4月13日
何と気がついたら、前回の記事からもう3週間もの間が空いてしまった。
もちろん、長い間書いていないことに気づいてはいたのだが、そこは狡猾(こうかつ)でぐうたらな年寄りのこと、強制されて書いているわけではないし、ただ、わが筆のおもむくままに書いているのだからと、自己弁護をしてみても、もうこれは自分のための日記の一部というよりは、まさしく”つれづれなるままに”書いているだけの、ただの世迷いごとの言葉の羅列(られつ)にすぎないのではないのかとも思うのだが、それもまた年寄りのわがままだからと、自分に言い訳するばかりで。
さて書くべきことはいろいろとあって、やはり以前のように一週間に一度は、それでも足りないくらいなのだが、今回、20日以上も間が空いて思うことは、そこはひとり蟄居(ちっきょ)する老人の舌の寂しさからか、やはり誰かに向かって話したくなり、書きたくなって、結局は自分に向かって書いていることになるのだが。
ところで、私の近況はと言えば、新型コロナウィルスにも負けずに、いたって元気であり、それにしても、去年の秋から立て続けに起きていた、三つの病気も、このコロナ禍が起きる前に、それぞれの病院通いがだいたい終わって、今やほぼ終息し寛解(かんかい)の状態にあり、その意味では不幸中の幸いだったと思っている。
今日は朝-3℃まで下がり、冬の寒さが戻ってきて、朝からミゾレが降っていたが、それまでは天気の良い暖かい春の日が続いていて、例年よりはずっと早く庭のツクシシャクナゲの花が咲き、ヤマザクラも満開になっていた。
(上の写真)
シャクナゲは、今ではもう100個以上もの花房をつけていて、一房に7~9個の花があり、それが次から次に咲くから、もうその豪華絢爛(ごうかけんらん)な姿は筆舌に尽くしがたいほどである。
そんな青空の元、洗濯物を干し終わったベランダに出て、揺り椅子に座って本を読むことにする。
今ちょうど読んでいるのが『新古今和歌集』の「春の歌」の辺りということもあって、いにしえの人の心を思い、今散り始めたヤマザクラやシャクナゲの花の下で、つくづく思うのだ、なんと幸せな気分になることだろうかと。そこで一首。
”花さそう 比良の山風 吹きにけり 漕ぎゆく舟の 跡見ゆるまで”(宮内卿)
(『新古今和歌集』(上)久保田淳 訳注 角川ソフィア文庫)
湖面に散り敷いた桜の花びらの中を、舟がゆっくりと漕ぎ出していくさまが目に浮かぶようだ。
本歌は、もちろん、あの『万葉集』にもある沙弥満誓(しゃみのまんぜい)の名歌 ”世の中を 何にたとえむ 朝ぼらけ 漕ぎゆく舟の 跡の白波”であるが、この二首を並べてみるのも悪くはない。
しかし、この『新古今』の春の歌の中で、特に私が素晴らしいと思っているのは、春の寝覚(ねざめ)の床の情景を女の視点で描いた次の一首である。青春時代の、新しい朝の思い出がよみがえってくるような。
”風かよう 寝覚めの袖(そで)の 花の香に かおる枕の 春の夜の夢”
(皇太后大夫俊成女 『新古今和歌集』同上)
さて、もともと私は、街の雑踏が好きではないから、こうして田舎に住んでいるわけだし、外出自粛の令が敷かれたとしても、日用品の買い出しはできるわけだから、さしたる不便は感じない上に、日ごろからコンビニ弁当を買うことはあっても、ほぼ毎食自炊しているから、外食ができなくても苦にはならないし、貧乏な時代からの習慣で粗食には慣れているし、グルメ名店などの食べ歩きの趣味もないし、夜の飲み歩きなどに出かけることもないし、ディズニーランドやユニバーサルスタジオなどが休園になっても、もともと行きたいとも思わないから困ることはない。
ただ今までと同じように、田舎の自分の家で毎日を静かに暮らしているだけのことだ。
世の中は、コロナ感染対策で大騒ぎになっているけれど、問題になることは次から次に出てくるし、経済的な大損失大不況が起きることは目に見えているし、誰が指導したところで必ず不満な人はいるはずであり、そもそも未知のウィルスに対する初動対策が不十分であったことは間違いなく、例えば初めのころは、医療関係者自身が、致死率はインフルエンザよりも低くそれほど怖いものではないし、その対策もインフルエンザと同じでいいし、年寄りは重症化しやすく死に至ることもあるが、若者はかかりにくくて軽くすむことが多い、とか言っていたものだから、結果的に若者の感染者を増やしたことになるのだろうが。
問題は今後、今や全世界に広がった、このコロナウィルスの蔓延(まんえん)が、あの”ヨハネの黙示録”にあるごとくに大災害となるのだろうか、はたしてこれは、”神の怒り”の始まりに過ぎないことを意味しているのだろうかということだ。
しかし、この世界的な感染症の広がりで、改めて気づかされたこともある。
飛躍しすぎかもしれないが、それは、おごりたかぶる人間たちへの、”神の怒り”であるとも思えてくるからだ。
つまり、それは不老不死を目指す高齢化社会への、さらには”バベルの塔(天に届く塔の建設が神の怒りにふれ破壊される)”のグローバル化を目指した人間たちへの、そしては過密社会の都市化を目指す効率主義の世界への・・・”アンチテーゼ(反対理論)”だったのだと言えるのかもしれないからだ。
