ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(17)

2008-01-31 16:40:09 | Weblog
1月31日 朝、気温-2度、うっすらと雪が積もっている。曇り空から日が差し始めると、ワタシは外に出される。確かに日が差していれば暖かい、しかし日がかげると、なんといっても冬の空気だ、寒い。ミャー、部屋に入れてと鳴く。
 飼い主が、私の面倒を良く見てくれているのは分かっているが、中年男のむさ苦しい顔ばかり見ていると、どうしてもアクビが出てしまう。そんな時、あのやさしかったおばあさんのことを思い出してしまう。
 本来、ネコは人間の男よりは女の方になつきやすいといわれている。(お笑いタレントの青木さやかのように、飼い猫がなつかないという場合もあるだろうが)。確かに、人間の男どもは、がさつで目上の者にヘイコラするところが、あの野蛮で単純なイヌに似ているし、やはり女の人の方がワタシたちネコ族に似て、体つきもしなやかだし(メヒョウのようなとは言うが、オヒョウのようなとは言わない)、性格も感情的で分かりやすく、つきあいやすいのだ。
 酒飲みおばさんの一家解散宣言の後、ワタシを家で飼おうと言ってくれたのは、おばあさんの方だったし、頑固なイヌ派の息子とは、始めのうちは余り気が合わなかった。あの"北の国から"かぶれの息子は、すぐに北海道に行ってしまうし、ワタシにとっては、冬の間いるだけのおじさんでしかなかったのだ。
 一年中、一緒にいてくれるおばあさんは、よくワタシの頭をなでながら、言ってくれたものだ。「お前の額の、白斑流星の紋様は、ネコには珍しいし、将来きっといいことがあるよ」。
 馬の額には、よくその流星の白斑紋様がついているそうだが、なんでも農家の娘だったおばあさんは、農耕馬として家で飼われていたアオが大好きで、いつも良く世話をしていたとのことで、ワタシの額の紋様を見て思い出したのだと言った。
 そのワタシをかわいがってくれた、おばあさんがいなくなってから、もう四年近くになる。息子の落胆ぶりは哀れだったが、ワタシにしても大変なことで、つまり路頭に迷うことになるかもしれない出来事だったのだ。それが今こうして、おばあさんの息子である、猫好きではなく犬派だった飼い主と、寒い冬に、一緒に暮らしているのだ。いろいろとツライことがあったけれど・・・。
 そんなことを考えながら、ストーヴのそばで寝ていると、飼い主がやってきて、ワタシの体を抱きかかえて、外のベランダのところに出した。離れた所で、あのマイケルが、甘い声で鳴いていた。
 奥の部屋で寝ていて、聞こえなかったのだ。ワタシが振り向くと、いつもは無愛想な飼い主の顔が、少し微笑んでいるように見えた。ワタシは、ニャーと鳴いた。

ワタシの飼い主(5)

