3月24日
三寒四温のたとえ通り、寒い日と温かい日が数日足らずで繰り返している。
昨日今日と、穏やかに晴れて4月中旬の暖かさだったとのことだが、3日前には、雪が降って、咲き始めたばかりのブンゴウメの花に蕾(つぼみ)の上にと積もっていた。(写真)
見た目には、梅に雪と風情ある姿だが、こうして開花したばかりの花が寒さにやられてしまうと、花の色があせてしまうだけでなく、夏の梅の実の出来にも差し障りが出てくる。
しかし、梅の花が開花している時期は長く、色あせて茶色く変色しながらもしぶとく枝先についている。
咲いたかと思うと、あわただしくすぐに散ってしまう桜の花とは、大きな違いがある。
梅の花と桜の花のどちらが好きかと問われれば、ほとんどの人は桜の花と答えるだろう。
しかし、古来、数多く歌に詠まれてきたのは、春の最初に花を咲かせる梅の花だったのだ。
「難波津(なにわず)の 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」
(『古今和歌集』仮名序 伝王仁 古典名歌集 河出書房)
まだ冬の名残がある時期に咲き始めて、桜の花の時期にまで長くしぶとく咲いて、その花をもたせようとする梅と、梅の花が盛りを過ぎたころに、いっせいに花開いては、いさぎよくすぐに散ってしまう桜・・・。
あの一休宗純の作だとされている有名な言葉・・・。
「花は桜木 人は武士 柱は檜(ひのき) 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの(御吉野)」
つまり、一休の生きた鎌倉時代のころには、もう梅よりは桜のほうがもてはやされるようになっていたのだ。
確かに、”一目千両”の桜の花の眺めと、春の初めの香り立つ梅の花では、比べてもせんなきことかもしれないが、しかし、桜には桜の、明日をも知れぬ豪奢(ごうしゃ)さゆえの哀しみがあり、梅には梅の、さきがけへの怖れがあり長きに耐える力も必要になる。
しょせんこの世は、むつかしい。
最近、私の好きなヨーロッパ映画を続けて三本見た。
もちろん、それは劇場で見たのではなく、NHK・BSで放映されたものを録画して見たのだが、家の42インチのテレビの液晶画面に、少し近づいて見れば、もうそこは小さな試写室であり・・・あの映画配給会社でのプレス関係への試写会と同じように、その最前列で見ているような感じで、周りに雑音もなく、目の前の映画だけに集中してじっくりと見ることができる。
それだから、今ではもう映画館に行くことはなくなってしまったのだ。
もちろん、テレビでは新しい映画を見ることはできないし、劇場公開された映画がテレビで放映されるのは、少なくとも3年後位になってしまうのだが、映画芸術に新しい古いはなく、むしろ評価の定まったものであれば、絵画などと同じように、それは時代に変わらぬ芸術的価値をいつまでも持ち続けているものなのだ。
私が見た三本は、当時の歴史的事件にもかかわる話であり、そこでは映画のために多くのことが想像され脚色されてはいるが、しかしそのことで返って、いろいろと歴史的事実への興味がかきたてられることにもなる。
一本目は、2007年のフランス制作による『モリエール 恋こそ喜劇』。
モリエール、本名ジャン=バティスト・ポクラン(1622~72)はあの有名な17世紀フランスの喜劇作家である。
作品には、『タルチュフ』『ドン・ジュアン』『人間嫌い』『守銭奴』『町人貴族』『病は気から』などがあり、それらは舞台劇としてだけでなく、オペラの台本としても知られている。
私も、その幾つかの作品はオペラとして見てはいるものの、ちゃんと一冊の脚本、本として読んだことがあるのは、一番有名な『人間嫌い』(内藤濯訳 新潮文庫)だけである。
