ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(130)

2010-01-30 17:53:46 | Weblog



1月30日

 暖かい日が続いて、ワタシは飼い主と散歩に出るほかは、ベランダで寝て過ごし、夕方、いつものサカナをもらってからは元気になり、夜の闇の中を1時間、2時間と出歩くようになった。
 なんだか、春が近づいて来ているような気がするのだ。これほど、気温の変化がワタシの行動を左右するなら、北から南まで、長く連なる日本列島に住んでいるそれぞれの地域の日本ネコたちにとっても、少しはその体や生態に差が出てくるのではないのだろうか。
 今も、大雪の中に閉じ込められている北国のネコと、桜が咲いて20度を超える気温の中で暮らしている沖縄のネコとでは、きっと違いがあるはずだ。

 飼い主から話を聞いたことがあるのだが、鳥たちの世界でも、住む地域によっては、個体差以上に、地域全体として明らかに差があって、それらは、同種の中の亜種(あしゅ)として認められているそうだ。
 例えば、南北間や地域で違うものには、カケスとミヤマカケス(北海道)、エナガとシマエナガ(北海道)、メジロとメグロ(小笠原諸島他)などいろいろとあるそうだ。

 ということで、ここ九州の山の中の、土俗ネコを父親に持つワタシの場合は、外国種であるタイのシャムの血筋を母親から受け継ぎ、時々半ノラになる雑種の家ネコだから、もうそれは、亜種だとか個体差だとかいうところの話ではなく、ただのフツーのドラネコにすぎないのだ。
 それでどうした、と言いたい。ワタシは、別に有名でなくてもいい、珍しい種類だとか血統書つきだとか、もてはやされなくてもいい。
 ただ、毎日ちゃんとエサにありついて、安全に寝ることさえできれば、そうして生きながらえていければ、それで十分なのだ。

 「なんという暖かさだろうか、もうホウジロのさえずりの声が聞こえている。
 朝は0度だったものの、日中は12度までも上がり、黄砂のようにかすんだ空を見ると、もう春先のような気分になる。ミャオと散歩に出ると、いつもの日当たりの良い斜面には、あのオオイヌノフグリ(1月22日の項)の小さな花が、五つも六つも咲いていた。

 北国の方では、雪が多いそうだが、この九州の山の中では、明らかに今年は雪の日が少なく暖かいのだ。やはり、地球温暖化なのではと思ってしまう。
 一昨日、NHK教育で放送された『極寒シベリア犬ぞりで8000キロ』。(それは興味深いドキュメンタリー番組だったが、40分というのは短かすぎだ。)その中で、犬ぞりの旅での妨(さまた)げとなった、暖冬で凍らない河のことをあわせて思い出した。
 むしろ一般的には、暖かくて良いことの方が多いのだろうが、ただ、私は、山が雪に被われる冬の寒さも好きなのだ。これから、そんな厳しい雪の日がまたやって来るだろうか。

 さて、いつもの私のCDベスト10だが、今年は少し遅くなってしまった(’08は1.22、’09は1.10の項)。それは、去年買っておいたCDで、まだ全部聴き終えていないものがあったからでもある。
 昔、購入していたCDは、ほとんどが一枚ものだった。まあ、たまに3,4枚のセットものがあるくらいで、すぐに聴き終えていたのだが、最近、といってももう十年くらいになるが、ボックスに収められた廉価盤全集の出現で、その数十枚にも及ぶセットものを聴き終えるのに、すっかり時間がかかるようになってしまったのだ。
 とは言っても、われわれ音楽ファンにとっては、一枚当たり何百円にしかならないという、このクラッシックCD価格のデフレ状態は、実にありがたいことだ。
 もちろんそんな値段だから、ほとんどが、再発売ものや古い録音の廉価盤ばかりであり、新録音のいわゆる新譜CDは、買っても年に2,3枚にしかすぎず、最近CDが売れないというのは、そんなところに原因の一つがあるのかもしれない。
 さらに、私も、昔はあんなに熱心な音楽雑誌の読者だったのに、今では、年に一冊買うのがやっとというありさまで、つまりは、新しい音楽家たちのものより、昔の良く知っている、確かな評価のCDしか買わなくなったということだ。
 というわけで、これは、今さら自分の好みを変えようとはしない、全く、ガンコでケチでしみったれなオヤジが買った、去年のクラッシック音楽CDベスト10なのである。

1.”SACRED MUSIC” (『宗教音楽』 ヤコブ、クリスティー、ヘレヴェッヘ他 ハルモニア・ムンディ 30枚組、7989円 写真左)
2.”A SECRET LABYRINTH” (『秘密の迷宮』 ウェルガス・アンサンブル パウル・ファン・ネーヴェル ソニー・ミュージック 15枚組 6490円 写真右)
3.”MASTERS FLANDERS” (『フランダースの名匠たち』 エリック・ファン・ネーヴェル エトセトラ 10枚組 6690円)
4.”HAYDN THE COMPLETE SYMPHONIES” (『ハイドン交響曲全集』 アンタル・ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカ デッカ 33枚組 6990円)
5.”HAYDN string quartets op.64,76&77” (『ハイドン弦楽四重奏曲集』 モザイクSQ ナイーフ  5枚組 5390円)
6.”ANTON BRUCNER The Symphonies”  (『ブルックナー交響曲全集』 パーテルノストロ指揮ヴュルテンベルグ・フィル ドキュメンツ 11枚組 1432円)
7.”MUSIC OF THE MIDDLE AGES” (『中世の音楽』 アルバ メンブラン  4枚組 980円)
8.”J.S.BACH Sonatas for violin and harpsichord ” (『バッハ、ヴァイオリン・ソナタ集』 ローテンバッハー ヴォックス 2枚組 1290円)
9.”RAMEAU Complete works for harpicord” (『ラモー、ハープシコード全集』 ピーター・ヤン・ベルダー ブリリアント 3枚組 1490円)
10.”FRESCOBALDI Fiori Musicali ” (『フレスコバルディ オルガン・ミサ集』 ロレッジャン ブリリアント 690円)

 以上、すべて輸入盤である。他に買ったものは10点ほどで、年間購入点数は、あわせても20点ほどにしかならない。ただし、箱ものが多いから、枚数は合計すると、130枚程にもなる。以下簡単に説明すると。

 (1) 今年、最大の収穫であり、去年の50周年記念50枚組ボックスと同じく、ハルモニア・ムンディ・レーベルの30枚組のセットものである。宗教音楽の名曲だけを選んだわけではなく、箱にも書いてあるように、コーナー・ストーン(基礎、土台)となったそれぞれのジャンルでの宗教曲を集めている。ただし、オラトリオの大作3曲は多すぎる気もするし、バーンスタインの『ミサ曲』だけは、余りにも異質な感じがしたが。
 しかし全般的に言って、演奏陣も、曲目も素晴らしいし、分厚い解説書とそれぞれの楽曲についてのPDF版CD(30枚目)も添付されている。
 一枚目の『キリスト教初期の聖歌』からルネッサンスを経て、『バロック時代の晩課』までの10枚は、特に良かったし、最後の29枚目の、ポール・ヒリアー指揮、エストニア・フィルハーモニー室内合唱団による、『17,8世紀教会音楽選』とラフマニノフの『晩祷(ばんとう)』の見事な合唱力は脱帽ものだった。
 すでに持っていたCDとの重複は2枚だけ、不必要なバーンスタインの2枚と併せても、残り25枚もあり、買ったことの喜びを十分に満足してさせてくれたボックス・セットである。
 (2)については、去年の9月5日の項を参照。
 (3) 上記(2)の指揮者パウル・ファン・ネーヴェルの甥(おい)にあたるエリック・ファン・ネーヴェルによる、15~16世紀のフランドル(フランダース)地方にまつわる音楽家たちの宗教曲を集めている。
 あの(2)のパウルの洗練された指揮と比べれば、どこか素朴な温かみが感じられるけれど、それは彼の地元でもある、フランドル地方への思いが込められているからなのだろうか。
 (4) ドラティ指揮のハイドン交響曲全集は、レコード時代、録音に定評のあるデッカから、数枚づつのセットものとして販売されていて、私は、そのうちの2セットを持っていたのだが、今回、全集として購入して、やはり、ハイドンの交響曲そのものにも、ドラティの演奏にも改めて感心した。
 (5) ’08年12月13日、18日の項で書いていたCDであり、ハイドンの室内楽を心やさしく味わうことができる。
 (6) 驚異的な価格というだけでなく、十分に聞きごたえのある演奏である。確かにオーケストラ編成規模が小さくて、響きが少し薄い気もするが、ブルックナーの時代当時のことを考えれば、ご当地での演奏であることも含めて、まずは十分に納得できるものである。
 (7) これは、スーパー店内の催事場での、CD特売コーナーで見つけたものだが、あの古楽演奏団のアルバによる、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン等の中世の音楽を聴くことができる。
 (8) 去年の11月23日の項を参照。
 (9)、(10) ブリリアント・レーベルによる廉価盤新譜CDであり、この会社の企画力には、いつも感心させられる。ラモーの『コンセール集』は、それまではトリオ・ソネリーのものを聴いていたが、それ以上に穏やかで心地よく聴くことができる。ハープシコードのベルダーは、このブリリアント・レーベルではおなじみの奏者であるが、他にも、バッハの『平均律』(4枚組)も新譜として出ている。(10)は、フレスコバルディ全集の1枚だが、これからも続く楽しみな企画である。