2008-01-29 18:39:28 | Weblog
1月29日 今日は、ワタシの飼い主の話である。・・・昨日の雪は、春先に降るような湿った雪で、それでも3cmほどは積もった。そんな雪の中、餌台にはいつものヒヨドリだけがいて、あの小さなメジロにまでにはなかなか回ってこない。ヒヨドリを追い払うわけにもいかず、可愛いメジロの姿は見ることができない。
 このヒヨドリというやつは、まずその鳴き声がウルサイし、餌台に来る鳥の中では一番大きく、頬に褐色の模様があるだけで、全体に地味なグレイの体で、見栄えのする鳥ではない。
 昔、高校の時に、カッチョウというあだ名の教師がいた。(当時はほとんどの教師にあだ名がつけられていたから、それで憶えているのだが。しかし、その名前は思い出せない。センセイすみません。)もちろんカッチョウなんて鳥はいないし、考えてみるに、カッチョウとは褐色の鳥、つまり褐鳥ではないのか。身近にいる鳥で、褐色の鳥と言えばツグミの仲間や、もっと体の大きいカケスなどが思い浮かぶが、あの教師の顔や体、そして声などからして、ヒヨドリに違いない。
 私は高校卒業以来、何年もたった今、そのことに気づき、わが師の恩に報いるべく餌を与え続けているわけである。朝、果物の残りを餌台に置き、ヒヨドリの鳴き声をマネて知らせると、すぐに飛んでくる。そこは、可愛いカッチョウである。
 さて鳴きマネといえば、わが家のネコ、ミャオさえも戸惑わせた私の声のことだが、それにはワケがある。
 若い頃、私はヨーロッパを四ヶ月の間、旅して回ったことがある。ザックを背に、バックパッカーとしての貧乏旅行だったのだが、本来の目的どうりに様々なことを見、知ることのできた素晴らしい旅だった。
 そのころ東京にいたフランス人の友達が、フランスに行くなら、家に寄ってくれということで、リヨン郊外の彼の両親の住む家を訪ねて、三日間お世話になった。それは心に残る思い出になったのだが、そのひとつが、フランス語の勉強である。
 もちろん三日間でフランス語を覚えられるわけがない。両親は英語を話せないから、その時にいた彼の妹との英語を通じての話になる。二人はそれがもどかしく、私に早くフランス語が話せるようにと、言葉の一つ一つをゆっくり発音して聞かせた。そんな中で、私が覚えたたのは、ひとつの発音の仕方である。
 リヨン市街を貫いて流れる大きな川がある。その橋の上を歩きながら、三人に繰り返し教えられた。ローヌ(Rhone)河のローの発音である。それは日本語読みで、ローヌと発音したら、全く通じないだろう。のどの奥からしぼり出し転がすような声で、フランス語やドイツ語の一部に聞かれる、なんとも独特の心地よい響きをもった発声法である。
 日本人のように、母音発音が主で、様々な子音発音に慣れていない人には難しい発音だ。よく言われる(r)と(l)の違い。その(r)とはさらに違って難しいフランス語(R)の発音の仕方。たとえは悪いが、気分が悪くて吐くときの、あののどの音に似ている。
 しかし、この発音法ができれば、フランス語の言葉の響きがさらにきれいになる。残念ながら、私はとうとうフランス語を話せるまでにはならなかったが、この(R)の発音だけはできるようになった。すると、よく似たような発声の、ネコが離れた相手に呼びかける、あの甘いのどの奥にこもるような、声のマネをすることができるようになった。それは、日ごろから、遠くにいる家のミャオを呼び寄せるときに使うと、効果テキメンである。
 私がトイレで力む時に、思わずしぼり出した声を、ミャオがあのマイケルの呼び声と間違えたのも、当然だ。これからはミャオに迷惑をかけぬように、別のうめき声を考えなければなるまい。
 それにしても、私がこんな便秘症の痔持ちになったのは、あの北海道での辛いしかし充実した日々があったからだ。その話を、ミャオ聞きたくないか・・・。
 ワタシは寝たままかぶりを振って、前足で顔を隠す。「ケッ、ジョーダンは顔だけにしてほしいよ。ワタシは夜には、マイケルと会うんだから。そんなドーデモイイ話なんか聞いてらんないよ。眠たいんだから。」

ワタシはネコである(16)

2008-01-27 18:23:46 | Weblog
1月27日 朝は-4度と冷え込んだが、久しぶりに晴れて、ワタシは日中、陽だまりにいて、しっかりと毛皮を干した。飼い主は洗濯やら、掃除やらと動き回っている。
 ところでワタシとマイケルくんとの恋の行方については、なにやら飼い主が話したいらしいので、まあ、あえてワタシの方から言わなくても・・・オーホホホッ。
 「うちのミャオの所に、あのマイケルネコが来てから、その後二日は、音沙汰なしみたいだったので、やっぱりおばさんネコのミャオはフラれたんだと思っていた。三日目のことだったが、町に用事があって戻ってきてみると、いつものようにミャオがニャーニャー鳴いて迎えてくれた。ところがもう一匹鳴いているネコがいる。そう、マイケルネコだったのだ。そういうことなのか、そういえばこの二日、夜中にミャオが出て行っているような感じだったし、いつもは残しているキャットフードもすっかりなくなっていた。
 そうかミャオの色香も、まだ他のネコちゃんたちに立派に通用するんだ。日ごろ他のネコとの交流もなく、こんなオヤジの顔だけを毎日見ていたら、オレがネコでも、飽き飽きするだろうと思っていたから、ホントによかった。そこで昔の、森繁久弥ふうに(古いなー、あの独特の節回しで歌った"知床旅情"はやはりいいなー)、オマエのために歌おう。」
 "命短し、恋せよミャオ、華の毛皮が褪(あ)せぬまに、熱き血潮の失せぬまに"
 「マイケルネコが、あの甘く響く切ない声を出している。それはミャオに言わせれば、私のトイレのときのウメキ声とあまりにも似ているとのことだが、その声を私がいかにして覚え、使えるようになったのか(知りたくもないとミャオが鳴く)、"私がネコ声をだせるわけ"は、また次回に・・・」
 と、飼い主が言っております。ワタシ、実は今日もマイケルが・・・オーホホホッ。