もちろん、モリエール自身が主人公になっているこの映画のストーリーは、新たに今回映画脚本として書かれたものであるから、彼の作品の映画化というわけではないけれども、当然のことながら、多分にそれら喜劇の内容が盛り込まれている。
だから、このモリエールをよく知っているフランス人たちが、この映画を見れば、当時のブルボン王朝ルイ13世、14世の時代を背景に書かれた、いろいろな名作喜劇の数々を思い出すことだろう。(フランス国内ではこの映画が大ヒットしたとのこと。)
私たち日本人には、それほどまでの知識はないけれども、そうした映画の背景にあるもの、フランスの歴史の幾つかでも知っていれば、さらにその映画の楽しみが増すことだろう。
話は、座長兼脚本家、俳優のモリエール率いる一座が、長年の地方公演を終えてパリに戻るところから始まる。
思えば彼は若いころ、劇団経営による多額の借金のために、ある豪商の館に招かれ、そこで貴族階級のサロンの若い女主人”セリメーヌ”(『人間嫌い』の女主人公の名前と同じ)に横恋慕する、主人ジュルダンの恋の寸劇の手伝いをすることになる。
彼は、娘の家庭教師として司祭”タルチュフ”の名前をかたり、館に住みこむことになるが、芸術を解するジュルダンの妻エルミールと、いつしか深い中になる。(写真、左からモリエール、エルミール、ジュルダン)
そんな事とはつゆ知らず、ただ自分の分不相応な恋の思いに突き進む、俗物根性丸出しのジュルダンの思いは、上流階級のサロンではそのぶざまな態度で失笑を買うだけに終わり、それは、セリメーヌとの間を取り持ってくれる友人と思っていた侯爵に、まんまと欺かれたせいでもあることを知る。
さらには、自分の娘を貴族に嫁がせようとした”町人貴族”の願いも、娘の平民との恋で失敗に終わり、すべてをあきらめてモリエールを彼の劇団へと戻してやり、一件落着となる。
そして、彼ら一座は地方公演の長い旅に出たのだ。そこで、その後の話として、最初のシ-ンに戻るのだ。
巡業の旅から戻ってきた彼らが見た、その変わることなき石畳が続くパリの下町の光景・・・その中で、バケツに入れた瀉血(しゃけつ)を溝に捨てる下女の姿。
呼び止められた彼は、ある家に招き入れられて部屋に通される・・・そこには明日をも知れぬ病に伏せるあの夫人、エルミールの姿があった。
こうして映画では、若き日のモリエールの恋の結末までもが語られているけれども、それは架空の話だとしても、映画全体に組み込まれた彼の喜劇作品の数々に、そこここで思い当たり、笑い納得することで、今の時代に生きる自分たちへの警句にもなっていることを知るのだ。
監督は、あのいかにもフランス的な子供映画『プチ・ニコラ』(’09)のロラン・ティラールであり、脚本、撮影、衣装などとともに、手堅いフランス映画の伝統を感じさせる。
主演のモリエールを演じたロマン・デュリスは、少しあくの強い顔だが、実際の肖像画(ウィキペディア参照)を見ればそれも納得できる。
そして、ジュルダンという滑稽(こっけい)役を見事に演じたファブリス・ルキーニこそ、この映画でのもう一人の主役でもあったのだ。
彼は、私の最も好きなフランス映画監督の一人である、あのエリック・ロメールの作品の常連であり、彼の顔を見るといつもフランス映画の何か温かいおかしみを感じてしまうのだ。
彼が出演したロメール作品は、調べてみると、『クレールの膝』(’70)『聖杯伝説』(’78)『満月の夜』(’84)『木と市長と文化会館』(’92)などがあり、いずれも忘れがたい印象が残っている。(中でも『聖杯伝説』での、風変わりな舞台劇の王子役は秀逸であった。)
芸術を愛する国フランスの、自国の芸術を誇りに思う心が、こうした文芸ロマン映画の秀作を生み出すことになるのだろう。