 以上、私のささやかな楽しみでもあるクラッシック音楽だが、今では、自然界の音、鳥の声や風に吹かれる梢(こずえ)の音、水の流れる音や波の音などとともに、私をいやしてくれる音の一つなのだが、若いころには、それに加えて、もうひとつ、若い恋人のやさしい声があったというのに・・・。ミャーオ。
 おー、そうだった。ミャオ、今は、オマエの声があるからね。時々うるさい時もあるけれど、聞こえなくなると心配してしまう。そんなものなのだろう。」


 


ワタシはネコである(129)

2010-01-26 16:57:39 | Weblog



1月26日

 さすがに、あの春のような暖かさの陽気のまま、行くはずがない。その後は小雪混じりの日があったり、晴れていても風が冷たかったりと、寒い日が続いている。

 そんな寒いある日のこと、数日前のことだ。久しぶりに飼い主から怒鳴られて、驚いたワタシは、夕闇の中に飛び出してしまった。
 ただでさえ怖い飼い主の鬼瓦(おにがわら)顔が、怒りにゆがみ、大声をあげたからたまらない。ワタシは一目散にベランダに飛びのいて、さらに庭へと下りて逃げ出した。
 普通は、あの鬼瓦顔に似合わず優しい飼い主が、どうしてあんな風に、急に豹変(ひょうへん)したのか。ワタシは家から離れ、寒い暗闇の中を歩きながら、考えていた。

 その日、飼い主は買い物に出かけたらしく、それでもワタシの、サカナの時間に合わせて帰って来た。待ち遠しくて、飼い主に体をすりよせ、ニャオニャオ鳴いて、ようやく、生ザカナをもらう。
 おいしく頂いた後は、しばらくそのままベランダで、食後の毛づくろいをしたりしていたが、居間に座っている飼い主に向かって鳴いて、ドアを開けてもらい、さらに部屋のコタツの中に入る。
 しかし、サカナを食べた後で、エネルギーはみなぎっている。じっとしていられなくて、ニャーと鳴いて部屋のドアを開けてもらい、さらに居間のドアも開けてもらいベランダへと出て、夕暮れ前の庭に注意を払う。
 しかし寒いから、また鳴いて家の中に入れてもらう。その日は、なぜか落ち着かず、出たり入ったりと、短い時間に3回も繰り返した。
 
 その時、居間でパソコンに向かって手を動かしていた飼い主が、立ち上がってワタシに怒鳴ったのだ。もう何年も、その怒鳴り声を聴いていなかったから、ワタシは驚いて、逃げ出してしまった。
 確かに、チョロチョロと出入りを繰り返したワタシも悪いけれど、何もあんなに、80db(デシベル)以上はあろうかと思われるような、大声を出さなくてもよいのに。
 ここは静かな山の中で、ワタシも年は取っているが、まだまねき猫のように、前足を自分の耳に添えて聴かなければならないほど、耳は遠くなっていない。注意するなら、もっと優しく言って欲しい。こどものネコじゃないんだから。
 ほんとに、あの鬼瓦めが。そんなに、カッカして熱くなると、焼かれて、鬼瓦せんべいになるぞ、とワタシもムカついていた。

 しばらくして、ベランダから飼い主が、やさしくワタシを呼ぶ声がした。バカめ、帰ってやるもんか。
 少し離れたもの陰の所にいたのだが、寒さがズンズンと忍び寄って来る。
 そして、さらに飼い主が外に出てきて、例のネコ声をあげて鳴いて回っている。ワタシの近くまで来たが、ワタシは黙っていた。

 1時間くらいたって、もうワタシは我慢できなくなった。家に戻り、駆けあがって、ベランダの所で一声鳴いた。すると飼い主が、ドアを開けてくれて、例のムツゴローさん可愛がりで、オーヨシヨシと言いながら、ワタシの体をなでまわした。
 さらに、飼い主は、いつものストーヴの前にいるワタシの傍にきて、頭を下げては、何かを言っていた。恐らくは、ワタシに謝っていたのだろうが、ともかく相手が話すのを黙って聞いてやり、そして飼い主の顔を見て、短くニャーと鳴いてやった。

 二人っきりで暮らしていれば、どうしてもそれぞれに、やりたい事や思いが違ってしまうことがあるものだ。そんな時に、一人しかいない相手に、いつまでも我を張っていたって、問題は解決しない。大事なことは、お互いに相手のやりたい方向へ、少しだけ歩み寄ってやることだ。
 それは、自分だけが我慢することではない。またある時には、自分のわがままになるのかもしれないし、お互いさまなのだ。ふたりで一つの思いになるために、それぞれ、相手のことを思い、一歩近づいて行けばよいのだ。

 飼い主は、ワタシがいなければどれほど寂しくなるか、そのことが分かっただろうし、ワタシも少し大人げなく、飼い主が仕事していることも考えずに、ひとりはしゃぎすぎたのだと思う。
 まあこうして、年をとっても、まだまだ学ぶことは多いのだ。


 「つい、ミャオに怒鳴ってしまった。前回のブログを急いで書いている時のことだ。余りにミヤオが何度も出入りして、そのたびごとに、外の冷気が入ってくるので、ドアを開け閉めしなければならず、ついカッとなってしまったのだ。
 怒鳴った後、すぐに自分が悪かったと思い、ミャオに謝ろうとしたが、もうベランダから外に逃げ出してしまっていた。

 しかし、このままにして放ってはおけない。何といっても昔のこともあるし(’07年,2月10日,11日,13日の項)、また大変なことになるのではないかと、心配になってきた。
 しばらくして、外に出て、ライトで夜道を照らしながら、ミャオに鳴きかけて回ったのだが、返事もない。仕方なく家に戻ってしばらくしてから、ベランダでミャオの鳴く声がして、すぐに家の中に入れてやり、やっと安心した。

 今回のことは、すべて私の方がが悪い。ミャオは、私が北海道にいる間は、ひとりでつらい暮らしをしているのだから、少なくともこうして一緒にいる時くらいは、ミャオの思いどおりにさせてやるべきなのだ。
 ミャオには、ミャオのその時の気分があるのだから。それは、いろいろ買い与えたり、過保護にしたりして、甘やかすこととは別なのだ。
 それにしても、この年になってカッとして、キレるなんて、それもネコを相手にして、と自ら恥じ入るばかりである。