ワタシはネコである(15)

2008-01-26 18:06:13 | Weblog
1月26日 寒い日が続いている。昨日は朝、-4度、日中も0度止まり、今日も-2度で雪がちらついている。ワタシは例のごとく、ストーヴの前から離れられない。それにしても、毎日続くこのうっとうしい曇り空、ワタシの毛皮も干せないし、あーあ、とあくびを一つ。そばにいた飼い主が言う。
 「だろー、誰だって天気の悪いのはイヤなんだ。それに比べて、冬の北海道、十勝はいいぞー。気温は-20度位までカッキーンと下がるが、その寒さがこれまたいいんだなー。上下しっかり着込んでいても、顔だけは出しているから、そこに冷たさがビーンとくる。アヘー、その感じがたまらん。にしおかすみこのムチみたいなもんだ。マニア好みよ」。
 ワタシがオマエはアホか、といった感じで飼い主を見ると。
 「あー、すまん、話がそれてしまって。つまり北海道の十勝、釧路などの道東地方は、冬には晴れた日が多いということだ。周りの木々には霧氷がついて、さながらホワイト・イルミネーションだ。その背景には、真っ青な・・あたりが白一色だけに、その深みを増した藍色の・・空だ。札幌や旭川の方では毎日、雪が降っていても、この道東だけは晴れているんだ。そして西の彼方には、あの白銀の日高山脈が長々と続いている。イヤー、思い出すなー」。
 飼い主が、霧氷に飾られた白樺の木の写真を見せてくれる。あーイヤだ、イヤだ、そんな寒いとこなんか死んだって行きたくない。ネコにとって一番好きな眺めは、近くで動き回っているネズミや小鳥、そして目の前にある一匹の魚なんだから。雪景色なんて、ここにいたってイヤでも見なければならないし、遠い北国なんて、絶対にイヤだ。
 それにしても、あのハンサムなマイケルくんはどうしたんだろう。飼い主が傍でなにやら言っている。
 「オマエが久しぶりの恋の思いに浮き立っているのは分かるが、相手のことも考えろ。あのマイケルネコは、多分少し離れたところにある家のネコちゃんだろう。こんな山の中だし、他にあまりネコはいないし、悶々とした思いでオマエのところにやってきたんだろう。余り期待すると、後でつらくなるぞ、自分の年も考えろ」。
 「ケッ、それは自分の昔の恋の痛手でしょう。ワタシにとっては、あの恋に胸が高鳴る間は現役ですからね」と言いたかったが、確かに飼い主の前で少し恥ずかしい思いもしたのだ。
 それは、あのマイケルネコが来た次の日のことだ。ワタシは例のごとく、ストーヴの前で寝ていた。夢うつつの中、ネコ特有のあの相手を呼ぶ甘い鳴き声・・・ワタシはガバと起きて、ベランダに出た。辺りを見回し、しばらく様子を見てみたが、他のネコの気配は無い。
 ワタシが部屋に戻ろうとすると、トイレから出てきた飼い主がワタシを見て、ゲラゲラと笑っている。しまった、そういうことだったのか。つまり、ワタシの飼い主は日ごろから、痔持ちの便秘ぎみだそうで(それには深いわけがあると言うことだが)、誰もいないのを幸いに、いつもトイレでは、力むときに、まあなんとも人には聞かせられないような、地獄の彼方からの叫びのようなウメキ声をあげるのだ。それをワタシは、他のネコの甘い呼び声と間違ってしまったのだ。
 それにしても似ていた。とても人間業とは思えない、飼い主の声だったのだ。ワタシは首うなだれて、ストーヴの前に戻った。
 この話は、次回へと続く・・・。

