2月27日
その後、天気は悪かったが、相変わらずの暖かい日が続き、ワタシは外に出ていることが多くなった。それは、この冬の間中ずっと部屋の中にいて、いやでも見る他はなかった、あの鬼瓦顔の飼い主の、全く面白くもない仏頂面(ぶっちょうづら)からの、ひと時の開放をも意味していたのだ。
もう寒くもない、何ともいえない春の暖かさの中で、外にいるのはいいものだ。雨上がりだと、余計に、土の香りや草花の香りがして、特にあちこちで咲き始めた梅の香りほど、ワタシに春を感じさせてくれるものはないのだ。
そういえば、飼い主がいつか言っていたことを思い出した。その昔、菅原道真(すがわらのみちざね)とかいう偉い人がいたそうだが、政争にからみ人にねたまれ、都から遠いこの九州へと、島流し同然の、配置換えにさせられて、そこで春を迎えて、都への望郷の念に駆られて読んだのが、あの有名な、『東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ』の歌だそうだ。
昔の人は、今の人間たちと比べて、ずっとえらいと思う。より自然に対して敏感であり、香りや色に細やかに反応し、風の音や鳥の声を聴き、月や星の輝きを讃え、そして夜の闇の深さをよく知っていた。まるで、ワタシたちのように。
人間が人間であったころ、ネコがネコであったころ・・・。
なのに、飼い主といえば、今、ダラーっと横になって、尻かなんかかきながら、テレビに向かって、ニターっと笑っている。気持ちわるいー。ああ、あんな人間にはなりたくない。
「前回のロッシーニのオペラ『ランスへの旅』についての話しからは、少し外れることになるが、関連のあるバロック・オペラについて、それは、25日のNHK・BSHi (2月18日の再放送)で放送された”クラッシック倶楽部”『ヘンデル・オペラの名アリア・コンサート』であるが、是非ここでふれておきたい。
この番組は、去年の11月、東京・小石川のトッパンホール(客席数408)での、演奏会を1時間足らずにまとめたものである。しかし、非常に興味深く、また楽しんで見ることができた。
これもまた、録画しておいたものを、他に見るべき番組もない夜に、一昨日に見たのだ。つまり私は、テレビ画面の1週間分の番組表の中から、いつも、面白そうなものを録画予約しておくのだが、その中の一本だった。
今月は、先にあげたオペラ番組やアカデミー賞の映画、さらには山中貞夫の代表的映画3作品など、チェックするべきものが多くて、まだそれらの大部分は見ていないのだが、この『ヘンデル・アリア・コンサート』だけは、時間も短いし、すぐにその夜に見てしまったのである。
チェコの世界遺産都市、チェスキー・クルムロフのバロックオペラ劇場のメンバーによる演奏で、ソプラノのヤナ・コウツカとメゾ・ソプラノのヴェロニカ・コチコヴァの二人の女性歌手の他に、チェンバロと指揮のオンゼイ・マツェクと、チェロの他に、日本人のヴァイオリンやコントラバスなどの奏者が4人加わるという編成である。
舞台には、長椅子とテーブルなどが置かれただけの、簡素なものであるが、そこに二人の歌手が、当時の衣装のいでたちで現れる。特にメゾ・ソプラノの方は、男役ということもあってか、独特な化粧を施している(あの映画『カストラート』の歌手たちをほうふつとさせる姿で)。そして、二人は大げさな演技ではなく、上品さを心がけた身ぶりだけで、バロック楽器の伴奏に乗って歌うのである(写真)。
舞台照明は、当時はローソクの光だけで照らし出されていたように、舞台前からの光(フット・ライト)を当てて、その雰囲気を出そうとしていた。
ただでさえ、バロック・オペラが好きな私には、たまらない1時間だった。家のミャオが、大好物の魚のコアジを食べている時のように、私はその間、じっと画面を見続けていたのだ。終わってから、あーあ、ごちそうさまと、そう言いたくなる舞台ではあった。
