ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

山のチョウ

2021-07-17 21:51:08 | Weblog



 7月16日

 もう一月以上の前のことを書くのは、少し気が引けるけれど、これは自分のための記録であり、登山覚え書きなのだからと、開き直るのも毎度のことで。
 それは、前回の九重は岩井川(いわいご)岳への登山から、10日余りたった6月初旬のことで、あのツボミが多かったミヤマキリシマも、おそらくはいいころ合いになっているだろうと、いつもの牧ノ戸コースで、扇ヶ鼻へと向かうことにした。
 朝起きたのが遅く、牧ノ戸峠(1330m)に着いた8時前位にはもう駐車場は一杯になっていて、手前の砂利の空き地にクルマを止める。 
 空には、雲が少しあるものの空気が澄んでいて、遠くの山までよく見えていた。
 いつものように、晴れた日にしか山に登らないというのが、私のぜいたくな年寄りの特権なのだが、たまには失敗することもあり、長年憧れていた東北の名山、あの鳥海山で、二日間吹き付けるガスの中をさ迷い歩いた、という苦い思い出もある。(代わりに、晴れた日に撮られた鳥海山の山番組でも見て、思いを晴らすしかない。)

 さて、前後に人々の声を聞きながら、いつもの舗装された道を登って行くのだが、途中の展望台で一休みするほどに体が重い。(年寄りの太りすぎ。)
 遊歩道の終わる沓掛山前峰からは、岩塊群を縫いながらの縦走路になる。
 その最後の岩峰である沓掛山山頂(1503m)を越えると、岩場は終わって、後はなだらかな縦走路の高原歩きが続き、左右に点々とミヤマキリシマの花の株が見えてきた。(冒頭の写真、縦走路からの扇ヶ鼻)
 やはり群生する花は、昼間の青空の下で見るのが一番だ。(決して芸術家にはなれない凡人たるゆえんだが。)
 左手に大きく星生山が見えてきて、やっとの思いで久住山縦走路との分岐になったが、手前のコブまでの一登りでさえつらかった。

 斜面の花は、当然前回よりは開いていたが、満開にはほど遠く六分ぐらいといったところだろうか、もちろん満開の株もあり、背景に沓掛山と黒岩山そして遠くコニーデ型の涌蓋山(わいたさん、1500m)も見えていて、九重の初夏の一枚の寸景になる。



 さてそこからの急斜面登りがきついところだが、何とか歩みを進めると、扇ヶ鼻の頂上下の台地に上がる。
 いつもなら、ここで歓声をあげるところだが、今年は花の開きが遅くまだ半分といったところだった。
 まず先に、頂上への道と分かれて、左の小道を台地の東端の所まで行ってみる。
 そこからは九重の主峰群が見え、さらにこの南面の花の株を前景にして、北に対峙する星生山(1762m)が大きく見えていた。



 そこから戻って、多くの登山者たちが行きかう、ゆるやかな台地の道をたどる。
 全体的に見て、まだ半分ほどのミヤマキリシマの花だが、それなりにきれいではあった。
 多くの人が休んでいる頂上を避けて、少し離れた西の端まで行って腰を下ろす。
 南側の下の方には、前回行ってきた岩井川岳の台地に、点々と米粒のような赤い花の株が見えていて、こちらの方は今が満開のようだった。

 まだ11時前だったが、早めの昼食にして周りの山のたたずまいを眺めていると、そこにチョウが二匹飛び回っていた。一匹はキアゲハでもう一匹はヒョウモンチョウらしかった。
 ここだけに限らず、山の頂上ではチョウを見かけることが多い。おそらくは、山にぶつかり昇って行く、上昇気流に乗って上がってきたものだろうが、思えばあの北海道は日高山脈の、ペテガリ岳の頂上で出会ったキアゲハは、ハイマツの枝に止まったままあまり動こうともしなかった。
 私と同じように疲れ切っていたからなのか、その時頂上に居た生きものは、私とそのキアゲハだけだった。

