一週間ほど、体調がすぐれない。一年のうちに一度、かかるかかからないかという風邪をひいてしまったのだ。症状が長引いたこともあって、例の新型のインフルエンザではないのかと、心配したが、幸いにも、いつもの風邪と同じで、そうひどいものではないのだが。

 熱はない。ただ鼻水鼻づまりに、喉の痛みで、すっかり鼻声になり、そして目の奥の頭痛で、少し頭がぼーっとしているくらいだから、日常生活で困ることはない。
 風邪の症状は、常日頃からその人の悪い所に表れるというから、(ミャオ、横目で私をチラ見して、笑うんじゃない。)確かに、私は、オマエほどに鼻がきいて、臭いに敏感ではないし、のど自慢でもないから、恥ずかしながら今までカラオケで一度も歌ったことがないくらいだし、そして、頭が悪いものだから、人間社会に十分対応できなくて、こんな山の中で暮らすしかないのだ。それは、自分でも分かっている。
 風邪をひかないミャオからすれば、私は悪い所の多い、至らぬ人間だと思うけれども、唯一、言えるのは、誰よりもオマエを愛しているということだ。
 
 アチョー、ニャオ、ニャオーン、にしきゴイ、げっとん。猫またぎ、猫に小判ってかー。
 いい年をして、まあ臆面(おくめん)もなく、そんなことを書いたのは、実は、このところ、ささやかながら、愛について若干のことを考えていたからだ。

 もとより、愛と呼ばれる言葉の定義は難しい。手元にある、古い百科事典や辞書によれば、『ある人にとって価値ありとされた対象によって、彼がひきつけられるときにおこる精神的過程を愛と呼ぶ』(世界大百科事典 平凡社)とか、『個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情。』(新明解国語辞典 三省堂)とある。
 さらに、ネット上で調べれば、なんと7250万件がヒットするという有様であるが、ウィキペディアなどを読めば、懇切丁寧(こんせつていねい)に説明してある。

 そこで、愛という言葉の持つ意味を、以下のように幾つかに分けてみた。
 (1)可愛がり甘えさせること。親子や家族、仲間、ペットなどとの関係。
 (2)男と女が、相手のことを思うこと。いわゆる、恋愛感情。
 (3)対象物を切望するほどに思うこと。収集物とか何々マニアとか。
 (4)宗教的な愛。キリストや釈迦などの民衆にに対する愛。
    あるいは逆に、民衆からのキリストや釈迦などへの信頼の思い。
 (5)自己愛。5番目としてあげるべきか異論はあるが。

 (余談であるが、今年のNHK大河ドラマの主人公、直江兼続の兜に飾られていた愛の文字は、当時は今日的な意味とは違っていて、いわゆる古語の言葉、愛し(かなしと読む)の意味であり、人や自然に、胸が詰まるほどに、哀れと思い、情をかけ可愛がることであり、ここでは(4)の宗教的な意味で使われたのかもしれない。つまり(2)の意味での愛は、LOVEの翻訳語として、近年になって使われ始めたものである、と言われている。)

 さて、古今東西、人々が書き残してきた、物語、小説のすべては、何かしらの愛について書かれたものばかりであり、つまり、全部がそれぞれの愛のロマンを書いたものなのである。
 そんな中で、私ごときが、愛について何かを語るなどという、大それたことを考えた訳ではない。ただミャオと、二人で暮らしていて、ふと思ったのだ。
 私とミャオの間は、もちろん(1)の意味においてだが、しかしそれは本来向かうべき方向から、転移されたものではないのか。つまり人間というものは、成人男女として、本来は、(2)にウェイトが置かれた(1)の意味も含まれた愛の状態にあるべきなのだろうが、(2)に向かうべきものが、行き場を失い、(1)や(3)に転移せざるを得ないということなのだ。

 考えてみれば、私たちは誰でも、先に述べたような、”人間本来の暖かな心情”としての、愛の思いを持っているものであり、それは例えて言えば、水道の蛇口から滴り落ちる水滴のようなもので、自分の心の中には、誰でも、その愛の泉からの水滴を受け止めて、溜めておく受け皿があるものなのだ。
 その受け皿がいっぱいになった時、人は、愛すべき人に向かって、心の中で温めてきた愛の泉の水を、今こそ浴びせかけることができるのだ。激しい恋の思いである。

