ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

秋来たりなば

2022-09-26 21:18:49 | Weblog



9月26日

 ”秋来たりなば、冬遠からじ。”
 これはもちろん、有名な英国の詩人シェリー(1792~1822) の詩の一節である、”冬来たりなば、春遠からじ”(『イギリス名詩選』”西風の賦” シェリー 平井正穂編 岩波文庫)という、希望ふくらむ思いの言葉を、私なりに言い換えたものなのだが、年寄りにとっては、自分の行く末を憂うる言葉にもなるのだろうか。

 もっとも実際には、私はそれほどに、自分の人生の終わりを意識しているわけではなく、相変わらずぐうたらに、のんべんだらりと、日々が穏やかならばそれで良いと思いながら、生きているわけであり、厭世的になるほど、自分の人生を考えているわけではないのだが・・・。

 さてその後、新型コロナ感染者が、日ごとに全国的に増えていき、20万人を超えるほどになっている中で、4回目のワクチン接種の予定が、2度目の手術日の前になって重なり、やむなく、ワクチンの方は手術後に延期させてもらうことにした。
 しかしその間に、いつしかオミクロン株対応のワクチンに切り替わってしまい、結局は、今までの予定のワクチンはパスすることになってしまった。何が幸いするかわからない。
(余談だが、病院に向かうタクシーの中で、運転手さんと話していたのだが、もともと私は風邪をひきにくい体質らしくて、風邪で病院に行ったこともなく、今まで一度もインフルエンザの予防接種も受けたこともないのだ、と話したら、何とこの60代になるという運転手さんは、自分もそうだが、さらに今日まで、コロナのワクチン注射を一度も打っていないと言うのだ!・・・リスクの多い客商売の仕事でも、世の中には、丈夫な人がいるもので、もっとも外国のニュースでは、ワクチン注射を拒否する人が多いと聞いていたから、確かに十分にわかる話ではある。)

 さて本題に戻って、前回このブログで簡単に入院の報告をした後で、すぐに入院して手術を受け、1週間後には退院して、それから今は、もう3週間余りにもなる。
 今回の手術は、前回の一年前の5時間近くにも及ぶ悪性腫瘍除去の手術によって、多少機能不全に陥った器官を、形成外科的な手術を加えて補正するものであり、それほど危険なものではないとの医師の話しだった。

 しかし、前回の全身麻酔による手術の時には、5時間という長さだったにもかかわらず、深刻さの度合いも、自分としては覚えてはいないのだが、それが今回は、局所麻酔による上半身の一部の麻酔だから、手術中もちゃんと意識があって、執刀医の先生たちとは、両手の握り開きによって、多少の意思のやりとりもすることも出来ていた。

 ただ自分の体の中に、メスやドリルが入って行くさまがわかるというのは、気分のいいものではなく、場所によっては、もちろん小さな痛みも響いてきた。
 今回の手術は、1時間半ほどで、意識の中では、それほどの時間がたっているようには思えなかった。
 
 その後、手術の傷口は10針ほど縫われて終了し、病室で手厚い看護を受けて数日を過ごし、今は退院後の抜糸もすんで、機能は明らかに改善して、順調に経過している。
 ただこの悪性腫瘍の影響は何年先までにも及び、転移する恐れもあり、定期的な検査を受けなければならないとのことである。
 もっとも、脳天気(能天気ではない)で楽天的に考えるようにしている私は、あといくらあるかもわからない日を数えるだけの、余生にはしたくないと思う。
    たとえ、朝起きて食べてTVを見て本を読んでまた食べて風呂に入り夜寝る、だけの毎日であったとしても、一日一日に退屈することはない。
 外に見える景色が、晴れた日だったり雨の日だったり、草木の花が咲いたり枯葉が散ったり、遠くに山が見えたりという毎日違った日々があるからだ。
 住み慣れた小さな家と、質素な食事をするだけのお金があれば、それだけで十分でないかと思う。他に欲しいものはない。

 3週間ほど前に放送された、例のTV朝日系列の「ポツンと一軒家」だが、それは茨城県奥久慈の山奥にあって、江戸時代の安永年間に建てられて、もう244年になるという、かやぶき屋根の家が話の舞台だった。
 そこには、今でも元気な84歳と80歳のご夫婦が住んでいらして、奥さんの方は22歳の時に3キロの山道を登ってこの家に嫁いで来たとのことで、一方のご主人の方は、自衛隊の施設大隊に勤務していたこともあって、そこで仕事を憶えていたから、家の補修なども何とか工夫して自分でやったとのことである。
 奥さんは、”この人が望む限りここにいて、これから先も二人で静かに暮らしていければ良いし、それが私の望みです”と話して、それを受けてご主人もまた、”ここで静かに終わりを迎えられればそれでいい、今は無欲の心境です”と応えていた。
 長い歳月だけが知る、夫婦の縁(えにし)・・・。