 昔は、キレることを、正しく、『堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)が切れる』と言ったものだが、今では、その言葉は会話体としては余り使われずに、私でさえ、あの『忠臣蔵』の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、松の廊下で刀を手にした時か、昔の頑固親父が放蕩(ほうとう)息子に向かって吐く言葉としてぐらいしか、思い浮かばないのである。
 大体、『かんにん』という言葉そのものが、関西圏とその影響下にある地域以外では、余り使われなくなった言葉でもある。『かんにんしてね』なんて、きれいなお姉さんに言われれば、誰だってすぐに許してしまう良い言葉なのだが。


 短縮語ばやりの昨今であり、キレるという言葉は、元の出どころから離れて、もっと冷たい感じで、すぐにカッとなり、暴力を伴う意味も多少含まれているようだ。昔、同じようにカッとなるという意味で、『あいつは瞬間湯沸かし器だから』なんていう流行語があったが、このほうが、人間的で温かみがあった。

 私たちの世代は、そのように、『堪忍袋の緒が切れる』という意味合いを教えられてはいたのだが、さらに繰り返し映画などで見たりすることによって、納得していたのである。
 例えば、こうした情景の一つとして・・・。その強欲悪辣(ごうよくあくらつ)な仕打ちに耐えて、我慢に我慢を重ねていた男が、ついに『堪忍袋の緒が切れて』、世の中の正しい道を全(まっと)うすべく立ち上がるのだ。
 『義理と人情を秤(はかり)にかけりゃ、義理が重たい男の世界・・・』
 雪の降る深夜の道を、抜き身の脇差しを手に、着物姿の男がひとり歩いて行く。今まで悪逆非道(あくぎゃくひどう)の限りを重ねて来た悪者一家に、殴りこみに行くのだ。その男は、怒りに燃えた眼で敵に立ち向かい、次々に切り倒していく。
 すべてが終わった後、自らも手負いの傷を受けたまま、ひとり出てくると、橋のたもとにいた女が駆け寄ってくる。彼女に、『後のことは頼んだぜ』と一言告げたまま、彼は警察への道を歩いて行くのだ。
 『・・・幼馴染(おさななじみ)の観音様にゃ、俺の心はお見通し、背中(せな)で吠えてる唐獅子牡丹(からじしぼたん)』(作詞、矢野亮・水城一狼)。

 ヤクザ映画全盛のころ、ひとり場末の映画館で、こぶしを握りしめていた私は、その高ぶる思いのまま外に出た。何事もなく、華やかにさんざめいている盛り場の雑踏の中、行きかう人々に抗(あらが)うように、私は肩で風を切って歩きだした。

 全く今にして思えば、恥ずかしいばかりの若き日の一シーンである。しかし、若者たちの、一本気な思いは、耐え忍ぶ時を経て、いつしか溢れんばかりの激情となって、ある時は怒りの舞台に、そしてまたある時は喜劇となって爆発し、その祭りの後は、いつも苦い後悔と涙の悲劇が訪れるのだ。
 しかし、いつの時代にも、そんな若者たちの気難しい思いを受け入れてくれる場所があり、やさしく見守ってくれる人々がいるはずだ。若さとは、無益な冒険をしては傷つき、学んでいくことなのだ。8割の失敗と、1割の成功があればよい。残りの1割は時の運だ。ただ、そのうちのどれを選択したか、だが。

 今の時代は、すぐにキレてしまう若者と、助けてと言えない若者(NHK・『クローズアップ現代』の特集)の両極端だけが目立つようだけれども、その元をたどると、何か同じ所にあるように思えてくる。
 ひとりの世界にこもることと、ひとりで外に歩きだすことは、同じひとりでやることにしても全く意味が違う。つまり、今、まだ若いうちに、『ゲーム器を捨て、コンビニを捨て、町を出よう』(寺山修二『書を捨てよ、町を出よう』)、ということなのだけれども。

 といったことを、山の中に引きこもって、ネコを相手にキレているオヤジが、若者たちに話すべきではないのに。まあ、人間というものは、いつも他人には厳しく、自分には甘い、まさに度(ど)しがたき存在なのだから。
 ミャオ、今日はい天気だな。散歩に行くべか。」

 
 


ワタシはネコである(128)

2010-01-22 21:16:17 | Weblog


1月22日

  何と暖かい日が続いたことだろう。最高気温は、三日前に12度、一昨日には15度、そして昨日などは、朝から10度もあったのだ。全くそれは、もう春先のころのようだった。
 
 そんな生温かい風に誘われて、ワタシは、とうとう一晩、家に帰らなかった。夕方の、サカナの時間の後、そのままベランダで、見張りをした後、家の周りの偵察(ていさつ)に出かけ、そして、家の物置で寝てしまったのだ。
 元来、ワタシたちネコ族は、一つの決まったネグラの他に、季節や、その時の気分に合わせて、他にも幾つかの臨時のネグラを持っているものだ。
 もっとも、すっかり人間家族の生活に同化して、マンションの一室から、あるいは一戸建ての家からでさえも、一歩も外に出ないネコもいるそうだが。それはそれで、人間化したネコたちということで、ある意味での進化なのかもしれない。

 しかし、一年のうち半分近くを、半ノラとして暮らさなければならないワタシにとって、幾つかのネグラを持つということは、そんな自然の中で生きていくために、どうしても必要なことなのである。
  いつ外敵が、自分のネグラに近づいていてくるかもわからないのだから、その時その時に応じての、退避場所を持っていなければならないのだ。今、飼い主のもといるような、閉め切られた安全な家の中ではなくて、いわば丸裸のネグラなのだから、それぞれを、臨機応変に使い分けなければならないのだ。

 さらにもう一つの意味もある。それは、出産のための準備だ。なるべく、人間たちや、他の動物たちが来ないところで、しかし、家の人からちゃんとエサはもらいたいから、余り家から離れた所ではいけない。
 もちろん、今のワタシは、年寄りネコだし、なにより子供を産まないように手術も受けているから、本当に子ネコを生む訳ではないのだが、なぜか暖かくなってくる春にかけて、そんな気持ちになってしまうのだ。

 恐らくそれは、ワタシの出自(しゅつじ)に関係しているのかもしれない。そうなのだ、実はこの物置小屋は、ワタシの生まれた所なのだ(’07.12.29の項)。


 「三日ほど、春を思わせるような暖かい日が続いた後、今日からはまた寒くなってきた。といっても、雪が降っていた時ほどの寒さではなくて、今朝の最低気温も0度くらいで、まだ暖かさがどこか残っている感じだった。
 北の地方での、雪の多さはともかくとして、全国的な気温で見れば、やはり今年も暖冬になるのだろうか。

 それにしても、1月の一番寒いはずの大寒の頃に、ここで気温が15度までもあがるなんて、全く、春そのものの感じだった。そんな暖かい日差しを浴びながら、ミャオと散歩をしていた時に、日当たりのよい草地に、何と一つ、小さな青い花が咲いていた。
 オオイヌノフグリである(写真)。もともと、冬から春に移り変わる時に、一番先に咲く花であり、どこにでも見かける雑草の一つだが、まだ日陰には雪も残っているし、この冬のさなかなのにと思う。
 そして、大多数の仲間たちと離れて、こうしてひとり生きるものたちのことを、思い出してみた。

 あの霜柱の土の上で横になっていた一匹のキチョウ(1月9日の項)、ただ一匹で鳴き続けて、ひとり死んでいたエゾハルゼミ(5月24日、6月3日の項)。そこには、それら生き物の数と同じだけの、ただ生きては死んでいったドラマがあるのだ。

 最近、録画しておいたままの映画を3本ほど見た。その一つは、『レ・ミゼラブル』(1995年・フランス)である。
 3時間に近い大作であり、覚悟して見なければと、長い間放っておいたが、見始めるとそのまま一気に見てしまった。そして、様々な意味で面白かった。

