ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

爆撃とピアノ

2022-04-12 21:24:32 | Weblog



 4月12日

 春になると、光の指揮棒の魔法に操られて、次々に庭の花々が開いてゆく。

 ユスラウメに始まって、コブシ、スイセン、ハルザキサザンカ、ツバキ、ヤエツバキ、ミツマタ(写真上、和紙の原料になる)、ジンチョウゲ、ヤマザクラ、そして今では、シャクナゲまでもが咲き始めている。
 もったいない、そんなにみんないっせいに咲かなくてもいいのにと思う。
 一つの花が咲いて散って、十分にその花を楽しんでから、その後に次の花たちが咲き始めて、長く楽しませてくれればいいのに。

 冬が好きで雪景色が一番だ、と日ごろからほざいている私でさえ、春の暖かさと花々には、思わず心もはずみ、山登りとまでは行かなくとも、天気の良い日には、1、2時間かかる里山歩きに出かけたくなるのだ。
 
 ウグイスが一声、窓辺には、もはや散り始めたサクラの花びらが、一ひら二ひら・・・のどけきわが家の光景から暗転し・・・日本から遠く離れたウクライナでは、今も絶え間なく砲撃音が鳴り響いているのだろう。
 現在のウクライナ東部の市民たちは、爆撃音が響く地下室で数十人が身を寄せ合って、長い日々を耐えているという。水や食糧にも事欠いて、病気を悪化させた年寄りなどは死んでいくし、トイレは男女とも地下室の片隅でバケツに出してすませているという悲惨さ、それがもう一か月以上も続いているというのだ。外に出れば、残虐、無差別射撃の敵兵に狙い撃ちされてしまうし、まるで地獄の責め苦ではないのか。
 国際社会は(国連は)、それを止めることさえできないばかりか、あまつさえ首都キーウの近郊の町々で起きている、見るに堪えない一般市民の虐殺の数々・・・今は21世紀の現代だというのに。

 北海道の私の小屋では、井戸が干上がり、水は周りの農家からのもらい水だし、トイレは外で穴掘り処理で始末する。家の周りにはヘビが何匹も住みついているし、時々クマの足跡もある。年寄りになった今では、とても長期間滞在することは無理な状態なのだが、それでも爆撃下にある人々と比べれば、比較にならないくらいに、何と自由で静かな、心地よい暮らしだったことかと思ってしまう。

 つくづく思うことは、人として、生きとし生きるものとして、この世に今在るものたちの、定めについてである。
 もちろん、すべてのものは、この世に生まれ出てきた時から、すぐに生き延びるための競争の中に、投げ出されていくのは当然のことだが。
 それは、時代と環境に、それぞれの出自(しゅつじ)と運不運の中で、自分の定めの下で選別されていくことになるのだろう。
 そこでは、言われているような、個人の自由や権利を誰でもが等しく受けられるはずもなく、人は生まれながらにして、不平等であり不自由であるのだが、しかし生の本能に従い、それでも生きていくのだ。
 仏教界でいう、四苦八苦の世界、”生老病死”の他に、”愛別離苦”に”怨憎会苦(おんぞうえく)”さらに”求不得苦(ぐふとくく)”と”五蘊盛苦(ごうんじょうく、人の心や体の苦しみ)”が待ち構えているこの世。

 そう考えていけば、あまりにも哀れな生き物の世界の話しになってしまうが、それだけではない。
 つまり、こうして命の危機にさらされるのが、人間の、生きものすべての宿命だとすれば、そこを必死に抜け出そうとするのも、これまた人間の、生きものの本能としての強さになるのではないのだろうか。
 家の中に入ってきたアリをつぶそうとすると、アリは自分の命の危機を知って、必死になって逃げようとするが、それこそが生きものの本能であり、生きものすべてには、それぞれに尊い命があることの証(あかし)でもある。
 つまりそれは、同じ生きものとして無駄な殺生(せっしょう)をしてはならないという、仏の教えにもなるし。

 こうしたことを言えるのは、この年まで、様々な苦境危機を何とか乗り越えて生き延びてきた、結果論として、年寄りだから言えることだろうが。
 しかし、本能と危機回避能力があったとしても、多くは幸運やあるいは偶然という助けによって、もたらされた命でもあるのだ。
 私にも、子供のころからのいくつかの出来事や、大人になってからのいくつもの事故に、山歩きでの遭難遭遇危機など数え上げればきりがない。
 人はだれでも、ここでこうして生きていることこそが、奇跡であるのかもしれないのだ。

 世の中には、わずか2歳で実の親に首を絞められて死んだ幼な子もいるし、難病によりわずか7歳で人生を終えた子もいる、わずか16歳で学校内のいじめを苦にして自殺した子もいるし、さらに今、大人たちの起こした戦争の巻き添えになり、死んでいった子供たちもいる。