 しかし、その相手から無視されたり、相手が見つからなかった場合、そのいっぱいの愛の水は、どうするのか。そのまま溢れるままにしておけば、内に閉じこもったままの(5)自己愛に向かうということにもなるが、殆どの場合は転移行動として、別な相手を探すか、(1)のような身近な相手に向かうか、(3)のようなものに向かうか、あるいは宗教の中に身をゆだねることによって、(4)のような愛の世界へとたどり着き、自分の思いを神に向かわせるようになるのだ。
 本来、男女間の恋愛感情へと注がれるべく溜め込まれてきた、心の中の受け皿にあふれる思いが、心理学や精神分析学上使われる、感情転移として、様々な形で別な方向に向かうことは、考えてみれば当然なことであり、間違った選択ではない。
 むしろ、その転移行動の結果として、様々な芸術作品が生み出されることもあるくらいなのだから。もちろん、それは常軌を逸する形で歪められたり、犯罪へと転移変化を遂げるような場合は、別としてだが。

 思えば、私にも、もちろん若き日には誰もが恋していたように、ごく普通に、お互いにあふれる思いを共有していた何人かの彼女の存在があったし、そのことで私の受け皿は、いつも有効に活用されていたのだ。
 しかし、時とともに彼女たちを次々に失くしていって、その代わりに、猫のミャオに、そして高い山々に登ることに、クラッシック音楽を聴くことに、本を読むことに、絵画、映画などを見ることなどに思いを寄せることで、いつの間にか、自らの思いを転移していったのだと思う。
 ただそうして、本来私の受け皿にあった溢れる思いが、それぞれのものへと分散されていったことは、今では、むしろ良かったことなのだと思っているし、また、年齢的なものでもあるのだが、今更、若き日の愛憎混濁する思いの中に、引き込まれたいとは思わなくなっているからでもある。
 若い時には、愛する人がいなければ、とても生きてはいけないとまで思っていたのに。人は、その転移行動や転嫁行動によって、十分に自分の思いの、新たな行き場を見つけることができるのだ。
 
 そういえば、ずいぶん昔に場末の名画座で見た、『終身犯』という映画のことを思い出した。J・フランケンハイマー監督、バート・ランカスター主演による、1962年のアメリカ映画である。
 物語は、刑務所の看守を殺して、終身刑を言い渡された男が、その監獄の窓から見える鳥たちのことを思っているうちに、興味を持って調べ始めて、いつしか鳥類学の権威ある一人になるという、実話に基づいた話である。

 こうした類の話を上げていけばきりがないし、誰しもどこかでそうした感情転移によって、今まで果たせずに抑圧されていた思いのはけ口を、見つけたことがあるだろう。それから先の問題は、ただ一つだけ、つまりそれで満足できるかどうかであるが。

 考えてみれば、歳を取るというのは、悪いことではない。歳を重ねるごとに、すべてのものの関わり合いが良く見えてくるし、若き日の一本道しか見えない、狂気の激情に振り回されずにすむし、年寄りになってからの穏やかな静けさの彼方に、前回にも少しふれた、あの臨死体験の世界があるとしたら、自分が生きてきた過程は、そう悪いものではなかったと、振り返ることができるだろうからだ。
 ささやかながら、愛について、ささやかながら、生きていることについて、ささやかながら、ミャオと私について、ここまで書いてきたのだが、はたして・・・。

 さて、二日前の朝、ミャオと散歩に出た。曇り空の下に、低い山並みが続いていた(写真)。有名な『幾山河 越え去りゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく』(若山牧水)の歌や、『分け入っても 分け入っても 青い山』(種田山頭火)の一句を思い出した。
 しかし、今、私は、彼らのように旅を続けているわけではない。この風景は、私のいつも見る風景の一つとして、変わらずに、安心してそこに静かにあるというだけのことだ。」



 


ワタシはネコである(117)