 ヴィクトル・ユゴーの有名な原作(1862年)を、現代に生きるフランスの人々にとっても身近な話になるように、その約100年後の物語として移し変えている。
 監督は、あの『男と女』(1966年)の斬新な映像で、一躍、時代の脚光を浴び、その後も、『白い恋人たち』(1968年)や『愛と哀しみのボレロ』(1981年)などの名作で有名なクロード・ルルーシュ(1937~)である。
 いつものように、彼は製作・監督・脚本の三役をこなし、音楽はフランシス・レイの他にミッシェル・ルグランも加わり、さらに、俳優陣も豪華な顔ぶれである。
 
 ジャン・バルジャンを改心させるきっかけを作ったあの博愛の司教役にジャン・マレー(『オルフェオ』’50、『白夜』’57)、女子修道院の院長に、ミシュリーヌ・プレール(『肉体の悪魔』’47、『まぼろしの市街戦』’67)、農家のおかみさん役に、アニー・ジラルド(『若者のすべて』’60、『遠い日の家族』’85)など書いて行けばきりがない。
 つまりは、子供のころ見たお正月公開の、東映時代劇オ-ルスターキャスト映画みたいなもので、主演があのフランスの国民的俳優のジャン・ポール・ベルモンドとくればなおさらのことだ。

 始まりの、タイトルバックでは、ベルモンド扮するジャン・バルジャンが、自分が金をまきあげ逃げて行った煙突小僧に、オレが悪かった、戻って来てくれと泣きながら、改心する、あの有名な場面である。
 フランス人ならだれでも読んだことのある、『レ・ミゼラブル』を、監督のルルーシュは、原作どおりに、昔という時代に、劇的な運命に翻弄(ほんろう)された、ある男の人生をたどるのではなく、今の時代から見ても分かるように、その時代の中で、自らの人生を切り開いて生きてきた男の物語として、描いている。

 その物語は、20世紀を迎えるパリの社交界のダンス・ホールのシーンから始まる。昔の映画、『会議は踊る』(1931年)のころである。新世紀の幕開けの、カウント・ダウンの音頭を取るのは、将軍役に扮した往年のあの名脇役のロベール・オッセンである。
 その紳士淑女が踊る、輪舞は見事にラスト・シーンへとつながるのだ。

 さてそこに参列していた伯爵の運転手であった、主人公の父親が、無実の罪をかぶせられ獄死して、母親にも死なれた子供のアンリは、やがて、プロボクサーとなって活躍し、引退後は自らトラックを運転しての引っ越し屋になる。そこで知り合った、ユダヤ人弁護士一家の亡命を手助けもするが、やがてそのドイツ軍占領下のフランス、ノルマンディーに連合国が上陸し、彼もレジスタンスの一人として、戦いに参加する。そして、大団円(だいだんえん)のハッピー・エンドを迎える。

 その物語に、原作通りの話が時々挿入(そうにゅう)され、さらに劇中劇として、同じ原作の昔の映画(『噫(ああ)無情』1925年)を見るシーンもあり、原作の物語を読んでいないと、アレンジ作品としての面白さが分からないかもしれない。
 私が、この『レ・ミゼラブル』を読んだのは、高校生の頃で、そのころは『ああ無情』という名前で知られていて、青少年文学の抄訳(しょうやく)版として読んだだけであるから、記憶も薄れがちで余り大きななことは言えないのだが。

 この映画について、いろいろと書きたいことはあるのだが、またもや、駄文を長々と連ねることになってしまうから、ここは一つだけ。
 あのユダヤ人の弁護士は、負傷して妻とはぐれ、田舎の農家夫婦に助けられ、かくまわれるのだが、その農家の妻が、都会の男でもあるそのユダヤ人の男に好意を持つようになる。そんな毎日の中で、農家の妻の思いが、一気にほとばしり出る。その時の、アニー・ジラルドの演技のすさまじさ(脚本を書いたルルーシュもさすがだ)。

 ともかく、主演のジャン・ポール・ベルモンドは、まさしく堂々演技してりっぱだけれど、私には、それまでに彼が映画の中で演じてきた(『勝手にしやがれ』’59、『リオの男』’63、『気違いピエロ』’65、『ボルサリーノ』’69などの)、粋なパリジャンで、いなせな都会の男で、ユーモアに満ち、アクションも一流の役どころのイメージが強すぎて、どうしても、あのジャン・バルジャンの雰囲気からは離れて見えた。(だからこそ、ルルーシュは、100年後のボクサー役として演じさせることにしたのだろうが。)

 この『レ・ミゼラブル』は、1957年に、フランス映画としてあのジャン・ギャバン主演でも映画化されており、私も後年、見た記憶があるが、このほうが原作に近い暗さを秘めていたように思う。さらに1998年に、あのピレ・アウグスト監督による、英・米・独製作の映画として公開されているが、英語で話すジャン・バルジャンは、余り見る気がしない。もう一つ、2000年に、あのドバルデュー主演で、テレビ・ドラマ化され、(NHKでも英語吹替え版として放送され)、原作に忠実に作られているとのことだが、いずれも私は見ていない。

 さて、フランス映画の監督といえば、トリュフォーとロメールの二人が、私のお気に入りなのだが、ルルーシュもまた、フランス映画を代表する一人であることに間違いはない。原作映画化が難しいこの作品を、見事にアレンジして、私たちに見せてくれたその手練手管(てれんてくだ)は見事なものである。
 ただ、この映画を、私が、原作も読まずに若いころに見ていたとしたら、長くて少し退屈な映画と思ったかもしれない。
 今、年をとって、ここまで生きてきたおかげで、様々なことを見知ることができて、いろいろと物事が分かるようになってきた。年をとることとは、そんなふうに、実は周りのものが良く見えるようになって来て、ありがたいことでもあるのだ。

 すっかり話しが長くなってしまったが、後の二本はウッディ・アレン(1935~)の作品である。最近のアメリカ映画、特にハリウッド系映画などは見ることもないのだが、例外的に、イースト・コースト系のもので、特に、都会的な洗練されたセリフと、洒脱(しゃだつ)さが光る、このウッディ・アレンの映画だけは、いつも見てみたいと思う。
 ウッディ・アレン作品といえば、そのほとんどに駄作がないといっても過言ではない。数多くの中からあげるとすれば、『アニー・ホール』(’77)、『インテリア』(’78)、『カイロの紫のバラ』(’85)、『ハンナとその姉妹』(’86)、『ラジオ・デイズ』(’87)と、これまたきりがない。

 ところで、今回見たのは、『メリンダとメリンダ』(’04)と『マッチ・ポイント』(’05)である。前者は今までの、いわゆるニューヨーク派のウッディ・アレンらしい作品で、楽しめたのだが、後者は、イギリス上流階級に入って行ったアイルランド出身の貧しい青年の出世物語であり、その筋立てには、昔の映画『陽のあたる場所』(’51)や『太陽がいっぱい』(’59)などのストーリーと重なるところがあって、彼らしくない映画だと思った。
 ただし、この二作品ともに、さすがに会話の組み立て、話の続き具合は、相変わらずに見事であり、先にあげた、フランス映画のエリック・ロメールとともに、私がいつも感心する話し上手な作家、プロのセリフ書きの作家であると思っている。

 映画の話ばかりで、ここまで続けてきてしまったが、最後に、先にあげた映画『レ・ミゼラブル』の、エンド・タイトルで流れていた歌の言葉を。」

 『希望のない時代だった、誰もが哀れだった、誰もがジャン・バルジャン、女も愛人も、悪人も伊達男も、砂の城のようにはかないもの・・・』。


ワタシはネコである(127)

2010-01-18 10:06:24 | Weblog



1月18日

 晴れた日が続いている。朝夕は、相変わらず冷え込んで寒いけれど、昨日は朝から一日中、陽が降り注いでいて、ワタシは午前中に、飼い主からベランダに出されて、そのまま、そこで寝ていた。
 久しぶりのことだ。確かに、ストーヴの傍は、暖かさが一定していて、居心地が良いけれど、やはり戸外の方がいい。空気はまだピリッと寒いところもあるけれど、何といってもこの体全体を包んでくれる、日差しの暖かさには格別のものがある。