ワタシはネコである(14)

2008-01-24 17:19:38 | Weblog
1月24日 朝から雪がちらついている。-4度と寒いが、少し日も差してきて久しぶりに、天気は良くなりそうだ。
 テレビの芸能ニュースで、ダレとダレがくっついただの離れただのという話を、ボケーッとして見ている飼い主の顔を見て、ワタシは、バッカじゃないのと思う。まして最近多くなった、男女間の痴情のもつれから、相手を殺してしまうなんて、まったく人間って動物界では最低の存在だと思う。そのうえ、自分たちの住んでいる地球そのものまでも、文明の進歩だとかいって、めちゃくちゃに傷つけてしまって、動物界最悪のツラ汚しだと言いたくなる。
 ワタシたち猫の世界では、他のネコがどのネコとくっつこうが離れようが知ったことではない。あくまでも一匹、一匹それぞれの個人、いや個猫の問題だ。オスネコはメスネコをめぐって争うけれど、お互い殺しあうまでのことはしない、勝負が決まればそれで終わり。メス得るために動き回るのは本能的な行動だけど、そのための争いで命を落とさないようにと、今度は本能の思いが止めてくれる。神様がこの世に与えてくれた命を、それぞれ一つだけのものだから、なくさないようにと。
 ワタシたち猫の世界では、この寒い頃からが恋の季節になる。なんと、このおばあちゃんネコのワタシのところにも、オスネコが・・・オッホホホホー。やはりあの都会の母さんシャム猫から受け継いだ美貌が・・・飼い主が横からそれはナイナイと首を振る・・・ともかくオスネコがワタシを訪ねてきたんです。
 そのオスネコがまたイイオトコで、ネックレスなんかつけていて、(飼い主がまた横から首輪だろうと言う)、ともかく人間の世界でいえばキムタクふうの、(飼い主はマツムラにしか見えなかったとほざく)、立派なネコだった。写真はそのとき飼い主が撮ったものだが、このトラシマ模様は、昔、前の飼い主の酒飲みおばさんの所で一緒にいたネコで、その後、この家でシッコして追い出されたあのマイケルではとも思うのだが、はっきりとは分からない。
 さて、この恋の行くえは・・・どーなった、おいオマエのばすなあー、と飼い主の声・・・次回に続く。

ワタシの飼い主(4)