すっかり、田舎に引っ込んでしまった私には、もう東京での生の舞台を見ることなど、むずかしくなってしまったのだが、それだけに、この鮮やかなハイビジョンの画面で見せてもらえるオペラの舞台には、ただ感謝するばかりである。
いろいろと、日々に便利になる科学・文化の発達に対し、田舎からの自然に即した視点で、あれこれ文句をつけた所で、その一方で、こうした文明の利器の恩恵にも浴しているわけであり、まあ哀しい人間の性(さが)ではあるのだが。
ところで、そうしてテレビで見た、コンサート形式の簡素なバロックオペラの舞台は、思わず引き込まれるほどに良かった。しかし、惜しむらくは、歌手たちの力量が今一つ、ではあったのだが。
特に、ソプラノの歌う『クセルクセス(セルセ)』からの『オンブラ・マイ・フ(なつかしい木陰)』や、『リナルド』からの『LASCIA CH’IO PIANGA(涙の流れるままに)』などは、有名でよく知られている曲だけに、どうしても今まで聴いた歌手たちの声を思い出してしまうのだ。
メゾの歌手の声量が大きくないのは、小さなバロック・オペラの会場を考えてか、あるいはソプラノとの釣り合いを考えてなのかもしれないが、装飾音技法は、もう少し洗練されていればと思う。
とは言っても、二人の二重唱の場面などは、雰囲気にも合って、なかなかに良かった。
私は今までに、このヘンデル(1685~1759)のオペラ・アリアや、コンサート・アリア集と書かれたタイトルだけにひかれて、何枚ものCDを買ってきた。しかしたまには、よく知らない歌手たちのものも買ったりして、後になって後悔したこともある。
それらのCD中での、私にとっての大切な三点がある。
(1)『ヘンデル イタリアン・カンタータ (エマ・カークビー、ホグウッド指揮エンシェント室内O.1985年 ポリドール、3500円)』 (レコードの時代からCDに変わりつつあるころ、まだ高くてなかなか手が出なかった頃、それでもオアゾリール・レーベルの看板スター同士の組み合わせで、思わず買ってしまった。やはり全盛期のカークビーは天使の歌声だ。)
(2)『九つのドイツ・アリア集(クリスティーナ・ヘグマン、イ・クワトロ・テンペラメンティ、1988年、BIS、980円)』 (売れ残った輸入盤のかごの中にあり、安いので買ったのだが、何とこれが、ヘンデルの一枚といえばこれしかないというほどの、私の愛聴盤になろうとは。
さらに、北海道の富良野の近くにある宿に、大雪山への山登りのたびによく泊まりに行っていたのだが、その宿の御夫婦が、そろって生演奏でピアノも弾いてくれるほどのクラッシク音楽演奏家であり、何とこの同じCDを持っていたのだ。その上、ある声楽家の方がこの宿にきて、ヴァイオリン伴奏つきで、このヘンデルのアリアを歌ったのだとか。ああ、聴きたかった。)
(3)『ARIE E DUETT D’AMORE (愛のアリアと二重唱、サンドリーヌ・ピオー、ビオンディ指揮ヨーロッパ・ガランテ、1996年、Opus、2150円)』 (上記のコンサートでも歌われていた有名曲『リナルド』からの『LASCIA CH’IO PIANGA(涙の流れるままに)』が素晴らしい。他にも様々な歌手で聞いてきたが、テンポといい少しメゾがかったピオーのソプラノの声といい、私にとってのヘンデルの一曲といえば、これをおいて他にない。)
というふうに、私は今まで、ヘンデルの有名なアリアを主にCDで聴いてきたのだが、それらを承知の上でも、やはりこのテレビで見たヘンデルのアリア・コンサ-トは、舞台での臨場感が加わって、素晴らしかったのだ。
私とて、そんな生の舞台でのバロオク・オペラを見てみたいと思うのだが、かなわぬ夢でもある。