 昼過ぎ、ベランダの洗濯物を裏返しに来た飼い主に、ミャーオと鳴いて、あごで外の方を指す。すると飼い主は、「へい、へい。分かりました。」とえらく低姿勢で答える。前の日のことがあったからだろう。
 ワタシが玄関の方へ向かうと、飼い主は、すぐにドアを開けてくれて、ふたりで外に散歩に出る。まだあちこちに雪が残っているが、道の所はほとんど溶けている。

 飼い主の歩きに合わせて、ワタシもこころもち、馬のなみ足の速さで、ついて行く。ふたりして、将来、介護施設の世話にならないように、日頃から運動していることが大切なのだ。
 いつものコースを回って歩いてきたが、途中で、他のノラネコたちの、マーキングの臭いが気になって、その辺りを行ったり来たりしていると、飼い主は待ちくたびれて先に帰ってしまった。
 まあいい。今日は天気も良いし、何よりこの暖かさだ。しばらく、他のネコたちの動静を探ったりして、外の雰囲気を十分楽しんでから帰るとしよう。

 夕方前、ワタシの体内時計で計って、ちょうどサカナの時間になるころに、家に戻ってきた。飼い主は、「オーヨシヨシ」と言って体をなでてくれ、すぐにサカナを出してくれた。
 ワタシは、飼い主が何か言っているのに、返事するかのように声を上げながら、サカナにむしゃぶりついた。そうなのだ、一昨日は、全くどうなる事かと心配して、気が気ではなかったからだ。

 一昨日、ワタシは、陽が落ちて、すっかり夜の闇と寒さが忍び寄る中、ただひとり、ベランダに座って、飼い主の帰りを待っていたのだ。もしかして、もうワタシは放り出されて、飼い主はまた、北海道へ行ってしまったのではないのかと。


 「朝はまだ、-7度、-5度などと冷え込んでいるけれど、日中は気温が10度近くまで上がって、もう冬が終わったかのような感じで、遠くに見える山の雪も、大分溶けてしまった。
 こうした青空が、三日も続けば、本州や、北海道の山なら、全く冬山での縦走日和になる(もっとも暖かくなると、雪崩が怖いが)。しかし、ここ九州では、雪の日のすぐ後に山に行かないと、雪は溶けてしまうのだ。
 一昨日は、朝から曇っていた。天気予報は、午後から晴れるということだった。しかし、なるべく早く出ないと、そのぶん、山にいる時間が短くなってしまう。じりじりした気持ちで、空模様を気にしていた。
 そこで、ネットのライブ・カメラで見てみると、何と九重の山の上には、少し雲がかかっているだけだ。急いで支度して、ストーヴを消し、けげんそうに見るミャオを外に出して、家を出た。

 圧雪アイスバーンの道を通って、登山口の牧ノ戸峠(1330m)に着いたのは、10時前で、さすがに遅すぎた。駐車場は、もう満杯の状態で、それでも何とか手前の空き地にクルマ停めることができた。
 土曜日だから、高速料金は安くなるし、皆がやって来て、山が混むのは分かっていたから、できることなら避けたかったのだが。この前の週もそうだったし、雪が降った後、土曜日になって晴れてくるのだ。
 明日から、晴れの日が続いて、雪はすぐに溶けてしまうだろう。行くなら、今日しかなかった。

 登山口から登りだすと、遊歩道は霧氷の木々のトンネルになっている。背景の青空がきれいだ。展望台の所で、三俣山(1745m)が見えてくる。霧氷のミヤマキリシマツツジを前景に、何度見ても素晴らしい眺めだ。
 後は、沓掛山(くつかけやま、1503m)からの縦走路をたどる。登山者はもう戻ってくる人たちもいるが、思ったほどには多くはなかった。雪は、しまっていて歩きやすく、何より、左右に続く霧氷が、青空の下に鮮やかだ。

 扇ヶ鼻(1698m)分岐を過ぎて、久住山(1787m)へのメインの縦走路と分かれて、左に急な尾根道を登る。平日だと、足跡もない雪の上を行くのだが、さすがに休日だ。幾つかの足跡が、道になって、トレースされている。
 一面の雪の上を行く楽しみはなくなるが、ルートを探さなくていいし、頭上の枝から落ちてくる雪がないのが助かる。そして、星生山(ほっしょうざん、1762m)頂上付近まで上がってくると、吹きさらしの尾根に、エビのしっぽや、シュカブラ、氷紋などの、雪と氷が作る造型が素晴らしい(写真、後ろは久住山)。

 毎年、同じ場所で同じ形になるとは限らない。それだから毎年、登っては、その氷雪紋様を見たくなるのだ。
 九重山は、火山群の集まりだから、標高の割には、森林限界が低く、裸地や、吹きさらしの尾根になり、氷雪の造型が見られるのだ。それは、雪が降り続き北西の風が吹き荒れた後、九重の山々のすべての頂上付近で、どこでも見ることができる。
 この、プチ冬山の楽しみのために、私は、雪と寒さを狙って、山に登るのだ。ただだ望むらくは、山中に泊って、この光輝く氷雪の姿を、朝夕に見てみたいのだが、家にいるミャオのためにそれができない。

 星生山から、星生崎へと縦走し、そして天狗ヶ城(1780m)に登り、眼下に完全凍結した御池を見ながら、最高峰の中岳(1791m)には登らずに、下をぐるりと一周して、星生崎下に戻り、西千里浜の縦走路をたどり、沓掛山に着く。
 そこで、30分ほど待って、夕日に映える、三俣山、星生山、扇ヶ鼻等の姿を眺めた後、急いで、牧ノ戸峠の駐車場に戻った。もう、6時に近かった。
 すでに、-5度まで冷え込んでいて、帰りの下りの雪道を心配したが、ありがたいことに雪はほとんど溶けていた。それでも、ライトをつけての冬道は、気が抜けない。

  ようやく、家に着く。暗闇の中、ミャオが、鳴きながら近づいてくる。悪かった。今まで、こんなに遅くなったことはなかったし、何より寒くて、心細かったろうと、本当に申し訳ない気がした。すぐに、サカナを出してやる。
 それを食べた後、ミャオは何事もなかったかのように、ストーヴの前でいつものように寝ていた。
 美しい雪山の姿を眺めて、無事に家に帰りつくことができたし、ミャオも、ちゃんと待ってくれたのだ。簡単な夕食を終えて、熱い風呂に入ると、7時間歩き回った疲れも、心地よいけだるさに変わり、ああ、良い一日だったと思う。

 そして、昨日今日と、さらに快晴の空が広がる。遠くに見える九重の山々の雪も大分溶けてしまった。北海道、東北、北陸と、大雪に見舞われて困っている所もあるというのに、次に、雪が降って山に行けるのは、いつになるのだろうと、心ひそかに思ってしまう。
 雪だけではない、雨が降って困る人も、雨を待ち望んでいる人もいるし、風が吹く吹かないだけで、影響を受ける人もいる。

  ただ、私は、雪をつけた山の姿を見たいだけなのだが・・・。「願わくば、雪の上にて、冬死なむ、その望月の、如月(きさらぎ、二月)のころ』・・・とまでは思わないが、ちなみに私が生まれたのは、冬の季節である。」


 


ワタシはネコである(126)

2010-01-14 19:07:27 | Weblog



1月14日

 昨日は、一日中、雪が降り続き、強い風の音が聞こえていた。今日は、いくらか天気も回復して、時折日も差しているが、まだ外は寒く、さらに一面に雪が積もっている。トイレに出る以外は、家の中にいるしかない。
 それまでは、雪が降っても、すぐに日が差してきて雪は溶けてしまい、その晴れ間に、飼い主と一緒に、散歩に出かけられたのに。そして、その時の写真を見てもらえれば分かるように、寒がりのワタシだけれども、今日のような一面の雪ではないから、ちゃんと歩いて行けたのだ。