2009-12-05 17:29:42 | Weblog



12月5日

  一昨日のことである。その日は、飼い主と一緒に、いつもの散歩に出かけた所で、なぜか気が進まなくなり、家の前で座り込んでしまった。
 飼い主は、動こうとしないワタシを見て、家に戻ってしまった。ワタシも、その後から家に戻り、ずっとコタツの傍で寝ていた。
 毎日やっていることでも、どうしても気が乗らない時があるものだ。人間の場合は、仕事として、そんな時でもやり続けなければならないのだろうが、ワタシたち動物は、そうではない。やりたくないものは、ただやらないだけだ。
 そういうふうに、ワタシたちがなったのは、つまりそういう性向になったのは、一つには、ワタシたちの本能から来るものだろう。神様がささやくのだ、何か良くないことがあるから、やめるべきだと。
 思えばその時、ワタシの体調は今一つすぐれずに、鼻の頭も乾いていたし、ただこのまま寝ていたかったのだ。

 そして夕方になって、いつものように生ザカナをもらい、バリバリと食べると、ワタシの体に元気がみなぎってきた。家の中を、ダダーっと走り回った後、ベランダに出て、辺りを見回した。
 そこでしばらく、観察していると、すっかり薄暗くなった庭の端の草むらで、何か動くものがある。ワタシはベランダから庭に下り、忍び足で草むらに近づき、そこで辛抱強く待った。

 待つこと。これほど、私たち動物の特性を表わすものはないだろう。人間も確かに待つのだろうが、その時間は短く、いつも周りの誰かに待つことの不平を口にしながらだ。
 とその時、再びかすかな音がして、動くものがあった。ワタシは、目を見開き、緊張で毛を逆立てながら、自分の体を低くして身構えた。
 来た。その瞬間、ワタシは、反射的に獲物に飛びかかった。ワタシの鋭い爪が、相手の柔らかい体に食い込む。さらにもがこうとする相手の首元にも、ガブリと噛みついた。
 獲物は、小さなネズミだ。動けないほどに強く噛みついた後で、押さえていた前足をはずして、くわえたまま、ベランダに上がり、家に入って行った。飼い主に見せなければ。


 「外に出ていたはずのミャオが、鳴いている。ミャオは、外から帰って来た時には、いつも一声鳴いて、私に知らせる。しかし、二度三度と鳴きやまない。
 サカナはやったばかりだし、ミルクでもほしいのか、よっこらしょと腰を上げて、居間に行ったところ、ミャオの姿が見えない。あれっと思って、声をかけると、鳴き声は何とテーブルの下からだ。
 また他のネコと争って、ケガをしたのだろうか。腰をかがめて覗き込んで見る。別に、普通にミャオは座っている。しかし、その前に、なんとネズミが一匹。

 また、取って来たのか。ミャオは、目を見開いたまま、ニャーオと鳴く。まだ興奮が収まらないミャオを、なんとか獲物から引き離し、ネズミを紙に包んで取り上げた。
 体長6cmほどの、小さなカヤネズミだ。まだ温かみが残っていたが、もう絶命しているらしく、ピクリとも動かない。
 立ち上がった私を見て、ミャオがしきりに鳴く。そのまま、ミャオを家の中に閉じ込めて、外に出て、死んだネズミを土の中に埋めた。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。

 しかし、死体になってしまっても、どんな小さな生き物の体でも、それをエサとする動物たちはもとよりのこと、植物たちにとってさえ、次の世代を生むための有用な栄養源になるのだ。人間を除いて、この生物界に無駄な仕組みなど何もないのだ。

 そういえば、前に読んだことのある本の中で、映画監督の羽仁進氏が、話していたことを思い出した。少し長くなるが、引用(一部略)してみる。

 『・・・ある時、三十頭くらいのライオンの群れが、一頭のバッファローを狩りで仕留めたんです。ライオンが食べきれないで残ったバッファローには、ハゲタカの群れがやってくる、ハイエナも来る、ジャッカルも来る。小さな虫の類もたくさん来る。
 翌朝の八時くらいになると、一本の大きな骨になる。それも微生物の作用なんかでどんどん分解されて、数週間すると頭の一部くらいしか残らない。
 そういうのを何度も見ていると、動物は死んでも、何百という大小の生きものの新しい生に生まれ変わるんだな、ということがわかるわけです。その生命体が死ねば、それもまた次の生命体に食べられてその中に組み込まれていく。
 地球上に総体としての生命が続く限り、生命というのは死ぬことがない。そういう全体像が見えてくると、個体の死なんていうものは大したことがないと思うわけです。
 (ただし生きている個体の側の視点からいうと)、個体には、生きようとするものすごい意欲が与えられている。』
 