つまりここで改めて思うのは、田舎の『ポツンと一軒家』風な家に住み、介護施設の世話にもならず、そこから離れることなく、一生を終えることができるような、そうしたう地味でつつましやかな、自然とともにある暮らしこそが、人間らしい生き方なのかもしれないと。
豪華なマンションに住み、華麗な衣装を着て、美味な山海の珍味に舌鼓(したつづみ)を打つような暮らしをしなくても、雨風をしのげる古い家があり、着古した衣類をまとい、粗食だとしても暖かいご飯を食べることができば、そして、それらのことだけで満足だと思う気持ちがあれば、幸せな気持ちになれるものだ。
花が咲き鳥が鳴き、月が出て星が輝き、紅葉に雪が降り、木々に新緑のきざしが見え、そうしてめぐりゆく一年が過ぎていく。
先日離れた町の病院での診察を受けた後、車に乗ってわが家に帰る途中、夕暮れ時になろうかという頃、周りの田園風景を見ながら、ふと私の口をついて出てきた歌があった。
“菜の花畑に 入日(いりひ)薄れ 見渡す山の端(は) 霞し(かすみ)ふかし 春風そよ吹く 空を見れば 夕月かかりて におい淡し”
(文部省唱歌『朧(おぼろ)月夜』高野辰之作詞 岡野貞一作曲 1914年)
何という静かな、田舎の春の夕暮れ時の情景描写だろうか、さらには菜の花の香りが、そよ風にのって柔らかに漂ってくるような・・・。
昔の歌の作詞は、しっかりとした詩に素養のある人が作っていて、今の時代の若い人が書く自分の日常の言葉としての歌詞とは違い、まさに一つの詩の作品として鑑賞に堪えうるものだった。
それと比べてと、今の歌の良しあしを言っているわけではない。今の時代の歌は、今の若い人たちの支持を受けているのだから、同時代の歌として残ってゆくのだろうが。
私は、ただこうした昔の歌に、心惹かれるし、同じように今の時代の小説よりは、昔の日本文学、いわゆる日本の古典と呼ばれる作品を、これからも読んでいきたいと思う。
もちろん、私の生きている人生には限りがあるし、結局は、それらの古典文学のうちのいくつかは、若いころに一度は読んでいても、読み返すことができないままになることだろうし、それはもう一つの私の人生での執着(しゅうちゃく)ごとである山登りについても、登りたい山が幾つもあって、同じことがいえるのだが、まあ人生とはそうしたものだし、すべての思いをかなえた後に、満足して死に逝くということなどまれであり、すべての人は何かをやり残したままで、自分の人生を終えるのだろうが。
ただ、その終わりの時に、ここまでの自分が歩いてきた道に、自分なりに満足できるかどうかだ。
いや、言い換えれば、死の間際まで後悔しているよりは、他人から見れば小さな一歩かもしれないが、自分にとってはそれぞれが大きな一歩だったのだと、これまでの人生の出来事をしっかりと胸に抱いて、すべて意味のあることで無駄ではなかったのだと思えばいいのだ。
多くの不幸な出来事さえも、何事も、自分にとっては良かったのだと、嵐の後に青空があるように、自ら脳天気(能天気ではない)になって、自分で良いように思っていけばいいだけことなのだ。
そして、いつもそうした人間でありたいと思うのだが・・・。
この3週間余りの中で、私は二度ほど、軽いハイキング程度の山登りに行ってきた。
一つは2週間ほど前、別府の鶴見岳(1375m)山麓にある志高湖(580m)から1時間足らずで登れる小鹿山(おじかやま、728m)である。
ちょうど桜が満開だということもあって、湖岸沿いはアウトドアを楽しむ、色とりどりのテントと家族連れの歓声でにぎわっていた。
コロナウィルスで学校が休みになっていて、それだけに子供たちの生き生きと動き回る姿が目についた。
その喧騒から離れて湖の奥から山側に入り、やがて広い防火線の尾根をたどり、最後に急斜面を登って、木々に覆われた頂上に着いたが、北側の一部が刈りはらわれていて、別府市街地から国東(くにさき)半島を望む方向だけが見えていた。
他には、老夫婦に出会っただけで、静かな山歩きができたし、まさに始まったばかりの新緑とヤマザクラ越しに、鶴見岳の山影が見えていた。(写真下)
次に、数日前、春先と秋にたびたび訪れている同じ鶴見岳の西登山口から、これも登り1時間ほどの山歩きを楽しんだが、こちらは新緑というにはまだ早く、それでも誰もいない山道歩きを楽しんで、上空に雲が増えてきたところで、無理をせずに戻ることにした。
下の写真は、そこよりはずっと低い道路沿いの所から眺めた、ヤマザクラ模様の山肌であり、今の時期には九州の山のあちこちで、こうしたヤマザクラの景観を見ることができる。
コロナウィルスの猛威はいつまで続くのだろうか、もしも私がこのウィルスの病にかかってしまっても、それはそれで仕方のないことだし、自分の運命を受け入れることしかできないが、ともかく今は、ひと時、私の好きなものたちに囲まれて、そのつかの間の時間を静かに過ごしていければいい、と思ってはいるのだが・・・。