 もっとも、良く見れば、ワタシの足先が、ちゃんと雪の溶けている草の所にあるのが分かるだろう。ワタシの足先の肉球からも、雪の冷たさが伝わってくるから、できれば雪はよけて歩きたいのだ。
 ワタシたち動物は、人間と違って、自分の手先、足先のそれぞれの位置感覚と、しっかりしたバランス感覚を持っているから、いちいち自分の足先を見なくても、それぞれの四つの足先の位置が分かるのだ。
 それだから、自分の足幅くらいしかない所でも、最初、先の方をじっと見ただけで、後は難なく通り抜けられるのだ。

 人間たちは、例えば長く伸ばした平均台の上を、踏み外すことなく歩いて行けるだろうか。おそらく、そんなことができるのは、訓練された体操競技の選手たちだけだろう。
 つまりそれは、その昔、人間たちもまた当然ながら、動物の一種類としての機能を持っていたはずなのだが、それらの運動能力や感覚を、他の目的のためにあえて退化させてきたからなのだ。
 二足歩行の後、自らたどるべき進化の方向を定めた人間たちは、長い時間をかけて、自分の身体能力や機能を退化させ、ただ思考する力だけを発展させようとしていったのだ。
 ということは、進化の過程の中でとらえれば、人類は、やがて二つの種類へと枝分かれして行くのかもしれない。一つは、文明の利器に頼って自らは余り動こうともしない、頭脳だけが恐ろしく発達して、それを支える余りにもぜい弱な体を持つ種族と、運動機能だけを特化して、強固な体を持つようになった種族とに。もっともそれまで、人間が生き延びるかどうかは分からないが。

 ともかく、いろいろと勝手に妄想してみると面白い。飼い主は、どちらのタイプになるのだろうか。例えば、気持ちよく寝ているワタシに、握りっ屁(へ)をかましたり、くだらないお笑い番組を見てはゲラゲラ笑ったりしている姿を見れば、とても頭がいいとは思えないし、かといって、ガンガン動き回るスポーツマン・タイプでもないし、最近、背中を丸めて歩く姿なんざあ、全くただの屁こきじいさんだ。
 ああ、くだらない。余計なこと考えるよりは、今、気持ち良くストーヴの前で寝て、サカナの夢でも見た方がましというものだ。


 「昨日は一日中、荒れた風雪の天気で、気温は、朝のー6度からー2度までしか上がらずに、真冬日になり、今日はさらに冷え込んで、-8度。家の窓ガラスも内側から凍りついていた。雪はやんで、青空も出てきたが、まだ風も強く、今日もマイナスのままの真冬日だ。
 雪の山に登りに行きたいのだが、またこのまま曇って、明日も曇り空とのことだ。晴れるのは、土日になってからで、そして暖かくなるとの予報だ。そうすれば、雪も溶けてしまうだろう。十分な時間があっても、なかなか思いどおりには行かないものだ。

 ということで、どこにも出かけずに、ずっとミャオと家にいたのだが、退屈することはなかった。一つには、大きな液晶テレビの画面で、NHK・BSの様々な番組を録画で見たりして、楽しめたからだ。

 まずは、山関係のものからだ。1月11日から三日間、アルプス・トレッキング案内の、オーストリア編、スイス編、イタリア編が続けて放送された。もう何回も再放送されているものだが、やはりこの鮮やかな大画面で見るアルプスの光景は素晴らしい。若い時に訪れた、アルプスの山々を、なんとかもう一度、目の前で見たいものだ。
 そして、この春から放送される予定の、世界の高峰に登る『グレート・サミッツ』。その予告総集編が、1月10日に放送された。私にとっては、こうした世界の山々に登ることなどもうできないだろうが、それでも、他の山好きな人と同じように、画面で見て楽しむこともできるのだ。
 さらに、もう一つの登山番組、こちらの方が本来の意味での登山なのだろうが、極限を登るクライマー達の記録映像である。1月14日、『白夜の大岩壁に挑む』。
 あの有名なクライマー山野井夫妻と木本氏の三人が、グリーンランドにある大岩壁に挑む姿を、見事に緊迫感あふれる映像としてとらえている。これも何度目かの再放送であるが、やはり見ていると、いつしか引きずり込まれてしまう。
 もう一本は、1月4日放送の、『7(セブン)・サミット』。人生の目的をを見つけられずにいた若者が、山に登ることに目覚めて、世界の大陸の最高峰に登っていく記録であり、撮影者のいない単独行での、自らの姿を映し続けた映像は、臨場感にあふれている。
 実は、この映像の幾つかは、彼の出身地である北海道の民放で、すでに去年に放送されていて、その時、北海道にいた私は見ていたのだが、やはり何度見ても、彼の熱い思いが伝わってくる。

 次に、アート関係では、4時間にわたる番組で、まだ全部は見ていないのだが、1月3日の『夢の美術館 魅惑の国スペイン』が素晴らしかった。ある有名俳優の紹介者などは、余分だったのだが、それでも、ベラスケスやゴヤ、エル・グレコ、ピカソなどの絵画と、彫刻、建築の数々が、次々に大画面に繰り広げられる。
 建築といえば、これも再放送だが、1月6日の『夢の美術館 世界の名建築100選』。しかし、これは余りにも総花的で、一つ一つの紹介の時間が短すぎて、落ち着いて楽しむことはできなかった。

 そして、オペラでは、前に書いた『ばらの騎士』(1月3日の項)の他に、1か月前に、フンパーディンク(1854~1921)の『ヘンゼルとグレーテル』、数日前にヤナーチェク(1854~1928)の『利口な女狐の物語』が放映されていた。どちらもメルヘン的な舞台劇であるが、その昔レコードで聴いたことがあり、久しぶりの懐かしい思いがした。
 オーケストラ・コンサートについては、前に書いたとおりである(1月3日の項)。

 映画については、残念ながら、余り見たいと思うものがなかった。ただ一つ、昨日、あのフレッド・ジンネマンの名作『わが命つきるとも』(1966年)が番組表に乗っていて、これも何度目かの放映であるが、ともかく録画しておくことにした。

 ともかく、今まで、21型のブラウン管テレビで見ていたものが、大型液晶画面に代わると、何もかもが新鮮で、画面の隅々まで興味深く見ることができる。
 ただでさえ、出不精(でぶしょう)、(デブ症ではない、念のため)、の私が、このテレビのおかげで、ますます映画館に行かなくなり、コンサート会場にも足を運ばなくなってしまうだろう。

 『朝は四本脚で、昼間は二本脚になり、夜には三本脚になるものは何か』、というスフインクスの問いかけには、三本脚が増えた今では、当のオイディプスならずとも、誰でも簡単に答えられるだろう。
 ただ、私は、いつかその三本脚になったとしても、自分の家にいて、その日が来るまで、自分の好きなものに思いをはせながら、しぶとく生き続けたいと思っている。ミャオが、神の御心のままに、そうであるように・・・。」


 


ワタシはネコである(125)

2010-01-09 19:19:10 | Weblog



1月9日

 ワタシは、どうも最近、すっかり、寝ぐせがついてしまっていたようだ。もちろん、それは、一日中、雪が降ったりやんだりの天気が続いて、余り外に出られなかったこともあるのだが。
 昨日から、ようやく風も弱くなり、今は穏やかに晴れている。飼い主は、家の中や外で、何かゴトゴトと物音をさせた後、洗濯ものを干しにベランダに出たようだ。そして、ワタシが寝ている部屋に戻って来て、言った。
 「ミャオ、いつまで寝ているんだ。」 と座布団ごとワタシの体を、ベランダに運び出した。
 冗談じゃないよ。まだ外は寒いというのに。ちなみに、一昨日は、風が強く、一日中マイナスの気温の真冬日だったし、昨日今日と、朝はー5度まで下がっているのだ。
 そんな寒さなのに、外に出す気か。ワタシが、いくらヤマネコと同族とはいえ(前回参照)、すっかり、ストーヴの暖かさに慣れた体では、それは無理というもの。お試しかっ!と文句を言いたいところだが、いざ日の光に包まれてみると、寒いけれども以外に暖かいのだ、これが。

