3月28日
このところ、寒の戻りというべきか、少し肌寒い日が続いている。
朝は、まだマイナスにまで下がっていて、日中でも10度を少し超えるくらいの気温だけれども、ほとんど毎日、気持ちの良い青空が広がっていて、それだけでも良い春の日だと思えるのに、そこにウグイスが一声、二声、まったくおあつらえ向きの春の光景だ。
庭の梅の花は、もうほとんど散ってしまったが、この後しっかりと肥料をやっておけば、初夏のころには、また枝いっぱいの梅を実らせてくれることだろう。
私は、もともとめったに風邪をひくことはないのだが、それは、もちろん生まれつきの頭の悪さ、つまり年相応のいくらかの知識はあっても、本質的なバカさ加減は変わらないから、”バカはかぜをひかない”ということであり、さらに近年とみに増して脳天気な性格になりつつあることもあって、それは認知症と区別はつきかねるけれど、もう頭の中はいつも春のヨイヨイ状態で、風邪のウイルスさえ近寄れないのだろう。
ただ最近は、寄る年波を感じて、体力は年ごとに衰えていく一方であり、それだけにいやでも健康維持について関心が行くのは当然のことなのだが、まあとはいっても、煮ても焼いても食えないこのぐうたらじじいのこと、他人から体にはあれがいいこれがいいと言われても、話半分上の空に聞いてるふうで、実は耳はダンボ状態になって聞き逃すまいと、必死こいているのが本当のところでありまして。
まあ、年を取れば誰でもがそうなように、それは、周りに迷惑をかけたくないという、昔の人間、年寄りの健気(けなげ)さとでもいうべきものでしょうが。
それでも、いつの間にか自分の習慣、ルーティンとしているものが一つだけあって、それは例の”五郎丸ポーズ”で手を組んで祈った後、梅の木の根元に”シッコ”をかけては、梅の実の豊作を祈るというもの・・・まあそれは冗談だが、ともかく花が終わった後には、木の根元にたっぷりの肥料をやって、初夏のころにはその梅の実を一週間ほどかけて収穫し、そして三日三晩も続く”ウメジャムづくり”の大仕事、そしてようやくウメジャムの瓶詰めが10ビンほども出来上がり(’15.7.13の項参照)、それを毎朝、トーストに塗って一年中食べているものだから・・・ほーれ、ほれほれ、この元気。
”八丈島のきょん!” (昔の漫画『こまわりくん』の意味のないかけ声。)
こうして、周りには何の役にもたたない、カラ元気を振りまいているじじいなのだが、とは言っても、今月初めの八甲田山以降、山には登っていないし、そろそろどこかの山に登らなければと思っているのだが、これが雪国ならば、これからは、あちこちの残雪の山へと計画を立てられるころなのに、九州には残念ながらそんな残雪の山自体がないのだ。
山肌を一面に彩(いろど)る、ミヤマキリシマの花は5月の下旬からだし、ツクシシャクナゲやアケボノツツジなども5月の連休以降だし、樹々の新緑もそのころからだし、雪がなくても冷え込む今頃は、登山道が霜柱で溶けてぐちゃぐちゃになるし、山登りには、あまり良い時期だとは言えないのだ。
それでもこれからは、山の林の中でそこだけが明るくなって、枝先に点々と小さな黄色い花を咲かせる、マンサクやクロモジ(シロモジ)やミツマタなどの木があり、さらに草原性の所では、2mほどの高さにもなって、その大株いっぱいに鈴なりの小さな花をつける、アセビを見に行くこともできるのだが。(’11.4.15の項参照)
そういえば家の庭にも、中株のものが一つと、もう一つ勝手に芽が出て育ってきた小さなアセビの株があって、それは運悪く日当たりのよくない生垣のそばだったものだから、なかなか大きくならずに、花も咲かずに苦労していたのだが、この春、何とついに三房(みふさ)の花をつけていたのだ。(写真上)
あんたは、えらい!