 (『証言・臨死体験』 立花隆著 文春文庫より。ついでに、この本とそれに先立つ『臨死体験(上)(下)』は、もう十年以上も前に評判になったものであるが、神秘的な世界と科学の世界のはざまにある問題を取り上げた、優れたノンフィクション・シリーズである。)

  ともかく、そうして難しく考えなくても、ミャオがネズミなどの獲物をとることは珍しいことでもなくて、ネコの本能という以上に、半ノラとして暮らしていたミャオの日常を、私に教えるものでもある。
 今回は、サカナを食べたばかりの後だったからだけれども、半ノラの時なら食べていたかも知れないのだ。
 今まで、私が傍にいる時に見ただけでも、ネズミやモグラは数匹くわえてきたし、蛇とも闘い、最近ではトカゲも取って来たし(9月1日の項)、小鳥も数羽は見ているし、何といっても忘れられないのは、あの大きなキジバトを捕まえてきて私の目の前で食べたことである(’08年3月9日の項)。

 こうしたミャオの狩りの行為は、もちろん非難されるべきことでもなく、またあえて、ほめてやるべきことでもないのだが、そうすることについては、むしろ長い不在の期間を作る飼い主の私に、その責任の一端があることだけは確かだ。良し悪しはともかくとして。

 二日ほど前の新聞に、ある有名な女性タレントの飼い猫が、写真入りで紹介されていた。他にも同居するネコがいて、それなのに拾ってきた猫だそうだが、美人の飼い主と一緒に写っているその元気そうな猫は、なんと19歳とのこと・・・。
 ということは、年寄りネコだと思っていた家のミャオは、今、14歳くらいだから・・・。
 ニャーオ、おー来たかミャオ、よしよし。」


ワタシはネコである(116)

2009-12-01 17:56:46 | Weblog



12月1日

  朝のうちに、少し日が差していても、すぐに雲り空になって、夕方から夜には、時折小雨が降るという日が続いていた。気温も10度くらいまでしか上がらない。午前中に、飼い主と散歩に出かけたりはするが、ほとんどは、暖かい家の中で寝ている(写真)。

 夜になって、さすがに、一日中、鬼瓦顔(おにがわらがお)の飼い主の顔ばかり見ていると退屈してしまい、少しばかりの刺激を求めて、夜の闇の中に出て行く。しかしそれも、トイレのついでに、家の周りを点検するくらいだから、そう長い時間ではない。
 思えば、ほんの二週間ほど前までは、半ノラのつらい毎日を送っていたというのに、もうそんな苦労などは忘れてしまった。ワタシたちネコは、今、居心地の良い暮らしをしていれば、それだけで十分であり、なにもつらい昔を振り返る必要などはないのだ。
 苦労したことは、経験としてしっかり憶えてはいるが、人間のように、今あえて思い出して、過去を偲(しの)ぶよすがとしたり、あるいは未来への足がかりにしたいなどとは思わないからだ。

 つまり、ワタシたちネコ族は、人間ほどには、苦労の代償としてのぜいたくを望んだり、さらなる欲望に駆られたりはしないものなのだ。取り立てて不満のない、心地よい今があれば、それで十分である。
 それなのに、人間たちは、ワタシたちのこの小さな幸せを小馬鹿にして、微笑むだけだ。そして、自分たちはといえば、ひたすら貪欲に、それ以上のものを追い求め、気ぜわしく走り続けている。ワタシたちネコの手元には、自分の持ちものなどない。しかし、人間たちは誰でも、自分の手に余るほどのものを所有している。それほどもあるのに、まだそれ以上に際限なく、欲しがろうとするのだ。
 そのために、一喜一憂しては、思い悩み、他人を見下しては、勝ち誇り、負けては落ち込む。人間たちは、この地球上の生物界では、唯一、例外的な存在なのだ。全く、恐るべき生き物だと思う。その彼らが、その地球さえも、破壊し尽くそうとしているのだから。
 モンスターとは、そんな人間たちのために作られた言葉に違いない。