2008-01-22 20:57:08 | Weblog
1月22日 雪が降っている。-1度と暖かく、湿った雪だ。このところ天気が悪く、外にも出られず、仕方なく寝ていると、飼い主がワタシを抱えて外に出す。おお、寒っ、ジョーダンじゃないよ、と身震いして、一目散にストーヴのところへ戻る。すると飼い主が言う。
 「そんなに寝てばかりいると、動けなくなって、寝たきりになったらどうする。オマエは介護保険にも入ってないし、オレがオマエのオムツを取り替えてやるしかない。しかしオレだって年だからいつ倒れるかわからない。オー、ゴホゴホ、あっ血だ、違うか、さっき食べた干し柿だ。ともかくそうなると、新聞記事に、"ネコの行く末をはかなんで心中"なんていうことになるかもしれない。共倒れにならないように、お互いに健康には注意しなければな。」
 ケッ、またいつもの説教かと、聞いているうちに眠たくなってきて、顔を隠して丸くなる。飼い主はあきらめて、居間の方に行き、例の音楽を聞き始めたようだ。
 それは西洋の古典音楽とか言うもので、ロマンチストだった(自分からよく言うよ)という彼の若い頃からの好みらしくて、年寄りの趣味ではないということだが、まあ、それで本人の気持ちが休まるというのなら、そんなにウルサイ曲でもないし、ワタシとしてはドーデモイイことなのだ。ところが今日、ワタシになにやら書いた紙を見せてくれた。
 2007年度購入分 クラッシックCDベスト10
1 デュファイ 世俗音楽全集 ロンドン中世アンサンブル 5枚組 4,500円
2 オケゲム 世俗音楽全集 ロンドン中世アンサンブル 2枚組 1,500円
 (オワゾリール盤のタワー・レコード再発売、世俗という訳に異論はあるが、ルネッサンス・フランドル楽派の極め付きの二点)
3 ダウランド リュート曲全集 ルーリー他 4枚組 3,000円
 (5人の奏者の競演が面白い、ノースは新しいナクソス盤の方がいい)
4 ビーバー ロザリオのソナタ レイター(vn) 2枚組 1,190円
 (名盤ぞろいの中では目立たないだろうが、新しい試みもあり好感の持てる演奏だ。フラ・アンジェリコらしいジャケットにひかれて買ってしまった)
5 コレルリ 作品全集 ムジカ・アンフィオン 10枚組 5,690円
 (イ・ムジチやメルクスの時代から数多くの名盤があるが、コレルリの室内楽曲のほとんどを収めていて、ほどよいテンポで品のある演奏が心地よい)
6 モーツァルト 弦楽四重奏曲全集 モザイクSQ 5枚組 3,690円
 (スメタナSQとベルリンSQがあれば十分だと思っていたが、ピリオド楽器での時代を思わせる演奏に聴き入ってしまう)
7 モーツァルト ピアノ・ソナタ全集 アラウ(pf) 7枚組 3,645円(現品特価)
(ヘブラーの旧盤をよく聴いていたが、これからは迷うだろう。とてもアラウ、八十数歳の時の録音とは思えない、初期のソナタの青春の光と影)
8 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集 シュナーベル 10枚組 1,985円
 (若い頃、このシュナーベルのレコードを薦められて聴いたが、録音は古いし、いいとは思えなかった。ところがこのCDで聴いて、納得。そしてこの値段)
9 シューマン ピアノ作品全集 デムス 13枚組 2,290円
 (驚異的な安さ、しっかりとした録音、そしてあのウィーンの名手デムス。他に何を言うことがあるだろうか。いろんな意味で今年の私のベスト1)
10 ブラームス、ドヴォルザーク 交響曲全集 スイトナー 8枚組 3,990円
 (このうち何枚かは持っていたのだが、安いので買ってしまった。やはり昔の、ベルリン・シュタッツカペレの音は素晴らしい)
以上順不同、時代順。価格は購入時のもの。新譜は、コジェナーのヘンデル、ジンマンのマーラーなど三枚だけ、いずれも私の今年のベスト10の一枚にはならなかった。今は新しい演奏よりも、名演奏の廉価盤探しの方が楽しくなってきた。
 ということが書いてあったらしいのだが、ワタシにとってはネコになんとやら・・・そんなのカンケーない、本人が好きなのならそれでいいし、ワタシに迷惑かけない範囲でやってくれ、ということだ。



ワタシはネコである(13)