自分で選り好んで根づいた場所でもないのに、文句ひとつ言わないで、与えられた場所で、自分になりに精いっぱい生きていて・・・ああ、それに引き換え、この九州と北海道を行き来するぜいたくをしながら、北海道に行けば、”井戸水が涸れる、水が使えず五右衛門風呂を沸かせない、ぽっとん式トイレが外で不便だ”とかぼやいてばかり、九州は九州で、”雪山時期が短すぎるし、その割には古い家の中は寒くて外に出る時と同じくらいの厚着だし、道路に塩カルまきすぎでクルマはさびるし”、とあれやこれやと文句を言ってばかりで、それなのに、見てみろ、こうして日陰でも咲いているアセビの花があるんだぞ!・・・はい、もうただただ、”反省”するほかはありません。
”ぼくは、死にまっせーん”。
もうわれながら、何を書こうとしているのかわからなくなってきたが、ここでさらに深刻な生の現実の話を一つ・・・。
数日前のこと、久しぶりに春に備えての庭掃除をして、枯れ葉枯れ枝などを集めて燃やしたのだが、そういえば、さびしがり屋で寒がりだったミャオは、私がこうして夕暮れ時にたき火をしていると、家の中にいても庭に降りてきて、ニャーと鳴いて私の顔を見上げては、たき火のそばに座ったまま長い間じっと温まっていたものだ。
それはまるで、亡き老妻とともに過ごしたひと時の思い出のようによみがえってきて、今でも炎に照らし出された、ミャオの毛並みが見えるかのようだ。
もっとも、今回はミャオのことについてではなく、そのたき火の時のことなのだが、途中で物置小屋に戻るためにそばを通った生け垣の所で、ばたばたとしている鳥が一羽いて、そのままばたついて向こう側に行ったので大して気にも留めていなかったのだが、たき火を終えて、周りに水をまいて火の始末をした後、家に戻ろうとしたところ、 外にある蛇口の所に水をためた小さな手洗い桶があるのだが、そのそばに先ほどの鳥がいて、あわててバタつきながら逃げ出したのだ。
ほんの2m足らずしか離れていない、ツツジの植え込みの所まで行って、そこでじっとしていた。ヒヨドリだった。
不思議には思ったが、そのまま家に戻って、翌日また庭に出てみると、そのヒヨドリはまだそのあたりにいて、どうもけがをしていて飛び回れないらしく、そこで写真を撮ってよく見てみると、何と翼の風切り部分と尾羽の所が大きく欠損していた。(写真下)
最近、あちこちで春の野焼きをやっているが、その炎に翼を焼かれるなどということは考えられれないし、とすればカラスやワシ・タカ類に襲われたか、それにしては欠損部分が大きすぎるし、イタチ・テンの類にやられたか、それともノラネコにやられたのか。(前にミャオがあの大きなキジバトを捕まえてきて、私の目の前で食べたことがあった。’08.3.9の項参照)
しかし、これほどの翼の傷を負っていれば、たとえ命に別状はなくても、もう鳥として自然界で生きていくことはできないだろう。
それでも、見逃すわけにはいかない。何の助けにもならないだろうが、ほんのひと時の間でもと、私はミカンを輪切りにして、近くの枝に差しておいてやった。
しばらくして行って見ると、半分以上を食べていた。
翌日は、はちみつを小皿に入れて出してやった。
そして今日、もうあのヒヨドリはいなかった。
今までいたものが、いなくなること、その空白感を感じ取ることは、自分が生きているこその実感であり、また逆に、生きることの空しさを感じる時でもあるのだ。
三日ほど前の、新聞の書籍広告欄に、あのベストセラー『バカの壁』(新潮社)で有名な養老孟司(ようろうたけし)さんの新刊本の案内が載っていた。
”『老人の壁』 南伸坊、養老孟司対談集 壁を越えたら自分がいました。人生百年時代、明るく考えるコツ。 毎日新聞出版社”
そして、お二人の立ち姿の写真から、漫画風な吹き出しのセリフが出ていて、それぞれに、”もう楽しいことをあとまわしにしなくていいんですね”と、そして”楽しいことだけやればいいんです”と書いてあった。
私は、この広告文を見ただけで、お二人には悪いけれども、もうその本を読んだような気分になってしまった。
確かに、その通りだと私も思うからである。