 それは、私が東京から北海道に移り住み、ようやく丸太小屋を建て終わり、これからは日高山脈の山々に登っていこうと思っていたころのことで、調べてみると今から30年余りも前になり、日高山脈の山ではこれがまだ5座目の山だった。
 当時はひどい悪路ながら、ともかく静内からクルマで無人小屋のペテガリ山荘まで入ることが出来た。
 前日にその小屋に泊まり、翌日ペテガリ岳を往復したのだが(帰りが長かった)、もちろん他に登山者はいなく、常にヒグマの気配を感じながらの登山だった。
 朝から天気は良かったのだが、頂上に着くとすぐにガスが吹きつけてきて、風の音だけの頂上に、私とキアゲハがいただけだったのだ。

 そんなふうにして、私は登った山の頂上でチョウに出会うことが多いのだが、そうして憶えているというのは、登り下りの時にはチョウを眺める余裕もないからだ。
 そんなチョウマニアでもない私が、度々高山蝶に出会ったのは、やはり何と言っても大雪山であり、あのコマクサ咲く礫地の稜線で目にした、美しいウスバキチョウやアサヒヒョウモンなどが忘れられない。
 ヒョウモンチョウは全国どこでもよく見られるチョウであるが、チョウ初心者である私には、その時に見ただけでは、10種近くもあるヒョウモンチョウの区別をつけることはできない。
 この扇ヶ鼻で見たのも、九重ではよく見かけるミドリヒョウモンだとは思うのだが、翅の裏側の模様が個体差によるものなのだろうか、白地にくっきりしていて面白い。(写真下)



 さて、また新たに人も来たようだからと、頂上を下りて行く。
 分岐まで来てもまだ昼前で、若いころなら、また次の山へと縦走する元気もあったのだが、何しろ年寄りの巨体というのは始末に負えないもので、わずかな距離で疲れ果てて、やっとのことで1時半ごろ牧ノ戸に戻って来た。
 ミヤマキリシマ満開というには早すぎたが、今が盛りの株もあり、晴れた日の山の姿とともに、往復5時間余りの間、十分に自然のたたずまいを楽しむことができた。
 とは言っても、ツボミがまだいっぱいあったし、全体の花が咲きそろうのは、もう少し先のことで、もう一度は来なければなるまい。

 というのも、私の経験値の中に、この扇ヶ鼻のミヤマキリシマが豪華絢爛(ごうかけんらん)に咲きそろった時の様子を憶えており、どうしてもその時と比べてはと欲が出てしまうのだ。
 しかし、同じように今日登った人で初めてミヤマキリシマを見たという人もいるはずだし、そうした人にとってはおそらくは感激する景色だったのではないのだろうか。
 つまり言いたいのは、人によってそれぞれの経験によって、受け止め方はさまざまになり、私のように不満に思う人と、感激する人とがいて、果たしてどちらが幸せな気分になれるだろうか。
 世の中に真実は一つかもしれないが、問題は、それを知るべきか知らざるべきかということだ。

 話は変わるが、このブログでもたびたびテレビ番組の話しをしてきたが、今回はその中から二つ。
 一つは、放送されるたびに見てしまう「ブラタモリ」で、今日の”日本の石垣スペシャル”も実に面白かったが、それは石垣の見本市といわれるほどの、あの有名な加賀百万石金沢城にある、様々な石垣が紹介されていて、桑子アナ時代の数年前の未公開映像から編集されたものだったが、思わず身を乗り出すほどに興味深いテーマだった。
 しかし、今回ここで書きたいのはその前のもので、先週先々週と2回にわたって放送された、“江戸から東京へ、江戸城は日本の城の集大成”という回で、当時の江戸城の石垣の増築や、新地の開発など、家康が外様に課した難題に、なるほどとうなづくことが多かった。