 しかし、ワタシたちネコは、その人間に飼われているのだから、文句を言う資格などないはずだ、飼い主の人間が飢えれば、ワタシたちは、すぐにでも捨てられ、最悪の場合、殺されたり食べられたりもするのだから、というお定まりの反論をする人たちがいるものだ。
 そういう身勝手で、自分の側からだけの論法は、一見筋が通っているように見えて、実は恐るべき個人主義の悪意が込められている。

 これは飼い主から聞いた話だが、飼い主が若いころヨーロッパを旅していた時のことで、たまたまその時、安宿から同行していた若い男が、駅のホームからゴミを捨てるのを見て注意したところ、その若い彼は言ったそうだ。「オレが、ゴミを捨てるから、そのゴミを掃除する人が必要になる。つまり、オレが彼の働き口を与えているようなものさ。」

 今の世界にまかり通る人間たちの理論は、そうした類のものなのだと思う。世界の自然環境の変化や、リーマン・ショックの経済不安くらいでは、まだまだ自分たちの深刻な状況が分かっていないのだ。
 この生物界では、飛びぬけて優れた頭脳を持ちながら、その人間が最終的にたどり着くのは、自分たちの母なる地球を破壊することなのだ。
 飼い主が言っていたが、先ほど亡くなった現代思想界の巨人、レビストロースの本には、「この地球は人間なしで始まって、人間なしで終わる。」と書いてあったそうだ。
 と、まあワタシが考えた所で、それこそ、昔、この家のおばあさんが良く言っていた、「犬の臓(ぞう)にもならん」(何の役にも立たない)ことなのかもしれないが。

 今朝は、久しぶりに冷え込んで、マイナスの気温だったが、空はすっかり晴れ上がり、ベランダにも日が差しこんできて、暖かくなってきた。飼い主が、そのベランダにござを敷いて、ワタシを呼んでいる。いつもの、ブラッシングをしてくれるのだ。
 よっこらしょと起き上がり、ほいほいと歩いて行く。明るい日差し溢れるベランダに出る。ニャーオ。

 
 「ブラッシングをしてやって、気持ちよさそうに寝ている、ミャオを見ると、私の心も、柔らかく、ブラッシングされるようだ。
 ミャオは、私がいない時は仕方なく半ノラなって、ひとりっきりの、つらい時を過ごさなければならない、だからこそ今は、しっかりと可愛がってやらねばと思う。
 実は、先日、私がいない間、いつもミャオにエサをあげてくれているおじさんから、「そういえば・・・」と、話を聞いたからだ。
 私が、戻ってくるしばらく前まで、ミャオは夕方になると、それまでのネグラだった、あのポンプ小屋(’08.11.21の項)の方からではなくて、何と家の方からやってきていたというのだ。
 つまり、ミャオは、ずっと家のベランダで寝泊りをして、私を待っていたのではないのか。だから、私が戻って来た時には、すぐに、ベランダでニャーと鳴いたのだ(11月20日の項)。
 さらにおじさんが言うには、ミャオの恐るべき敵であったあのマイケル猫が、しばらく前に、少し離れた所にある橋の上で、何と、車にはねられて死んでいたとのことだ。

 ミャオとマイケルの間の関係は、愛と憎しみがせめぎ合う壮絶な物語であり、ミャオはそのために手ひどい傷を受けて、命さえ危なかったほどなのだが、それらのいきさつについては、これまでに詳しく書いてきた。(’08.2.15~17、’08.4.14~4.25、4.30等の項)
 つまり、今までミャオは、その怖い敵であったマイケルが、家のベランダにもやって来ていたために、自分の家にさえ近づくことができなかった、がしかし、今度私が帰って来た時に、そのベランダにいて私を待っていたということは、もうマイケルが死んでいなくなっていたからなのだ。
 他のネコが来ることもない、そのベランダで、ミャオは終日を過ごし、いつになるかも分からない私の帰りを、ひたすらに、待っていたのだ・・・。

 ミャオは、日の光を浴びて、寝ている。私が、立ち上がろうとすると、少し目を開けて、ニャーと鳴く。どこにも行かないからね、ミャオ。」