それにはもう一つ伏線があって、一二週間前にふと見たテレビで、確かNHKの”爆笑問題”のバラエティー番組だったと思うが、東京大学医学部解剖学科名誉教授でもある養老先生の別荘を太田と田中の二人が訪ねていくのだが、その家は一棟丸ごとが、養老先生の昆虫標本館になっていて、世界中の昆虫たちの標本がきちんとまとめられ陳列収納してあるのだ。
今年78歳になられるという、養老先生の若々しさと、昆虫少年だったころから変わらない好奇心いっぱいに、補虫網をもって草むらをのぞき込む姿に、むしろある種の感動を覚えたほどである。
そのテレビ番組を見ていたこともあって、今度の『老人の壁』の新刊本の案内広告を見て、私はなるほどと合点がいったような気がしたのだ。
もっとも、”楽しいことだけやればいいんです”という言葉は、”功成り名遂げて”、地位も財産もある人達の余裕ある言葉だと言えなくもないのだが・・・世の中には、”若年貧困層”があるように、”老人貧困層”もあって、多くの老人たちが”生活保護給付”を受けているというのも、これまた現実の話なのだ。
もっとも、様々な問題にはいつもピンからキリまでの例があり、すべてを公平平等に取り扱うことなどできないし、とりあえずここで私は、”年寄りは、自分の楽しいことだけをやって”という言葉に、自分のこととしても感応したわけだから、その言葉について、少しだけふれてみることにする。
”自分の好きなことだけをやる”というのは、単なる自分勝手なわがままであり、周りの人にも迷惑をかけるし、さらには公序良俗にも反するものが含まれていればなおさらのこと、一般的には許されるものではないだろう。
しかし許されうる場合の条件が満たされば、それはそれで個人の自由であり、好きなようにやればいいということになるのだろう。
つまり、定年退職や子育て終了などで、様々な責任から解放されて、初めて自分の時間を持つことができるようになった人たちが、いざ自分の趣味へとのめりこんでいくのは、他人がとやかく言うべき問題ではなく、残りの人生と照らし合わせた、彼らなりのもう一つの人生の始まりとして、むしろ祝福されるべきものなのだろう。
いまだに、少年のような目で昆虫を見る、あの養老先生の顔は、はたから見ていても楽しくなるほどだ。
もちろん人間は様々であり、他に趣味はないし、仕事を辞めたくないし、死ぬまで働いていたいという人もいるだろうし、その場合は仕事が彼にとっての生きがい趣味にもなるのだろうし、また一方では、周りの友人知人仲間たちとの関わり合いこそが生きがいだという人たちもいるだろう。
だからこそ、今までの責任からとりあえず解放された年寄りたちは、初めて自分で自由に使える時間を持てたのだから、それはただ自分の好きなようにやればいいということなのだろう。八甲田の山スキー・ツァーに来ていた人たちを思い出す。(3月14日の項参照)
しかし、いつまでも周りのきずなを引きずって、どっちつかずのままの関係を続けてストレスをため込んでいけば、自分のためにも周りの人のためにもよくないことだし。
それだからこそ、年寄りになり、残り少ない人生だと自覚すれば、他人に迷惑をかけない範囲内で、自分の好きなように生きていくことが、自分の人生の最後を飾る大切なひと時になるだろうことがわかってくるのだ。
何のために生きてきたのか、そもそも人生に意味などあるのかといった、様々な問いかけにさえ、残り少ない日々の時間がキラキラと輝いて答えてくれるだろう。
老人よ、時を数えるよりは、今、その胸に楽しみを抱け、と。
年を取ることは、決して哀しいことなんかじゃない。
若き日に見たものとはまた違った姿で・・・見えてくる景色の、今さらながらの鮮やかさに、喜びを感じるほどだ。
それだからこそ、仮面をつけて、自意識過剰にポーズをとって粋がっていた、あの気難しい若者時代になんか戻りたくはないのだ。
そもそも、時間をさかのぼって若い日に戻るなんてことができるはずもないのに、どうしてさもありがちなこととして言われるのか・・・。
時の一回性、不可逆性・・・それでいいじゃないか。
仮面で思い出したのだが、話は突然変わる。今年の、AKB総選挙の立候補は締め切られたそうだが、あの”にゃんにゃん仮面”の立候補は認められるのだろうか。
ともかく、会場に来て、”こじはる(小嶋陽菜)”の持ち歌の中から一曲でも歌ってほしい。”にゃんにゃん仮面”をつけたままで。