 つまり、誰でも年を取ってくると、自分の生きる時間や範囲が見えてきて、死という終着点にたどり着くべく、そこに近い、無なる状態を望むようになるものなのかもしれない。
 しかし世の中には、今でも世間を騒がせているように、年寄りになっても、さらに地位とお金に執着する人が多いようだが・・・あーあ、思えば私は、そうしたえらい人たちではなく(なりたくともなれずにというべきか)、ともかく、名もない貧しい一般庶民で良かったと思う。
 
 ”秋来たりなば、冬遠からじ”と、まだ暑さの残る今ごろの季節から、もう庭木のモミジの枝先が色づきはじめ、月日の移ろいを教えてくれている。(上の写真)

 最近ようやく『徒然草(つれづれぐさ)』を再度読み終わり、改めて気づかされたことも多いが、ここではその中の百七十二段の一節から、それは論語からの言葉であるが、若き日の過ちを戒(いまし)めた後で、以下のようにしめくくっている。

 ”老いぬる人は、精神衰え、淡く(淡白で)おろそか(ほどほど)にして、感じ動く所なし、心おのづから静かなれば、無益のわざをなさず。身を助けて(体を大切にして)愁いなく、人の煩(わずら)いなからんことを思う。老いて、智の若き時にまされること、若くして、かたちの老いたるにまされるが如(ごと)し。”

(『徒然草』兼好法師 小川剛生訳注 角川文庫)

 つまりはと、私はベランダの揺り椅子に腰を下ろし、思い出の中の若き日の自分を、ある時は励まし、ある時はあざ笑い、懐かしく思い浮かべているだけなのだが・・・あーあ、我ながら、扱いにくい年寄りになったものだ。

 私の退院と帰宅に合わせるかのように、庭のヒガンバナ(曼殊沙華、まんじゅしゃげ)が咲きはじめたが(写真下)、今度の14号の猛烈な台風で散ってしまった。
 それでも、山の中にある家では風速30mぐらいですんだから良かったが、あちこちの樹の枝葉が折れたりしたし、それ以上に、夕方から次の日の夕方までの、まる一日にも及ぶ停電の間は、何もできずに閉口した。
 私たちの日々の生活がいかに電気に負っているかが、よくわかる。(しかし、このくらいならまだいい方かもしれない。ウクライナ戦争の地下避難民は、いつまで待てばいいのだろう。)

 

 その前の台風では、南風に吹かれてきたのか、あまり見慣れないチョウがベランダに舞い降りてきていたが、すぐに見えなくなってしまった。
 セセリチョウの仲間だとは思うのだが、もともとセセリチョウは、チョウとガとの間の種なのだから、見分けにくいところもあって、飛び方と形から、ガではないと思うのだが、表面の鮮やかなオレンジ色の紋様と、裏面の銀色は特徴的であり、ともかく分からないので写真にあげておくことにした。(写真下)
 台風に乗ってということは、珍しい迷鳥や迷蝶発見の時には、ままあることでもあり、少し前にも、台風の後、家から離れたところで、一度リュウキュウサンショウクイを見たことがある。もっともこの鳥は、九州本土でも部分的に留鳥になっているから、珍しくはないのかも知れないが、ともかく台風後は、蝶や野鳥などは注意して見回し探すべきなのかもしれない。

 というわけで、まあこの年寄りも、古典文学や古典音楽に、鳥に蝶に、さらに花だ木だ、テレビ・ドキュメンタリーだ、「街角ピアノ」だ「駅ピアノ」「空港ピアノ」だと言っては、そこにそれぞれの人の人生がかいま見えて、興味は尽きないのでありまして、生きることに退屈するなどということは、金輪際なさそうではありますが・・・。

 ただ気がかりなことも多くあり、例えばヒトラー戦争と同じように、今の時代に起きたウクライナ戦争を、それを仕掛けた狂気をだれも止められず、こうして永遠に世界のどこかで戦争が起き続けるのだろうか。
 一方では、母たる地球環境を激変させているのも、ある意味人間の狂気なのかもしれない。
 そしてその間にも、人間の欲望を煽(あお)り立てるかのように、先端科学は進み続けて、次世代市場だと言われている、メタバース仮想空間は、巨大な商業領域となって拡大して行き、人間が人間でいることが出来なくなる時代が、近づきつつあるかのような・・・私たち年寄りには、もう終わりが見えつつあるから良いようなものの、後は若い人たちにあるべき未来を祈るだけで・・・こうして年寄りたちは、過去のしがらみやかかわりからすべて解き放たれて、暗闇の彼方に見える明るい花園(「臨死体験」の世界)へと歩いて行くのであります・・・あーえらいやっちゃ、えらいやっちゃ、よいよいよいよーい。

 そういえば、病室で過ごした1週間についても、書いておかなければならないことがあるのだが、長くなったので、次回に回すことにする。

 それにしても、やっと今、あの耐え続けるだけの長い夏が終わって、秋になり、涼しくなってきたことが何よりもうれしいのですが。
 秋が好き、八丈島のキョン!