若き日のヨーロッパへの長い旅の間に、何本ものいろいろなオペラを見たのだが、当時は、バロック音楽の古楽演奏がようやく脚光を浴び始めたばかりのころで、その時には、モーツァルト以前のバロック・オペラに接することはなかったのだ(アリアの幾つかを聴くことはあったが。)。
いや、それだからこそ、今こうして、田舎の片隅に住んでいても、居ながらにして、テレビでオペラを楽しむことができるのだから、むしろ喜ぶべきなのかもしれない。もちろんそれは、画集で見る絵と、本物の絵を見るくらいの大きな違いがあるのだろうが、私は、批評家でもないし、オペラについて話し合う相手もいないから、それで十分だ。私の、ひそやかな趣味の一つとして、楽しむことができれば良いのだから。
バロック・オペラについては、去年’09年の8月14日の項でも、テレビで見た『聖アレッシオ』のことを書いたけれども、確かに当初、主に貴族階級のものでしかなかったバロック・オペラは、その後、一般大衆を含めた商業オペラへと向かい、モーツァルト(1756~1791)やロッシーニ(1792~1868)のオペラ・ブッファにその名残をとどめて、やがて、市民社会による変革の時代とともに衰退していくようになる。
以後イタリア・オペラは、オペラ・セリアの伝統を受け継いだドニゼッティやベッリーニから、ロマン派の一時代を画したヴェルディ(1813~1901、『椿姫』『アイーダ』)へと、さらにヴェリズモ(自然主義的な)・オペラと呼ばれるマスカーニやレオンカヴァッロ、プッチーニ(1858~1924、『ラ・ボエーム』『トスカ』)などの時代を迎えていく。
一方ドイツでは、民族的な高揚感を伴ったオペラを、楽劇という名のもとに作り上げたワーグナー(1813~1883、『ニーベルングの指輪』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)がいて、さらにR・シュトラウス(1864~1949、『サロメ』『ばらの騎士』1月3日の項)が、ロマン派の最後の輝きを見せた。『カルメン』で有名なビゼーのフランスはもとより、イギリス、ロシア東欧などのそれぞれの国でも、その国に根差したオペラが生まれていて、そして現代のオペラへとつながっている。
こうして見てくると、オペラの世界は限りになく広いし、私はそのオペラ大陸の中の、幾つかを垣間見(かいまみ)ているにすぎないが、その中でも、この古めかしいバロック・オペラに、何かひかれるものを感じてしまうのだ。
その始まりは、ひまを持て余す貴族たちへの、いにしえの時代を題材にした(つまりは、今の時代をあえて直接的に描こうとはしなかったともいえるが)、歌芝居でしかなかったオペラだが、それゆえに、後の時代の個人の感情をむき出しにして泣き叫ぶオペラと比べれば、慎み深く、優雅な立ち居振る舞いを優先した、そのスタイルにひかれるからでもある。
(もちろん、時代のその裏に、貴族階級の下で貧困にあえぐ一般庶民がいたことを、十分に承知していても。つまり、どの時代でも、そのすべてを見て、公平に評価することなどできないし、歴史とよばれるものは、いつも、その時の一部の流れでしかないからだ。)
と、ここまで書いてきて、なんだか自分の好きなものへの、言い訳のような気もしてきた。人間はそれぞれに、好きなもの嫌いなものが、不可思議に入り混じって、その人の性格を形づくり、またとないその人だけの個性になっているわけだから、くどくどと説明するべきではないのかもしれない。
つまり、それは、ミャオが、イワシやサンマなどだけではなく、シャケやタイさえも食べずに、小さなアジしか食べないのと同じことで(マグロは食べるけれど高いからやれないのだが)、私が、バロック・オペラにひかれるというのも、ひょっとして・・・。」
(参考文献は前回に同じ。)