そういえば、7年ほど前にあの文豪モーパッサンの短編集が、オムニバス・シリーズとしてテレビ・ドラマ化されて、視聴者に好評をはくしたということであり、それがありがたいことに、翌年BS日テレで放映されたのだ。
その一話一話の、何と素晴らしかったこと。
そういった、いつの世にも変わることのない、人々の喜怒哀楽を描いた劇作への思いは、わが国にも伝統芸能や歌舞伎という形で残っているけれども、モリエールと同じ時代の日本には、同じようにあの偉大なる劇作家井原西鶴などがいたわけであり、何とか日本映画として、そうした時代の文芸映画を作ってはくれないものだろうか。
さて次は、2008年のイギリス映画『ブーリン家の姉妹』である。
これはいうまでもなく、時のイングランド王ヘンリー8世(1491~1547)に寵愛(ちょうあい)された、アンとメアリーというブーリン家の二人の姉妹(アンが妹だとする説もある)の話である。(写真)
ヘンリー8世には、婚姻後すぐに兄アーサーに先立たれて、彼に嫁ぐことになったスペイン、アラゴン王家のキャサリン王妃がいるのだが、彼女はメアリー王女を産んだ後、世継ぎの男の子に恵まれず、次第に疎遠になり、彼はキャサリンの侍女であったメアリー・ブーリンに手を出して二人の子を作るが、彼女はその時すでに貴族の妻であり、当時のローマ法王下のイングランドのカトリック教徒(離婚できない)でもあって、子供たちは王から認知されることはなかった。
さらに彼は、メアリー・ブーリンの姉であったアン・ブーリンに言い寄るが、アンは妹の二の舞は踏みたくないから、結婚という形を取らなければいやだと、彼の求愛を拒否する。
そこでヘンリー8世は、キャサリン王妃と離婚するために、カトリックからの離脱を決めて新たにイングランド国教会を起こして、その教会のもとでキャサリンと離婚し、晴れてアンと結婚する。
しかしアンは、エリザベス王女を産んだ後に男の子を流産してしまい、ヘンリーの心は次にアンの侍女だったジェーン・シーモアに移り、アンは突然、実兄を含む5人の男と姦通したという罪をかぶせられて、ロンドン塔に幽閉(ゆうへい)された後、結婚後わずか3年足らずで”1000日のアン”となって、処刑されてしまう(2月3日の項参照)、・・・その最後のあまりにも残酷なシーン、広場の片隅で立ち会うことになり思わず顔をそむけたアンの妹、メアリー、しかし彼女は目の前の現実を見据えて、子供を胸に抱いて宮廷を去って行く・・・田園の風景の中で、家族とともに暮らす彼女の姿にかぶって、エンドタイトルの言葉が流れる・・・。
「メアリーは(平民の)スタッフォードと結婚し、宮廷から遠く離れたところで残りの生涯を送った。
力強い後継ぎがいないというヘンリーの不安は、杞憂(きゆう)に終わった。
継承者は、イングランドを45年間統治した。
それは彼が望んだ息子ではなく、アンが遺した赤毛の娘――エリザベス。」
(エリザベス女王の治世下、イギリスはスペイン無敵艦隊を破り、東インド会社が設立され一大隆盛の時を迎えるのだ。)
何度も映画化され語りつくされてきた、イギリス人なら誰もが知っている話を、さらにブーリン姉妹とその家族の思惑などへと、切り口を変えて展開していく鮮やかさ、その監督(ジャスティン・チャドウィック)や原作の手際よさ以上に、この映画で際立っていたのは、特に城館の中での光と影を巧みに描き分けたカメラの見事さであり、それに衣装の重みのある色合いが映えていた。
まるで絵画を見ているようで、というより、当時の絵画に十分な素養のあるカメラマンが、レンズを通して作り上げた一枚一枚の絵のようにさえ見えたのだ。
音楽は初めは、当時のルネッサンス調の音の流れが好ましかったのだが、先に行くに従い、やや今風な音楽の量自体が増えてしまった感は否めない。