 それは、一つには二階バスに乗って少し高い視点から江戸城の内堀外堀を眺め、もう一つは船で運河のような内堀外堀を眺めるという、なかなかに興味深い企画だったからだ。
 特に秋葉原からお茶の水にかけては、私の会社が神田界隈にあって、お茶の水は最寄りの駅だったから、懐かしくもあったのだが。
 駅のそばの外堀の上で交差する鉄橋や、当時から残されていた万世橋駅跡のレンガ造りの建物などは、当時秋葉原にあった輸入レコード店に足しげく通っていたからいつも見ていたものだった。

 番組では、船から街並みを見上げた後、バスに乗って内堀の周りを走り、銀座に出た時、アシスタントの浅野アナが思わず、(あれここって)”銀座じゃん”と口走ってしまったのだ。
 それをSNSなどでは、”タモリさんにタメ口をきいて”などと非難する書き込みもあったが、タモリ自身は、それが彼女の思わずもらしたつぶやきだったとわかっていて、すぐに彼女の”銀座じゃん”の後を受けて、”銀座じゃねぇ”あるいは”銀座ですけどぉ”の、若者言葉の三段活用と称して茶化して見せたのだ。

 ちなみに、この語尾に付ける軽い感嘆詞的な、”じゃん”という言葉は、関東から中部地方で使われることが多く、私が東京にいた時には、都下の八王子などや、神奈川などの子たちがよく使っていたし、都内の子たちはそれほど多用していたようには思えなかった、浅野アナの出身地がどこかは知らないのだが。
 そしてこの時の番組では、むしろ彼女のひと言で、少し堅苦しくなりがちな歴史上の話しが、一気にほぐれてくだけた話になり、その後も二人は楽しそうにしゃべっていた。外野がとやかく言うことではないのだ。
 
 さらにお城の話しに関連して言えば、先日放送された、NHK・Eテレの「英雄たちの選択」シリーズの中で、”プロが選ぶ最強の戦国武将は誰か”というタイトルで、50人の歴史研究者たちへのアンケートをもとに、スタジオに集まった7人のそれぞれの分野の学者たちに、最強の武将を決めてもらうという企画があり、結果的に豊臣秀吉ということになったのだが、他にも毛利元就や松永久秀に立花宗茂の名前まで上がっていて、さすが専門家の切り口だと思わせるものだった。
 こうした企画は、テレビ・雑誌などで何回も繰り返し行われてきており、その度ごとに、例えば信長、秀吉、家康といった定番の名前の外に、上杉謙信、武田信玄、真田幸村だったり、あるいは信玄、家康、信長だったりと、決して一致することはないのだろうが。
 それが当然だし、もともと、時代や地方が少し異なっていたために相まみえることがなかったこともあり、相撲の双葉山と白鵬ではどちらが強いかといっているようなもので、土台無理な話なのだ。

 つまり私が面白いと思ったのは、それぞれの専門分野からの研究成果として、彼らの話しを聞けたことであり、近ごろはやりのワイドショーなどで、素人タレントたちがコメントする普通の人たちの話など、面白くもなく多少うんざりしていたからでもあるが。

 さて話を戻せば、今回あげた九重・扇ヶ鼻へはこの後もう一回行っており、さらに数日前にはチョウを見るために、短いハイキングをしてきたのだが、併せて次回書くことにしよう。
 
 梅雨が明けた関東東北さらには北海道までもの、全国41地点で35℃を超える猛暑日になっているそうだが、それ以前に梅雨が空けたとされるこの九州北部では、曇り時々小雨の日が続き、山の中にあるわが家周辺では、ありがたいことに25℃ぐらいのクーラーいらずの日々が続いている。

 例のコロナワクチン二回目は近日中に打つことになっているが、最近体調面で気になることもあるし。
 はたしていつまで、九重のミヤマキリシマの花を見ることができるのだろうか。

 『古今和歌集』の”よみ人しらず”の歌を一首。

 ”春ごとに 花の盛りは ありなめど あい見むことは 命なりけり”

 (『古今和歌集』巻二 春歌下 佐伯梅友校註 岩波文庫)