 それなのに、加害者側は、自国の軍隊が撤退した後の、がれき化した町で、後ろ手に縛られ射殺された死体が転がる惨状を見せられても、自作自演のフェイクニュースだと言い張るのだ。侵略指導者たちのおぞましき答弁。
 言えることは、この戦争を始めた指導者の一人が、もし殺されたとしても、その命だけで、それまでに死んだ一般市民を含む何万人もの犠牲者たちの命を、それぞれのこれからも続いたであろう人生の、ひとつひとつを贖(あがな)うことなどできはしないということだ。なんという人間の不条理。

 有名な例えだが、チャップリンの1947年のアメリカ映画、「殺人狂時代」の中に出てくる言葉・・・”一人殺せば殺人者だが、(戦場で)百万人殺せば英雄になる”。
 おそらくは、チャップリンは、1945年に広島に原爆を投下し、瞬時に十数万の一般市民が犠牲になった、爆撃機エノラ・ゲイ号の乗組員たちが、アメリカに戻って来た時に、英雄として迎えられたのを見て、皮肉を込めて、自作映画の中での言葉として言わせたのではないのだろうか。
 喜劇役者として有名なチャップリンだが、前回あげた「チャップリンの独裁者」とともに、娯楽としての喜劇映画という枠の中で、自分の信念に従って、良心的な映画製作をし続けた勇気ある人でもあったのだ(50年代にアメリカから危険な左翼思想家だとして追放されている)・・・。

 前回ここで、戦争にまつわる映画を何本かあげたが、あの後でふと2本の映画を思い出して、すぐに書き足そうと思ったのだが、つい今日に至るまで、いつものぐうたらぐせで引き伸ばしてしまった。
 他意はないのだが、これからも戦争についての映画を思い出せば、追加することがあるかもしれない。

 一本目は、その後新聞のコラム欄などで取り上げられ、TVのワイドショーなどでも紹介されていた、「ひまわり」である。
 1970年イタリア、フランス、ソ連、アメリカによる合作映画で、監督は、人情味あふれる作品が多い、あのヴィットリオ・デ・シーカ(「自転車泥棒」(’48)「終着駅(’53)「ふたりの女」(’60)「ああ結婚」(’64)など)、音楽はヘンリー・マンシーニ(「ハタリ!」(’61)「酒とバラの日々」(’62)「シャレード」(’63)など)、そして主演の二人は、イタリアを代表する女優ソフィア・ローレン(「河の女」(’55)「ふたりの女」(’60)「ああ結婚」(’65)「ボッカチオ’70」(’61)「ラ・マンチャの男」(’74)など)と、これまたイタリアを代表する男優マルチェロ・マストロヤンニ(「甘い生活」(’59)「私生活」(’61)「8½」(’63)「ああ結婚」(’64)「最後の晩餐」(’73)など)であり、何と豪華なスタッフ、キャストを集めた大作だったかがわかる。

 第二次大戦のさ中に、結婚したばかりで、兵役に就くことになった彼は、イタリアとともに枢軸(すうじく)国ドイツが戦う、ロシア戦線に送り込まれたのだが、やがてロシアの冬将軍が襲来して、イタリア軍は敗走することになる。
 大雪原の中、仲間たちも次々に倒れていくが、運よく近くの娘に助けられて、記憶を半ば失ったまま、そこで生活することになり、やがてその娘と結婚して子供もできる。そこに夫を探しにイタリアから妻がやって来るが、彼が新しい家族とともに暮らしていることを知った彼女は、列車に飛び乗ってイタリアに戻る。
 数年後、今度は昔の妻に気づいた彼が、イタリアに会いに行くのだが、彼女には新しい家族ができていた。二人はすべてを理解して、それぞれの家族の元に戻ることにする。彼女は、結婚早々、ロシア戦線に向かう彼を見送った同じホームで、今度はもう二度と会うこともないだろう彼を見送るのだった。
 戦争が二人の運命を引き裂いてしまったのだ。そしてそれぞれに、今を生きるしかないのだと・・・。

 最初見た時にも感じたのだが、ソ連時代のウクライナのひまわり畑のシーンなどが素晴らしかったのだが、あまりにも主演の名優二人の、それまで見てきたイタリア映画でのはまり役ぶりが強すぎて、この作品には合わないような気がした。(一方、ウクライナの娘役のリュドミラ・サベーリエワは、こんな田舎にはありえないくらいの気品あふれるたたずまいで)。