出演者では、アンを演じたナタリー・ポートマンとメアリー役のスカーレット・ヨハンソンという、二人のアメリカ人女優の熱演に尽きるともいえるが、ヘンリー8世役のエリック・バナは、あの有名な肖像画(ウィキペディア参照)から見れば、余りにもハンサムにすぎるし神経質にさえ見えて少し違和感を感じた。
このヘンリー8世役について言えば、ずいぶん前の映画になるが、あのフレッド・ジンネマン監督、ポール・スコフィールド主演による映画『わが命つきるとも』(’66)で、ヘンリー8世を演じていたロバート・ショウのふてぶてしい顔つきが忘れられない。
その映画は、カトリックからイングランド国教会へというヘンリー8世の宗教改革に反対して、刑死することになったあのトーマス・モアについて描いている名作であった。
昔は、まさに良心的というにふさわしい映画がいくつも作られていたのだ。
さてこの映画に戻れば、史実の細部で異なる点はともかく、おおむね有名な話に基づいて書かれたしっかりした原作があり、芸達者な二人の美人女優が見事なカメラワークで撮られていて、大きな文句のつけようのない映画ではあるが、最後のエンドロールの言葉に見られるように、できすぎたお話だととられなくもない。
つまり映画はその終わり方によって、深い余韻を残すものともなるのだが・・・。
もう一つこの映画で、私が感じ入ったのは、さしたる場面ではないのかもしれないのだが、ヘンリーがアン・ブーリンと結婚するために、カトリックからイングランド国教会へと宗派替えをして、自分の妻キャサリンを宗教法廷の場で裁く、その前の場面である。
キャサリンは、その場へと歩いて行く時、廊下に並んだブーリン姉妹を見つけて、二人を強い目で射すくめるように見て言うのだ。
「そこにいるのはブーリン娼婦姉妹ね、二人とも私の侍女だったのに。
私は、キャサリン。イングランドの王妃。
王の正統なる妻であり、王位継承者の母。
国民に愛され、王に愛されし妃(きさき)。
あなたは王をたぶらかした。」
と言い捨てると、彼女は背すじを張って、尋問(じんもん)の場へと歩いて行くのだ。
何と言う、王妃としての誇りだろうか。
あのりんとしたたたずまいと自信あふれる王妃の表情から、私が感じたのは、犯すべからざる人間の格式と威厳だったのだ。
それは、上にあげた『モリエール』での、あの金持ち町人貴族ジュルダンの、体裁と芝居に対する対句になるものとしても・・・。
(ちなみに、ここで王妃キャサリンを演じていたのは、スペインの女優アナ・トレントであり、彼女のあまりにも見事なイギリス英語は、吹き替えだったのだろうか。そしてもう一つ、彼女はあの『みつばちのささやき』(’73)の少女だったのだ。)
誰もの心の中にあって、しかし決して同じものではなくその時々で異なるもの、こうした人の心の陰影を、丹念に描き上げていくヨーロッパ映画の伝統に、私は、いつも強くひかれるのだ。
ハリウッド調の、善悪が決まりきった現実にはありえないコンピューター描写の活劇ではなく、いつの世にも変わらない人間の清濁併(せいだくあわ)せ飲む苦悩の姿こそが、実はそれこそが人間の真実の姿なのかもしれないのだ。
善きことの中に、あまたの邪悪の影がひそみ、悪しきことの中に、きらりと光る正しき真実があったりと・・・とかくこの世はむつかしい。
さらに引き続いてもう一本、あの『英国王のスピーチ』についても、関連付けて書いておきたかったのだが、ここまでですっかり長い文章になってしまったし、年寄りゆえに疲れてしまったので、もう終わることにしよう。
素晴らしい青空の天気が、まるまる二日も続いた。
ブンゴウメの花が、ここぞとばかりに咲いて、あたりがその花あかりで明るくなった。
気温17度・・・春だなあ。