 そこでしばらく横になって温まった後、ニャーと鳴いて、飼い主の顔を見上げて、散歩に行こうと呼びかける。すると飼い主は、オーヨシヨシといって、やりかけていた仕事をやめて、ストーヴの火を消したりして、支度をした後、ワタシと一緒に玄関から外に出る。
 毎日、天気が悪くて、外にも出られず、寝ているか、面白くもない飼い主の顔を見るしかなかったワタシにとっては、こうやって外に出られるのは、何よりも嬉しいことだ。
 辺りの臭いに鼻を向け、次に目を凝らしては、何か動くものはないかとじっと見る。そして、先に行く、飼い主の後を追う。
 20分ほど歩いた後で、陽だまりの所で座り込むと、飼い主は先に帰ってしまう。昔なら、そこで、他のネコや鳥などを待ち構えて、半日過ごしたりもしていたが、今は、もう年だから、そんな冒険心も、好奇心も薄れてしまった。すぐに、家に帰ることにしている。
 毎日、同じ鬼瓦顔ばかり見ていて退屈だとはいっても、何より、安全で、暖かく、エサがある飼い主のもとが一番なのだ。年寄りネコになれば、そうして、毎日、何も変りなく、穏やかに時が流れていけば、それで良いのだから。


 「今日は久しぶりに、終日快晴の天気で、遠くの白く雪に被われた山々も、良く見えていた。そんな日に家にいると、どうにも落ち着かない気持ちになる。
 山に行けば良かったのにと、少し残念に思うからだ。しかし、山に行くべきだったのは、むしろ昨日の方だった。
 それまでは、風雪の日が続いていて、昨日はようやくそれが収まり、朝の雲がとれて、午前中には見事な青空が広がり、雪の山々が良く見えたからだ。九州で雪山を楽しむためには、雪の降った次の日の朝早く行かなければならない。
 しかしその日の予報は、曇りだったし、晴れてから出かけることになれば、夕方の景色を取りたいし、そうするとサカナの時間を待っているミャオが気になる。さらに今日は土曜日で人が多いだろうから、行けないし、というわけで、この二日間は、少しつらい思いをした。
 その他にも、この数日は、いろいろと、家の内外で動き回る仕事があって忙しかったからだ。というのは、ついにこちらでも、年末年始のバーゲンで地デジ液晶TVを買い、その設置で、ひとりてんてこ舞いの忙しさだったからだ。
 まずは、20数年前の古いアンテナを取り換える。屋根の上に上がると、雪は溶けていたものの寒いし、前のアンテナが錆びついていて、支柱もポールもなかなか外せないし、そこからのケーブルを取り込み、家の中での引き込み、さらにブラウン管TVとの配置換えで、大きな家具を動かさなければならないし、それを一人でやるのだから大変だ。
 さらに、ここは山の中で映りにくい所だから、アンテナ・ブースターを取りつけて、ようやく、地デジ(全部で5局だが)が見られるようになった。

 しかし、苦労の甲斐あって、大型画面で見る(前のブラウン管は’93年製造の21型TVだった)、画面の迫力、鮮やかさ、まして見たい番組の多いBSの素晴らしさ。ああ、生きていて良かった。
 これで、このテレビと、ミャオがいて、山に登れれば、これから先も、こんな山の中でも、なんとか生きていけると思った。

 とは言ってみたものの、時は流れ、世の中も移り変わり、何事も変わらぬものはないのだ。ミャオが次第に年寄りになってきているように、私もやがては、年老いてしまうだろう、テレビに山に、と喜んでいたのは、ついこの前のことなのにと・・・。

 『ゆく河の流れjは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。』とひとしきり世の中のことを嘆いた後、最後に・・・。
 『ただかたわらに舌根をやといて、不請、阿弥陀仏(あみだぶつ)、両三遍申して止みぬ。』、つまり、後は御仏(みほとけ)の心に任せて、南無阿弥陀仏と三回唱えるしかないのだろう。(以上『方丈記』より)

 ただ、何も考えないわけにはいかない、しかし考えすぎるのも良くない。つまり、ひとしきり考えた後は、ただ、時の流れに身を任せて・・・無心になって、神の御前にあるごとく・・・。

 数日前の日のこと。その日は、前の寒波と今の寒波の間の日で、前の日には、南風が吹き込んで、気温が10度までも上がっていた。それでも朝は、冷え込んでいて、-3度くらいだったのだが。
 午前中、私はミャオと一緒に、いつもの散歩に出かけた。そしてゆるやかな坂道にさしかかった時、道の左手の日陰になった荒れ地の所に、まるで蛍光色のように色鮮やかな、黄色い紙きれが落ちているのを見た。
 風に飛ばされてきたのだろうと、近づいてみると、何とそれは一匹の蝶だった。
 それは、珍しくもない、キチョウだった(写真)。モンシロチョウやモンキチョウとともに、春から秋にかけて、ごく普通に見られる蝶である。
 しかし、今は厳冬の1月だ。どうしてこんなところにやって来たのだろう。近づいて良く見ると、霜柱の土の上で、横になってもう死んでしまっているようだった。
 かわいそうにと思って、指先で羽根をつまんだところ、何と前足が少し動いていた。生きているのだ。もっとも、私の手を離れて、飛び立つほどの元気はなかった。
 そこで、日の当たる枯れ草の上へと、移してやった。しかし、そのキチョウは、横になったまま少し動いた後、また動かなくなった。
 私は、ミャオといつもの所まで行って、そこで座り込んだミャオを残して、再びあの蝶のいる所まで戻ってきた。蝶は、そのまま、そこで横になっていた。私には、それ以上のことは何もできなかった。

 そして、次の日、同じ道をたどってミャオと散歩に行った。しかし、もうそこに、あのキチョウの姿はなかった。
 元気にどこかに飛んで行ったのか、それとも、鳥や獣たちに食べられてしまったのか。分からない。

 半年ほど前、北海道の家の林の中で、ひとり鳴いていたエゾハルゼミのことを思い出した(去年の5月24日、6月3日)。
 そこに、何かのつながりがあるという訳ではない。ただ、季節外れの、一匹だけのエゾハルゼミと、一匹だけのキチョウのことを思ったのだ。」

 『てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡って行った』(安西冬衛) 


ワタシはネコである(124)

2010-01-03 21:33:29 | Weblog



1月3日

 ワタシはネコである。子供の時には、まだ名前がなかった。そのころは、他のネコ仲間と集団で暮らしていたのだが、その時の飼い主であったおばさんが、ある日突然、すべてのネコたちを前に解散を宣言してしまった。
 そこでワタシは、今の飼い主の家に拾われて、名前をつけられて、ミャオと呼ばれるようになった。その辺りの詳しい事情は、飼い主がこのブログを書き始めた、二年前の冒頭の記事にあるとおりだ(’07.12.28~’08.1.9)。
 もっとも、それらのことは、ワタシにいわせれば、裁判記事でよく書かれているように、おおむね供述書通りであることは認めるが、多少は違っているところもある。しかし、何も細かいことを、今さらとやかく言うつもりはない。今を、まあ過不足なく生きていられるのだから、それで十分である。

 さて、今年は、人間世界で言う十二支の一つ、寅年になるそうだ。ワタシの指は肉球で、折り曲げられずに、十以上の数は数えにくいのだが、確かもう15歳にはなるはずだ。
 外見は、元気に見えても、日常の動作一つ一つに、寄る年波を感じてしまう。ダーっと走って行って、樹に駆け登ることとか、目の前の段差をジャンプするとかができなくなってしまった。
 飼い主が言うには、それは食っちゃ寝を繰り返して、すっかりメタボ体質になった、ワタシが悪いというのだが、その前に、飼い主も自分の姿を鏡に映して見てほしい。