 しかし、数年たってテレビで放映されたものを見た時に、この映画の主題が、運命にあらがうことのできなかった二人の、長年のメロドラマであることに気づいて、まして当時彼女と別れたばかりだった私には、なおさらに万感胸に迫るものがあった。
 恋人や夫婦として、一時期を一緒に過ごしたことのある人ならだれでも、初老を迎える年になって再会した時に、湧き上がってくる感情を、何と説明することができるのだろうか。
 私は、ただ涙するばかりだった。まして背後にあのヘンリー・マンシーニ作曲の哀切なメロディーが流れていればなおさらのこと。

 もう一本は、ソ連側からの第2次大戦下の若い兵士の帰郷を描いた作品。
 グレゴール・チュフライ監督(他に1956年「女狙撃兵マリュートカ」など)による「誓いの休暇」(1959年)である。

 第2次大戦のロシア戦線で、勲功をあげた若い兵士が、6日間の恩賞休暇を与えられて、故郷に帰って行くという話だが、ついでに立ち寄ってくれと、戦場での仲間から妻への伝言と土産品を頼まれ、さらに乗り合わせた傷病兵の手助けをしたりして、乗り換えの列車に乗り遅れてしまい、休暇の時間は過ぎていく。しかし次の軍用貨物列車の中で、彼は隠れ乗っていた若い娘と知り合い、二人は互いにひかれあうようになる。(二人とも映画初出演の新人とのことでその初々しさが役柄にあっていた。)
 しかし、尋ねて行った仲間の妻は、すでに別の男を引き込んでいたし、行く先の違う娘とも別れることになる。さらに、故郷の村への鉄橋は爆撃で破壊されていたが、それでも彼は何とか対岸の故郷の村に着き、麦畑の中を走って家に向かい、母親と抱き合い言葉を交わすが、もう休暇の時間は残っていなかった。彼は来たばかりの道で振り返りながら、戦場へと戻って行った。・・・その後、母親は毎日、あの麦畑に囲まれた丘の上を見つめて、帰らぬ息子を待ち続けていた。

 この二本の映画は、それぞれに広大なひまわり畑と麦畑のシーンがあり、ロシアの良心を映すかのような映画だった。
 歴史上ロシアは、戦争によってたびたび侵略され、大きな被害をこうむっている。
 ナポレオンによる侵略、第一次大戦によるドイツ帝国の侵入、第二次大戦のヒットラー・ドイツ軍侵攻におけるレニングラード(ペテルブルク)包囲など、敵国侵入の痛みはわかっているはずなのに・・・ 。
 絶対的な一人の指導者が、道を誤れば、攻め入る国の人々だけでなく、自国民にさえ、末代に及ぶまでの負担を負わせることになるというのに。

 しかし歴史は繰り返し、同じ過ちを際限なく繰り返すのが、度し難き(どしがたき)人間の性(さが)なのだろうから、私ごとき取るに足りない、やがてはゴミになるべく生まれてきた人間が、あれやこれや言うべきではないのかもしれない。
 そこで悪魔が、耳元でささやくのだ。
 好きなだけ戦争という殺し合いをやればいい・・・あげくには核戦争になり、人類は滅びてしまうのかもしれないが、実はそのことが、この地球にとっては、そこに棲む様々な生き物や植物たちにとっては、人間たちが居なくなることの方が、望ましい環境になるのかもしれないのだ。地球創世期の地質時代に戻ることで・・・。
 聖書の「ヨハネの黙示録」に予言された終末の時が来るとしても、主(あるじ)なきノアの箱舟に乗せられた、動植物たちが、次なる新天地で、新たな汚れなき世界を作ってくれるのかもしれないのだから・・・。

 窓の外に、散りゆくヤマザクラと咲き始めたばかりのシャクナゲの花々が見える。
 ソファに腰を下ろして、小さな音量で、クナルダールの弾くグリーグの「抒情小曲集」を、聴いている。
 これは、10年程前に買った、BISレーベル12枚組CDの「グリーグ・ピアノ作品全集」からの一枚なのだが、このBOXセットの表の表紙写真が、室内からの窓枠越しの庭の風景であり、この全集の雰囲気を十分に伝えている。(写真下)
 それはまた、同じ北欧はデンマークの静謐(せいひつ)な室内画家、ハンマースホイ(1864~1916)の絵を思わせるのだ。
 少しまどろむ中で、ピアノ演奏が終わり、静けさの中で、すべてのものがぼんやりとして、眠りの中へ・・・。

 暗転・・・爆撃音が鈍く響き、地下室が揺れる。じっと動かない人々は、何も見ないように目を閉じ、互いに身を固くして体を寄せ合い、悪夢の時が過ぎゆくのを待つ・・・毎日、毎日。