2008-01-20 16:11:50 | Weblog
1月20日 冷たい雨が降り続いている。気温は2度、外にも出られず、一日、ストーヴの前にいるしかない。ワタシがアウーとあくびしたところで、飼い主がじろりと見て言う。「昨日、北海道の旭川郊外では、-35度にもなったんだぞ、そんな所にいるネコちゃんのことを考えろ。ヒマだからといって、寝てばかりいて、いつかテレビで見たネコは主人の肩をもんでいたぞ、オマエもそのぐらいのことはできないのか。」 
 ケッ、なにかといえば北海道の話ばかり、ワタシにはワタシの苦労があるし、だいいちネコが人間の肩をもむなんて、それこそネコダマシだ、と思いながら、ふと自分の手の肉球を見る。右に五つ、左に五つ、合わせて十、そうだ、あれは十年前のことだ。
 前に、ワタシは臆病なネコだが、それもいろんな出来事があってココロの傷となり、トラウマになったのだと話したが、その一つが、この十年前の事件なのだ。
 ワタシがこの家に慣れてきて、居間のソファーの上で寝るようになり、やがてはコタツの中、そしておばあさんの布団の上に、さらにその中にもぐりこんでくるほどになって、すっかりこの家の飼いネコになったころのことだ。
 あの"北の国から"かぶれの息子は、春になって北海道に戻るために、ひとりおばあさんを残していくのを気にして、その罪滅ぼしのために、その前にいつも、おばあさんと旅行に行っていた。
 出発の朝、春とはいえまだ寒く、ワタシはコタツの中にいたが、おばあさんに追い出されてしまい、二人は出かけていった。そして信州への四日間の旅を終えて、その日の夜になって二人は戻ってきた。
 その時、ドアを開けたおばあさんの叫び声・・・ワタシは脱兎のごとく部屋から飛び出し、ベランダから外へ。
 四日間の間、ワタシは部屋に閉じ込められていたのだ。出発前におばあさんに追い出されたワタシは、外の寒さに身震いして、すばやくコタツの中に戻ってきた。それから、正確に言えば、三日半の間、四畳半の狭い暗い部屋の中・・・もともと室内で飼われているネコではないので、エサも水も外においてあり、もちろんトイレも外だったのだ。なんとか部屋の仏壇の花瓶に水があるのが分かって、それを倒して水をなめ、命をつないだ。キレイ好きなワタシでイヤだったが、仕方なく部屋の隅やコタツ布団の上で用を足した。いくら鳴いても叫んでも、誰も来てくれない。もう二、三日たっていたらと思うと、ぞっとする。
 しばらく外にいて、やっと興奮が収まったワタシは、家に戻り、二人からかわるがわる体をなでられ、いたわりの言葉をかけられた。やっとありつくことのできたエサも、そうガツガツとは食べられなかった。部屋の中は、惨澹(さんたん)たる有様で、次の日までかかって掃除洗濯したそうだが、もちろんワタシへのおとがめはいっさいなかった。
 あの時の悪夢が、ワタシのトラウマの一つになっていることは間違いなく、いまでもコタツから外に出されるときは、飼い主ともども注意している。ほかにもまだつらい体験があったのだが、それはまたいずれ・・・花も嵐も踏み越えて、行くが猫の生きる道・・・。
 

ワタシはネコである(12)