 「おのれの、みにくい太ったイノシシのような体を、鏡で見ていると、いつの間にかあぶら汗がタラーリ、タラーリと流れ落ちてくる。その汗を集めて、三日三晩、大釜で煮詰めて、出来上がったのが、この鬼瓦(おにがわら)印の、メタボ油。
 これを塗れば、たちどころに、アホになり、ぐうたらになり、あーヨイヨイになる。さあ、さあ買った買った。」
 アホくさ。そんなもん誰が買うか。自分で塗って、もだえていれば。

 それはともかく、寅年の今年は、同じネコ科の動物である、ワタシたちの年でもあるのだ。聞くところによれば、ネコ科といっても、いろんな種類があるそうだ。
 まずネコ科は、大きくネコ亜科とヒョウ亜科に分かれ、トラやライオン、ジャガー、ヒョウなどは、そのヒョウ亜科の中のヒョウ属になっていて、一方のワタシたちイエネコは、ヤマネコとともに、ネコ亜科の中のネコ属として分けられているのだそうである。
 または、単純に、体の大きさで、大きなネコ科のものと、小さなネコ科のものに分ける場合もあって、だから人間たちが時々、トラになるとか、ネコになるとか言うんだろうか。
  
 さて昨日、今日と青空も広がり、幾らか暖かくなってきた。飼い主と一緒に、いつもの散歩にでも行こう。


 「大みそかは風雪混じりの一日で、元日には5cmほどの雪が積もっていた。昨日の朝はー7度まで下がったが、その後南風が吹きつけて、一気に気温が10度近くまで上がり、夜には、雨も降って、雪はすっかり溶けてしまった。
 ここは、九州の中では寒い、山の中である。とはいっても、こうして簡単に雪は溶ける。やはりあの北海道とは、えらい違いだ。

 その北海道の十勝地方では、友人からの話によれば、12月中には、-25度までも下がったし、雪はもう70cmも積もっているとのことだ。元日にも、雪がほとんどない年もあるというのに。確か、今年の予報は、平年並みもしくは暖冬になるだろうとのことだったが。

 こういうことがあるから、地球温暖化の緊迫感が薄らいでしまうのだろう。あの、世界中が集まってのCOP15会議(正確に書くと、国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議という長い言葉になる)で、話がまとまるわけはないのだ。
 とはいっても、一年ごとの誤差内に収まる小さな変動はともかく、50年、100年、あるいはそれ以上の長いスパンでみれば、地球温暖化が進行し、地球環境が悪化しているのは目に見えているし、誰しも、幾らかは肌身に感じているのではないだろうか。
 もっとも、他方では、少数派ながら、地球温暖化などは確実なデータもないウソの話だ、と断言する人々もいるのだ。

 いずれは、こうしたもろもろの諸問題も、前回に書いたように、すべて、時が解決してくれるのだろうが、問題はその結果を知るのは、私たちのずっと後の世代だということだ。
 そのことを意識するべきか、せざるべきか。それが人間の一生であれば、途中で、自ら気づくことにもなるのだが。

 人は、いつも時の流れの中にいる、自分を意識する。特に、自分の容姿や力が衰えてくる、中年期から老年期を迎えては。
 そこで、思うのだ、もう自分は若くはないと。そこに、落日の悲哀を見るのか、それとも穏やかな夕映えの光を見るのか。

 元帥(侯爵)夫人マリ・テレーズは、人生の落日の始まりの悲哀を知りつつ、これからはこの夕映えの光の中で生きていこうと思うのだ。リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)のオペラ、『ばらの騎士』は、この元帥夫人を中心にして、好色オヤジの男爵と若い二人などの思いを交えて、18世紀ウィーンの、やがて落日に向かう最後の夕映えの中の、貴族社会の情景が描かれている。
 物語は、容姿の衰えが気がかりになってきた美貌の元帥夫人が、その若い恋人であるオクタヴィアンが、彼にふさわしい若い娘に恋をしたのを知ると、自分はあきらめて身を引く、というものだが、それを単純な、金持ち夫人と若いツバメの不倫ドラマに終わらせないのが、さすがに名手リヒャルト・シュトラウスの、見事なオペラ作曲技術であり、さらに幾つもの名作オペラの数々をともに送り出してきた、ホフマンスタールの台本の力でもある。

 この『ばらの騎士』は、NHK・hi で、年末に三日間続けて放送された『夢の音楽堂・小澤征爾が誘うオペラの世界』の中の、最後の一つである。
 指揮は、あのカルロス・クライバー(1930~2004)で、それも1994年の、ウィーン国立歌劇場での公演録画なのだ。元帥夫人にフェリシティ・ロット、オクタヴィアンにアンネ・ゾフィー・フォン・オッター、さらにゾフィーにバーバラ・ボニー、オックス男爵にはまり役のクルト・モルと出演者に不足はなく、私は、録画しておいたもの(約3時間20分)を、ゆっくりと2回に分けて見て楽しんだ。
 クライバーの『ばらの騎士』は、1976年のバイエルン放送管弦楽団のものが最高だとされているが、私は、この映像でも分かるように、ウィーンの聴衆たちに愛されたクライバーが、楽しげにタクトを振っていた今回の『ばらの騎士』を、多少の不満はあるにせよ、満足して見ることができた。(ちなみに、この半年後に、同じクライバーによるあの有名な東京公演が行われている。)

 ところで、この『ばらの騎士』には、名演奏と呼ばれるものが少なくない。古くは、カルロスの父、エーリッヒ・クライバーとウィーン(’54)、カラヤンとフィルハーモニア(’56)、カラヤンとウィーン(’84)、そしてこのクライバーによるものなどが有名である。
 私が、これまで、この『ばらの騎士』を全曲通して聴いたのは、カラヤンの56年盤、あのシュヴァルツコップが見事な元帥夫人を演じたものだけだった。しかし、今年、NHK・BSでカラヤンの名演奏DVD(もとはLD)シリーズが放映されて、その中に、1960年のザルツブルグ音楽祭での、カラヤン、ウィーン・フィルにシュヴァルツコップの組み合わせによる『ばらの騎士』があった。画像が少し古いのはともかくとして、このオペラの素晴らしさを再認識したばかりだった。
 さらに続けて、今回、あのカルロス・クライバーが指揮する姿を見ることができたのは、嬉しかった。しかし、クライバーについては、前にも書いたけれど(9月5日の項)、もっともっと彼の演奏が聴きたかったのにと思うと、つらい気持ちにもなる。。

 この年末から年初めにかけて、去年ほどには見るべき番組はなかったが、それでも、このクライバーのオペラと、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートは良かった。コンサート・ホールの聴衆たち、指揮者、オーケストラ楽団員たち、皆が一緒になって作りだした、実に見事なウィンナー・ワルツのひと時だった。
 そして、あの85歳にもなる、ジョルジュ・プレートルの元気な姿には、驚かされてしまった。手すりもない指揮台の上で、それも暗譜(あんぷ)で軽やかにタクトを振っていた。同じ老齢のころの、ベームやカラヤンの、舞台姿を思い浮かべてしまうのだ。

 他には、昨日のNHKの『雅の世界、百人一首』を、期待して見たのに、6人の俳優たちが読み上げる歌の数々、その表現力に何たる差があることか。途中でもう、続けて見る気力がなくなったほどだ。
 そしてもう一つ、今日のNHK・hi の『万葉への招待』は、去年の再放送だが、半分ほどしか見ていなかったので、その残りの部分を見たのだが、おなじみになった檀ふみの歌詠(よ)みに、いつもながら心安らぐ思いだった。
 さらに、現在録画中のNHK・hi の『夢の美術館・スペイン』。後でゆっくり見ては、若き日に旅して回ったスペインの思い出に浸るとしよう。

 生きていて、良いこともつらいことも、色々とあるけれど。好きなことがあること、それに出会えること、その傍にいられること。ミャオ、オマエも、私の大好きなものの一つなのだからね。」