ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(42)

2008-04-16 17:44:28 | Weblog
4月16日 今日は、一日中、雨が降ったり止んだり。昨日は、終日快晴の天気で、気温も20度まで上がったというのに、今日は、9度という肌寒さだ。
 ストーヴの前で、横になっている。二三度、起き上がり、エサ皿の置いてある所へ行って、ミルクを少しだけなめたが、相変わらず食欲がない。飼い主が、ワタシの大好きなバターや味付け海苔を出してくれたが、それも少し食べただけだ。
 頭の傷はカサブタになっていたのだが、かゆくて後ろ足でかきむしってしまい、また傷口が広がり、血が出て、それをまた舐めてきれいにする。写真では見せられないほど痛々しい状態なので、飼い主は抗生物質の傷薬を何度も塗ってくれたのだが、それもすぐに舐め取ってしまう。
 体はだるいし、ともかくあまり動きたくないのだ。ワタシはもう若くはないのだ。病気をしたり、怪我をしたりすると、そのことがよく分かる。ただ、飼い主がずっと傍にいてくれることが、恐怖という心の傷を受けたワタシにとって、なによりの安心になるのだ。そんなワタシのことを、飼い主も言っている。
 
 「ミャオの受けた傷も、心の傷も、思った以上に深かった。どちらも、そう簡単に直るものではない。模様を見て、病院に連れて行こうかとも思うが、4年前の病気の時と比べれば、あの時は二日間点滴してもらって、劇的に回復したのだが、今は、それほど差し迫っているとは思えない。
 ただ気がかりなのは食欲がないことだ。丸三日間、食べなかったから、体はすっかりやせてしまっていて、そのあと家に連れて帰ってからも、ミルクを少しと、サカナを少しだけで、これでは体力は回復しない。五日間、何も食べず、水も飲まなかったあの時と比べればまだいいと思うが、やはり心配だ。
 北海道に行くのは、とりあえず、一週間先に延ばしたが、果たしてミャオは、心の傷も含めて直ってくれるだろうか。できるものなら、一緒に北海道に連れて行ってやりたいが、病院に連れて行くのでさえ、あれほど暴れたネコだ、とても一日がかりの移動にも、向こうでの環境にも慣れないだろう。繊細な感受性を持ったミャオの命を縮める様なものだ。
 飼い主の責任として、ミヤオの命が尽きるまで、ここで一緒にいてやるべきなのだろうか。私自身も、もう若くはない。今のうちにやっておきたいことがいくつかある。それは、しかしミャオの傍を離れることを意味するのだ。
 ミャオにとって、私にとって、生きることとは、生きていくこととは。
 ミャオの傍にいたこの二日間、録画しておいた映画を見た。NHK・BSだけでなく、他のBSデジタル局でも名作映画を放映していることが、この3月に地デジ対応テレビを購入して、初めて分かった。鮮明な映像で、最近のいい映画を見られるなんて・・・生きてて良かったと思う。  
 「モーパッサン・ノアール(黒)」「モーパッサン・ブラン(白)」という題名での四編のオムニバス作品。モーパッサンの短編作品を、多少アレンジして、それでも、見事にその時代の人々の生き方と感情を、それは現代の私たちにも通じるのだが、皮肉と愛情をこめて見せてくれる。なんという、フランス映画の、誇り高き伝統とその芸術の香り・・・。フランス国内で、テレビで放送され、いずれも高い視聴率だったという。
 日本にも、数多くの古典以来の名作があるというのに、今、誰が一体、納得できる作品として映画化してくれるだろうか、いやできるだろうか・・・。
 話はともかく、ミャオの傍から離れられないために、またそれはそれでいいこともあるのだ。
 そして今日は、ミャオが三回に分けてではあるが、コアジを一匹食べてくれた。いつも丸ごと、ガシガシと食べるのだが、今日は小さく切ってやって、ようやく食べてくれた。嬉しかった。ミャオ、早く元気になってくれ。」


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