2008-01-19 16:12:28 | Weblog
1月19日 このところ朝は-5度前後、日中でも4,5度という寒い日が続き、それでも日が差して暖かい間は、外に追い出され、ワタシが不服そうな顔をしてニャーと鳴くと、飼い主は言った。
 「北海道のネコちゃんたちのことを考えてみろ、とくにノラネコたちは大変なんだぞ。-20度の寒さの中、エサを探して、冷たい雪の上をつぼあし(注1)で歩いていく、そこにはキタキツネ、エゾタヌキ、エゾクロテンそして犬などの敵がいて、一瞬のスキも見せられない。十分なエサも見つけられず、腹をすかせたまま、牛舎の片隅で寝るしかないときもある。ノラネコの平均寿命は飼いネコの半分位だし、あの厳しい北海道ではもっと短いだろうな。一方、外出着を着てお散歩に出かけ、エステにグルメ、そして病院にもすぐに連れて行ってもらえる都会のおネコさまと比べれば、確かにオレはオマエに大したことをしてやってないが、愛情だけはたっぷりやっているつもりだ。」
 「ケッ、そんな顔してよく愛情だなんて言えますね。ワタシはそんなものより暖かいストーヴの前で、尾頭付きの魚、一匹もらったほうがましです」と言いたかったが、まあいろいろあるしと思い、下を向いてニャーと言っただけだった。
 昨日、飼い主が北海道の友達に電話で話をしていた。「いやー実は年末に、オレも風邪を引いてなー、もう年だな、今までこんなこと無かったのに、体の節々は痛いし、気分は悪いし、布団の中で寝ていたら、そこに家のネコが寄ってきたんで、オレ言ってやったのさ、あーくるしいー、ミャオ、助けてくれ、いつもオマエの面倒見てやってるべ、今度はオマエの番だ、あーぐるじーってうなっていたら、オレの顔を目を見開いて見たあと、外に出て行ってしまったんだ。寒い夜なのに、そのまま帰ってこないので、心配して見に行ったら、なんと倉庫の中で寝ていたんだ。」
 電話の向こうから、友達の笑い声が聞こえていた。ワタシは、その病気の時のいつもと違う飼い主の顔が、ただでさえブキミなのに(じょーだん、じょーだん)、ただならぬ表情に見えて怖くなったのだ。それは、ワタシが少しノラネコの父親の、用心深い性質を受け継いでいるためでもあるし、いろいろ経験してきたつらい出来事が、トラウマになっていたためでもある。
 それだから飼い主は、友達が「犬は飼い主に忠実だが、猫は薄情だって言うし」と言ったとき、そうじゃないとワタシのことを説明してやっていた。つまり、ワタシを話のタネにはしているが、本気でバカにしているわけではない、ちゃんと分かってくれてはいる、それが彼の言う愛情かもしれないが・・・。
 ところで話のタネといえば、このブログもワタシをタネにしているのだが、この三日ほど、インターネットがうまくつながらないと、飼い主が言っていた。山の中の田舎なので、ブロードバンドなんて夢の世界で、電話機と交代につなぐダイアル・アップのまま、その速度は46Kbs位(動画は見れない)、それがなぜか、混んでいたのか24Kbs位にまで落ちて、ウェブのページさえ開けなかったそうだ。都会では、光ファイバーの時代だというのに・・・。光ファイバーの速度は100Mbsで、ダイアル・アップの2000倍、つまり飛行機の速さと人の歩く速さほどの違いがあるのだという。
 しかし、それで都会をうらやむことはないと、ワタシは思う。外出着もエステもグルメもなくっても、ここには何よりも自然がある。いろんな動物がいて、木々があり、空気もきれいだし、何より静かなことがワタシにとっては一番だ。人にも、ネコにもそれぞれ、自分にふさわしいところ所がある。都会にも田舎にも、それぞれのよさがあり、悪いところもある、それは何も対立する都会と田舎ではない、互いを思いやる都会と田舎でありたいものだ。
 そうかオマエも分かってくれるかと、飼い主とワタシはヒシと抱き合う、なんてことはなく、日が翳って部屋に入りたがるワタシを見て、飼い主はなにやら文句を言っている。そうして、一日が過ぎていく・・・。 
 (注1 登山などのとき、スノーシューやアイゼンなどの器具をつけずに、靴だけで深く雪の積もったところを歩いていくこと)

ワタシはネコである(11)

2008-01-16 17:38:56 | Weblog
1月16日 昨日は-5度まで下がったが、今日は0度、しかし冷たい雨が降っていて+2度までしか上がらない。ワタシはストーヴの前にいて、ふと昔のことを思う。
 なんという人生、いや猫生だったことだろうと。しかし今、何の心配も無くこうしていられること、昔の歌のせりふじゃないけれど、今がいいの幸せならばと思う。
 暖かくて、安全な場所があり、確実にエサにありつけること。あの「チーズはどこへ消えた?」の二匹のネズミのように、ワタシも苦労して探し回り、今は見つけた場所に満足しているのだ。飼い主も言っていたが、昔の「方丈記」とかいう本には、「・・・ただ静かなるを望み、憂い無きを楽しみとす。」と書いてあり、それはまさに今のワタシの気持ちにピッタリだと思う。
 毎日、むさ苦しい飼い主の顔を見るのさえ我慢すれば、ほかにイタズラをしかけてくる子供たちがいるわけではなく、ガミガミとうるさい女の人たちがいるわけでもなく、少し寂しくはあるが仲間のネコもいなくて、静かな生活を送れる。これはワタシのような臆病で人見知りをするネコには、大事なことなのだ。
 ストーヴの前で横になっているワタシを見て、飼い主は、「一日中、寝てばかりいて、オマエはなんか他に趣味は無いのか。」とあきれたように言う。
 飼い主の顔を見て、ニャーと答える。猫は普通、一日16時間位、寝るといわれ、人間の小さな子供の頃と同じで、だから寝る子、つまりネコと名づけられたのだという。寝ているのは、ワタシたちネコ族の習性なのだ。
 ある学者の説によれば、猫がこんなに寝るのは、エサをとる、トイレに出る、縄張りの見回りをする以外は、安全な場所で体力を消耗させないために、じっとしているからだと言う。何もしないでじっとしているのは退屈だから、寝ている、つまりヒマつぶしに寝ているのだと言う。
 ケッ、ジョウダンじゃないよ、ヒマつぶしだなんて、ネコを見くびっちゃーいけないよ。人間みたいに、何時間も続けてぐっすり寝ているわけではない。耳でちゃんと音を聞いてすぐに起きられるようにしているし、いわゆるウトウトの繰り返し、つまりよく夢を見ているということなのだ。
 それは生まれてから今日までの、さまざまな出来事についてハンセーと学習の夢なのだ。時にはその怖い思い出に、体をピクつかせることもあるくらいだ。そのひとつは、次回に話すことにしよう・・・。
  

ワタシの飼い主(3)

2008-01-14 18:09:51 | Weblog
1月14日 朝は-2度と少し寒かったが、昼前にはすっかり晴れて暖かくなった。飼い主に追い出される前に、ワタシはストーヴの前からベランダに出て行く。これは気持ちいい日差しだ。まずはしっかりと毛づくろいをして、それから夕方まで日がな一日、日向ぼっこをしてすごす。
 目は閉じていても、眠ってはいない。耳は常に周りの物音を聞いているのだ。部屋のほうでは、飼い主が例のごとく、訳のわからない音を聴いている。なんでも昔の西洋音楽らしい。"欧米か"とワタシが言いたいぐらいだ。
 飼い主の話によれば、いわゆる人間の作った音楽は、何でも聴くらしい。若い頃は、あの6~70年代のアメリカン・ポップス、フォーク・ソングや映画音楽をラジオのベスト・テンで聞いていたというから、まあ古いハナシだ。東京に住んでいた頃に仕事の関係もあって、クラッシックからジャズ、ハード・ロック、はては日本の民謡からナツメロ(昔の流行歌、演歌)、さらに世界の民族音楽まで聞いていたというから恐れ入る。
 そういえば暮れに、美空ひばりの特集番組をやっていて、彼は涙ぐみながら、もう二度とは出てこない日本一の歌手だと言っていた。
 そんな彼も、三十代ぐらいからは、クラッシック音楽一辺倒になったらしい。それは、彼があの"北の国から"かぶれになる前のことだが、ワタシが思うには、どうも、都会の夢に破れ、いろいろあって、北に向かうことにした当時の彼の複雑な心を、時にはやさしく慰め、時には強く励ましてくれたからだろう。
 そのクラッシックも、オーケストラ、室内楽、オペラと、何でも彼は聴いていたらしいが、最近は、バッハなどのバロックとそれ以前の中世・ルネッサンスの音楽が好みらしい。ワタシとしてはうるさいフル・オーケストラの音楽を大音量で聞かれるよりはまだましで、比較的ゆったりとした居心地のいい音楽だから、たまにはそばにいて一緒に聞いてやる。
 飼い主は、そんなワタシをなでながら言うのだ、「北海道では、動物たちはみんなクラッシック音楽ファンだ。特に熱心なのが牛だ。そしてネコやイヌ、トガリネズミ、ユキウサギ、エゾクロテン、キタキツネ、エゾシカにいたるまで冬場は特にみんなが聞きに集まる。ちょっとしたアニマル・コンサート、われわれはアニコンと呼んでいる。」
 ワタシが疑わしい目でニャーと鳴くと、飼い主は言う、「もちろん音楽を聞かせるのは人間だ、牛の乳の出が良くなるようにと、やさしいクラッシック音楽を流す。冬はマイナス20度くらいにもなるが、何十頭もの牛がいる牛舎は暖かい。そこに暖を求めて、あるいはエサをもとめて、いろんな動物たちが集まってくるというわけだ。ところで牛たちが一番好きなクラッシック音楽といえば、もちろん、モオー、ツァルトだ。」
 まったく、バッカじゃないの。まじめなワタシの話しは、次回に・・・。